束の間の幸せ
音楽室に響く美しいソプラノ。うっとりするようなバイオリンの音色。
二匹の少年少女が、アニメソングを再現しているのだった。
少年はバイオリンを奏で、少女は歌う。
やがて曲が終盤に差し掛かり、音程が上がり、そして曲が終わる。
「はい、OK!!」
静かな音楽室に響く少年の声。木霊する、その大きすぎる声に少女は耳を塞いだ。
「うるさいよ〜」
少女に怒られ、少年は照れ臭そうに「わりぃ、わりぃ」と頭をポリポリ掻いた。
「誉めてないからさ〜」
笑い混じりに突っ込む彼女は少し嬉しそうだ。
端から見ればカップルのやり取りにも見える二匹の会話。
しかし、彼らはカップルではなく、ただの親友同士だった。
少年は吹奏楽部、少女は合唱部に所属していた。(今は引退した為)共に15歳。
では何故違う部活だった二人が一緒に練習をしているのか。
それは、明日開催される文化祭の『きいてください!私の自慢コンテスト』に出場するための練習だった。
彼らは中学3年生。今年は中学最後の文化祭なので何か二匹の思い出を残したいということで思い付いたのがこれだった。
「それじゃ、もう一回やる?」
「うん」
少年は時計をチラリと見た。長針は6、短針は5と6の間を指している。
「今は5時半だから…あ、そういえば今日は下校時刻6時だよね?」
「ちょっと、質問を質問で返してどうすんのよ〜」
怒りつつも、やっぱりちょっと笑っている。
「まぁいいよ、さっ!始めよう!!」
少年はメトロノームを付け、8分の6拍子に設定し、自分もバイオリンで伴奏を弾き始める。
伴奏の終わりに差し掛かったところで少女は息を大きく吸い、歌い始める。
速いテンポにも関わらず、一時の乱れもない、弓を動かす手。
決して外すことのない音程と美しく澄んだ歌声。
二人のコンビは完璧と言っても過言ではなかった。
ピーンポーンパーンポーン…
『6時になりました。生徒の皆さんは速やかに下校しましょう』
放送部の滑舌の良いアナウンスが校内に流れる。
そして、音楽室で練習をしていた彼らは−−
「あっ、エーフィ。今アナウンス」
エーフィと呼ばれたピンク色の体毛を持った少女はウサギのような耳をピクン、と動かして面倒臭そうに
「ハイハイ、分かってます。
ブラッキー、帰ろうか」
と、真っ黒な体毛の彼に返事を返した。
帰り道、ブラッキーは何かを忘れていたような気がした。楽器は持ってきたし、鞄も背負っている。サブバッグもある。
歩きながら、ちょっと考えてみると それは物ではなく行事であることを思い出した。
そこで、
「ねぇ、エーフィ。明日って何かあったっけ?」
ここで彼女は笑い混じりに「ちょっと〜」と突っ込んでくれるのがお約束だったが。
いきなり丸めた楽譜ファイルで頭を叩かれ、「ばっか〜!」と怒られた。
「明日が文化祭でしょ!?何忘れてるのよ」
と呆れられた。
確かに彼女は1ヶ月前から明日をとても楽しみにしていた。特に、ブラッキーと一緒に参加するコンテストを。だから彼女にとってとても大切な文化祭の日を忘れていたブラッキーに対して怒りが込み上げてきたのかもしれない。
そして、ブラッキーも彼女のそんな気持ちは分かるはずもなく
「そこまで怒ることないでしょ?」
と言った。
エーフィは言い過ぎたのかも?と、シュンとなって
「ごめんね…」
と謝った。
「いいよ、いいよ」
「本当!?よかった〜」
本当に幸せそうなカップルだ。街を歩く人たちは彼らを見て 誰もがそう思っただろう。
しかし、その幸せが一瞬にしてブチ壊されようとは
「おっと、信号」
しかもそれが今日だということは誰も予想だにしなかっただろう。
「えー、青だし渡っちゃおうよ。点滅してても大丈夫だって」
「や、やめとけよ!!」
心配するブラッキーをよそに信号を渡ろうとするエーフィ。
そして、走る構えをする。
「ほら、走っていけば−「危ないっ!!!!」
走っていって横断歩道の丁度ど真ん中にきた時にエーフィの横から制限速度を遥かに越える速さで走る車が来た。いわゆる、暴走車。
ブラッキーは思わず道路へ飛び込もうとしたが、近くにいたおじさんに止められ、彼女が車に轢かれる所を至近距離で見てしまった。
「きゃああああぁぁぁぁ!!!!」
聞きたくなかった耳をつんざくような断末魔とクラクションの音。
途端に返り血で真っ赤に染まる車。
ほんの数秒の出来事だったが、彼にとってはとても長い、コマ送りの映像のように感じられた。
「うわあああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
まるでこの世の終わりでも見たかのような表情で奇声を上げるブラッキー。
そして、横たわった彼女にゆっくりと近づいてく。
血塗れになり、苦しそうな表情を浮かべているその身体はついさっきまでの彼女とは変わってしまっていた。
「エーフィ」
名前を呼んでも返事は返ってこない。
「ねぇエーフィ」
名前を呼びながら身体を揺すっても反応しない。
「ねぇエーフィってば!!!!」
さっきよりも大きい声で彼女の名前を呼びながら身体を激しく揺すっても返事をすることも、反応もなかった。
そして、その怒りと悲しみの矛先はさっきブラッキーを止めたおじさんに向けられた。
「おい…なんでさっき俺を止めたんだよ!!!」
ドスの効いた声でおじさんの胸ぐらを掴み、八つ当たりをした。
しかし、おじさんも負けずに「馬鹿野郎!!もしあそこで俺が止めなかったらお前も今頃あんな風になっていたぞ!!」と叫んだが、そのおじさんの言葉はブラッキーには響かなかった。それどころか、ブラッキーを余計に怒らせてしまった。
「知るか!!!こんなことになるんだったら俺もエーフィと一緒に死にたかったよ!!」
一旦、そこで呼吸を整えて
「そもそも大切な人が目の前で殺されるのを見た俺の気持ちがお前には分かるのか!?」
おじさんは何も言い返せず、黙ってしまった。
しばらくの沈黙が続いたかと思うと、やっと救急車とパトカーのサイレンが聞こえてきた。
さっきまで車の中にいた犯人がそっと外へ出ようとするのでブラッキーとおじさんは必死で犯人を押さえた。犯人は二匹を蹴飛ばし、煙草をふかしながら「お前の絶望的な顔、最高だったぜ。ぜひ、またお前の身内でも轢き殺してみたいぜ」とドス黒い笑みを浮かべた。ブラッキーは余程怒りが収まらなかったらしく、犯人に対して何度も罵声を吐いた。
そして、また蹴飛ばされた。
その犯人が手錠を掛けられ、パトカーに入れられるのを見てからブラッキーも救急車に乗った。
救急車の中でもブラッキーは冷たいエーフィの手を握って「お願い、エーフィちょっとの間生き延びてくれ」と何度も何度も言っていた。
だから医者に言われた一言で彼は変わってしまったのかもしれない。
「ご臨終です」
病院に着いてその言葉を聞くまでの時間はそう長くなかった。今まで必死で祈っていたブラッキーにとってはかなりのショックだったのだろう。
「嘘ですよね?」
ハイライトの消えた目でアクセントのない−−棒読みでそう聞かれた医者は何と言おうか迷っただろう。どのみちどんな言葉を言ってもこの子の答えは変わらないだろう。そう思った医者は結果をそのまま言うことにした。
「嘘じゃありません。彼女は死亡しました。というか轢かれた時、もうすでに死んでいました」
「嘘だ。死んだなんて嘘だ。嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だぁ!!!!!」
静かな霊安室に木霊する彼の声。
発狂する彼に医者はただバツの悪そうな顔で深く頭を下げるしかできなかった。
◇ ◇ ◇
彼は家に帰ると「ただいま」も言わずに部屋に行き、本棚から大きな古いアルバムを取り出した。彼はアルバムを捲り、エーフィの写真、エーフィと自分が一緒に写っている写真を探した。集合写真や他の誰かが一緒に写っていれば、その人の顔を黒マジックペンで塗りつぶした。
ある程度集まると それらを部屋中に貼った。
「こうすれば…ずっと一緒だよ」
そう呟くと彼は写真の中で微笑むエーフィに向かって歪んだ笑顔を浮かべた。
それ以来、彼は特に大切な用がなければ部屋から一歩も出ず、写真の中のエーフィに向かって歪んだ笑顔を浮かべた。
写真の中のエーフィも嬉しそうに笑っている。
それが彼にとっての一番の幸せだった。
ある日は文化祭で、本来ならば二人で披露するはずだった曲をバイオリンで奏で、エーフィに聴かせた。そうすれば彼女は写真の中から出てきてくれるのではないかという希望もあったからである。
もちろん、彼女が写真の中から出てくれることはなかった。
そこで彼は考えた。どうすれば彼女とまた会えるかを。考えて考えて考えた末に出てきた答えは
『もう俺の方からあいにいこう』
というものだった。
そこで彼は“あの横断歩道”に行った。
あの日、彼女が車に轢かれた横断歩道に。
信号が赤に変わった瞬間、道路に飛び込もう。
それもなるべく大きくて重量感のありそうな車に轢かれよう。
そう思いながら、エーフィの写真を両手に持って、信号が赤に変わった瞬間 荷物を沢山積んでそうな大型トラックが見えた時
道路に飛び込んでいった。
「エーフィ!今そっちにいくから待っててね!」
彼は最期まで歪んだ笑顔を浮かべていた。