第四十四話 蒼天に舞う緋炎の龍
女性のソプラノにも引けを取らない甲高い雄叫びを上げながら、青く細長い胴体を持つドラゴンポケモンのハクリューが、何かを呼び寄せるように天を振り仰ぐ。程なくその顎に取り付けてある青い宝玉が燦然と輝いたかと思うと、周りの空気が一変した。まるで水を含んだように大気が重くなり、あたりが徐々に薄暗くなっていく。
そして、瞬く間に黒雲が立ち込め、そこから大粒の雨が降り注いできた。その場限りとなるが天候を大雨に変える技“あまごい”。日差しを強くする“にほんばれ”とは逆に水タイプの技の威力を上げ、炎タイプの技の威力を半減させる技だ。しかし、
「悪いね、元からアンタに炎技を使う気はないんだ!」
単身でハクリューと対峙していたリュウは、技使用後の一瞬のスキをついて相手の懐に急接近すると、ハクリューの下顎についている宝玉へと爪を突き立てた。技を使う度に光り輝いていたところを見ると、力を使う際の依り代になっている可能性が高い。それに先程言い放った通り、ただでさえ雨が降っている中で水や電気などの大半の特殊技を半減するドラゴンタイプに炎技は悪手になるだけだ。
思った通り、宝玉に傷一つついただけでハクリューは苦鳴を上げ、そのまま地面に倒れ伏した。こういった弱点の少ない相手には、“きりさく”などの急所を追尾しやすい技の方が有効のようだ。もっともこの結論にたどり着くまで、主にこのハクリュー達相手に四、五回ぐらい死にかけたわけだが。
「さて、頂上まではまだ半分も行けてないかな……」
軽く炎を吐いて雨に濡れた身体を乾かしながら、リュウは目的の場所を仰いで呟いた。
「飛竜の丘」。
「アナザー」南東にて山の如く聳えるこの丘は、その険しさと目まぐるしく移り変わる天候から滅多にヒトは訪れず、代わりに比較的長寿で高い能力を持つドラゴンタイプのポケモンが数多く住まう「不思議のダンジョン」である。
救助隊「ラブルスカ」のリーダー、ジェミニに惨敗を喫してからここ数日。リュウはこの丘に篭り、「不思議のダンジョン」であるため我を忘れて暴れ狂っている「飛竜の丘」のドラゴンポケモンを相手に修行に明け暮れていた。もともとリュウが自発的にこの丘を選んだわけではなく、よりによってこういった厳しい場所とは縁もゆかりもないようなハルジオンの
「ここで修業すれば三日くらいでめきめき強くなるんだってぇ!まぁ騙されたと思って挑戦してみなよぉ!」
という胡散臭いことこの上ない紹介の元、半ば無理やりという形でこの丘に放り込まれたのである。
三日で強くなるかどうかはさておき、この丘に出てくるポケモン達がこれまで対峙してきたどのダンジョンのポケモンよりも手強いということは肌で感じていた。もともとドラゴンポケモンはそう滅多にお目にかかれることもないが故に(そうでなくてもリュウのポケモンの知識は未だ小学校入学時レベルだが)、どんな特性を持ち合わせているか、どんな技を仕掛けてくるか予想がつきにくいのだ。となれば、先程のハクリューのように戦いを重ねることで対処法を見出すしかない。
一歩間違えれば命も落としかねない危険な修行。しかしリュウは受け入れこそすれ、弱音を吐くことなどしなかった。敵を倒して一息つく度に、先日のジェミニ戦の屈辱が心の奥底で顔を見せる。リュウはどちらかというと戦うことを好む性格ではないが、相性上有利でもあった相手に負けたとなれば当然悔しいという感情は沸き起こる。もう二度とあんな思いはしたくない。仮に私的な事情がなかったとしても、逃避行の時同様これ以降の戦いで負けることは死に直結するのだから。
「!……はぁっ!」
背後から飛びかかってきた蜻蛉のようなポケモン、ビブラーバの気配に素早く気付いたリュウは、相手の顔面に渾身の蹴りを一発浴びせた。異邦の者を容赦なく叩き潰すことしか頭にない「不思議のダンジョン」の住民達。休みなく戦い続けることは自滅への最短距離となるが、あまり長々と休んでいられないのも事実だ。
「これじゃ、逃避行の時とあまり変わらないな」
自分でもよく分からないくらいに自然と出た苦笑いを浮かべながら、リュウは行く手に立ちはだかる急斜面を上り始めた。
一方、「飛竜の丘」を越えた麓では、キトラ、エルリオ、ハルジオンが出口まで一足先に先回りしリュウのダンジョン制覇を今か今かと待っていた。
山を登って制覇する型のダンジョンは、「特にダンジョンそのものに用はなくただ出口まで辿り着く」ということだけが目的なら単純に空を飛ぶだけで事足りる。もちろん「飛竜の丘」に住むドラゴンポケモン達は空を飛べる種族がほとんどなのだが、空中戦に長けたハルジオン、風を自在に操ることのできるエルリオを前にあれよあれよという間に叩き落されていった。「アナザー大陸」南東に点在するダンジョンは比較的難易度が高いとは言われているが、こうも簡単に突破できてしまうと何とも呆気ないものである。
「このダンジョンで修業すれば三日ぐらいで強くなるんだっけ、ハルジオン?」
本日起きてからというものほぼずっと「飛竜の丘」から目を離さなかったキトラが、やっとというべきか視線を背後に向ける。その先ではハルジオンが、キトラ達と同じくリュウを待っているのかと思いきや、文字通り羽を伸ばして日向ぼっこをしていたのだった。
「そうだねぇ。あれぇ、リッくんが挑戦してから今日で何日目だっけぇ?」
「ちょうど三日目だよ」
「そっかぁ。じゃあ今日中にはムキムキマッチョになってダンジョンから出てくるかもしれないねぇ」
正直修行の成果がそんな有様にはなってほしくないが、いざ想像すると吹き出してしまう。
だがそんな気の緩みも、再びあの丘に目を向けると糸を引き延ばしたように張りつめてしまう。ハルジオンの言うようにきっかり三日で強くなるとは正直思っていないが、日が経てば経つほど、リュウの身を案じる頻度が高くなっていく。確かにこれから先、どんなに手強い敵や救助隊が待ち受けているのか知れない。彼らと対峙した時のためにも更なる力をつけることに異論はないが、指折りの危険度を誇る「飛竜の丘」が修行場所となると、どうしても最悪の事態が脳裏をよぎってしまうのだ。もしかしたら、彼は永遠にこの丘を降りてくることはないのかもしれない、と。
「水を差すようで悪いが、案ずるだけ無駄だ」
そんなキトラの焦燥を見透かしたかのように、エルリオが言葉とは裏腹に全く悪びれる様子もなく言い放った。
「いくらドラゴンポケモンの巣窟とはいえ、たかが『不思議のダンジョン』の探訪だけで果てる体たらくでは、例え連盟にたどり着いても弁明する以前に処刑されるのが目に見えている。頭の固い上層の者に言葉を届かせるためには、相応の力を示す必要があるのだ」
要するにいざ連盟と相対した時は、場合によっては実力行使も免れないということだ。暴力沙汰で物事が解決できるとは到底思えないけれど、向こうが打って出るならこちらも抗えるだけ抗わなければ道はない。それさえもできないのならば、これまでのリュウの逃避行の成果も、彼自身の覚悟もその程度ということになる。遠回りになることを承知の上でこんな危険な場所で修業をさせるという厳しさを見せながらも、エルリオはエルリオなりにリュウの力と覚悟を信じているのかもしれない。
「それにしてもハルジオン、よくこんなダンジョン知ってたよね。北西の島出身って聞いたから、ほぼ反対側のこの半島のことなんて来るのさえ初めてと思ってたよ」
「ふむ。確かに私自身このダンジョンは初めて聞く場所だったからな。それをハルが知っていたというのはある意味心外だが」
半分侮辱的な言葉が聞こえてきたような気がしたが、ハルジオンは特段気にしている様子もないまま(単に気がついていないだけかもしれないが)ごろんと寝返りを打った。約百キロを誇る巨体なのでぐるりと一回転するたびにわずかに地響きが起こる。
「ん〜?僕だってこの半島に来たのは初めてだよぉ?『飛竜の丘』なんて名前しか聞いたことなかったもん」
「へ?じゃあなんでリュウにこのダンジョンを勧めたの?」
予想外の返答に呆気にとられながらキトラが問うと、ハルジオンはそれはそれはとびきりの笑顔で言った。
「だってほらぁ、ダンジョンの名前に『リュウ』って付いてるでしょぉ?だからリッくんにピッタリだなって思ってぇ」
その後、「飛竜の丘」の麓付近にて落雷と竜巻が同時に発生するという摩訶不思議な現象が目撃されたらしい。
「なんだ、ありゃ……?」
一方のリュウは丘の頂上付近にて突き出た岩に腰かけ、突如発生した竜巻と雷を唖然として眺めていた。いずれも発生源には思い当たる節がありすぎるが、その直後に間の抜けた悲鳴がかすかに聞こえた瞬間、あの竜巻と雷についてこれ以上考えるのをやめた。
岩からひょいと飛び降り、再び歩き始める。なんとか無事頂上を超えることができたものの、やはり終盤に差し掛かるにつれて出くわすポケモンも進化した個体が散見されるようになり、一撃や短時間で仕留めるのが難しくなってきていた。万が一の長期戦に備えて一人倒しては手近な岩の陰に隠れて身体を休め、体力が戻ったら先へ進むというサイクルを繰り返す。頂上付近は山ほどではないが空気が薄いため、単純に休んでも思うように回復はできない。普段なら[オレンのみ]など木の実で回復するところだろうが、植物がほぼ一切自生していないこの丘では、仮に木の実を見つけたとしても小さなサイズのものしかなく、食べてもちょっと疲れが取れる程度の効能しかなかった。
太陽はすでに中天を超え、はるか彼方に臨む水平線へと南下を始める。ここで修業を始めてから、今日で確か三日目のはず。その三日目でようやく頂上を超えることができたのだから、単純に計算してこのダンジョンの突破には少なくともあと一日ほど要するだろう。下山するだけなら登るよりも早いからハルジオンの言うように満三日で事足りるだろうが、この探訪の目的はあくまで強くなるための修行。敵を見つけても無視はせず、自ら挑んで戦わなくては意味がないのだ。
「……ヨソモノ」
「?」
どこからか声が聞こえたような気がして、咄嗟にリュウは身構える。しかし、辺りを見回してもヒト影は見いだせない。疲れで空耳でも聞こえたのかな――と思い直して、先に進もうと一歩踏み出そうとした。
「ヨソモノ」
また聞こえた。今度は先程よりも近いのか、声量も大きい。一層注意して再度辺りを見回すが、やはりポケモンの影も見当たらないどころか気配も感じられない。どうなっているんだ?
「ヨソモノ……デテイケ!」
突然、巨人が手で払ったかのような突風が押し寄せ、リュウはいとも簡単に吹き飛ばされてしまった。宙に投げ出されている最中、何か巨大な影が横切ったような気がしたが、その正体が何なのかを確認する間もないまま背中から岩肌に叩きつけられる。随分手荒い歓迎だな……とぼやきながら半身を起こすが、次の瞬間目に飛び込んできた光景に思わず鈍痛も引っ込んでしまった。
先程までヒトの気配すら微塵も感じられなかったのに、岩陰から、近くの湖から、そして空からもわらわらとポケモンが押し寄せてきたのだ。一体倒すだけでも散々苦労したハクリューがざっと数えて十体、これまた見たことのないドラゴンポケモンも悠々と空を舞いながら、皆一様に目を血走らせて明らかに敵意をリュウに向けている。一先ずポケモン達から距離を取ろうとリュウは四方八方に足を向けるが、踏み出した矢先にまるで立ちはだかるように新手が現れていく。
「くそ……!どうなってんだよ?」
突然の事態に混乱している頭でも、これだけは認識することができた。完全に囲まれた、と。
「モンスターハウス?」
聞き慣れない言葉にきょとんとしながら、キトラは言い返す。リュウを待つ傍ら、最近発見された新たなダンジョン事情をエルリオから教授されているのであった。ちなみにその傍らには黒焦げの首長竜が転がっているのだが、特に治療されることもないまま放置されている。
「あぁ。ここ最近発見されたダンジョンで、比較的よく見られる現象だ。一見敵の気配も感じられない領域だが、一歩踏み入れた瞬間どこからともなくポケモンが現れ、怒涛を成して襲いかかってくる。ダンジョン研究家の間ではモンスターハウスと呼ばれているそうだ」
「ひえぇ……怖いね。やっぱり自然災害が酷くなってきたからかな」
何故か、少しだけエルリオの顔にさっと影が差す。だがそれも一瞬のことで、すぐに元の表情に戻ったのでキトラにも悟られることはなかった。
「そう勘ぐっている研究家は多いな。現にモンスターハウスに出現するポケモンは、ダンジョンで普通に遭遇するそれよりも凶暴性が増しているという。皆揃って我を忘れているのだから上手いこと連携を組んでくることはないだろうが、それ故予想だにしない方向や戦法で襲いかかってくることが多い。単騎でそんな場所に挑もうものなら自ら地獄に頭から飛び込むのと同義ということだ」
話し手のエルリオはそれはもう流暢に説明しているが、聞き手であるキトラはただただ不安が増すばかりであった。
「あのさ、エルリオ」
「む?」
「念のため聞くけど、この『飛竜の丘』にはモンスターハウスなんて出ないよね?」
「……」
沈黙。
しばらく半ば天を仰いでぼんやりしていたエルリオだったが、ふむ、と鼻を鳴らしてから口を開いた。
「さぁな。だがもしあのダンジョンにモンスターハウスがあったら、出くわすのは強豪と謳われるドラゴンタイプの者共ばかりだから……」
言い終わらないうちに、キトラは糸が切れたように踵を返して「飛竜の丘」へと駆け出した。しばし呆気にとられながらも、深くため息をついてエルリオもそれに続く。
「うへぇ、草タイプで半減とはいえやっぱり電撃はきついなぁ……ってエルゥ?キィくぅん?どこ行くのぉ?」
そして「飛竜の丘」中腹では、まさにキトラが危惧した通り、いやそれ以上の事態が起こっていた。
「飛竜の丘」のモンスターハウスは、エルリオの言った言葉そのままを映すかのようにドラゴンポケモン達が跳梁跋扈する戦場と化していた。高低様々な咆哮を上げながら、皆が皆思い思いに息吹や光線を絶え間なく繰り出してくる。彼らとしては異邦の者であるリュウを狙っているつもりなのだろうが、如何せん理性を保っていないせいでたまに見当違いの方へ誤射し、地面に大穴を空けたり他のポケモンに被弾したりと悲惨な事態に陥っていた。
リュウはとりあえず手負いのドラゴン達を“きりさく”で蹴散らすと、岩陰に隠れながらこの戦場から離れて体勢を整えることにした。修行をしている身からすれば猛者が集うこの戦場こそ特訓にはもってこいと考えることはできるが、かといって用意もなしに身一つで飛び込めるほど馬鹿にはなれないしなる気もない。なんとか彼らと渡り合えるくらいには体力を回復させたいところだが……
「うあ!」
目の前で繰り広げられている大乱闘に目を奪われていたせいで、背後からの奇襲を甘んじて受けてしまった。形状は炎に似ているけれど、皮膚にビリビリとした痺れを伴う痛みが刻み込まれる。ドラゴンタイプの遠距離攻撃技の一つ“りゅうのいぶき”だ。今回は事なきを得たが、稀に相手を麻痺させる追加効果がある。
リュウは今もなお身体に纏わりつこうとする息吹を手で振り払うと、奇襲の主であるタツベイに素早く接近し“にどげり”で遠方に吹っ飛ばした。しかしそれは逆に拙かった。気がつけば見境なく暴れ狂っていたドラゴン達が皆、リュウ一人へと視線を向けている。いかな理性を失っているといえど、住民の大半がドラゴンであるこの「飛竜の丘」において炎タイプの鶏であるワカシャモは嫌でも目立つのだ。リュウはすぐさま先程隠れていた岩陰へと身を潜めようとしたが、程なく爆発とともに岩は跡形もなく消え失せてしまった。
「ガアアアアアアア!」
狂気の咆哮を上げながら、ドラゴン達が迫ってくる。これだけの数、一度に相手はしていられない。だがどうにかして動きだけでも封じなければ!
「当たれっ!」
念じながら放った“ほのおのうず”は、まず先陣を切っていた者に直撃し、軌道を変えながら他のポケモン達も巻き込んでいく。ドラゴンタイプのポケモン達に炎技を当てても大したダメージは見込めないが、高温を発しながらうねる炎に少なからず怯んでいるようだ。完全に渦を成した炎を見届けてさらに“にどげり”、飛んでいる者には“きりさく”を叩きこんでいく。一体に攻撃してはすぐに飛んでもう一体に一撃を浴びせているためなかなか倒れてくれないが、それでも一体、また一体と撃墜されていくうちに、これならこの場を切り抜けることができると徐々に確信が生まれてくる。
「ヨソモノ……潰ス!」
そんな確信も、たった一言で一瞬にして塵と化してしまった。
赤い渦の向こう側、ちょうど渦の中心に当たる箇所で、空気がぐにゃりと揺らいだかのように見えた。すると次の瞬間、砂埃を纏った巨大な竜巻が槍のように渦の中心を貫き、“ほのおのうず”を霧散させてしまったのだ。折しもリュウはちょうど渦の中心を横切ろうとしており、風圧に押されてあっけなく叩き落されてしまった。もんどりうって地面に倒れ伏しているところに追い打ちをかけるかのように、エルリオの十八番である“かまいたち”に似た、見えない刃で切り刻まれたような痛みが襲いかかってくる。
「ヨソモノ……ヨソモノ……」
あまりの風圧に地面から大量の砂煙が舞い上がり、瞬く間に辺りの視界が悪くなった。虚ろに標的の名を呟きながら、砂の霧をかき分けてリュウを探すドラゴン達。両腕両足を切り落とされたのではないかと思うような痛みに耐えながら、リュウはなんとか膝立ちになることができた。だがうかうかしていられない。この砂煙が晴れたら最後、残ったドラゴン達によって袋叩きにされてしまう。
先程“ほのおのうず”を破った風圧は恐らくドラゴンタイプの者なら大抵は習得している“たつまき”だろう。ここに来るまでにも何度かその技で“ほのおのうず”を封じられたことがある。それ故ここまでドラゴンタイプ相手にはこの技をあまり使ってこなかったが、現状この数のポケモン達の動きを一度に封じる唯一の手だ。
だが“たつまき”によってすぐに消されてしまうと分かった今、先程の戦法をもう一度使うならば、炎が渦を成すのとほぼ同時に相手に攻撃を加えなければならない。一つの技を発動させながら別の技を繰り出すなんて、そんな器用な真似できるわけが――
――二つの技を、同時に繰り出す?
「ヨソモノ!」
「!やばっ……」
グダグダと考えていたらいつの間にか視界が開け、気がつけば再び皆の注目を一斉に浴びる羽目になってしまった。まだ十分に立ち上がることさえできていないが、早いところ抵抗するか逃げるかしないとその先に見えるのはお陀仏への道だけだ。
リュウは遮二無二頭をふるって“ほのおのうず”を繰り出した。先程の竜巻で痛手を負ったおかげか、特性の「もうか」が発動し炎の威力が上がっている。だが、残念ながら炎だけでドラゴンは倒せない。半ば地に足がついていない心地ながらもなんとか二の足で立つことのできたリュウは、すぐさま炎の軌道を追うように飛びあがった。
そうだ、連結技。先程脳裏をかすめた案が今すぐこの場でできるなんて、そんな都合の良い奇跡が起こるとは思えない。だが今はただただ必死だった。どんなに都合がよくてもその奇跡にすがりたかった。
まず手近にいたポケモンに蹴りを二発浴びせる。もちろんリュウとしては“にどげり”のつもりでわざわざ二回キックを繰り出したのだが、“ほのおのうず”の軌道変化に集中力を割いているせいで技として機能してくれないのだ。無論“きりさく”や“スカイアッパー”もこの状況下では大した威力は見込めず、爪で引っかいたり殴りつけたりというよりは単にぶつけているような弱々しい攻撃にしか見えない。
「ぐっ……うぅ!」
無理矢理複数の技に集中力を拡散した影響で、すでにリュウの脳は限界という限界を超えていた。けたたましい悲鳴のような頭痛が襲いかかり、思わず頭を抱えて蹲る。鼓舞するように周りで踊っていた炎も、主が倒れたと知るやはたとその勢いを失って溶けるように消えていった。何度目かもわからないドラゴン達の視線が槍のように突き刺さる。
空を薙ぐ音を残して、一体のドラゴンが振るった尻尾がリュウの腹を抉る。跳ね上げられて宙を舞っているところにブレスでさらに煽られ、畳みかけるように翼で地面に叩きつけられた。とにかく全身はおろか身体の芯まで痛みが支配していて、攻撃による痛みなのか墜落した時の痛みなのかリュウには区別がつかなくなっていた。
力なく地面を転がりながら、それでも不思議と意思だけは驚くほどに強靭で、ここで倒れるわけにはいかない、なんとしてでもこの場を切り抜けるという思いが無尽蔵に沸々と湧き上がってくる。立っているというよりもはや手近な岩にもたれかかった状態のまま、懸命に吸った息と、込み上げてくる意思を炎に変えて。もはや連結技などどうでもいい。どうにか打ち負かさなければ。勝たなきゃ!
「――え?」
炎を吐いた瞬間、身体が前方に持っていかれる感覚がした。
放たれた“ほのおのうず”はいつものようにぐらりと軌道を変えたが、それに合わせてリュウの身体――主に腕も勝手に伸び、その腕に炎が絡みつき始めたのだ。痛みに慣れてしまったのかそれとも感覚がマヒしたのか熱さは微塵も感じない。炎をその手に纏っているというよりは渦の勢いに腕の動きを任せているような感覚だ。
「ギャアアアアア!」
「アツイ、アツイ!」
一方のドラゴン達はその熱さに悲鳴を上げながら、渦から必死に逃れようと右往左往している。
まずは、一体。“ほのおのうず”と遠心力にその腕を乗せて放った一撃は、確かに手ごたえがあった。“スカイアッパー”が決まった時に感じるそれと全く同じだ。渾身の爪撃をその腹に食らったビブラーバは声にならない悲鳴の尾を引いて、風に吹かれて舞い上がるハンカチのように炎に煽られて吹き飛ばされていく。
一息つく間もなく、続けて接近してきた綿の翼を持つポケモン――チルタリスの横っ面を殴りつけた。さらにそれを踏み台にしつつ、また上空にいる別のドラゴンへと拳を叩きこむ。視界の隅でビブラーバが進化した個体であるフライゴンが“ほのおのうず”に懸命に抗いながら翼をはばたかせ、“すなじごく”を起こして渦を打ち破ろうとしていた。それをすぐさま察知したリュウは身をよじって軌道を変え、炎を纏った爪で切り裂いた後その腹に蹴りを一発入れて渦の外へと追い出した。
真紅の軌跡を残しながら縦横無尽に動く炎と、その勢いに巻き込まれていくドラゴン達。リュウの目にはその何もかもがスローモーションで映っていた。いまだ引っ張られているこの感覚も相まって、この渦の中暴れ回っている自分が、なんだか自分ではないような心地。ようやく身に染みてきた炎の熱さと爪に響く手ごたえだけは本物だと懸命に認識しながら、リュウは次々と敵を殲滅していった。
「わぁお!何あれ何なのあれぇ!」
突如出現した巨大な炎の竜巻に、リュウの身を案じて再び丘を登っていたキトラ達は目を丸くしていた。天に向かって螺旋を描く炎と、時折黒焦げになって竜巻から弾き飛ばされるポケモン達。自然災害と片づけるにはあまりにも無理があるこの現象だが、一つの確信をもってしっかりとこの竜巻を見届けることができた。炎と炎の狭間で垣間見える、見慣れた友の雄々しい姿。
「リュウ……!」
炎の竜巻はまだまだ膨れ上がり、さながら巨大な龍の如く蒼天へと昇っていく。その体内でドラゴンが一匹、また一匹と焼き尽くされては弾き出され、ついにその数も少なくなってきた頃、不意に炎の龍はその動きを変えた。最後に残った三匹ほどを分厚い皮膚に模した炎の壁でまとめ上げ、その下からリュウが拳にありったけの力を込めてドラゴン達に狙いを定める。
「舞い上がれ――【リントドレイク】!」
朗々とした宣言と同時に、突き上げた拳が深々とドラゴンの腹部に突き刺さる。その瞬間、最大にまで膨れ上がった炎の竜巻は大爆発を起こしたのだ。あれほど猛々しい舞を見せていた炎の龍もその霧散はあっけないもので、力尽きて墜落していくドラゴン達の横を流星のような火の粉が通り過ぎていく。“スカイアッパー”で未だ尚上昇を続けていたリュウもようやく落下を始めたが、頭を下に向けているしどう見ても軟着陸できる体勢ではない。
「はいよっとぉ!」
それを予測していたかは定かではないが、すでにハルジオンも空に飛びあがってリュウに接近しており、ともに落下することで衝撃を幾分か和らげながら難なくその背でリュウを受け止めた。……のだが。
「ぎゃあああぁ!熱い熱いあつぅい!」
ずっと“ほのおのうず”の中にいたリュウの体温の高さに驚いたのか、ハルジオンは悲鳴を上げながらせっかく背に乗せたリュウを振り落としてしまったのだ。上手いこと受け止めたところで落としてしまっては意味がない。先程より低い位置といえど、満身創痍の状態で受け身も取れなければまず無事では済まないだろう。
「ちょっとハルジオン!なんで落としちゃってるの!」
「あの戯け……っ!」
エルリオは小声でぶつぶつと何かを唱えると、顔の横に備えてある鎌の形状をした角に風を纏わせ、リュウに向けて思い切り振るった。放たれた旋風は砂塵の色に染まりながらリュウの周りで蜷局を巻き、下から風圧で突き上げることで上手い具合にクッションとなりリュウの軟着陸を助けたのだ。
「リュウ、大丈夫――じゃなさそうだよね、傷だらけだし」
「よく分かってるじゃないか……いてて」
いつもの軽口を叩ける程度の気力はあるようで、一先ずキトラは胸をなでおろした。
「やぁやぁゴメンねぇ!なんかリッくん背中に乗っけたらめちゃくちゃ熱かったんだもん。思わず落とし……ぎゃひぃん!」
なんの悪びれもなく朗らかに駆け込んできたハルジオンに、エルリオが渾身の後ろ脚蹴りを一発。いっそ気持ちいいくらいの殴打音が響いたあたりかなり痛そうだが、こればかりは同情の余地はない。
「でもすごいよリュウ!あの炎の竜巻、連結技でしょ?まさか自力で習得しちゃうなんて!」
「え……連結技?何のことだ?」
そう聞き返したリュウの顔は、文字通りきょとんとした表情を浮かべていた。本当に当惑している。
「まさか、覚えてないの?」
「覚えてないっていうか、無我夢中で技を繰り出してた記憶は何となくあるんだけど」
「えぇ?だってものすごい炎の竜巻だったよぉ?なんだっけ、【リンゴとメイク】だっけぇ?」
「……覚えてないけど、そんな言葉言った記憶はないってことだけは胸張って言えるぞ」
ものの五秒で復活したハルジオンの適当極まりない発言に、リュウは呆れ顔で言い返した。
だが、改めて自分の手を見てみると、今も僅かにあの炎の残滓がパチパチと弾けている。そしてその炎によって倒れている周りのドラゴンポケモン達。でも何よりリュウの印象に残ったのは、どんなに絶望的な状況下でも、どんなに致命的なダメージを負っても決して折れることのなかった心だった。これまでも困難を前にして気を奮い立たせる度に、逃避行の佳境で一度は消えかけたあの意思を、少しだけ取り戻すことができたのだろうか。
「とにかく、これだけ大勢のドラゴン達を倒したんだもの。これで『飛竜の丘』の特訓はおしまいってことでいいよね?エルリオ」
「ふむ……そうだな。私としてはあの竜巻をさらに分析するために、もう一度『モンスターハウス』に片足踏み入れてほしいものだが」
「……あのさ、殺す気か?」
「さぁな」
そこは真顔でもいいから「冗談だ」と言ってほしいところだった。
一先ず修行終了となれば、こんなところに長居はしていられない。早いところ丘を降りようと、リュウはそばの岩に手をかけて立ち上がろうとした。
「あ、あれぇっ……?」
両足をまっすぐ伸ばして立ち上がれたと思った瞬間、不意に足腰の力が抜けたような感覚がし、またしてもその場にへたり込んでしまった。慌てて立ち上がろうとするが、足はおろか腕にすら力が入らない。
「ど、どうしたの?」
「なんか、立てない……力が入らない……」
力を込めても地面を足でこすったり、岩を撫でたりするばかり。すると、
ぐぅ〜……
一度聞いてすぐ発生源が分かるほどの、間の抜けた音が辺りに響いた。
「……リュウ、お腹すいてるの?」
「いやちょっと待て!確かに今の腹の音はオレだけどさ、さっきまで腹なんか減ってなかったのに……」
「それはそうだろう」
エルリオが盛大なニヤニヤ顔を浮かべながらこちらを見ている。空腹じゃなかったら横っ面殴っていただろう。間違いなく。
「連結技は一度に二つの技を同時に出す技だ。その分スタミナの消耗も激しい。慣れない身体で先程のように派手な使い方をしてしまえば、せっかく勝てても今のように野垂れ死にかけることだってあり得る」
「わ、分かったから……何か食わせて……」
「そんな貴様に朗報だ。ハルジオンの首元には果物が生えている。見た目とは裏腹に栄養満点だ」
「そうだよぉ!ご先祖様が果物マニアだったおかげで自分で果物作れるようになっちゃったからねぇ!特に僕のはそんじょそこらのトロピウスとは一味も二味も……って」
誇らしげに語り始めたハルジオンだが、彼のおめでたい頭でも目の前の殺気は感じ取ることができたようだ。眼前のワカシャモはまるで獲物を見つけた猛獣のように唸り声を上げながら目をギラギラさせている。
「ちょっとちょっとちょっとリッくぅん?何でまる三日ほど何も食べてないグラエナみたいな顔してんのぉ?ってちょっと待って待って待ってぇ!頭から噛みついてこないでふぎゃあああん!」
ハルジオンが慌てて逃げだすが、リュウも獲物を逃がすまいと糸が切れたように駆け出し追いかけて行った。つい先程まで空腹で一歩も動けなかったはずなのだが、やはり食欲の力は恐ろしい。
キトラは苦笑いを浮かべながら、ハルジオンが仕留められる前にリンゴを三個ぐらい用意しておこうと早歩きで丘を駆け下りようとする。
「エルリオ、どうしたの?」
「む。いや、なんでもない」
どうもエルリオが微動だにしないので、キトラとしては何となく声をかけたつもりであった。エルリオにしては少し狼狽していたが、すぐにいつもの無表情に戻りすたすたと歩きだす。
慌てて追いかけたこともあったし、「なんでもない」という言葉を頭から信じていたからだろう。キトラの聴力を以てしても、歩いている間に零れたエルリオの呟きには気づくことができなかった。
――もう、諦めた方がいいのかもしれないな……