第三十七話 逃れられぬ代償
――誰かを犠牲にしてまで災害を無くそうだなんて、ボクは思わない。キミがいなくなってこの世界から災害が消えたとしても、ボクは一生幸せに暮らすことなんてできないよ。それくらい……ボクにとって、リュウはかけがえのない親友なんだから。
逃避行に出る前に聞いたあの言葉が、語り主の声そのままに耳奥で再生される。
粉雪が音もなく降り注ぐ、「氷雪の霊峰」の頂。そこでは予想だにしていなかった、それでいて望んでもいなかった再会が待ち受けていた。この旅で危機に陥らないよう、苦渋の決断で街においてきた大の親友――キトラが、今目の前に立っている。それも、リュウの護衛役であるエルリオとハルジオンをいとも簡単に倒して。
「キトラ、どうしてキミがここにいるんだ?それも、『FLB』と一緒に」
改めて問うたその声は芯の通ったしっかりした声だったが、それと引き換えになるかのようにリュウの身体は震えを増していた。きっとこの場所が寒いからだ。頭の中で必死にその言葉だけを自己暗示していた。形はどうであれ親友と再会したというのに、怖いと思うことなんてあるものか。
「リュウ、一つだけ教えて」
対してキトラは、驚くほどに平然とした様子で、こちらの質問には答えず逆に問いかけてきた。敵意がないことを示す二足歩行に、無表情でも明るい顔色。「サルベージタウン」で何度も見たその姿は何もかもが懐かしいけれど、唯一違っているのはその目だった。虚ろではないのだが、光が宿っているとも言い難い。ただかすかな陽光を受けて反射しているだけのような、無機質な眼光。
「どうして、ボクを裏切ったの?」
言葉と共にキトラの目が鋭くなった瞬間、その小さな身体から稲妻が迸り出た。両頬に備えられた電気袋から放たれた稲妻は二手に分かれ、まるで巨大な二匹の蛇のように一方は宙を、もう一方は地面を這いずり回り、その鋭利な牙をリュウに突き立てた。
「ぐああああああ!」
バチバチという激しい破裂音に混ざりリュウの悲鳴が木霊する。全身を針で刺されたような痛みと痺れが身体を蝕み、立つこともままならず思わず片膝をついた。しかし、
「ぐっ!」
今度は背後から何か重いものが当たり、今度こそリュウは前のめりに倒れてしまった。いつの間にかキトラが背後に回り込み、“でんこうせっか”でリュウに奇襲をかけたのだ。なんという素早さだ。
背中の痛みが追い打ちをかけるようにリュウを押し潰してくる。投げ出された両腕は、稲妻によって所々が黒く焼け焦げてしまっていた。そういえば、エルリオとハルジオンの身体にも焦げた痕があった。つまり、二人を攻撃したのも――
「嘘だ……そんな……」
身動き一つ取る度、身体のあちこちで火花がはじけた。なんとか半身だけ起こし座り込むような姿勢になることはできたものの、反撃はおろか迎え撃つ気力すら湧き上がらない。これまでずっと苦楽を共にしてきた親友が、何の躊躇いも見せずに攻撃を仕掛けてきた。敵かどうかもわからない相手のみならず、味方である自分にまで。
「ねぇ、答えてよ。どうしてボクを裏切ったの?」
「裏切ったって、オレはそんなこと」
「してないっていうの?あんな手紙を残して、ボクを置いて出て行ったくせに?」
心臓が、ずしりと重くなる心地がした。
基地に残していった手紙。キトラを置いて旅に出るときに、黙って出ていくことがどうしてもできなくて、せめて彼を傷つけないよう悩みに悩み抜いて書いたもの。書いている間、リュウも身を切られるような心地でいたのを鮮明に覚えている。どんな理由があるにしろ、ともに真実を求めて旅に出るという約束を反故にしてしまうのだから。
だが、キトラは一つ誤解をしている。オレはキトラをただ裏切るために、あんな手紙を残したんじゃない!
「確かに、オレはキミを置いて旅に出た。でもそれは……うわっ!」
反論しようとした矢先、激しい電撃を纏ってキトラが突進してきた。エルリオとハルジオンへの奇襲にも使われた技を、間一髪のところで身体をかわして避ける。しかし威力が高すぎたのか、衝撃波にあおられて体勢を崩し、二、三転雪の上を転がる羽目になってしまった。
「もう、誰にも……いなくなってほしくなかったのに……」
転倒する中で聞いた、キトラの呟き。雪塗れになりながら身を起こした先で目に入ったのは、四肢になって戦闘態勢を取りながら、ぼろぼろと涙をこぼしているキトラの姿だった。
「なぁ、フォルテ。止めなくていいのか?」
リュウとキトラの攻防を眺めながら、バチスタが苦い顔で問いかけてくる。無理もないだろう。チームの仲間同士が争う光景なんて、たとえ対象が指名手配犯であっても見ていて気持ちのいいものではない。
「俺もこればっかりは止めた方がいいと思うぜ。いくらリュウが黙って出て行ったことに怒ってるとはいえ、あれは流石にやりすぎ……」
「レバント」
レバントも止めるよう促してくるが、フォルテはそれを言葉以上に目で制した。あまりにその視線が鋭すぎたのか、レバントが目に見えてたじろぐ。
酷なことだとは重々承知している。だが同時に、自分達が介入するべき事案ではないと、フォルテは冷静に判断していた。その脳裏で、リュウの討伐へと出発した、あの日の出来事を思い起こしながら。
「こんにちは、フォルテさん」
「FLB」にもリュウ討伐の要請が出たあの日。いよいよ出発しようというところで、突然の訪問者が現れた。レバントに引き取ってもらうよう促すも彼は言葉を濁しながら渋るばかり。痺れを切らせて直接玄関へ向かうと、バチスタはおろかフォルテでさえも目を丸くした。
なんとそこにはキトラが佇んでいた。まるでお使いのついでにちょっとふらりと立ち寄ったような、普段通りの面持ちで。その手には何か紙束のようなものが握られている。
「何をしにここへ来た?生憎我々はしばらくこの基地を空け……」
「知ってます。リュウの討伐に行くんでしょう?」
割と厳しめに聞いたのだが、キトラは臆するどころか毛の一本すら微動だにしなかった。その反応に、フォルテはかすかに寒気のようなものを感じた。
「おいおい、まさか止めようって腹じゃないだろうな?いくらリュウが大事だと言っても……」
「違います。ボクもリュウの討伐に参加させてほしいんです」
キトラのこの言葉に、「FLB」の面々は全員自分達の耳を疑った。各々が驚きで顔を見合わせているのを尻目に、キトラは持っていた紙束を広げてフォルテに突きつける。
「これ、救助隊連盟の許可証です。そろそろ『FLB』が出発するそうなので、同行した方が早く着くんじゃないかなって思ってここに来ました」
正直フォルテ自身も未だに驚きを隠せないまま、キトラから紙を受け取りそこに書かれた文字列を辿る。確かにこれはリュウ討伐参加の許可証だ。連盟のサインもきっちり書いてある。
「いいですよね?一緒に行っても」
ここでキトラはようやく笑顔で聞いてきた。その笑顔も普段見せているものと何ら変わりない。
あまりにもその振る舞いが信じられなくて、もしや何者かに操られているのではないかと思い、フォルテは相手に悟られないよう静かに超能力を駆使して相手の気を読もうと試みた。しかし、エスパータイプ固有の気を読む能力を以てしても、キトラからは邪悪な気を感じない。要するに、彼のここまでの行動全ては彼自身の意思によるもの。「リュウの討伐に参加したい」という言葉も、本気で言っているのだ。
それでやむなく了承し、今に至るわけなのだが、今こうして対峙させてもキトラの真意はフォルテには全くと言っていいほど見えなかった。裏切ったという言葉にも嘘の要素が垣間見えない。それにキトラが今まで繰り出した技は、鍛え方が中途半端なポケモンなら一撃で死に至らしめるほどの強力なものばかりだ。
「彼らを気にかけるよりも、我々は我々でやるべきことがあるようだぞ」
半分は自分に言い聞かせるように促しながら、フォルテは前方の一点を指さした。
「……ねぇエル。あれは流石に止めないとマズいよねぇ?」
「貴様に言われんでも見て分かるだろうこの阿呆」
その先ではキトラの奇襲で気絶していたエルリオとハルジオンが目を覚まし、リュウに加勢する機会を窺っていた。交わす会話は相変わらずだが、二人とも先程の奇襲ですでに満身創痍となっており、立っているのもやっとのこの身で果たして加勢できるほどの戦力になるのか知れない。
「事情は分からぬが、あのまま放っておくわけにもいくまい。なんとか隙を見てリュウを逃がすことくらいは……ッ!」
頭上に気配を感じ、エルリオ達は散り散りに飛び退いた。
ちらつく雪を押しのけて、巨大な火炎弾が雪ごと大地を焦がした。急いで体勢を立て直して妨害者を迎え撃とうとしたが、強烈な熱風に煽られた上、着地間際に四肢に力が入らず横に倒れそうになる。
「くぅっ!」
「おぉっと、そう簡単に逃がしはしないぞ」
誰かに担ぎ上げられたと思った瞬間、気が付くとエルリオはバチスタに拘束されていた。逃げ出そうとあらん限りの力を込めてもがくが、胴体を捕まれてしまっているため四肢をジタバタさせることしかできない。
「ちょっとちょっとちょっとぉ!離してよぉ!」
「おいこら!暴れるんじゃねぇって!」
どうやらハルジオンも同じく捕まってしまったらしい。火炎弾が襲ってきたときに空を飛んで逃れようとしたが、それを狙ったかのように滞空して待機していたレバントに捕縛されたのだろう。
「フォルテ、貴様!」
なおバチスタを振り払おうとしながら、エルリオは唾を飛ばして叫ぶ。フォルテはすぐ近くにいながら、こちらには見向きもせずにただリュウとキトラの攻防を観続けていた。
「何を呆然として観ている!指名手配犯とはいえ、チームメイト同士が争っているのだぞ!何故止めようとしないのだ!」
敵方にこんなことを問いかける立場ではないことは重々承知している。しかし、誰の手であろうとも止めなければならない。こんな争いがあっていいはずがないのだから。しかし、
「先程、リュウにも言ったはずだが」
こちらの焦りなど縁もなしといった風で、まるで独り言のように口を開くフォルテ。
「我等には、この争いを止める権利も義務もない。これはキトラが己の意思で行っていること。そして……リュウの選んだ結末だ」
オレだって、本当はこんな決断なんてしたくなかった。
でも、キトラを危険にさらすことなんてできない。死なせるわけにはいかない。
だから、置いて行くしかなかった。
ともに危険な旅へ出るよりも、あの町に残っていた方が安全なのだから。
旅を始めてから、そして、道中で旅の意義を見出せなくなるほどくじけそうになっても、この思いだけはずっと心に残していた。
キトラはリュウが一人で旅に出てしまったことに対し、「裏切った」と誤解しているのだ。ならば、それは違うと教えればいい。この思いを――この孤独な逃避行はキトラのためを思って下した決断なのだと伝えれば、きっとキトラなら分かってくれるはずだ。
なのに、声が出なかった。
先程から何度も弁明を試みているが、喉に何かが詰まったような心地がしてうまく言葉が発せられない。今もなお繰り出されるキトラの攻撃を避けるだけで精一杯ということも理由の一つだが、何よりリュウの弁明を妨げていたのは、
「もう、独りになりたくない……!」
絞り出すように言葉を発しながら、ぼろぼろと涙を流すキトラ。
普段は明るく気丈に振る舞っていても、幼い頃の両親の死、そしてあの時の幼馴染の死は、確実に彼の心に消えない傷を残していたはずだ。それこそ涙を流すほどに、孤独を忌み嫌っているのがその証拠だ。さらに追い打ちをかけるかのように、今度はリュウが彼の元を離れてしまった。どんな理由があったにせよ、キトラの心の古傷を大きく開いてしまったことに変わりはない。
「キ、キトラ、違うんだ!オレは――」
「何が違うの?現にキミはボクを残して一人で旅に出たじゃないか!」
「違う!」
無尽蔵に湧き上がる罪悪感で、リュウの頭の中は混乱していた。その混乱に任せるままに、力の限り叫んだ。
「オレはただ、キミを死なせたくなかったんだ!もう、オレのせいで犠牲を増やしたくないんだ!サジェッタの時みたいに……あんな思いをしたくない……」
言葉を紡いでいく中で、心の中に確信が生まれ出てくる。叫びの勢いが薄れるのと同時に足から急激に力が抜け、リュウは両膝をついた。
こんなことを言うつもりではなかった。自分はキトラのためを思っていることを伝えるつもりだった。だが混乱に乗じて放った言葉によって、確信した。
結局、自分のためだったのだ。ヒトが死ぬところを見たくないから。自分がヒト一人守れないほど無力だと思いたくなかったから。あの時のような罪悪感を、もう感じたくなかったから――連ねれば連ねるほどに、自己愛ばかりが露呈していく。キトラのためという思いも嘘ではないけれど、今となっては本心を隠す盾に過ぎない。
「オ、オレ……は……」
脳裏に再び、あのデジャヴが蘇る。
「精霊の丘」でフェルガナから「キュウコン伝説」を聞いた時に感じた、奇妙な既視感。思えばあの伝説に出てくる人間の少年も、命をかけて自分を守ってくれたパートナーの思いを踏みにじって逃げ出した。その行いがキュウコンを失望させ、自然災害の元凶としてポケモンに転生した。そして、記憶をなくしているとはいえ元人間であるリュウも、自分のことを信じると言ってくれたキトラの思いを踏みにじって逃避行に出た。何もかもが、まるっきり同じじゃないか。
やっぱり、オレが自然災害の元凶だったんだ。自分のことばかり優先して、他人を傷つけることさえ厭わない、最低な奴なんだ。
「わかったよ、リュウ」
気が付くと、キトラは再び戦闘態勢に入っていた。両頬の電気袋からほとばしる火花がいつもとは比べ物にならないほどに多い。
「キミは、ボクが自分の身一つ守れないほど弱いと思っていたから、危険にさらさないために一人で出て行ったんだね?」
それは違う――とは、もう言うことができない。
「じゃあ、ボクが強いことを今この場で証明してあげる。本当はキミを助けるために編み出したこの技……キミに一番知ってもらいたいから」
直後、両頬で弾けていた火花が瞬く間にキトラの全身を包み込んだ。またあの突進攻撃だ。かわしただけでもその高威力を思い知っていたはずなのに、全身から力が抜け落ちていて避けようという意思さえ起こらなかった。
「がはっ!」
膝立ちで無防備な鳩尾に、キトラの突進が刺さる。遠く高く吹っ飛ばされているのに、不思議と痛みは感じない。力や感情とともに感覚も抜け落ちてしまったのだろうか――と思った時には、リュウは雪の上に大の字で倒れていた。
ちょうどいい。自分は自然災害の元凶なのだから、罰せられてしかるべき存在なのだから、その鉄槌はキトラに下してもらうのがふさわしいだろう。もともと覚悟はできていたし、今のキトラなら何の躊躇いもなくリュウにとどめを刺すことができそうだ。
予想通り、あの大技の後にもかかわらず高く飛び上がったキトラが再びあの突進技の態勢に入っていた。叶うならば、たとえ聞く耳は持っていなくても、キトラに謝っておきたかったな……
――本当に、それでいいのか?
電撃がはじける音に混じって、何か声のようなものが聞こえたような気がした。