先輩ルート
「先輩…すごい声量ですね…」
皆が帰ってから10分程過ぎてから私は先輩にそう話しかけました。
別にそれは軽蔑して言っている訳ではないのですが、先輩は何故か涙目になり、顔を紅潮させていました。
「先輩!どうしたんですか!?」
そう言いながら先輩の肩を揺らすと、じっとりとした目で見られました。
「引いたよね、いつもこんな虫が囁くような声で話している先輩が突然豹変して怒鳴るなんてさ」
そう言って、カウンターに顔を伏せようとしたので咄嗟に「いやいや、ちょっと見直しましたよ」と言うと「見直した、とか失礼だね」と私の頬を軽くつねりました。
だから私は仕返しに先輩の眼鏡を取ってやったんです。
先輩は視界が急にぼやけたことに焦ったのか咄嗟に私の頬から手を離して「眼鏡…眼鏡…」と手探りで眼鏡を探し始めました。
私は少しイタズラ心が沸いてきて、先輩の眼鏡を背の高い本棚の上に置こうとしたのですが、身長が小さい故に、何度もジャンプして乗せようとしたら、本棚に体重が乗って本棚がこちらに倒れてきました。
私は特に逃げもせず、ただボーッとその倒れてくる本棚を見ていたのですが、急に後ろに気配を感じたかと思うと、本棚に突進している先輩の姿が見えました。
結局、その反動で本は何冊か頭の上に降ってきて、先輩は痛そうな顔を浮かべています。
「どうだい。自分(先輩の一人称)のこと、少しは見直したかい?」
そう言って、頭を擦りながら 微笑を浮かべる先輩。
私はなんだかその微笑を見たら恥ずかしくなってきて、思わず近くに落ちていた辞書を拾って適当なページを開きました。
そうしたら、出てきたのは『愛』の特集ページ。
私は驚いて辞書を床に落としました。
愛…?
愛って何でしたっけ。
不倫なんてするあんな母なんて愛していない。
父はいない。
でもどっちにしろ、両親のことを嫌いなのは確かかもしれませんが。
兄弟もいない、母は毎日どこかへ行っては朝になってようやく帰ってくる。
父はどんな人かよく分からない。
でも、お爺ちゃんから聞くと、働きもしない、煙草ばっかり吸って、暴力は絶えない とんでもない人だったらしい。後に家を追い出されたらしいですけど。
かくいうお爺ちゃんも認知症ですぐ私に会う度に笑顔で「はじめまして」と言ってくるから嫌い。
分からない。愛とは、一体なんですか?
「どうしたんだ」
気が付けば私はボロボロ泣いていたらしく、先輩が私を抱き締めているのが自然と分かりました。
私はしゃくりあげながら 気になっていたことを尋ねました。
「先輩、愛って何ですか?」
キーンコーンカーンコーン…
タイミングが良いのか悪いのか、そう尋ねた瞬間 耳に聞き慣れたあのチャイムの音が飛び込んできました。
先輩は何か言いたそうな顔で勉強道具を片付けると、私をもう一度抱き締め「帰りに図書室で待ってなさい」と呟くと、私から身体を離して椅子から立ち上がりました。
……
先輩に言われた通り、放課後に図書室で待っていましたが、いつまで経っても先輩は来ません。
扉の外から見えるのは忙しそうに走る文化祭の実行委員会。
職員室はあの事件の後、ずっと職員会議が行われているのです。
エーフィ先輩に、ブラッキー先輩。
お似合いの二匹だったな。私もよくチラチーノ先輩に引っ付きながら二人のことをよくからかってました。
愛。
…でも怖い。
独占力。
あれれ?どうして?動かない。どうして?何故?何故?
俺は彼女のことが死ぬほど好きだったのに。
あり得ない。そうだ、写真。写真を貼ろう。気紛らせでもいいから。
…カノジョニアイタイ。
いやだ。こんなことにはなりたくない。
だから私は愛を拒む。
たとえそれを大嫌いな家族のせいにしてでも。
突如、図書室の扉が勢いよく開かれて、私は少し身体を強ばらせました。
「すまない!遅れてしまったな」
そこに立っていたのは息を切らながら肩で呼吸をしているチラチーノ先輩だったのでした。
「本当にくだらないことだがな、聞いてくれると嬉しい」
「ごめんなさい」
即答。先輩は私の答えを聞いてキョトンとした顔で突っ立っている。
「へ?な、ななな何故に?」
動揺しすぎです。もう少し落ち着きましょうか。
「だって、私、先輩とお付き合いする気はありま__「え!?なんで自分が君に告白した前提で始まってるの!?」
私の言葉を途中で遮り、やや焦りながらそう言う先輩の額からは一筋の汗が流れていました。
その汗をハンカチで拭きながら、(ついでに別のハンカチで眼鏡も拭きながら)先輩は「ふぅ」とため息をつくと
「君さ、今日の昼休み、愛が分からないとか言ってたじゃないか?
その“愛”を教えてあげようと思ったのに君という奴は…!まったく、やれやれだよ」
頭の上に大きな疑問符を浮かべる私に先輩は怒りながら、付け足すように
「鈍感すぎる…!
ったく、君は僕の言いたかったことを先に言ってしまうし。
まぁ、どっちにしろ君には断られたから自分はもう言うことはないよ」
改めて先輩の顔を見てみると、すごく紅潮させていました。
でも、先輩が私のことを好きだったなんてね…
考え込む私に先輩は「これが愛だ」とちょっと臭く聞こえる台詞を言うと、いつもの椅子に腰掛けてカウンターの机に顔を伏せました。
私はそんな先輩を横目でチラリと見ると「愛は分かりましたが、それは怖いです」と国語の定型文のような台詞を言いました。
先輩は私の拙い言葉の意味を理解してくれたようで、「それは全部の愛とは限らないだろう?あれはごく一部__1%に満たないぐらいの割合で起こされるものに過ぎないから」と私をなだめました。
…でも怖いものは怖い。
「でも__「約束する。自分はそんな感情を引き起こさない。嘘じゃない。本当だ」
私の手を固く握り、約束する先輩に私は 信じてみようと思いました。
「わかりました。お付き合い、よろしくお願いします」
途端、先輩がギュウッと私に抱きつきました。
「大事にする。自分の、宝物」
そう言ってくしゃくしゃの笑顔を浮かべる先輩につられて私も満面の笑みを浮かべました。
END