第三十五話 探索者は語る
前人未到の「空虚の地」に足を踏み入れ、且つ「樹氷の森」をも超えた異邦人を次に待ち受けるのは、遥か前方に連なる山々から吹き降りる吹雪の洗礼だった。
先に対峙した「樹氷の森」の主が引き起こすものを除けば、森に降るのは風もない穏やかな雪だ。しかし一度森を出れば、息つく間もなく吹きつける雪風が、踏破した達成感諸共吹き飛ばすように襲いかかってくる。森を制覇した者にこれ以上先へ進むべきかと迷いを与え、それでも先へ進もうとする無謀な者を永久の眠りへと誘う白き嵐。
しかしこの風も、ある者の手にかかれば最高に心強い味方となるのだ。
「豪雪の白衣をその身に纏いし山嵐よ、我等に盾突く者共にその猛々しき腕を振るえ!」
吹雪の轟音などものともせず、その者――エルリオの詠唱が響き渡る。
刹那、山道を我が物顔で暴れ回っていた吹雪が、突然ころりと風向きを変えたのだ。襲いかかってきたオニゴーリの群れを足止めする向かい風となるだけでなく、エルリオの詠唱通り、まるでがっしりとした腕で薙ぎ払うかのようにオニゴーリ達を吹き飛ばしていく。言っていることはなかなか古風というかカッコつけ……失礼。言動や作法はともかく、風を操るその姿は魔法使いのようだった。さらに、
「フィニッシュは僕が決めるねぇ!“マジカルリーフ”!」
はしゃぎながらエルリオの起こした風に乗って舞い上がり、ハルジオンが四枚の翼から淡い翡翠色に輝く無数の葉を繰り出した。強力な念波を裏に秘めた数多の葉は一つ一つ意思を持っているかのようにしっかりとオニゴーリ達に狙いを定め、一人残すことなく確実に仕留めていく。氷タイプに草タイプの技はあまり効かないはずなのに、葉を一発食らっただけでオニゴーリの意識は吹雪に乗ってどこかへ去ってしまった。
「どう?どう?結構いいボディーガードになるでしょぉ?リッくん!」
敵もいなくなったところで、いきなりハルジオンがこちらへふわりと飛び、長い首をもたげ無邪気な笑顔で覗き込んでくる。「リッくん」とは文字からご想像の通りハルジオンが勝手につけたリュウのあだ名のことだ。エルリオ曰く親しい者には決まって呼びやすいあだ名をつけるのだとか。言動も相まって子供っぽいという言葉が一番似合うが、これでエルリオより年上だというのだからもう驚く余裕もない。
「あのさ、その質問今日だけでも五回目だぞ?」
無理やりこの大きなおこちゃまボディーガードの雇い主にさせられたリュウは、無駄だと分かっていても一応ハルジオンに確認する。が、当然のことながらそれでコイツが「あぁそうなんだじゃあやめる」というわけでもなく、
「何度も言ってるでしょぉ?僕、褒められて伸びるタイプなんだからぁ!」
「……アースゴイスゴイ。ハルジオンクンハサイキョーダネー」
「やったぁ!うれしーぃ!」
こんな会話も今日だけで五回目である。
「ハルをあそこまで手懐けるとは、やはりなかなかやるな、リュウ」
一方で、傍からリュウたちのやり取りを見ていたエルリオが興味深そうに独り言ちた。宣言通り、ついてくるようになってからというものずっとこのようにリュウの行動振る舞い一つ一つを余すことなく観察しているようだ。
「手懐けてるつもりは毛頭ないっての。むしろアンタは今までどうやってアイツの絡みに付き合ってたんだ?」
「騒いでいても無視していたし、寄らばひっぱたくか蹴り飛ばすかしていたな」
「(それはそれでヒドいな……)それで、だ。これも何度目かの質問になるけど、いつになったらオレを解放してくれるんだい?」
「私が貴様を観察して納得のいく答えが出るまでだ。まぁ、当分ないと思え」
「はぁ……」
コイツはコイツでやはり面倒臭いボディーガードである。
この二人が護衛についてからだいぶ経つ(というか三日くらいたった時点から数えるのをやめた)のだが、こんなやり取りのおかげでため息の尽きない日々が続いていた。長らくの逃避行の中伝説と称されるポケモンを二体も相手して、ご褒美と言わんばかりについてきたお供がこんな騒がしい連中だなんて、どうやら神様はとことんリュウを心身共に疲弊させたいようである。
しかし、先程の戦闘を見ての通りエルリオもハルジオンもそんじょそこらの救助隊を凌ぐほどの実力を持っており、少なくとも救助隊やこの地に住むポケモンから命を狙われる危険は一人でいた時より数倍も激減したと言っていい。リュウも最初こそ警戒していたものの、日を経るにつれて次第に二人のその強さにだけは信を置くようになっていた。もちろんこの暑苦しい絡みから解放されるのが一番の望みなのだが、ただでさえほぼ四面楚歌の状況でさらにこの二人まで敵に回してまで一人になりたいとは思えない。
とはいえ、助けてもらっているからと言って頭から信頼するほど単純でいるつもりではない。あの日――エルリオ達がボディーガードとなって一夜明けたあの日から、リュウは彼らに対して別の意味で警戒心を抱いていた。
「ねぇねぇ、ちょっとは世間話でもして盛り上がろうよぉ」
ハルジオンが頬を膨らませながら話しかけてくる。その前を歩くリュウは答えるどころか振り返りもせずに、黙々と雪道を歩き続けていた。
時は、「樹氷の森」を突破してから間もない頃に遡る。フリーザーを撃破してエルリオとハルジオンが勝手についてきてから、こんなやり取りばかりが続いていた。二人の強引な護衛から逃れようと早歩きで進もうとするも、依然として距離が開くことはない。たまに我を失ったこの地のポケモン達が群れを成して襲いかかってくることもあったが、五秒もたたないうちに二人が塵も残さず叩きのめしてしまうため、戦闘のどさくさに紛れて逃げることすら叶わなかった。さらに、
「しつこいな、ついてくるなって言ってんだろっ!」
不意を突いて振り向きざまにこちらから火を吹こうとしたが、まるで最初から分かっていたかのように突如起こった風によって阻まれてしまう。
「甘いな、詠唱を使うまでもない」
ハルジオンの真後ろで、声の主――エルリオが犬で言う「おすわり」の体勢で佇みながら不敵な笑みを浮かべていた。
「我々から逃れたくば、この風にも負けぬ炎を繰り出すことだな。無理だろうが」
「くっ……」
あまりにも余裕たっぷりな様子に、リュウは歯を噛むしかなかった。元はと言えばコイツがこの無理やりボディーガードを提案した張本人なのだから、なおのこと腹が立つ。
「まぁまぁエル、そんなにハッスルしないしない!ボディーガードがご主人を八つ裂きにしたら元も子もふぎゃぁっ!」
ハルジオンが無邪気に割って入ろうとした途端、その頭から何かがぶつかったような音が響いた。また黙らせるためにエルリオが殴ったのかと思いきや、当の本人は相変わらず「おすわり」の姿勢で、きょとんとした顔でハルジオンを眺めている。
「ハル、どうした?」
「あいてててぇ……なんか、硬いものが頭にゴツン!ってぇ……」
プロテクターがついていてもしっかり痛みが届いているのだろう、両の翼でしきりに頭をさすっている。
その足元に、雪に紛れて白く丸い物体が転がっていることに気がついた。リュウがそれを拾い上げてみる。ひんやりと冷たかったので最初は雪玉と思ったが、力を込めて握っても崩れる気配はない。
「それは……雹のようだな」
「雹?」
「雷雲から降り注ぐ、霰よりも大きな氷塊のことだ。この辺りは吹雪の他によく霰が降るとは聞いていたが、雹が降るとは珍しいな」
エルリオはリュウの手から氷塊をひったくると、そのまま興味深そうにしげしげと眺め始めた。
ちなみにその間にも雹は降り続けており、辺りに群生している樹氷に当たっては騒がしい音を立てていた。ハルジオンの場合は「ふぎゃぁっ!」程度で済んだが、生身でこんなものに直撃した場合打ちどころにもよるが最悪命にかかわるだろう。さらに雷雲から降り注ぐという説明通り、遠くからゴロゴロと轟音が響き始めた。
「ちょっとちょっとちょっとエルゥ!これはさすがにどっかに逃げないとまずいんじゃないのぉ?」
「……ふむ。それもそうだな」
「アンタ、こんな時によく冷静でいられるな……」
雹を払いながら呆れているリュウを尻目に、エルリオは徐に四肢で立ち上がり歩き始めた。本来の進行方向とはだいぶ逸れ、その先は切り立った岩壁により行き止まりとなっている。
「さて、このあたりでいいだろうな」
前足でしきりに岩壁に触れていたかと思うと、今度はその手を額に当て始めた。
程なく、エルリオの鎌のような角が淡い光を帯び始めた。恐らくポケモンの技なのだろうが、いつも繰り出している技“かまいたち”とは微妙に雰囲気が異なっている気がする。風も起こらない。
「こじ開けろ、“ひみつのちから”!」
エルリオが地面を蹴ってしなやかに飛び上がり、頭を振るって鎌を振り下ろす。
鎌から放たれた光は岩壁に直撃し、アメーバのように岩肌を伝いながら円形に広がっていく。一際眩しく輝いたかと思うと、次の瞬間にはその岩壁に大穴が開いていた。肉眼でも奥行きがはっきりとわかるので洞窟と呼ぶにはいささか小規模だが、この雹や雷を凌ぐには十分すぎるほどだ。
「“ひみつのちから”。地形によって相手に与える追加効果が変化する技だが、岩壁や茂みなど特定の場所で使えば、このように空間を作ることができる。遥か昔、人間がいた時代にはこれを使って秘密基地を作っていたという説も――」
「ねぇねぇねぇ、豆知識は洞穴の中でゆっくり聞かせてよぉ!もう痛くて痛くてしょうがないんだからぁ!」
エルリオの長ったらしい説明が佳境に入ったところで、ハルジオンが翼をばたつかせてそれを制した。今回ばかりは彼が正論だしファインプレーと言っていいだろう。岩壁にぽっかり空いた洞穴にまずリュウが入り、エルリオが入り、ハルジオンが入――ろうとして、入口近辺の天井に強か頭をぶつけてしまった。
「いてて……エル、今日の洞穴ちょっと狭すぎないぃ?」
「貴様が入ることなど勘定に入れていないからな」
「ぅええ?じゃあ僕はずっとあの氷の雨の中突っ立ってろっていうのぉ?」
「入口にさえ入ることができるのならば問題あるまい。雹が止むまでの間外で見張りでもしていることだな」
「ふぎぃ……」
いつにも増してエルリオの表情が不機嫌一色だ。恐らく先程の“ひみつのちから”関連の話をハルジオンに止められたことを根に持っているのだろうが……結局どちらも子供っぽいことこの上ない。
「アンタたち、いつもこんな感じなのか?」
「そうなんだよねぇ、気がつけばエルにビンタされてるんだもん。最高記録は確か一日に二十回ぎゃん!」
言ったそばから本日何回目かの平手が叩き込まれた。
「さて、この分だと雹は一晩中降り続けるだろう。見張りはハルに任せて、今宵はこの洞穴で夜を明かすしかないようだな」
肝心の見張りは張り倒されて伸びているのだが、そんなことなど気にも留めずにエルリオが小さく欠伸をする。この「空虚の地」に来てからというものずっと空は曇天続きで、昼夜の認識はとうに狂ってしまっていた。そうなってしまった以上、後は「眠くなったら寝る」という本能に任せるしかない。リュウも実際、寝不足特有の気怠さが体の八割を支配している状態だった。
しかし、リュウはその言葉に甘えることはしなかった。エルリオもすぐにそれに気づき、横になるのをやめて怪訝そうな顔でこちらを見る。
「どうした、寝られんのか?」
「お先に寝てどうぞ。オレはどうやら眠れないようだからね」
わざと突っ放すように言い放ち、リュウはそっぽを向いた。
脳も体も寝たい寝たいと叫んでいるが、このチャンスを逃すわけにはいかない。二人が寝静まったタイミングを見計らって、ここから逃げ出すのだ。外では霰が降っているので危険極まりないが、今はとにかくこの二人の呪縛から解放されることを第一に考えなければならない。
「むぅ。とはいっても、寝てもらわぬといらぬところで倒れて研究にならぬのでな……」
こんな時に限っていらない気づかい(後半は己の願望入り)をかけてくるエルリオ。
エルリオはひとしきり考え込むと、入り口付近で伸びているハルジオンに蹴りを入れて無理やりたたき起こした。酷い。
「ハルよ、意地でも寝まいとする子供を寝かしつけるにはどうすればいい?」
「あいてててぇ……子守歌でも聞かせればいいんじゃないのぉ?」
そんなものでぐっすり寝られるほど幼くないのだが。
「ふむ、歌にはあまり明るくないのだが、試す価値はありそうだな」
歌唱力の有無を問わず本気で歌おうとしないでいただきたいのだが。
「まぁ歌はともかく。貴様は我々の素性が分からぬから信用できないということか。では素性を話せば、多少は我々に信を置くということでいいのか?」
「……あのな、オレがそんなに単純な子供に見えるか?」
「いいねそれぇ!考えてみれば僕達リッくんに自己紹介しかしてなかったもん!こういうミノウエバナシもお互い仲良くなるために必要だよねぇ!」
いつの間にか完全復活したハルジオンまで乗ってくる始末。
こうなってしまってはもう抵抗するだけ無駄だ。彼らの話を聞き入るふりをして適当に聞き流しながら、逃げ出す隙を窺うしかない。
「じゃあエル、何から話すぅ?『探索者』のこととか、あぁでもギルドのことから話した方がいいかなぁ?」
ハルジオンが矢継ぎ早に気になる言葉を連発してくる。エルリオはそんなハルジオンを一睨みすると、右前脚で地面をバン!と叩き、
「貴様は!見張りを!していろ!阿呆!」
「ひゃいいぃ!」
そして一喝。どたどたと入口へ走っていくハルジオンを見届けた後、エルリオは改めてこちらに顔を向けた。
「さて、話すからには退屈しない内容にせねばならぬのだが」
「……寝かせたいんじゃなかったのかよ」
「我々がついていても安眠できるほどの信用を勝ち取るのが第一なのでな」
わざわざそんなことを口に出してニヤニヤしているヒトなんか信用したくないです。と、心の中で毒づいた。
「そうだな。まずは我々が何者であるかを明らかにせねばな。貴様にとっては、救助隊か否かというところが最も気になるところだろうが」
「救助隊にしろそうでないにしろ信用する気は毛頭ないぞ」
まぁそう尖るな。と、エルリオが歯を見せてクスリと笑う。信用しないと口だけでなく態度でも見せているのに、エルリオからは焦る気配など微塵も感じられない。むしろ、リュウの反応を見て楽しんでいるかのようだった。
「我々が救助隊か?その問いに対する答えは……半分正解で、半分間違いだ」
「は?」
正解不正解どちらが来ても驚かないと決めてはいたのだが、この返答にはさすがに度肝を抜かれた。
「確かに私はハルジオンとコンビを組んで救助活動を行っているが、『ポケモン救助隊連盟』からは正式にチームとして登録されていない。それを証拠に、私もハルジオンも[救助隊バッジ]や[道具箱]は持っていないだろう?」
確かに二人共、救助隊を名乗る際身につけていなければならない[救助隊バッジ]や[道具箱]を持っている様子はない。バッジは隠そうと思えば懐にでも忍ばせることはできるが、[道具箱]は割とサイズも大きくそう簡単に隠せるものではない。
「じゃあ、一種のボランティアみたいな感じで救助活動をしてるっていうのか?それにしてはなんかその……そこそこの手練れに見えるけど」
「ほう、お褒めの言葉をどうも」
必死に言葉を選んだつもりなのだが、結局相手を上機嫌にさせる羽目になってしまった。
「先ほど言った『半分正解』という言葉。それは我々が、ギルドの卒業生であるということだ」
ギルド。先程ハルジオンも言っていたキーワードだ。
日常的に使ったことはないが、その言葉を聞くのは初めてではない。人間世界にも、遥か昔――確か親方の下で弟子が商業活動に勤しむ組合とかいうような意味で「ギルド」という言葉が使われていた。恐らくこの世界で用いられる意味とはだいぶかけ離れているのだろうけれど。
「ギルドは、この大陸より遥か北西――海を越えた先にある島に建てられた、救助隊の養成所のような施設だ。ギルドの長である親方を筆頭に、数人の弟子が救助のイロハを学びながら救助活動に従事していく。そして功績を上げた者は晴れてギルド卒業となり、ほとんどの者はそのまま連盟に申請し正式に救助隊として活動を始めることになるのだ」
業種は違うが、システムは人間世界のものとそう変わりないようである。
この世界に来て間もない頃、確かキトラが「救助隊になるのに訓練なんて必要ない」というようなことを言っていた。もともと災害の悪化に伴って救助隊の数も増やそうと目論んだ連盟によって作られたシステムらしいのだが、一般人とそう変わりない素人も救助隊を名乗れるのだから、当然助けに行こうとしたら力及ばず自分も被害者になってしまったというようなケースもあったり、救助した暁に法外な報酬を要求してくる悪党同然の救助隊もそこかしこに湧き上がったりという結果になった。
そんな現状を憂えた初代ギルドの親方は、かつてこの世界で繁栄を極めたギルド制度を応用し、救助隊養成所として設立したのだそうだ。もちろん連盟は認めておらず非公式の団体という体裁をとっているものの、
「今では数も少ないけどぉ、僕達みたいなギルド出身の救助隊も増えてきてるんだよぉ。確かあのヒト達もそうだったよねぇ。ゴールドランクの『ABC』だっけぇ」
エルリオの蹴りを回避するためか、入り口に居座ったままハルジオンが間延びした声で割り込んできた。言わんとしていることは大体わかる。「B」しか合っていないけれど。
一方のエルリオはいつものようにハルジオンを黙らせるようなことはせず、徐に懐から何かメダルのようなものを取り出した。銀の円盤に、青、黄、赤の透きとおった石が埋め込まれている。裏を見せてもらうと、エルリオの名前、さらに「ギルド卒業をここに証明する」と刻まれていた。さらにその下にはエルリオ曰くギルドの親方のサインが書かれてあるらしいのだが、達筆なのか字が下手なのかぐちゃぐちゃで全然読めない。
「以上が我々の素性だ。ここまでは理解したか?」
「まぁね。作り話にしてはよくできてると思うよ」
リュウはあくまで疑いの姿勢を崩さない。救助隊セットの不所持やギルド卒業の証などがあっても、それだけでは彼らの素性を特定する材料にはならないのだ。
「よろしい。ではここからが本題だ。ギルドを卒業しておきながら救助隊という道を選ばず、我々は何の目的を持って旅をしているのか」
謳うように切り出すと、エルリオはやおら立ち上がって少し歩き、リュウから少し距離を置く形で再び腰を下ろした。
「我々も、本来ならば連盟に申請して救助隊となるはずだった。しかし卒業となったあの日、我らがギルドの親方は我々にこう命じたのだ」
――お前達には救助隊ではなく、別の任務を遂行してもらう。この世界の真実を求める「探索者」となって、各地で頻発している災害の原因を突きとめてほしい。
「『探索者』……」
「僕も最初は、相変わらず無茶なことを頼む親方だと思ったよぉ。今のポケモン達の力では食い止めるだけでも手一杯の災害の原因を突きとめろっていうんだからねぇ。手がかりだけでも探るのに三回くらい冬は越したよねぇ」
もう完全に声だけ参加のハルジオンだが、エルリオも特に咎めることはしないようだ。単に面倒になっただけなのかもしれないけれど。
「学者である私の母もよく言っていた。この世界の真実を追うことは、巨大な岩石から砂金を掘り出すことに等しいと」
「砂漠の中を探すんじゃなくて、岩石から掘り出す?」
「そうだ。真実はあらかじめそこに存在しているわけではない。手がかりという名の道具を揃えて、ありとあらゆる可能性を考察しながら、少しずつ掘り進めていくことで手に入れるもの。一歩間違えれば砂金は削りカスに紛れ、二度と見出すことはできなくなる」
そう語るエルリオの目は、どこか懐かしい光景を眺めているかのようだった。
「それで、手がかりは見つけたのか?」
「一つだけ。災害の原因と直接関係しているかさえわからないが、各所で頻発するにつれ見かけるようになった現象だ。無関係とは言い難い」
聞き流し半分のつもりだったはずなのに、なぜかリュウは固唾を飲んでしまった。
「貴様も幾度か目撃したことがあるだろう。あのどす黒い炎のことだ」
今しがた飲み込んだ唾のように、その言葉はリュウの中で重く深く沈んでいった。
どす黒い炎。サンダーに憑依していた時はサジェッタの命を奪い、逃避行の際にもファイヤーに憑りつくという形で幾度もリュウを苦しめてきた存在。この世界に来てからリュウにとって最も忌むべき存在でもあった。
「あの炎が、災害と関係あるってのか?」
「あくまで仮説だがな。しかし、それを裏付ける手がかりならいくつか存在している。ここから先は、私が建てた仮説に基づいて話すことにしよう」
エルリオはまるで名探偵のように、指を一本立てて振りながら話を切り出した。
「まずあの炎だが、本物の炎でもなければ悪霊の類ではない」
ヒトの持つ一種の気質が具現化したものだ――と、エルリオが言った。
「……また随分と夢物語みたいな仮説を出してきたな」
「常識に囚われていては『探索者』を名乗ることなどできぬ。だが私とて、単なる幻想でものを語ることはしない」
「しっかり裏付けがあるってことか」
「そうそう!なんとねぇ、ダンジョンでよく見る我を失ったポケモン達も同じように黒い炎が見えたんだってぇ!」
恐らくエルリオが一番言いたかった部分を性懲りもなくハルジオンが横取りする形となってしまった。流石のエルリオも眉間に皺を寄せながら、何の躊躇いもなく無言で“かまいたち”を入り口に向けて一発放つ。悲鳴のような声が聞こえたような気がしたが、構わずリュウはエルリオの話に耳を傾けることにした。
「まぁつまりは、ハルの言う通りということだ。災害によって我を忘れたポケモンにも、微々たるものだがどす黒い炎が観測できた」
「でも、オレ達だって何度もそいつらと戦ってきたけど、黒い炎なんて見えなかったぜ?」
「本来気質など肉眼では見えぬもの。エスパータイプのように第六感が発達したものか、気を読む能力に長けた者にしか基本的に見出すことができない。伝説と謳われるポケモンであれば、もともと強靭な精神を支配することになるのだから、黒い炎も肉眼で見えるほどに強大になってしまったということだろうな」
今までこちらから目をそらす状態で仮説を述べ続けたエルリオが、急にこちらへ顔を向けてきた。瞳の色は赤いのに、そのまなざしは凍るように冷たい。まるで眼中に入れたものを凍てつかせて離さないと言わんばかりに。
「ここまで仮説を立てたはいいが、それ以降は何も進展はなかった。そもそもその黒い炎が、どんな感情を映しているのかも分からなかったのだからな。しかしここにきて、思わぬ例外的存在のお出ましときたものだ」
「……オレの、緋色の炎か」
エルリオが口の端にだけ満面の笑みを浮かべて、一つ頷く。
「並のポケモンが操るものとしては存在し得ない緋色の炎。貴様がどす黒い炎を持ったポケモン達と対峙する度、必ずと言っていいほどその姿を現していた。これもまた、無関係とは言い難い代物だ」
どす黒い炎の話題が出てから薄々勘付いてはいた。出会った当初は戦闘能力だの元人間という経歴だのと回りくどい動機しか話さなかったのだが、黒い炎を研究しているのであれば遠からずリュウの緋の炎にも着眼するだろうと。
もちろんリュウの場合は攻撃技として放たれている炎の色が特異なだけで、感情云々は関係ないのかもしれない。しかし、その正体が分からないという点はどす黒い炎と共通している。
「貴様の緋色の炎はかねてより『サルベージタウン』付近で密かに噂されていたのでな。『エルドラク=ブレイブ』の情報を調べると同時にその活動も観察させてもらった。貴様が逃避行に出てからは命の危機にさらされる可能性も高くなった故、幾度か手助けもしたがな」
「なるほどね、『シラヌイ村』で村人達を襲った風、やっぱりアンタが起こしてたのか」
リュウの脳裏に、「シラヌイ村」で救助隊に捕縛されかけた時の光景がよみがえる。思えば風が起こる前、エルリオのそれと似た詠唱のような声が聞こえた気がする。
「ちなみに僕も『群青の洞窟』で君を助けたんだよぉ。落盤のどさくさに紛れてゴローニャ達に“マジカルリーフ”を撃ち込んだのぉ。役に立ったでしょぉ?」
“かまいたち”を叩き込まれたにもかかわらず前と変わらない平然とした口調でハルジオンが横入りしてきた。そんなこともあったっけか――とリュウはぼんやり考えてみた。正直あの時は落盤から逃れるので精一杯で、敵がどうなったのか気にする余裕すらなかったのだが。
「とにかく、ギルドで救助隊の心構えを叩き込まれたのち、『探索者』としてこの世界の災害の元凶を探り続けている者。手がかりの一つであるどす黒い炎を研究しているうちに貴様の緋色の炎にたどり着き、共についていくことでその二つの炎の正体を突き止めること。これが我々の素性と目的だ。さて、私の壮大な『作り話』は楽しんでもらえたかな?」
先程のリュウの言葉を引用した上で、暗に「信じるかどうかはお前次第」というニュアンスを含んだ、皮肉を込めた締め方。今までの話が虚偽にせよ真実にせよ、リュウの心には引っかかるものがあった。
仮に嘘だったとして、では何故こんなにも過度にリュウを助けようとするのか。他に目的があるのならわざわざそれを隠してまであんな回りくどく説明する必要なんてないし、実は善良な一般ポケモンでただ純朴な善意でボディーガードをやっているなんて、彼らの性格とやり取りを見ても到底信じることなんてできない。
とはいえこの話がすべて真実であっても、頭から鵜呑みにすることはできなかった。話の大半はエルリオによる仮説のため、決定的と呼べる証拠は何もない。彼らの経歴に限っては、それこそOBと言われている「FLB」からでも確認が取れれば話は別なのだが。
まるで本当にそこにあるようで、しかしながらつかみどころのない、場違いな蜃気楼のような物語。リュウはそこに捕らわれたまま、結局その日は寝付くことができなかった。
あれから数日。いまだにリュウの中で二人のことを信じていいのか分からないままでいた。だからこそ、この旅路の中で二人が信頼に足るべきかどうかを観察してみようと思ったものの、何日経っても同じ振る舞いややり取りが続くだけで全く進展がない。
「リッくぅん、何ぼーっとしてるのぉ?」
目の前で何かがヒラヒラしている。ハルジオンの翼だった。
「別に、何でもないよ」
「そうお?ならいいけどぉ。もうめちゃくちゃ冷え込んできたからねぇ。頭がキーンってなってきちゃったよぉ」
「ほう。貴様の頭は空っぽだと思っていたが、痛みを感じる程度の神経は通っているということか」
「むぐーぅ!酷いよぉ!」
またしょうもないコントが繰り広げられている。寒くなくても頭が痛くなりそうだ。
――否。本当に、頭が痛くなってきた。
「っ?ぐ、……っう!」
誰かに殴られたような痛みが、突如としてリュウの頭に襲いかかってきたのだ。両手で頭を抱えて何とか抑えようとしたのだが、それどころか痛みはますます増してくる。ついに耐え切れなくなり、リュウは仰向けに倒れそうになった。
「え、ちょ、ちょっとぉ!どうしたのぉ?」
ハルジオンが翼を伸ばしてリュウを抱きとめたのだが、悲鳴を上げて突然離してしまったのだ。何をしていると叫んでエルリオが受け止めるが、その時やっと彼が離してしまった理由が分かった。
リュウの身体が、燃えるように熱くなっていたのだ。炎タイプはもともと体温が高いのだが、この熱さは異常だ。焼けるような熱に耐えながら、エルリオはまずリュウを近場の樹氷の根元にもたれかけさせ、上から自身が使っていたローブを毛布代わりにかけようとした――その時、
「なっ!」
突然発せられた光に目を射抜かれ、くわえていたローブを取り落してしまった。
リュウの左足につけてあるアンクレットが、小さくも強い緋色の光を発し始めたのだ。何かを伝える、否叫ぶように。しかしその無言のメッセージは、ハルジオンはおろかエルリオでさえも読み取ることはできなかった。ただ目の前で起こっている出来事に狼狽え、顔を見合わせるばかりで。