第三十四話 豪雪乱吹く氷の使姫
「うおうわうわわあああっ!」
これまでの生涯でおそらく最高に甲高い絶叫を上げて、リュウは後ろに飛びのいた。が、今度は背後にあった壁のようなものに強か背中をぶつけ、結局雪原に大の字を作る羽目になった。今まで粉雪が降っていたからか、冷たくて柔らかい感触が顔にまとわりつく。
「あれあれあれごめんねぇ!流石に上からコンニチワはびっくりさせちゃうかぁ」
顔にびっしりついた雪を払っていると、背後から声がした。恐る恐る振り向いた途端、またぞろどでかい顔と鉢合わせ。今度はリュウのみならず相手も驚いたのか叫び声を上げて同時に尻餅をついた。相当重量があるのか、ズシンという重い音とともに雪煙が朦々と上がる。
雪煙が晴れた先で目を回していたのは、体長が二メートルほどありそうな巨大な首長竜だった。どうやら背後から首だけを伸ばして、リュウの顔を覗き込んでいたらしい。褐色の肌を持ち、首周りには大きな葉っぱのようなものが折り重なるようにして巻かれている。頭部と側面を覆うように緑色のプロテクターがついているが、何より目を引くのは顎から生えているバナナのような物体と、背中から生えているヤシの葉に似た大きな四枚の羽だった。
「南国風……首長竜……?」
この雪原に最も不釣り合いな容姿を呆然として眺めていると、突然首長竜が跳ね起き血相を変えてずいずいと迫ってきた。
「ちょっとちょっとちょっとぉ!首長竜なんてごっつい名前で呼ばないでよぉ!僕にはトロピウスっていうれっきとした種族名があるのぉ!ついでに名前はハルジオンっていうのぉ!よろしくねぇ!」
「は、はぁ……」
怒りながら自己紹介されて怒りながら握手を求めてきた。そういえばすっかり忘れていたが、この世界のヒトを動物の名前で呼んではいけないんだっけ。しかしこの豪雪地帯に南国風の見た目でしかも名前が「ハルジオン」なんて、なんだか今の季節が何なのかわからなくなってきた。
とにかく、見た目と言動も相まって一番関わってはいけなさそうなヒトだ。手の代わりなのか握手がてらに差し出された翼を無視して、リュウはこの場を後にした。……のだが、
「ねぇねぇねぇキミキミぃ、こんな寒いところで何してるのぉ?散歩?散歩?」
先程の首長竜……じゃなかった、ハルジオンが背後を跳ねまわりながら話しかけてくる。恐らくこの世で最も面倒臭い類のヒトに出会ってしまった運命を心底呪いたくなってきた。ただでさえ今はヒトと関わりたくないのに。
「僕はねぇ、ヒト探しをしてるのぉ!この場所ってヒトすらなかなかいないから結構骨が折れるんだよぉ!」
このヒトが話しかけているのはリュウ――でいいのだろうか。こっちは質問にも答えていなければ何も訊いていないのだが。
「そのヒトはねぇ、すごく真っ赤な目をしたワカシャモでぇ」
「……」
「あと足に真っ赤な宝石がついたすごく綺麗なリングをつけててぇ」
「……」
「あ、あとねぇ、真っ赤なマフラーもしてるのぉ!いいよねぇ、暖かそうでぇ!」
「……」
「あれぇ、そういえば君……」
「……」
「そのヒトにすっごく似てるねぇ!偶然ってすごいよねぇ!」
ここまでくるとわざとではないかと思うほどなのだが、このヒト本当に分かっていないのか?
この間にもリュウは半ば全力疾走に近い早歩きでこの場から離れようとしていたのだが、ハルジオンの方も図体の割になかなかすばしっこく、ぴったりとリュウの後についてきていた。
「それでねぇ、そのヒトを探してたらいつの間にか森の奥まで辿り着いちゃってぇ」
気のせいか、背後から風を切るような音が聞こえてくる。
「――フリーザーを怒らせちゃって、慌ててここに逃げてきたのぉ」
次の瞬間、頭からすっぽりと包むかのように大寒波が襲ってきた。初めてこの森を訪れた時と同じように辺り一面が白一色に塗りつぶされ、傍らにいたハルジオンの大袈裟な絶叫も雪風に乗ってかき消される。
「やはりまだ生きていたか、緋色の目の侵入者よ」
それに対し、今しがた聞こえた声は突風に吹き飛ばされることなくしっかりと辺りに響き渡った。主の到来を察知したのか、本格的に暴れようとした雪風がぴたりとその手を止めて静まり返る。リュウは頭上を振り仰いだ。
ほとんど羽ばたくこともなく、フリーザーがゆっくりと舞い降りてくる。雪を呼び寄せているおかげで空は分厚い黒雲に覆われているはずなのに、頭の飾りや全身の青い体毛は光を反射して青白く輝いていた。余程侵入者に対して敵意をむき出しにしているのか、赤い瞳ですら氷よりも冷たく感じられる。
「そしてそこのトロピウスも……そこまでしてこの地の樹氷の一員となりたいか」
「ちょっとちょっと待ってよぉ!確かに黙ってこの森に入ったのは僕らが悪いけどさぁ、特に悪さなんてしてないし殺すことはないんじゃないのぉ?」
「僕ら」とひとくくりにされるのは少々心外だが、形はどうあれリュウだって侵入者だ。確かにハルジオンと似た意見を持っていた。
「この『樹氷の森』――ひいては『空虚の地』は、我が冷気で閉ざすことによって外部よりの侵入を拒んできた。しかしごく最近になって、この森の気温が急激に上昇し始めたのだ」
「じ、上昇?」
僕すっごく寒いんだけどなぁ――と、翼で頭や身体に降り積もった雪を払いながら呟くハルジオン。
「今までに解けたことのない雪が解け始めている。これは本来ありえないこと。そして招かざる客であるお前達が現れた。無関係とは言い難い」
「えぇ?そんなのたまたまじゃないかぁ!確かにちょっと暖かくなってほしいなぁとは思ったけど、いくら僕でもこの森全体の雪を解かすことなんて……」
「――待て!」
タイミングを見計らって、リュウが声を張り上げる。先程まで舌戦を繰り広げていた二人が、同時にこちらに注目した。
「この森の雪が解け始めたのは部外者であるオレ達が侵入したから。そういうことだな?」
「違うとでも言うつもりか?緋き目のワカシャモよ」
「いいや。半分、正解だ」
リュウの返答に、案の定驚いたハルジオンが突然前に躍り出た。
「ちょっとちょっとちょっと君ぃ!半分正解ってどーゆーことぉ?まさか侵入者の件ぜーんぶ僕のせいにするつもり……ぎゃん!」
食って掛かってくるハルジオンを黙らせるためにその横っ腹に蹴りを一発。あまりに不意だったのか二、三度たたらを踏んで横倒しに倒れてしまった。
「この地を任されてるっていうアンタなら知ってるだろ?千年前、キュウコンの祟りを受けたパートナーを見捨てたために、ポケモンに転生すると予言された人間のことを。その転生がきっかけで、この世界に災いが降りかかるということも」
フリーザーはつと目を見開いたが、すぐに元の無表情に戻った。どうやら、知らないわけではなさそうだ。
「……その人間が、ワカシャモ。お前だというのか」
「少なくとも、オレはかつて人間だった。人間だった頃の記憶は失ってるけど、この世界で人間からポケモンになった奴なんてオレくらいしかいない。現に今、オレは自然災害の元凶とみなされて全世界の救助隊に追われてるんだ」
こうして話している間にも、心の奥底にいるもう一人の自分が「違う、オレは元凶なんかじゃない」と叫び続けているが、必死に心ごと押し殺していた。これも世界を救うためなんだ。脳内をそんな言葉で満たし続ける。
「アンタが今ここでオレを殺せば、森の気温上昇は止まる。それどころか、世界の至る所で起こっている災害もなくなるんだ。このトロピウスは関係ない!オレさえ倒せば、この世界は平和になるんだ!」
本当は、そうでないことを願ってこの旅を続けていた。しかし、すでに多くの救助隊を傷つけてしまっている以上、自分が死ぬという恐怖よりもこれ以上犠牲を出したくないという意思が勝っていた。本当に災害の元凶で、もっと多くのポケモン達を傷つけているのなら、そんなことを願う資格すらないのかもしれないけれど。
「本当にポケモンになり果てた人間がいたとはな……確かにその潔さは称賛に値しよう」
ややあって、フリーザーが口を開く。言葉とは裏腹に驚きも褒めの欠片もないほどその表情は凍りついていた。
「しかし、些か勘違いをしているようだ」
「え?」
「本来この地に、外界の者は足を踏み入れてはならない。その理を乱しただけでも万死に値する大罪なのだ。確かに貴様は自然災害の元凶だろう。だが、それだけではそこのトロピウスが罪を逃れていい理由になどならぬ!」
「な……そんな!」
どうやらフリーザーにとっては、森の異変よりも侵入者への断罪の方が優先事項らしい。なんとか抗議しようとしたが、そんなリュウの口を再び吹雪が塞いだ。
「その潔さに免じて、貴様から再び氷獄に封じてやろう。“れいとうビーム”!」
吹き荒れる吹雪の隙間。フリーザーの口から、青白い光線が放たれる。あまりにも突然のことで、もともと避けるつもりはなかったはずなのに、リュウは呆然と立ち尽くすしかなかった。
その時、体が真上に持っていかれる感覚がした。
「あらよっとぉ!」
何か固いものの上に落ちたと思った瞬間、さらに急上昇を始めた。
リュウはハルジオンの上に乗っていた。ヤシの葉に似た四枚の翼を器用に動かしながらこの猛吹雪の中でも平然と飛び続け、フリーザーが放つ光線を縦横無尽にかわしている。あまりにも縦横無尽すぎて何度か振り落とされそうになり、リュウは必死で首元にしがみついていた。
「やぁやぁやぁ、危なかったねぇ!もう少しでまた氷の像になっちゃうとこだったよねぇ」
「え?あぁ、うん……」
そんなこちらの状況などつゆ知らず、ハルジオンが嫌に眩しい笑顔をこちらに向けてくる。「また」という言葉が少し引っかかったが、身体のすぐ横を“れいとうビーム”が掠め、外の寒さとは別の意味でヒヤリとした。ハルジオンが翼を一振りしてさらにフリーザーから距離をとる。
「しっかしまぁ、あのフリーザーも頑固だよねぇ。こっちの言い分すらまともに聞いてくれないしぃ」
「あ、あの。さっきは」
「僕を蹴っ飛ばしたことぉ?確かにちょっと痛かったけど許してあげるよぉ。だって僕を助けようとしてくれたんでしょぉ?」
「いや、なんというか……」
正直助けるのは二の次だったのだが、結果的にそうなってしまったのなら仕方がない……のか?
「ていうか、なんで助けたんだよ?さっきも言ったけど、オレは」
「自然災害の元凶、だっけぇ?なんかよくわかんないけどぉ、助けてもらったら恩返しするのが礼儀だからねぇ」
「そ、そりゃそうだけどさ」
「それに君、なんか妙に死にたがってるみたいだしぃ……そうだぁ!」
ハルジオンが何か思いついたようだが、またしてもフリーザーの“れいとうビーム”が襲いかかる。吹雪に閉ざされてお互いの姿は見えないはずなのに、フリーザーの狙いはやけに正確だし、ハルジオンの方もまるで発射のタイミングが見えているかのように平然と避けていた。
「じゃあ君ぃ、僕を守ってよぉ!」
「は?」
「僕を死なせたくないんでしょぉ?でもこのまま君が死んじゃったら僕もフリーザーにやられてお陀仏だもんねぇ。僕を助けたかったらまずこの状況をなんとかしなきゃ、でしょぉ?」
「でしょって、オレに同意を求めるな!」
「大丈夫大丈夫!僕も協力するからさぁ。相手は伝説の三神鳥だけど、二人で戦えばなんとかなるっしょぉ!これってアレだよねぇ、『うんめぇきょぉどぉたい』ってやつぅ?」
運命共同体って、こういう騒がしい輩とは一番なりたくない類だ。
こうなってしまってはもう、自分の意思を通すのは不可能に近いだろう。不本意だけど、今はハルジオンを死なせないためにもこの場を切り抜けなくては。リュウは片手でハルジオンの首をつかみ、中腰になって様子を窺った。
相変わらず辺りは吹雪に支配されているが、フリーザーが光線を放つ度一点が青白く光るので、相手がどこにいるのかは大体予測することができた。ハルジオンはフリーザーから一定の距離を保ちながら、機関銃のように打ち出される“れいとうビーム”を回避し続けている。掠めただけで凍えるほどの寒気が走ったのだ。直撃したら凍結は免れないだろう。
一発の光線を大きく飛び上がってかわしたところで、リュウは身を乗り出して“ほのおのうず”を放った。先の神鳥二体と違い、フリーザーは氷タイプ。炎技なら弱点を突くことができる。
「無駄だ」
そんなリュウの思惑を先読みしたかのように、フリーザーはその巨大な片翼を払うように一振りした。
それだけで竜巻レベルの突風が巻き起こり、先程まで横殴りだった吹雪までもが流れを変えてこちらへ迫ってきた。ハルジオン自身は大きく旋回することで突風から逃れることができたものの、リュウの放った“ほのおのうず”は吹雪になすすべもなくはじき返され、赤い紙吹雪のようにはらはらと散っていった。
「貴様の炎など、灯よりも弱い。我が氷風に叶うこと能わず」
似たような言葉をつい最近聞いたような気がして、リュウは歯噛みした。
風に煽られただけで打ち消されているのだから、今の炎が普段より格段に弱いことはリュウ自身も自覚していた。しかし、原因が全く分からない。“ひのこ”に次ぐ新たな主力技として、「群青の洞窟」や「シラヌイ村」であれほど猛威を振るっていたのに。
今はそんなことしている場合ではないはずなのに思案に耽っていると、突然左右から緑色の光が差し込んできた。見ると、ハルジオンの持つ四枚の羽の内前方の二枚が翡翠のような光を放っている。残る後ろ羽も使って器用にホバリングしながら、ハルジオンの目はしっかりとフリーザーを見据えていた。
「じゃあじゃあじゃあ、僕の技は吹き飛ばせるかなぁ?いっくよぉ、“マジカルリーフ”!」
リュウとは対をなすように元気一杯のハルジオンが、光り輝く一対の翼から無数の光弾をばら撒いた。回転しながらゆらゆら宙を舞うそれはどうやら形状は葉っぱのようで、無数の葉を飛ばして相手を切り刻む“はっぱカッター”を思い起こさせる。重力に逆らって無機質に揺れていた葉の弾幕達だが、ハルジオンの大きな翼の一振りに応じて一声にフリーザーへと降り注いだ。
フリーザーは両の翼をクロスさせると、再び込めていた力を解き放つように勢いよく翼を広げた。間もなくそこから今度は正真正銘の“ふぶき”が巻き起こる。雪風に包まれた葉の弾幕は余すことなく端から凍りつき、支えを失ったかのように次々と落ちていった。
「炎は効かぬと知っておきながら草の技を放つとは、つくづく愚かだな」
「そうそうそう!僕よく言われるんだよねぇ、『ぐもー』とか『あほー』とか。照れちゃうよねぇ!」
「……馬鹿にされてんだけど」
「ありゃりゃりゃ、そうなのぉ?」
リュウが指摘しても怒る気配などない。どうやらこの南国首長竜にちょっとやそっとの皮肉や侮辱など効果はないみたいだ。
「まぁでもねぇ。確かに氷タイプのポケモンに草技は今一つだけどぉ、僕の“マジカルリーフ”は念力を込めた葉っぱだからぁ――」
ハルジオンがそこでいったん言葉を切ると、まるでそれを待っていたかのように凍てついた葉っぱ達に変化が訪れた。氷塊に閉ざされて死んだように静まり返っていた葉に、あの翡翠色の光が宿り始める。氷の呪縛に捕らわれていても必死でもがくように、一斉にカタカタと揺らぎ始める。
「――そう簡単には死なないんだよねぇ」
氷を纏った状態のまま、“マジカルリーフ”はリベンジと言わんばかりにフリーザーに向けて飛びかかった。これには相手も予想外だったのか、防御の姿勢をとる間もなくほぼ全て被弾し大きく体勢を崩す。「炎よりも効くはずがない」と向こうも言っていた草技であるはずなのだが、かなりのダメージを受けているようだ。
「君が“ふぶき”で凍らせてくれたおかげでほぼ氷技になったようなもんだからねぇ。普通に叩き込むよりも結構痛いもんでしょぉ?ねぇねぇねぇ、どうなのどうなのぉ?」
「小癪な……!」
「悪いけどまだまだまだ終わらないよぉ。それそれ次次次ぃ!」
言動は天真爛漫ながらも意外と容赦がない。無造作にばら撒かれる“マジカルリーフ”に、今度は眼前に巨大な雪の結晶のような氷壁を展開させて防御を試みるフリーザー。氷壁に触れた葉弾はまたもひとつ残らず凍りついたが、それでも勢いは衰えることなく、まるで意思を持っているかのように氷壁から離れ、回り込むような形でフリーザーに襲いかかった。念力を込めた葉なので多少の軌道変化なら使用者の意のままに操ることができるのだそうだ。
というか、正直これならオレって必要ないんじゃないか?ハルジオンの首にしがみついて様子を窺いながら、リュウはそんなことを考えていた。「守って」とは半ば強引に言われたが、これではどう見ても立場が逆転している。形勢もどちらかというとこちらの方が優位だし、やっぱりオレが生かされている意味なんて――
「ねぇねぇねぇ君ぃ、いつまでも突っ立ってないで火とか吹いてよぉ」
リュウの心情を察したか否かは定かではないが、ハルジオンが首をよじって声をかけてきた。
「なんだよ、いきなり」
「なんだよって、さっきも言ったでしょぉ。僕を守ってって、白馬の王子様みたいにぃ」
「(余計すぎる言葉が付け加えられてる気がする……)守るも何も、今どう見たってアンタの独壇場じゃないか。このまま“マジカルリーフ”で攻撃し続けてれば勝てそうだし」
「うーん、分かってないなぁ」
ハルジオンは指の代わりに翼の先端をチッチッチッ、と振った。こんなおちゃらけた奴には一番取られたくないアクションである。
「あのフリーザーの身体、よく見てみてよぉ」
いったん“マジカルリーフ”による攻撃を中断して、ハルジオンは翼の一振りでフリーザーに接近した。ぼんやりとしてしか見えなかったその姿が、みるみるうちに膨らんで細部までも映し出す。やがてはっきりと認識できるところまで来た瞬間、リュウは驚愕した。
フリーザーの身体に、傷など一つもついていなかったのだ。遠目ながらも今まで見ていた限りでは、ハルジオンの技を受けて怯んだり仰け反ったりと確かにダメージを受けている様子だった。あれで演技だなんて言ったら役者顔負けだ。
しかし、接近後にハルジオンが“マジカルリーフ”を繰り出したところでようやくそのタネが分かった。凍結した妖葉が相手の身を切り裂き、穿ち、傷をつける。だがその傷を周囲で吹き荒れる雪風が撫でた瞬間、溶けるように消えてなくなってしまったのだ。他の葉達がつけた傷も例外ではない。最初からなかったかのように瞬く間に回復していく。
「この雪、フリーザーの栄養みたいなものなんだよねぇ。ちまちました攻撃じゃ、あんな感じですぐ回復されちゃうんだよぉ」
「そんな……!」
「だから君が必要なんだよねぇ。どでかい炎技ならあいつに回復の隙を与えないで倒すことができるんだもん。この場で炎が使えるのは見たところ君しかいないんだしぃ、ほらほらほら、早く炎吐いて吐いてぇ!」
背中にヒトを乗せているというのにハルジオンが体ごと揺らして促してきた。
よくもまぁ簡単に言ってくれる。振り落とされないように首元にしがみつきながら、リュウは心の中で悪態をついた。ついさっき風に煽られて無様に消えていく炎を見たばかりじゃないか。こんな様でどうやってあのフリーザーを一撃で倒せというのだ。
「うーん、しょうがないねぇ」
なかなか攻撃に踏み出さないリュウに痺れを切らせたのか、徐にハルジオンはふわりと上昇した。
「こんな寒い場所じゃ頭も回らないからねぇ。ちょっと体温めてリフレッシュしよっかぁ!」
「は、リフレッシュ?」
「ちょっとだけ下向いててよぉ、目がチカチカしちゃうからねぇ。それぇっ!」
突然ハルジオンが何かを希うように天を仰いだので、リュウは慌てて顔を伏せた。
すると、周囲が雪よりも白く照らされ、後頭部に焼けるような暑さが襲ってきた。目に光が入らないように片手で目頭をかざし、辺りを見回してみる。
先程から雪が吹きつけてこないと思ったら、どうやらリュウとハルジオンの真上からスポットライトのような光が差し込み、それが雪を遮断しているようだった。何より今までの寒さが嘘であるかのような熱気に包まれ、気づけば雪で湿っていたリュウのマフラーも乾いている。
「は、晴れてる……?」
信じがたいが、この豪雪の中リュウたちのいる地点だけ真夏日に違わぬ快晴となっているのだ。リュウが現状を半ば理解したことを褒めているのか、ハルジオンが前方の翼で器用にパチパチと拍手をしている。
「正解正解大正解ぃ!僕達のいる場所だけ“にほんばれ”で陽射しを強くしたんだよぉ!」
「“にほんばれ”……」
「やっぱり暖かいところの方が元気出るからねぇ。おまけに陽射しが強いと炎技の威力が上がるしぃ!」
そうだ。ポケモンの技の幾つかは天気によって威力や命中精度などが上がると聞いたことがある。中でも炎天下の中では炎技の威力が上がるという。リュウも実際経験するのは初めてだが、確かにこの乾燥した空間は炎の威力を強めてくれそうだ。これなら……
「くだらぬ雑談もそこまでだ、侵入者よ!」
いざ反撃に出ようというところで、先手を打ってきたのはフリーザーだった。またも驟雨のような“れいとうビーム”が放たれるが、ハルジオンは慌てることなく急旋回してこれらをかわした。のだが、
「あれっ?」
旋回から体勢を立て直した途端、またしても二人に吹雪が襲いかかってきた。温かなところに慣れた肌に強烈な冷気が余計に突き刺さる。身震いしながら先程まで自分たちがいた場所を確認すると、黒雲にぽっかりと空いた穴から差し込むスポットライトが、ちょうど弱々しく糸を引いて消えていくところだった。
「そういえばぁ、僕“にほんばれ”覚えたてほやほやだからまだうまくコントロールできないんだよねぇ」
「先に言えよそれを!」
なんだか下手な漫才コンビのような関係になっている気がして幾分悲しい。
本来の“にほんばれ”はバトルフィールド全体を日差しが強い状態にし、自分にも相手にも影響を及ぼす技である。しかしハルジオン曰く「覚えたてほやほや」の状態では、発動時自分が立っている場所にのみ陽射しが強くなり、しかも数分で効果が切れてしまうとのことだった。本当にリフレッシュ程度にしかならなかったようである。
フリーザーを倒す手段は、陽射しで強化されたリュウの炎技を使う以外にない。しかしあんなスポットライトのような日差しでは、吹きつける雪風を凌いで暖をとるのがせいぜいだろう。
「ハルジオン、ちょっといいか?」
「んー?なになになぁに?」
声の調子は相変わらずだが、そろそろ彼も寒さが身に堪えてきているのだろう。羽ばたきや反応がだいぶ鈍くなってきている。
リュウは慎重に立ち上がると、今思いついた作戦をハルジオンに耳打ちした。もちろんその間フリーザーが待っているわけでもなく、“れいとうビーム”や“ふぶき”でこちらを妨害してくる。かわすことにも神経を使わねばならず吹雪の轟音で耳打ちすらままならないが、敵に悟られない範囲で要点だけ手短に伝えると、おめでたい頭のハルジオンでも何とか理解できたようだ。
「なるほどねぇ、確かにそれならフリーザーを倒せるかもしれないねぇ」
でも――と、続けようとしたようだが、その足元を“れいとうビーム”が切り裂いた。
「あらよっとぉ。でもでもでも、その作戦かなり危険だよねぇ。僕は空飛べるから逃げられるけど、ヘタしたら君、また氷漬けだよぉ?」
「アンタが死なないなら、それでいい」
「ふぅん。さっきも言ったけど、よっぽどの死にたがり屋さんだねぇ」
「……それもあるけど」
ハルジオンの言葉は皮肉ともとれるが、リュウは否定しなかった。もとより死なんて覚悟していたし、何より、
「これ以上、オレのせいで誰かを死なせたくないんだ」
それが本心だった。
ハルジオンは他にも何か言いたげな顔をしていたが、それどころではないということは本人にもわかっているようだ。
「まぁいいや。それじゃあ、頑張って僕を守ってねぇ!」
二、三度羽ばたいて高度を上げると、ハルジオンはフリーザーに向けて一気に急降下を始めた。
「!何をするつもりだ……?」
これまで回避一方だった相手がいきなり突進してきたことは、フリーザーにとっても予想外だったようだ。“れいとうビーム”で撃ち落とそうとしても、相変わらずギリギリのところでかわされてしまう。瞬く間に距離を詰められたと思いきや、ハルジオンは突然フリーザーの真上へと進路を変えた。
「いくよぉっ、“にほんばれ”!」
頭上をとられ、剰え槍のように鋭い日差しがフリーザーの目を射抜いた。ハルジオンの姿を捉えようにも、日光に目がくらんでシルエットでしか確認できない。受けた傷を癒していた吹雪もすっかり溶けてなくなってしまっている。
「貴様、何の真似だ?」
「あのワカシャモくんがね、君にも日差しをプレゼントした方がいいっていうからねぇ」
「……おのれ……!」
減らず口ごと凍てつかせようと振り仰ぐフリーザーに、慌てることなくハルジオンは忠告した。
「ちょっとちょっとちょっとぉ。僕に釘付けになるのは構わないんだけどさぁ、飛行ポケモンたるもの足元もちゃんと見た方がいいよぉ」
「なっ!」
促されて足元に目をやった時には、もうすでに手遅れだった。
遥か真下では、先程までハルジオンの背に乗っていたリュウがいつの間にか大地に降り立ち、技を繰り出す一歩手前のところまで来ていた。強い日差しの恩恵を受けて炎技が強化されたことを示すかのように、鶏冠が日の光のような黄金の輝きを放っている。
大技が来る前に先手を取らんとフリーザーが“れいとうビーム”を放つが、いかな伝説のポケモンといえど少なからず動揺したのだろう。光線の軌道がずれ、リュウの真正面二十センチメートルあたりのところで着弾した。余波の冷気が最後の悪あがきのように襲いかかってくるが、炎天下の中では少しだけひんやりとした感覚を与えるだけに過ぎなかった。
「今度はこっちの番だ!」
相手が技を出した直後の隙をついて、今度はリュウが真上の標的に向けて炎を繰り出した。やはり日差しの影響で、今まで吐いていたどの炎よりも質量や威力が増している。
フリーザーは“ふぶき”で炎ごとリュウを弾き飛ばそうとしたようだが、リュウの炎はまるで意思を持ったかのように軌道を変え、大蛇が蜷局を巻くかのごとくフリーザーを包み込み始めた。炎が空気を焦がす音に紛れてフリーザーの苦鳴が響き渡る。“ほのおのうず”は相手を焼き焦がすだけでなく、その渦に相手を閉じ込めてさらにダメージを与えるという追加効果がある。“にほんばれ”によって周りで吹き荒れる雪が遮断され、加えて“ほのおのうず”自体の威力が格段に上がった今なら、まさに先程ハルジオンが言った「回復の隙を与えずに大ダメージを与える」ことができるのだ。
「おのれ……侵入者!よくも……よく……も……」
火だるまと化したフリーザーが力なく墜落していく。その恨みに満ちた声を、リュウは無理やり炎の轟音に紛れさせて耳に入れないようにした。
森の主が力尽きたことで、辺りを支配していた雪はすっかり止んでしまった。かてて加えて空を覆っていた黒雲が少し薄れたのか、雲の切れ間から次々と日の光が差し込んでくる。光を受けて燦然と輝く樹氷達は、まるで厳しい戦いを乗り越えたリュウ達を祝福しているかのようだったが、その祝福を受け入れることはリュウには到底できなかった。
「やぁやぁやぁ、君すごいねぇ!」
突然ハルジオンの巨大な図体が目の前に出てきたと思った途端、翼で両肩をがっしりと捕まれガクガク揺さぶられた。
「な、ななな、なにするんだよ!」
「ほんとにフリーザーを倒しちゃうなんて!覚えたてほやほやの“にほんばれ”をあんなふうに使うなんて、僕でも思いつかなかったよ!」
「はぁ……(そりゃ、アンタじゃ到底思いつかないだろうな)」
前後にシェイキングされた頭を元に戻しながら、心の中で皮肉っておいた。
ハルジオンの“にほんばれ”の範囲が発動者のいる場所限定だと分かった時点で、フリーザーのいる地点へ“にほんばれ”を発動させるという作戦は思いついていた。しかしその作戦を実行させるためには、ハルジオンもリュウもフリーザーのすぐ近くまで接近しなければならない。ハルジオンは図体に似合わぬ瞬発力があるのでまだいいが、ひとたびリュウが狙われてしまっては地面を走って逃げているうちに狙い撃ちされ、またしても凍結されて果てていたことだろう。わざとハルジオンを注目させ、さらに強い日差しで目くらましさせることで極力リュウへの注意をそらすようにしたのだった。
「まぁ、アンタの“にほんばれ”があったからこの作戦が成功したんだ。礼を言うよ」
囮になってもらったのを悟られないように半分本心半分形だけの礼を述べた。案の定ハルジオンはお礼を言われて大層喜んでいるようである。
「そうだよねぇ!僕もこの寒い中頑張ったかいがあったってもんだよぉ!
……ねぇ、エル?」
ハルジオンの視線が少しだけずれ、リュウははっと息をのんで振り向いた。
その視線の先に佇んでいたのは、あの時リュウを助けてくれたアブソル、エルリオだったのだ。ローブを纏っているか否かの違いはあれど、腰を下ろしてまっすぐにリュウを見つめるその姿は出会った時と相違ない。素早くあれこれ推察して、リュウはエルリオとも、ハルジオンとも距離をとる。
「なるほどね、仲間だったんだ……アンタ達」
「ちょっとちょっとちょっとぉ、そんなに敵意むき出しにすることないじゃないのぉ?僕等はただ……」
「……やめろ、ハル」
エルリオに諌められ、ハルジオンはしぶしぶ引き下がった。愛称で呼び合っているあたり、どうやら仲間ということで間違いないだろう。
「先刻の戦い、見せてもらった。……なかなか見事だったぞ、リュウ」
「そりゃどうも。で、改めて聞くけどなんで二人してオレを助けようとするんだ?自然災害の元凶かもしれない、オレを」
「あれ?リュウ?それに自然災害の元凶って……」
問いかけている対象はエルリオの方なのに、なぜか勝手にハルジオンが割って入ってくる。
「あー!よく見たら君、エルの言ってた現在絶賛指名手配中のリュウって子にそっくりだぁ!ってことはつまり……ぶへぇっ!」
今頃気づいたハルジオンの横っ面を、突然エルリオが前足でひっぱたいた。恐らく黙らせるための制裁なのだろうが、この二人、仲間なんだよな?
顔を翼で押さえて呻いているハルジオンを尻目に、ややあってエルリオが口を開いた。
「お前に興味を持ったからだ」
「は?」
「貴様の持つ戦闘能力。元人間というその経歴。他のポケモンにはそうそうないものだ。私はそんな貴様を知りたい。この世界の理を探る者としてな」
さっきは「目の前で死にかけている者を見捨てられるほど薄情ではない」とか何とか言っていたような気がするが、どうやらこちらの方が本音のようだ。
「……だから、助けたっていうのかよ?」
「そうだ。研究対象に死なれてもらっては困るからな」
研究対象、ねぇ……
「アンタたちの目的に興味はないけど、この命はオレのものなんだ。ただでさえほぼ全世界のポケモンを敵に回してるってのに、他人の都合で生かされるなんてたまったもんじゃない」
「ちょっとちょっとちょっとぉ、そういう言い方はないんじゃないのぉ?僕らはただ君を助けたいだけだし、あわよくばこのままふぎゃん!」
またしても割って入ろうとするハルジオンの横っ腹を、突然エルリオが後ろ足で蹴り飛ばした。恐らくこれ以上会話に参加させないための制裁なのだろうが、この二人、本当に仲間なんだよな?
「確かにお前の命を狙うのはこの世界の救助隊に課せられた使命であり、そんなお前を助けたのは我々のエゴによるものだ。貴様の命をどう扱うかは、結局は貴様の自由」
ただし、と素早くつなげて、リュウの反論の隙を与えなかった。
「こう見えて私は執念深いものでな。一度見つけた研究対象をそうやすやすと手放すつもりはない。貴様の身に災いが降りかかるのであれば、どんな手を使ってでも救い出してみせよう。貴様の命を奪おうとする輩が現れるのなら、一人残らず殲滅させてやろう。そして」
次の瞬間、リュウの両腕に強烈な風圧がほとばしった。
恐る恐る左腕に目を落とすと、リュウの左手足元の地面にえぐったような大穴が開いていた。右手足元の方も同じ大穴ができている。エルリオの周囲で踊るつむじ風を見てようやく思い出した。あの時洞穴で見せた突風と同じ風の刃だ。
「貴様がその手で自らの命を絶とうとするならば、その腕を切り落としてでもその命を守ろう」
言っていることと反面、その声色は明確な脅しの意味を持っていた。
つまりこのアブソルは、何が何でもリュウを死なせまいとしているのだ。外的要因から守るだけではない、逃避行に倦んでリュウがどれだけ死を願っても、あらゆる手段を使ってそれを止めるというのだ。しかもそれは純朴な善意ではなく、リュウを研究したいという自分の欲望のため。正気の沙汰以前に狂っているとしか言いようがない。
「まぁまぁまぁ、エルったらまた難しいこと言ってるけどさぁ、早い話が君をとことん守ってあげるっていうことなんだよぉ!」
いつの間にか二度の制裁を食らったにもかかわらずハルジオンが復活しており、前方の翼でリュウをひょいと持ち上げると、そのまま自身の背へと放り投げて乗せた。あまりにも唐突すぎて危うく舌を噛むところだった。
「君まだこの『空虚の地』に来て日が浅いんでしょぉ?救助隊に狙われてる上にこの先何が待ち受けてるか分かんないなら、ボディーガードの一人や二人はつけといた方がいいと思うんだよねぇ」
「ボ、ボディーガードって、そんなのオレには必要ない!」
「そゆこと言わない言わない!こう見えて僕もエルも腕には自信あるからねぇ。しかも今なら特別サービスでタダで君のことを守ってあげるよぉ!」
「タダとかそういう問題じゃなくて、オレは……!」
「はぁいそれでは早速先行ってみよぉ!『空虚の地』は僕達も初めての場所だけど、君の過去とかいろいろ見つかるといいねぇ!」
半ばというか完全に強引という形で、リュウを乗せたままハルジオンは颯爽と飛び立っていった。飛行中も変わらずリュウの怒声とハルジオンの調子のいい声が飛び交っていたが、それも遥か彼方に聳え立つ雪山の彼方へと吸い込まれていった。
ハルジオン達の姿が見えなくなった後、ずっと座り込んでいたエルリオはようやく腰を上げた。はたから見れば置いてけぼりという風に見えるが、今から追いかけても十分すぎるほど間に合う。
それよりも。エルリオは徐に踵を返すと、背後で倒れているフリーザーに近づいていった。リュウの“ほのおのうず”によってその青く美しい体毛はすっかり焼け焦げてしまっているが、か細いながらも息はある。気絶しているだけのようだ。
エルリオはその一メートル手前で立ち止まると、フリーザーの顔をじっと眺め始めた。フリーザー自身を見ているのではない。その存在のもっともっと奥の方――目に見えぬものを見極めるかのように、神経を鋭く研ぎ澄ませながら。
「む……!」
そして、見えた。
フリーザーの頭部の飾り。そこから湧き上がって這いずるように、どす黒い炎が躍り出たのだ。リュウを追っていく先々で幾度も見かけた黒炎。しかしそれも一瞬のことで、青い結晶を一度撫でたかと思うと、端から千切れるように消えていった。
エルリオの中でまた一つ、仮説が「真実」という名のパズルの一ピースとなる。
「さて、ようやく捕らえることができた。この世界の『現在』を、貴様を通して見させてもらうぞ。リュウ」
長らく感じていなかった喜びを歯の奥に噛みしめて、エルリオもまた雪山の彼方へと姿を消した。