第四十六話 忌み子の価値 2
あれから何時間待ったことだろう。
先に行けとは言われたものの結局その場から動くこともできず、リュウとキトラは交代で見張りをしながらいつもより長く感じる夜を過ごしていた。とりあえず日が昇るまではエルリオ達を待ち続けることにしたのだが、一向に村からヒト影が現れる気配がない。さらに、そんな彼等のために待ってあげようという慈悲もなく、月は西の山へ向かい、東の空はだんだんと白み始めている。
リュウは立ち上がると、今まで背もたれに使っていた岩の反対側で舟をこいでいるキトラの背をつついた。割と熟睡しているかと思いきや、すぐに耳をピンと立たせぴょこんと跳ね起きる。
「わ、何何?エルリオ達が戻ってきたの?」
「うぅん、まだだよ」
「え?じゃあ、もしかして追手が来たの?」
「そうじゃない。これだけ待っても戻ってこないんだ。何かあったのかもしれないから、ちょっと村の様子を見に行こうと思って」
キトラはどうするか聞こうとしたが、どうやらそれ自体愚問だったようで、
「一人じゃ危ないよ。ボクも一緒に行く」
まるでリュウから切り出していくのを待っていたかのように、キトラは即答でついてきた。
「アナザー」の村にもそれぞれ個々に名前がついているのだが、リュウ達が辿り着いた村はあまりにも寂れているせいか、村の名前が書かれていたであろう看板までもが風化しており文字がかすれて読めなくなっていた。そんな名もなき村の住人が寝静まっていることを確かめてから、リュウとキトラは村の中を手あたり次第探し始めた。ヒト目を避けて捜索する分なら、指名手配中のリュウが足を踏み入れても問題ないだろう。
ヒト影一つ見出せないのは深夜だからという理由でも説明がつくが、どうもどこか様子がおかしい。茅葺屋根の家々の扉に、巫女さんが使うお祓い棒などについている紙――紙垂という名前だったかな――を結び合わせたものが飾られているのだ。ポケモンの世界でもこういった紙がお祓いの意味を持っているかどうかは定かではないが、おそらく逃避行で立ち寄った「シラヌイ村」のように独特の風習があるのだろう。……心なしか嫌な予感が増したような気がする。
「リュウ。あれ、村長さんの家じゃないかな?」
リュウのマフラーの裾を引っ張りながら、キトラが一件の家を指さす。
確かにそこは今まで見た家々の中でも一回り大きな住宅だった。おまけに扉に飾られている紙垂の飾りもこれでもかというほど豪勢になっている。ハルジオンの頭でも村に辿り着いたらまず村長を訪ねるくらいはしていることだろう。明かりもついていることから起きているヒトがいるかもしれない。
とはいえ、姿を大っぴらに見せたくない今律儀に扉を叩いて「ごめんください」と挨拶するわけにはいかない。まず回り込んで窓を見つけると、小柄なキトラがその縁に立って家の中の様子を窺った。
「……誰もいないみたい」
耳もしきりに動かしているが、ヒトの声も聞こえないという。リュウ達は再び家の前に取って返すと、慎重にドアを押してみた。
完全に油の切れた軋む音を出して、ゆっくりとドアが開く。念のため振り返って外にヒトがいないかを確認してから、まずキトラが先に入り、次いでリュウがお邪魔して静かにドアを閉めた。ここまで来たらもうやっていることは完全に泥棒の一歩手前まで行っているが、こちらの目的はあくまでヒト探しだ。
部屋の中は家の外見よりもさらに質素で、最低限の日用品と、何かを入れるためなのか大きなツボが置いてあるだけだ。窓から自分の姿が見られないように姿勢を低くしながら、慎重に床や壁を虱潰しに探してみる。
「!これは……」
リュウがツボを調べていると、その足元で何かが光るのが目に入った。反対側で調べていたキトラも、声に耳聡く気付きこちらへと寄ってくる。
落ちていたのは、直径十センチほどの白金でできたメダルだった。地図で見たっきりなのでうろ覚えだが北西にある「三つの大地」の輪郭が刻まれており、青、黄、赤の小さな宝玉が埋め込まれている。エルリオが持っていた、救助隊要請ギルドを卒業した証を示すメダルだ。裏に刻まれたギルド卒業の日付とぐちゃぐちゃに書かれた親方のサインも、以前見せてもらったものと一致している。さらに確たる証拠となるかのように、エルリオのものと酷似した白い毛が一本絡みついていた。
「やっぱり、エルリオとハルジオンはここに来たんだ」
「みたいだな。あとは……」
あの二人が今どこにいるか、だ。
一通り家の中にあるものはすべて調べてはみたものの、目ぼしいものは何一つ見当たらない。残すはこのツボだけだ。口だけなんとか通り抜けばリュウもすっぽり入るサイズで、ヒトっ子一人は隠すことなど雑作もなさそうだ。ハルジオンはともかく、エルリオならこの中に閉じ込められている可能性もある。
「どうだ、何か見えるかい?」
「うーん。底が暗くて見えないや」
各々ツボの口に首を突っ込んで、何か入っていないかを探ってみる。しかし中に満ちているのは闇だけで、物の輪郭すらも見出せない。それでも何か手掛かりは残っていないかと、キトラが身を乗り出してさらにツボの中を覗き込んだ。
「うわ!ちょ、ちょちょちょっと!うわわわわ!」
つるつるしたツボの縁で手を滑らせてしまったのか、キトラが慌てふためきながらツボの中に転がり落ちてしまった。こうなってしまうと自分から飛ばない限り引き上げるのがかなり大変になることだろう――と思いきや、
「うわあああぁぁぁ――……!」
ツボの深さの割に悲鳴は長いし吸い込まれるように消えていく。そして何よりツボの底に激突したような音すら聞こえない。リュウが慌ててツボを覗き込み何度か呼びかけてみたものの、返事がないどころか自分の声さえツボの中の闇に吸い込まれていった。このツボ、もしかして……
「おい、村長!こんな時間に何やってんだ?」
げっ、まずい!
近隣の村人が異音に気づいたのか、ドアが仰け反るほどに叩く音が響く。リュウは必死に身を隠す場所を探してみたが、殺風景すぎてどこに転がり込んでも十中八九見つかってしまうだろう。半ば藁にすがる思いで、入れるはずもないツボの口に頭だけでもと突っ込んだ。
「うわああああ!」
案の定、ツボの中に入った瞬間に違和感が身体を襲った。掃除機で吸引されたかのように頭からツボに飲み込まれ、底に顔面を強打することはなく延々と落ち続ける。いや落下しているはずなのだが、四方八方から重力が襲いかかってくるせいで上も下もわからない。さして効果もないとはわかっているが必死に腕をばたつかせながら、光も届かぬ深海のような暗闇の中をただひたすら泳いでいった。
「うわっと!」
暗闇に目が慣れてきてだんだんと気が遠くなりかけたところで、腰から勢いよく突き上げられるような衝撃と共に、全感覚がすっぽりとリュウの身体に収まった。
いつの間にか、暗くひんやりとした空間にぺたりと座り込んでいた。先程まで落下していたにもかかわらず、足腰に痛みなど微塵も感じない。空気があることを除けば、本当に水の中にいるような心地だ。
「リュウ……」
「ん?」
「どいて……重い……」
何故かリュウの座っている箇所だけ嫌に地面の感触が変だと思いきや、先に落ちていたキトラが下敷きになっていたのだった。すぐさま立ち上がって離れたものの、ずっと俯せに倒れていたのか顔と腹が見事に砂まみれになっている。
「結局キミもツボに入ったの?」
「あぁ。外にいた村人に見つかりかけたからな」
「そ、そっか。まさか、ツボの中がこんなところにつながっていたとはね……」
双方落ち着いたところで、改めて今自分達のいる場所を確認してみる。とはいえ一寸どころか一ミリ先も見通せないこの闇相手に、リュウの吐く小さな炎では太刀打ちできない。一先ずヒト気がないことを確かめ、火よりもずっと辺りを明るく照らす “フラッシュ”をキトラに発動してもらった。
光に照らされてうららかに光るのは、石を煉瓦のように積み上げたような壁と、丸石をタイルのように敷き詰めた床。とてもポケモンの手によるものとは思えない作りだが、もしかしたら昼間エルリオが散々調べていた遺跡の類なのかもしれない。
そして鼻につくこの臭い。水気もなくカビも生えていないのに吐き気を催すほどの悪臭が漂っている。毒ガスの可能性もあるため、リュウはマフラーで、キトラは道具箱から取り出したスカーフで口元を覆いながら探索を始めた。見つかる心配はあるが、足元の安全確保のために“フラッシュ”を発動させたまま歩き出す。
「ウィィッ、侵入者、侵入者!」
突然、闇の向こうから電子音に似た抑揚のない声が響いた。早速見つかった!
リュウとキトラは互いに別々の方向を睨みながら身構えるが、足元から半径五十センチから先はすでに闇に染まっており、声の主の居場所を目視で探るのはほぼ不可能に近いだろう。そんな中、四肢体勢になっているキトラが尻尾をゆっくりと持ち上げ始めた。稲妻をかたどった尻尾の先端では“フラッシュ”の光が弱々しく明滅している。
すると突然、その光がぶわりと膨張し、一気に五メートル先の通路まで見通すことができるほどの光源を作り出したのだ。直視すれば目潰しも免れないほどの強い光だが、リュウはキトラに背を向けていたためなんとか事なきを得た。一気に明るみに出た通路の天井付近で、小さな影が再び闇に逃れようと視界の端を横切る。
「そこだっ!」
影が闇に隠れる前に、リュウが狙いを定めて“ほのおのうず”を放った。炎もまた自らの光でわずかに通路を照らしながら、見出した獲物に頭から食らいつく。捕縛された影は悲鳴を上げながら、火だるまとなって地面に転がり落ちた。
「このポケモンは……ヤミラミだね」
炎が収まって真っ黒焦げになったポケモンを見ながら、キトラが呟いた。痙攣しながらも呻いているあたりまだ息はあるようだ。リュウがその首根っこをつかむと、たいそう驚かせてしまったようで、
「ウヒィィィッ!お、お助けっ!い、命だけは〜!」
細長い手足をばたつかせて命乞いを始めた。両目が宝石という不気味な見た目によらず臆病な性格らしい。
「とりあえず、アンタから聞きたいことが山ほどある。答えてくれたら見逃してやるよ」
「ウヒィ?」
「まず、ここはどこだ?オレ達、ちっちゃい村の村長の家にあったツボに入って、気がついたらここにたどり着いたんだけど」
本当はダイレクトにエルリオ達の居場所を聞き出したいところだが、自分たちの現状を把握しないことには捜索もままならない。
「ウィィッ!ここはかつて牢獄として使われていた遺跡。お前達の言っていた村の、ちょうど真下に当たる場所」
「真下?じゃあボク達、あのツボを通ってここまで落ちてきたってこと?」
「ウィィッ、それはない。あの村からこの場所までかなりの距離。普通に落ちたらお前達、まず生きてない」
思いのほか真面目に返されたことに面食らったのか、キトラの眉間にちょっとだけ皺が寄った。
「あのツボは、村長の力で作り上げた空間と空間をつなぐ鍵。一度中へ入れば、一瞬でこの遺跡に転移できるモノ」
「……アンタも平然とぶっ飛んだこと言うもんだな」
実際ツボに入ったリュウ達としては落下の感覚しか覚えなかったものの、ヤミラミが言うには村長の家からこの遺跡までツボを通して瞬間移動したということらしい。ツボの中が異次元空間だったなんて、どうやらこちらが思っていた以上に壮大な仕掛けになっていたようだ。しかもそれが村長の力によるものだとすると、いよいよもってエルリオ達に対する不安が増す。
「じゃあ次の質問だ。エルリオ……あ、名前じゃ分からないか。キトラ、エルリオの種族の名前って何だっけ?」
「……アブソル」
「そう、アブソル。そいつの居場所を知らないか?村長の家に持ち物が落ちていたから、少なくともこの村にはいたはず――」
言い終わらないうちに、突然これ以上ないというほどにヤミラミは狼狽し始めた。捕まれて宙ぶらりんの状態である上にいまだ火傷も残っているはずなのに、両手両足をしきりに動かしてキィキィ騒いでいる。
「し、し、し、知らないッ!エヤミのことなんて、オイラ知らない!」
「エヤミ?」
「ウヒィィッ!言ってしまったあぁぁっ!穢れてしまう……!」
勝手に墓穴を掘る発言をしては一人で盛大に慌てふためくヤミラミ。もう少し問いただせば洗いざらい喋ってくれそうな様子ではあったが、どうもエルリオがらみの話題はこれ以上口に出してくれないらしい。アブソルの名を出すだけでも悲鳴を上げて震える始末だ。
「しょうがない、質問を変えようか。じゃあハルジオン――これも名前じゃわからないか。キトラ、ハルジオンの種族って何だっけ?」
「……トロピウス。いい加減覚えてよ……」
「ごめんごめん。それで、だ。あの村にトロピウスも来たはずなんだけど、そいつは今どこにいる?」
話題変えはなかなか効果的だったようで、ぎゃあぎゃあ騒ぎながら怯えていたヤミラミが、少しだけ落ち着いた。それでもいまだにアブソルの件で怯えているのかそれとも問い詰めているリュウの目が恐ろしいのか、つかんでいるこちらの腕にも伝わるくらいにガタガタと震えている。
「と、トロピウスなら……ここを進んでいった先の牢屋にいる」
「この先の牢屋ね。じゃ、キトラ。さっさと行くぞ」
「え、もうヤミラミに聞くことはないの?」
「これ以上聞いたところで無駄に騒がれるだけだろ。あの二人が捕まっているのには訳があるはずだ。ハルジオンも何か知っていると思うし、アイツから聞いた方が手っ取り早いさ」
「ウィィッ!じゃあ、見逃してくれるのか?」
尋問から解放されると知るや絵に描いたような怯え顔から一転、目にあたる宝石に負けじと顔を輝かせるヤミラミ。そんな彼に悟られないほどの一瞬だけ、リュウはその紅い目に不釣り合いなほど冷たい眼差しを向ける。そしてやおら肩にかけたバッグに手を突っ込むと、そこから取り出した小さな種を半開きになったヤミラミの口に思いきり突っ込んだ。
「ふごっ!う、動け……ない……」
今にも尻餅をつきそうという滑稽な体制のまま、ヤミラミは石化したように動かなくなってしまったのだ。木の実と同じくポケモンの身体に様々な効能をもたらす「タネ」の中で、今リュウがヤミラミに食べさせたのは[しばられのタネ]。口に入れた者を硬直状態にし、その束縛は外部から何らかの刺激を受けない限り解かれることはない。
硬直状態のヤミラミをそのままに、リュウ達はハルジオンがいるであろうこの先の通路へと駆け出した。別に逃がしてもよかったのだが、ヒトの名前一つ聞いただけで「穢れた」と騒ぐ輩にはこの仕打ちがお似合いだろう。
そんな輩が教えたことだから頭から信じてはいなかったのだが、少し先に進んだだけでいっそ清々しいほど呆気なくハルジオンを発見した。
縦横斜めに幾重にも張り巡らされた鉄格子の向こう側で、長い首と四枚の羽をどさりと投げ出したような状態で倒れ伏している。目立った外傷はなさそうだが、屈強なハルジオンが捕らえられるほどだ。睡眠薬や痺れ薬でも投与されているかもしれない。
「キトラ、ちょっと下がってて」
リュウはキトラにいったん離れるように促すと、鉄格子に向けて“ほのおのうず”を放った。頑丈に作られていても所詮素材は鉄である故に、高温の炎に煽られた矢先錆に覆われた鉄の柱が氷のようにドロドロと溶けていく。リュウが難なく通れるくらいの穴ができたところで、未だ熱を帯びている鉄の棒に触れないよう、まずはキトラが慎重に歩いて牢獄の中へと入った。
「ハルジオン、大丈夫?」
「しっかりしろ!」
呼びかけたり身体を揺すったりしてハルジオンを起こそうと図る。息はあるようだが、長い間この空間にいたからか随分と身体が冷え切っていた。
「……っ、う。うぅ……」
時折苦しそうな呻き声を口から漏らしている。毒でも盛られたのだろうか。込み上げる嫌な予感を押し殺しつつ、リュウもキトラも必死でハルジオンに呼びかけた。すると、
「うぅ……ん、あとぉ……五分くらいぃ……寝かせてぇ……」
こちらの不安と焦燥を頭から叩き割るような寝言が牢獄内に空しく響き渡った。
キトラの“フラッシュ”は尻尾から放たれているのでリュウとキトラの表情は陰になってしまい互いに顔は見えないが、恐らく二人とも全く同じ表情を浮かべていることだろう。寝言から五秒と待たずに、リュウは渾身の手刀をハルジオンの脳天に叩きこんだ。
「ふぎゃあ!ヒトがせっかく寝てんのに何するのさぁ!」
「ヒトがせっかく心配してんのに何気持ちよさそうに寝てんだアンタは」
こちらの冷めた視線の意味もつゆ知らず、安眠を妨害されて憤りを露にするハルジオン。しかしそんな彼であっても、一度リュウとキトラの姿を認めると、まるで凍りついたかのようにはたと動きを止めてしまった。
「ぅええええ!なんでリッくんとキィくんがここにいるのぉ?というか僕なんで今まで寝てたのぉ?そもそもここどこなのぉ?」
ある程度現状を把握したようだが、やはり湧き上がる疑問の方が勝ってしまったようで再び盛大に騒ぎ始めた。彼からしてみれば自分が現在捕らえられていることもさることながら、先程別れたばかりのリュウ達がここにいることも思いもよらぬものだったのだろう。
なんとかハルジオンを落ち着かせると、リュウとキトラは代わる代わるに自分達が知る限りの情報を話した。ここが牢獄の機能を持った遺跡であるということ、なかなかハルジオン達が戻ってこなかったので自分達も村へ赴き、村長宅のツボからこの遺跡にたどり着いたということ――
ハルジオンも驚きで目を真ん丸にしつつ、リュウ達と別れてからの経緯を話してくれた。早急に解毒したため、なんとかエルリオは一命をとりとめたのだという。しかし、ハルジオン自身はその後何故か気を失ってしまったので、肝心のエルリオの居場所については分からないとのことだ。
「一応聞くけど、村のヒトに喧嘩売ったとかそんなことはないんだな?」
「むーぅ!そんなことするわけないでしょぉ!村長さんだって事情を話したら快く迎え入れてくれたもん!」
「でも実際気絶させられてここに閉じ込められていたんでしょ?少なくとも村長さんが無関係だって考えるのは無理があるんじゃないかな」
「うぅ……まぁ、そう考えるのが自然だよねぇ……」
先程まで気絶していたのに、相変わらず怒ったり沈んだりと忙しい首長竜である。
今回の件の犯人がいったい誰なのか、ハルジオン達を捕らえたその真意は何なのかは気になるところだが、今はエルリオの捜索を第一に考えなければならない。毒は完治したとはいえ、体力は底をつく寸前だろう。早いところ見つけ出して、大事になる前にこの牢獄から去るに越したことはない。
「あのさ、ハルジオン。ちょっといいかな?」
「んー?なになになぁに?」
エルリオ捜索へ意気込むハルジオンに、やおらキトラが問いかけた。それも普段話しかけるような軽い雰囲気ではなく、聞くのも憚られるような内容だけれども、やっぱり聞きたいような、いやむしろ聞かねばならないというような、そんな複雑な心境をそっくりそのまま顔に映している。
「いや、ちょっと気になっただけなんだけどさ。……『エヤミ』って知ってる?」
瞬間、ハルジオンの顔から一切の感情が消え失せた。
普段黙っている時ですら大げさすぎるくらい明るい表情なのに、今はそんな面影すら最初からなかったかのようだ。ハルジオンのこの反応に、質問した張本人であるキトラはもちろんのこと、傍で見ていたリュウも驚きで喉が塞がれてしまった。
「……それ、どこで聞いたの?」
「え?……うわ!」
限りなく呟きに近い疑問の声が聞き取れず聞き返そうとしただけなのに、気付くとリュウもキトラも、ハルジオンの両翼に巻き取られ拘束されてしまった。形状はただの葉であるはずなのに締め上げる力が強く、身動き一つ取ることすら許さない。
「お、おい!何するんだよ?」
「いいから答えて!その言葉、どこで知ったの?」
怒りというより何か焦っているような様子で、ハルジオンは翼を動かしてリュウ達を揺さぶってきた。いつの間にか、いつもの間延びした口調さえも無くなってしまっている。下手なことを言えば今にも襲わんとするその形相に委縮したのか、キトラは歯をカチカチいわせて怯えていた。
「ど、どこって、ここにいたヤミラミが言ってたのを、偶然耳にしただけで」
仕方なくリュウが説明すると、ようやくハルジオンが揺さぶりをはたと止めた。
「……そっか。じゃあ、ここは……」
興奮は収まったようだが、リュウ達を縛っている翼の拘束は未だ解かれない。ヤミラミの時もそうだったが、この「エヤミ」という言葉はこの地で重要な意味を持っているようだ。恐らく、あまりよくない意味で。
「ハルジオン、ごめん。もしかしてボク、聞いちゃいけないこと聞いちゃった?」
「ううん、ぜーんぜん。ただこの『アナザー大陸』でその言葉は使われないと思ったからぁ、ちょっとびっくりしちゃっただけだよぉ」
「ちょっとびっくりしちゃっただけ」で、あんな形相で問い詰めてくるものなのだろうか。口調こそ元に戻ったものの相も変わらず翼は離してくれないし、その顔にも笑顔が戻らない。背筋にひやりとした感触が走る。
「こっちこそいきなりごめんねぇ。それより、『エヤミ』のことだっけぇ?うんうん、教えてあげるよぉ」
でもねぇ――と続けると、リュウ達を捕らえている翼の力が一層強まった気がした。
「これだけは約束して。エルのことは助けに行っちゃだめ。……多分、あの子はそう願ってるはずだから」