第三十六話 再会 ―「光」と「闇」―
どうした?しっかりしろ!――
大丈夫?一体どうしたのぉ?――
遠のいていく意識の中でエルリオとハルジオンの声が反響する。しかし、未だに続く頭痛がその声さえも遮っていく。自分が重くなったのか、それとも見えない強大なものに引っ張られているのか、身体が沈んでいくような感覚だけが残った。自分はこれからどうなるのだろう。ひょっとして……といらぬ事態を思うこともなく、ただ無心のまま吸い寄せられるように闇の底へ沈んでいく。
――…ュウ……さ……!
完全に何も聞こえなくなったと思った瞬間、耳ではない、頭の中におぼろげながら声が響いた。最初は不完全だったが、やがてそれが自分の名を呼んでいるのと同時に、聞き覚えのある声だと認識できた。エルリオでもハルジオンでも、キトラでもない。聞いた回数は少なかったが、それでも不思議と忘れることがなかったこの声。
――リュウさん!
一段と強く声が響き、闇でしかなかったこの空間に突然色がついた。寒色系を基調としたその景色は、先程まで自分が歩いていた樹氷立ち並ぶ雪道。傍らでエルリオとハルジオンが心配そうにこちらを覗いている。しかしリュウの目には、それよりももっと意外なヒトの姿が映っていた。
「フルーラ!」
そう。そこにはなんと夢でしか会えなかったはずのサーナイト――フルーラがいたのだ。
緑色の髪のような頭部に純白のドレス、そして海のように澄んだ青い瞳。どれ一つとってもあの時夢の中で見た姿と違えていない。しかし実体というわけではなく、その身体の向こうにはかすかに樹氷や雪山が見える。まるで映像を立体化させたかのようだ。
「よかった!やっと、やっとお会いできましたね……!」
当のフルーラは胸の前で手を合わせ、目を細めて喜びの声を上げた。その笑顔のせいなのか、驚きで張りに張りつめていた心が緩んだような気がする。
「キミは、一体……?」
緩んだ心の隙間から発せられた声は、自分でも分かるほど軽くフワフワとした譫言だった。フルーラが答えようとするが、その前にエルリオとハルジオンが慌ててこちらに呼びかけてくる。
「おい、リュウ!どうしたんだ?」
「だ、誰に向かって話しかけてるのぉ?」
ハルジオンの質問で気付いたが、どうやらフルーラの姿は二人には見えないようだ。それが分かったところで、嵐のように呼びかけてくる二人を手で払う。
「二人とも!頼む、静かにしてくれ!」
呟きのような譫言から一転怒鳴り声とも取れるリュウの一言で、エルリオもハルジオンも呆気にとられた顔のまま押し黙ってしまった。構わず、リュウは再びフルーラに視線を向ける。フルーラも少なからずリュウの大声に驚いていたようだが、一つゆっくりと頷くと、徐に前に進み出てしゃがみ込み、木にもたれて座っているリュウと同じ目線になった。
「よく聞いてください。この雪の道をさらに北東へ進んだ先に、『氷雪の霊峰』と呼ばれる聖地があります。そしてそこには……霊峰の主、キュウコンがいます」
「なっ……!キュウコンが?」
驚きをバネにしてリュウが身を乗り出す。キュウコン――『キュウコン伝説』の中心となる存在であり、リュウを人間からポケモンに変えた、かもしれない、ポケモン。
フルーラもさらに前へ進み出ると、右手を伸ばし、リュウの頬に当てた。実体ではないはずなのに、ほんのり温もりのようなものが伝わってきて、どういうわけか身がこわばってしまう。
「キュウコンは、貴方が訪れるのを待っています。どうか、お気をつけ……て……」
言葉が切れた直後、フルーラは微細な光の粒子となってかき消えてしまった。時同じくしてリュウの身に、転寝している時稀に起こる高所から落ちるような感覚が襲いかかる。ようやくすべての感覚がリュウに舞い戻ってきた。目に映るのは、凍りつき褪せた色をした樹氷達。聞こえてくるのは、山から運ばれてくる雪風の音。
「もしもしもーし。リッくぅん、だいじょーぶー?」
そして、エルリオとハルジオンの少し痛い視線を感じた。考えてみれば夢うつつの状態だったとはいえ、何もないところを見つめて呟いたり叫んだりしたのだから傍から見れば「何やってんだコイツ」と思われても仕方がない。
リュウは一先ず、意識を失ってから見たことを簡潔に話した。ついでに、これまで見たフルーラの夢のことも付け加えという形で説明する。
「なるほどな、キュウコン……伝説上の存在かと思っていたが、まさか本当にいたとはな」
「そして、それを君は夢の中でフルーラって子を通じて聞いたんだねぇ。いやぁ、いきなり叫んだりぼそぼそ呟いたりするからとうとう頭おかしくなったのかと思ったよぉ」
「……アンタに言われたくないセリフだな」
「まったくだ」
リュウはおろかエルリオにまで冷たくあしらわれ、ガーンという重い音と共に吹雪にさらされていないのにハルジオンはカチコチに固まってしまった。山から吹き下ろす風の音が心なしか空しく聞こえる。
「で、でっ、でもでもぉ!やっとゴールが見えてきたじゃない。『氷雪の霊峰』ってところに行ってキュウコンから話を聞けば、真実が分かるんでしょぉ?」
ハルジオンはまるで自分のことのように羽をばたつかせながら喜んでいる。しかし、当のリュウの心は晴れやかにならなかった。
思いがけず、この逃避行の終着点が現れた。以前のリュウなら――旅を始めた当初の頃なら、いてもたってもいられず真っ先に霊峰に向かったことだろう。
でも今は。数多の救助隊に命を狙われ、この世界に住むポケモン達にすら邪険な目で見られ、旅を続けること自体に意義を見出せなくなった今、いきなりゴールを目の前に出されても先へ進もうとする足に力が入らなかった。
「二人とも、一つ聞きたいことがあるんだ」
リュウの切り出しに、エルリオも、大人げなくはしゃいでいたハルジオンもステップを止めてこちらを見る。
「もし、キュウコンに会って、オレが本当に自然災害の元凶だと分かったら……アンタたちはどうするんだ?相変わらずボディーガードとか言って研究を続けるのか?それとも……」
この後も続けようとしたのだが、突然エルリオが右腕をリュウに向けてつき伸ばした。黒曜石のように暗く輝く鋭い爪が、リュウの眉間一センチ手前のところでピタリと止まっている。
「初めて邂逅した時も問うたような気がするが。当の貴様はどうしたいのだ?『氷雪の霊峰』でキュウコンに会うことができれば、待ち受ける結果はたった二つ。自然災害の元凶だと断定されるか、否かの二つだ。あとはそれに応じて貴様が選ぶだけ。己が身の処遇をな」
リュウに突き付けた腕を下ろし、ふいと踵を返すと、エルリオは雪山へ向かってゆっくりと歩きだした。
「生憎、私は起こるとも知れない未来を案ずるほど暇ではない」
そう言い残して。
結局明確な回答も得られないまま、茫然と座り込むリュウ。その背中を、いきなり何か平たいものでひっぱたかれた。
「ほらほらリッくん、ぼーっとしてないで早く行こうよぉ!大丈夫!キュウコンに会うまではいつものように君のボディーガードをしてあげるからねぇ!」
そのまま背中を押されてひょいと立たされると、半ばハルジオンに運ばれるような形となったがようやくリュウも歩き出した。
とりあえずキュウコンに会わないことには、何も始まらない。そう踏ん切りをつけながらも、リュウの心の片隅では嫌な予感が小さな渦をなしていた。
身を寄せ合うように集う樹氷達はおろか、雪をすっぽりかぶった山々をも見下ろすことができる、とある雪山の頂。まるで下界そのものを睥睨するような眼差しで、一人のポケモンがそこに佇んでいた。
「随分と珍しい客人だな」
白い息とともに、そのポケモンは呟くように言い放った。背後にかすかな気配を感じながら。
「フェルガナ、来ていたのか」
「……ベアトリス」
首をよじって振り返った先に立っていたのは、はるか南東にある「精霊の丘」の主、ネイティオのフェルガナだった。よく見るとその身体は半透明で、ちらつく雪が頭や身体を容易に突き抜けている。超能力を使って思念体だけをここに飛ばしているのだろう。ただ話すだけなら途方もない距離を飛ぶよりもこの方が手っ取り早いのだ。
「まるで、あの時とは真逆だな。用件は何だ?」
あの時――自らが「精霊の丘」に赴きフェルガナと会話した日を思い出しながら、ベアトリスは問うた。思念体とはいえ、わざわざこちらに赴いてきているのだ。ただ普通の会話をするために会いに来たとは考えにくい。
「まもなく、『緋龍の子』が、ここを、訪れる」
やっぱり、その内容か。
「それを伝えるためにわざわざ?」
「いいや。ここまで、来たのだ。いい加減、話してほしいと、思った」
「話してほしい?何をだ」
「どうして、『緋龍の子』を、ここに、呼び寄せた」
ベアトリスは目を見開いた。「精霊の丘」で会い見えたときは千年前のあの出来事を伝えてほしいと頼んだだけで、こちらの目的など伝えていなかったはずだが。さすがはフェルガナ、自力でそこまでたどり着いたのか。
「
人形が、自由となれば、必ず、あの子に、会いに行く、はずだ。貴女は、それを、見越した上で、わざと、
人形を、泳がせた」
「さぁ、どうだろうな?」
「やがて、己の過去を、知りたいと思った、あの子は、この、『空虚の地』へ、赴くため、大いなる旅に、出た。この世界に住む、ほぼ全ての、ポケモンを、敵に回して」
とことんシラを切るつもりでいたが、言葉の最後の方は、ベアトリスにとっても意外な内容だった。何せ「精霊の丘」のあの一件以来この地から一歩も出ていないため、ここ最近の下界の情報は全くと言っていいほど耳に入れていない。
しかし、どうしてそんな事態になったのかは大体想像できた。
「なるほどな。下界の民の考えそうなことだ」
「本当は、知っていたのだろう?この世界の子らが、あの物語を、どう解釈しているのか」
貴女は、それを知っておきながら――その言葉の途中で、フェルガナの思念体は煙のように掻き消えてしまった。
いつまでも戯言に付き合ってやる義理はない。ベアトリスの双眸が妖しく輝いていた。集中力を切らせてしまえば、思念体など維持できまい。
「さて、なかなかに面白い話だったな。『緋龍の子』よ、己が過去のため、どこまで足掻けるか楽しみだ」
「氷雪の霊峰」――
地図で言えば「アナザー大陸」北東の果て。今まで森の中を歩いていたせいか、こんなに近くで雪山を見るのは新鮮な心地がした。遠巻きとはいえ雪山は見たことはあるが、今まで見かけたものの中ではこれがおそらく歴代トップクラス。エルリオの出身地も豪雪地帯だったらしいが、これほど巨大な雪山を見たのは本人も初めてなのだそうだ。
悠然と聳え立つ山の頂には、淡く輝く白い霧のようなものが渦を巻きながら、まるでこの霊峰を見張っているかのように佇んでいる。生活する上でつきものと思ってしまうくらい雪というものを見てきたが、この地に降る雪はどこか雰囲気が違っていた。降るもの、積もるもの、岩壁や木に張り付くもの全て、清らかな光を帯びているように見える。霊峰というだけあってけっして濁りを寄せ付けない、足を踏み入れるのも躊躇ってしまいそうな美しさがそこにはあった。
しかしリュウは、同時にこの霊峰に吸い寄せられる感覚も感じていた。雪が、霧が、山が、さながら番人として立ちはだかりながらも自分達を招き入れているようだった。貴方の求めるものはこの先にある。さぁ、こちらにいらっしゃい。
「おぉっと敵さん発見!成敗成敗せいばぁい!」
入口らしき洞穴に入ろうとするや否や、ハルジオンが敵の出現に気づき颯爽と向かっていく。モップのように長い体毛を持つイノシシのようなポケモンが、背後の森から雪煙を立てて滑るようにこちらへ向かってきた。見た目も相まって「猪突猛進」という四字熟語がとても似合う突進だが、ハルジオンの起こした“かぜおこし”でいとも簡単に失速し、その風に乗せて繰り出された“マジカルリーフ”であれよあれよという間に吹っ飛ばされてしまった。
「やぁやぁやぁ、森を抜けても襲ってくるなんてなかなか根性あるよねぇ。こりゃ護衛も捗るってぎゃあぁん!」
「こ、ん、の、戯けがっ!」
一汗流したと言わんばかりに爽やかに駆け寄ってくるハルジオンに、労いとは縁遠い罵声を浴びせた挙句しなやかな蹴りを横っ面に浴びせたエルリオ。……今の行動、特に咎めるような部分なんてないような気がするのだが。
「我々の目的を忘れたか、ハル」
「ふげええぇぇ……リッくんのボディーガードじゃないのぉ……?」
「それもあるが、リュウの操る緋の炎の解明こそが第一の目的。考察はいくらでもすることはできるが、やはり実物を何度も観察しないことには始まらない。……というわけで」
エルリオは音もなくリュウの背後に回り込むと、片手でその背中をずいと押した。
「ここから先の戦闘は、貴様が前線に立って戦ってもらう」
「……あの、ボディーガードの件はどうなったんだよ?」
「危うくなったらすぐさま私とハルが助太刀に入ろう。それまでは自力で戦っていただきたい。盛大に炎を撒き散らしてほしいものだな」
なんとまぁ自己中なボディーガードである。
結局その後はリュウが先頭に立ち、霊峰の攻略を進めることとなった。もちろん時折霊峰の住人たちが怒涛の如く襲いかかってくることがあったが、約半年に及ぶ逃避行で鍛えられたリュウの敵ではなかった。地面も壁も天井も凍てついた氷雪地帯であるにもかかわらず、どういうわけか出くわすポケモンたちに氷の属性がついていそうな者はほとんどいない。中には炎より“きりさく”や“にどげり”のような物理技の方が効きそうな敵もいたが、如何せんエルリオが炎技を使えと脅し半分の要求をしてくるため、無意味な苦戦を強いられることも多々あった。
「まだ検証要素が足りないな。せめてあと五回くらい敵が襲いかかってきてほしいものだが……」
肩で息をしながら疲弊している背後で物騒な言葉が聞こえた気がするが、気のせいだろう。
雪の壁に挟まれた窮屈な空間から一転、全身で風を感じられる開けたところに来た。眼前は崖っぷち。その向こうには幾重にも連なる白銀の衣に覆われた連峰、まるで大観衆のように寄り集まる樹氷達、まるで雪原に設置された舞台のようだ。手前には「氷雪の霊峰」入口からでも見えた光り輝く霧の渦の一部。これがここにある、さらに先に進む道もないということは、山頂にたどり着いたのだ。やはり麓と比べて少しだが風が強い。
「わぁ、キレイだねぇ!さてさてぇ、キュウコンはどこにいるのかなぁ?」
山頂に足を踏み入れるや否や、ハルジオンがふわりと飛び立ちはしゃぎ回り始めた。どこにいるのかと言いつつも、キュウコンを探しているというより山頂の景色に興味津々のようなので、仕方なくまずはリュウが一人で探すことにした。降り積もる雪でコーティングされていることを除けば、どことなくその雰囲気は「精霊の丘」に似ている。簡単に辺りを見回してみるが、ヒト影どころか気配すら欠片も見出せない。
「で、どうしたんだよ?」
ひとしきり探し終えたところで、いい加減気になってきたリュウは背後に向けて呼びかけた。
その先ではエルリオが、険しい表情を浮かべながら腰を下ろしている。ここにたどり着いてからというものずっとこの状態だ。いまだ飛び跳ねているハルジオンとは対照的に、瞬き以外は体毛一本も動かしていない。顔はリュウに向けられていたが、こちらを凝視しているわけではなさそうだ。何か別の一点を見定めているような――
「霧の中に潜むことで身を隠したつもりか?無駄なことだ」
静かに、それでいて厳かに呟くエルリオの下に、雪風が集い始める。強風に巻き込まれないようにリュウが数歩退いた時にはもう、エルリオの傍には二対の巨大な竜巻が鎮座していた。風圧で作られた刃をその身に隠した竜巻達は、不規則にゆらゆらと身をうねらせて主の命令をただひたすら待っている。霧の中に潜んでいるという、姿なき者に狙いを定めて。
「我が瞳に映らずとも、風は常に貴様等を見ている。そして――その身を隠す障害諸共貴様等を斬り刻む!」
銃声のような音とともに、竜巻の中から無数の白銀の刃が飛び出してきた。不可視の殺意をはらんだ刃はリュウの傍を横切り、ハルジオンの頭上をかすめ、崖先で渦巻く霧の輪へ我先にと言わんばかりに飛び込んでいく。“かまいたち”に空気ごと切り裂かれて大穴が開いた霧の中で、何かが壁に当たってはじかれる音が顔を出しては消えていった。
「うわあっぶねぇ!上手く隠れたつもりだったんだが見破るとはなかなかやるじゃねぇか」
調子のいい声を上げて霧の中から飛び出してきたのは、背中に巨大な二対の翼を携えた竜――リザードンだった。羽ばたきながら宙にとどまっているその周りには、六角形の結晶のようなものが隙間なく並べられた障壁が浮かんでいる。おそらくあの壁でエルリオの“かまいたち”を防いだのだろう。
さらにその背には、リュウにとっては見覚えのあるヒト影を乗せていた。
「フォルテ……さん……!」
「久しいな。このような辺境までよくぞ辿り着いたものだ」
リザードンの背から離れ、音もなくふわりとフォルテが降り立つ。その手に握られたスプーンから光が失われた途端、障壁も空気に溶けるようにして消えてしまった。
救助隊の中でも指折りの実力を持つ「チーム・FLB」。この逃避行の中で遠からず会うことにはなるだろうと思っていた彼らが、最終目的地であるこの「氷雪の霊峰」で待ち構えていたのだ。司令塔であるフーディンのフォルテに、先程まで彼を背に乗せていたリザードンのレバント。そういえば最後の一人――バンギラスのバチスタの姿が見えない。どこかに身を潜めているのだろうか。
「だが、我々もこの世界のヒトびとを救う使命を持つ者として、お主を生かしておくことはできない。先にも宣告した通り……ここで倒れてもらうぞ」
スプーンを手にした腕を前に突き出しながら交差させ、ぼそぼそと呪文のようなものを唱え始めるフォルテ。彼の目とスプーンが青く輝くと、リュウの足が地面から離れその身体が宙にふわりと浮かび上がった。逃避行に出る前も見たことがある。強力な念力で相手を拘束し攻撃する“サイコキネシス”だ。
「む……!」
本格的に縛り上げてくると思ったところで、突然フォルテが短い悲鳴を上げた。見ると、エルリオが目にも留まらぬ速さでフォルテの懐に飛び込み、その喉元に爪を突き立てようとしているところだった。僅かに向こうの方が反応は早かったようで、素早くバックステップを行ってエルリオの奇襲を回避する。だが、そのおかげで“サイコキネシス”に注いでいた集中力が切れ、リュウを拘束していた光がふっと消え失せた。重力にしたがって、背中から地面にたたき落される。
「フォルテ!……てめぇ、やってくれるじゃねぇか!」
レバントが加勢に出ようと、低空飛行でエルリオにとびかかる。
「ちょっとちょっとちょっとぉ!僕のことも忘れないでほしいよねぇ!」
しかしそのまた上から、今度はハルジオンがものすごいスピードで舞い降りてきた。重力にプラスして自らの体重をかけた“のしかかり”の態勢に入っている。レバントもそれに気づいたのか一羽ばたきで軌道を変え、間一髪でハルジオンの足から逃れた。“のしかかり”が空振りに終わり、身代わりに踏みつけられた粉雪が舞い上がり雪煙となって朦々と立ち込めている。
「なんだなんだぁ?そこのアブソルとトロピウス、リュウをかばうっていうのか?」
転がり終えて起き上がったレバントが素っ頓狂な声を上げる。当然だろう、よほどの世間知らずでない限り、自然災害の元凶と疑われている者をかばうなんてこのご時世まずありえないのだから。
「当然だよぉ。だって僕達、リッくんのボディーガードだもん!ねぇ、エル?」
「まぁ、『探索者』としてもボディーガードとしても、この者をそう簡単に死なせるわけにはいかないからな。ギルドの偉大なる先輩に刃を向けるのは、私とて本意ではないが」
エルリオの言葉の後半に反応したのか、フォルテがわずかに目を見開いた。だが、流石に察しがいいのかすぐにまた冷静な無表情に戻る。
「『探索者』……ギルド……そうか、お主達は
彼奴の弟子か」
「うえぇっ?てことはアイツ、親方になって三年でもう弟子卒業させたのかよ!早ぇな……」
フォルテに続いてレバントも驚きの声を上げている。話から察するに二人の言う「
彼奴」及び「アイツ」は、ギルドの親方のことを指すのだろう。
これで、ギルドという施設が本当に存在して、エルリオ達がその施設の出身だったということが明らかになった。もちろん、それを知って今は喜んでいる場合ではない。
「そっかぁ、そういえば今の親方ってぇ、あのヒト達と同期なんだよねぇ」
「片やギルドを出て救助隊となり、片や親方を継ぐ道を選んだとのことだったな。志は同じであったはずなのに、救助隊となったばかりに世界のためならヒト殺しも辞さぬ輩になってしまったとは、親方が聞けば悲しむだろう」
仮にも「偉大なる先輩」を相手に、エルリオは皮肉たっぷりに言い放った。流石にこれにはレバントも頭にきたのか、今にも技を繰り出しそうな表情で前に出ようとしたが、フォルテが右腕一本でそれを制した。
「我々とて、本来救うべきヒトの命を奪うことなど望んでいない。なれど、この未曽有の危機に瀕した世界を救う手段がそれしかないのであれば……」
そこで言葉を切り、フォルテはゆっくりと右腕を上げて、リュウに狙いを定めるかのようにぴたりと止めた。言葉にせずとも、この様子だけで十分窺い知ることができた。世界を救うために抱いた覚悟。情けも慈悲も映さない、雪よりもずっと冷たい目。
「むーぅ!だからそれはダメって言ってるでしょぉ!それなら先に僕達が君達のことをギッタギタにしちゃうからねぇ!」
頬を膨らませながら言い放つと、ハルジオンは雪に覆われた大地を蹴って宙に浮かび上がった。先程のレバントのように低空飛行のままフォルテに飛びかかっていく。巨体に似合わない素早さだが、フォルテは慌てる素振りも見せず、突き出した腕をそのままにスプーンを光らせて臨戦態勢をとった。
しかし、
「うぐ……っ!」
小さな呻き声が聞こえたかと思うと、突然ハルジオンの動きがぴたりと止まってしまったのだ。何かがぶつかったような鈍い音が響いたあたり、何らかの打撃を受けたのだろう。これにはリュウやエルリオはもちろんのこと、敵方であるはずのフォルテやレバントですら突然の出来事に呆気にとられている。
「……!まさか――」
「うわああああああ!」
いち早くその正体に気付いたフォルテだが、ほぼ同じタイミングでハルジオンの苦鳴が木霊する。殴打音とともに、ハルジオンの身体が数多の打撃に寄って宙へ打ち上げられているのだ。よく見るとあたりに点在している凍てついた岩陰から何かが飛び出し、それが百キロの重さを誇るハルジオンの巨体をいとも簡単に吹っ飛ばしている。
打撃を繰り出している者の正体を探る間に、何かがどさりと墜落する音がした。振り向くと、そこには長い首を投げ出してぐったりと横たわるハルジオンがいた。
「ハ、ハル、しっかりしろ!」
「か……はっ……エ、ル……」
か細い声と共に、半開きになった口から吐き出された血が、純白の雪の上に小さな真紅の花を咲かせる。ハルジオンの身体には無数の痣ができていた。その痣に重なるように、焦げたような痕跡もある。
「貴様っ、いったい何をした!」
「……」
珍しく血相を変えたエルリオが噛みつくように叫ぶが、フォルテもレバントもその質問に答えなかった。確実に今の打撃の正体に辿り着いているようだが、答えるのを躊躇っているように見えた。レバントは苦い顔をしてフォルテを見ているし、その視線にも答えることなく、フォルテは哀れむように目を閉じていた。すると、
「フォルテ、レバント……!」
リュウたちが抜けてきた洞穴の向こうから、新たにヒト影が現れた。何故か引きずるような足取りでこちらに向かっている。
「バチスタてめぇ!しっかり見張ってろって言っただろ!」
「見張ってたぞ!ただ急にアイツが暴れ出して……!」
やってきたのは「FLB」の残るメンバー、バンギラスのバチスタだった。どういうわけか彼もハルジオンと同じく、体中に無数の焦げ跡付きの痣がついている。岩石のように固い装甲に覆われたバンギラスにも打撃痕をつけるあたり、恐らくハルジオンに奇襲をかけた者がやったのだろうが、それにしてもどういうことだ?
「リュウ!」
突然、エルリオがこちらに向かって駆け出してきた。そのまま体当たりするのかと思いきや、寸前でリュウの頭上を越えるように大きく飛び上がる。あまりにも唐突だったので中腰状態になっていたリュウは再びバランスを崩し、仰向けに倒れてしまった。
そこから、すべてがスローモーションで再生された。
目に映ったのは絶えず雪をちらつかせている黒雲の海と、今しがたリュウを飛び越えたエルリオ。そしてそれに相対するように、バチバチと弾ける激しい光をまとった何かが空を横切っていた。このままだと二人が激突する形になるが、相手が何かしら技を発動しているのに対し、エルリオは咄嗟の行動故に技も使っていなければほぼ丸腰の状態だ。
「ぐあああぁぁっ!」
一際膨張した光によって視界が雪よりも真っ白に染まり、その中で大きな破裂音と、エルリオの苦鳴がほぼ同時に木霊する。
瞼を押さえつけていた腕を離し、リュウは恐る恐る目を開けてみた。一瞬とはいえ光を直視してしまったせいで、視界の光と影が反転したり元に戻ったりと忙しく移り変わる。
それでも、何が起こったかは容易に察することができた。光を纏った何者かの奇襲を受けたエルリオが、場違いにきれいな放物線を描いて地面に墜落する。慌てて駆け寄ってみると、エルリオの胸元と前足に大きな焼け焦げができていた。ハルジオンやバチスタの身体に残されているものと全く同じだ。所々でパチパチと火花が散っている。
「決して目を背けてはならない。これが……お主の選んだ結果なのだから」
謎めいたフォルテの言葉の後、背後でかすかに足音が聞こえた。背筋を張りつめて、ゆっくりと振り向いてみる。
――嘘だ。
こんなことが、あるわけない。
きっと、まだ目がチカチカしているだけだ。そう思おうと必死になるリュウを嘲笑うかのように、視界が急激に正常へと戻っていく。シルエットのみだったその影がはっきりした途端、リュウの心には恐怖と同時に奇妙な感情が込み上げてきた。あの時襲ってきた光、エルリオの身体に残された火花。もう久しく見ることはなかったけど、この世界に来て以来ずっと近くで見てきたからこそ感じる、不気味な懐かしさ。
「嘘だ……どうしてキミがここに……
キトラ……!」