ポケモン救助隊 エルドラク=ブレイブ ―緋龍の勇者―







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第五章 求むものは虚ろなる地に
第三十話 業火渦巻く炎の化身……前編
 夜の森はもともと静かだけれど、ひとたび焼き尽くされてしまうと森はより一層死んだような静けさを醸し出していた。葉が焼かれ幹だけになった木々はまるで巨大な人間のようで、太い腕のような枝を何本も広げて道行くヒトを包み込もうとしているかのようだ。季節外れとはいえ肝試しにはぴったりのシチュエーションだけれど、今はそれを楽しんでいる暇はない。

「痛ってェ!」

 突如眼前に現れた大木に激突し、目から火花が出た。これで何度目だ?
 森に入って初めの頃はただただ空を泳ぐ火の鳥――ファイヤーの後をつけるような形でひた走っていたのだが、先程のように木にぶつかったり根に足をとられたりとモタモタしていたせいで、今ではすっかり見失ってしまった。なにせ焼け焦げた森は夜空よりも黒く、松明が照らすよりもリュウの走るスピードの方が速いため、気がついたら目の前に木があって正面衝突、なんてことを何回も繰り返している。あの鳥が気まぐれに方向転換さえしていない限り、このまままっすぐ進めば追いつくだろう。
 アレフは行方をくらます前、オボラの家からファイヤーを呼ぶための神具を持ち出したと言っていた。恐らく、あれを使ってファイヤーを呼び寄せたのだろう。神具を使えば子供でも神を呼ぶことができるなんて未だに信じられないし、呼び出したところでアレフが何をするかまではまだ分からないけれど、危険であることには変わりない。

「に、兄ちゃん?」

 風切る音の中でもかすかに声が聞こえたおかげで、本日幾度目の大木激突は免れた。
 弾む息を整えながら声のした方角へ松明を向けると、すぐにアレフの姿がぼんやりと照らし出された。向こうも大層驚いているようで、その手には何やら奇妙な形をした石が握られている。リュウがその石に注目していることに気付いたのか、慌ててアレフは石を後ろ手に回した。

「えーと、兄ちゃん。何してんだ?こんなところで」
「そりゃこっちの台詞だよ、アレフ」

 リュウが近づこうとすると、まるで一定の距離を保つようにアレフは後ずさった。

「今隠したの、ファイヤーを呼ぶための神具とかいうやつだよね?それを使って何をしようとしてたんだい?」
「そ、それは!えーと、えーと……そう!これ投げて木の実を取ろうとしてたんだ!」

 どの世界でも子供の発想はだいぶ明後日の方向にぶっ飛んでいるようだ。

「葉も生えてない黒焦げの木に実が生ってたらある種ホラーだよ。ファイヤーを呼んだんだろ?その石で」

 顔も見えないほどに俯くその姿が、アレフの返答を表している。やっぱり、間違いなさそうだ。

「……分かるもんか」
「え?」
「兄ちゃんに分かるもんか!オイラは悪いことなんてしてないのに、『てんばつ』ってやつに家を焼かれて父ちゃんも母ちゃんも死んじゃって!犯人もわかってるのにそいつをぶん殴ることすらできなくて!この悔しさが……兄ちゃんに分かるもんかあぁぁっ!」

 とうとうアレフは大声で泣き出してしまった。夜風の音すら聞こえないこの森の中では、アレフの泣き声は幾重にも木霊していった。
 ある日突然、親と住んでいた家を奪われる――リュウにはこれまでの記憶がないので実感として窺い知ることはできないけれど、幼い子供にとってそれは安心できる世界を奪われることと同じことだということは、理解できる気がした。何よりリュウは知っている。自分にとって最も近しい存在が、アレフと全く同じ境遇であることを。

「(キトラ……)」

 「東の森の大火」と呼ばれる災害によって、キトラは住み慣れた家と両親を失った。彼の場合その心の強さと幼馴染の存在のおかげで悲しみを乗り越えることができたものの、もしその犯人が判明したら、キトラは今のアレフのように激情を露わにするのだろうか。

「お、おい!どこ行くんだよ!」

 草を踏みしめるような音がしたかと思うと、アレフが踵を返して森の奥へと駆け出そうとしていた。ギリギリのところで腕を伸ばし、その尻尾をむんずとつかむ。

「やっぱり決めた!これからファイヤー様を呼ぶ!オイラが仇を討つんだ。父ちゃんや母ちゃん……村のみんなの!」
「バカ言うな!キミ一人で何が――」

 できるんだよと続けようとした口が、一瞬で凍りついた。

「あ、アレフ……今、なんて言った?」
「へ?仇を討つって……」
「その前!『これからファイヤー様を呼ぶ』って言った?」
「う、うん。この先にお祭りに使われてた広場があってさ、そこにこの石を置いて『ぎしき』ってやつをやるとファイヤー様が来るんだってじいじが言ってたんだ」

 「うん」以降のアレフの言葉はほぼ耳に入らなかった。嫌な予感が寒気という形でリュウの全身を駆け巡る。

「じゃあ、まだキミはファイヤーを呼んでない……」
「そうだぜ。これから広場に行こうって時に兄ちゃんにばったり会ったんだから」

 その場に居合わせていなかったアレフが疑問を抱かないのも無理はない。だがリュウは実際に見たのだ。この森の上空で、ファイヤーと思しき火の鳥が飛んでいるのを。
 最初は、アレフの行った儀式に応じて姿を現したのだとばかり思っていた。しかしアレフはまだファイヤーを呼んでいないという。では、リュウの見たあの火の鳥は一体――

 ――ギャアアアアアァァァァ!

 火山の噴火にも似た、地を揺るがすような叫び声が響く。すると、にわかに気温が上昇し、真夜中だというのにはるか先の木々がしっかり見えるほどの光が辺りを包み込んだ。あまりの眩しさと暑さで目がくらみそうになりながらも、気が付くとリュウは反射的に叫んでいた。

「アレフ!早くここから離れろおおおぉぉっ!」





 何もかもが一瞬だった。
 芯まで焼き尽くされたはずの木々が、またもその身に炎をまとっている。さらには今立っている地面でさえ火の手が上がり、まるで炎の海にのまれたような感覚だ。森の火災を見るのは「キノコの森」の時に次いでこれで二回目だけれど、熱気、火の色、その勢い、どれをとってもあの時の火事とは比べ物にならないほどだった。

「フ、ファイヤー、様……?」

 急激な気温上昇でクラクラする中、アレフの震えた声が耳に飛び込んでくる。今リュウが立っているところから数十メートル離れた先、燃え上がる木々の中でも比較的火の勢いが薄い場所で、アレフが腰を抜かして座り込んでいた。どうしてあんな所にいるのかと思ったら、そういえば火の手が上がる直前、アレフをこの場から遠ざけようと無我夢中で投げ飛ばしたんだっけ。

「アレフ、とにかくここから逃げるんだ!」
「えぇっ!で、でも、兄ちゃんが……」
「オレは大丈夫だから!早く逃げろ!」

 アレフは最後まで躊躇っていたようだが、リュウが三度促すとやっと踵を返して森の奥へと消えていった。それを見届けてひとまず胸をなでおろすと、ようやくリュウは先程から辺りを照らし続けている光源を振り仰いだ。
 最初は、夜空に突然太陽が現れたかと思った。しかし、そこに佇んでいたのは太陽なんかではない、まぎれもない生き物だった。ゆっくりと上下に動くその翼から、羽根の代わりに無数の火の粉が舞い落ちる。今なおあたりを焦がすほどの熱風はあの翼が巻き起こしているのだろう。身体にびっしりと生えた羽毛は太陽のような黄金色。頭と両翼、そして尾には赤、黄、白が入り混じった炎が燃え盛っていた。細く長いくちばしの付け根に双眸があり、そこだけ身体中に燃え盛る炎とは対照的に穏やかな光を宿している。
 全身がまるで炎でできているかのような、巨大な火の鳥。その姿は、あの時「シラヌイ村」で目撃したものと相違ないものだった。

「お前が、ファイヤーだな?」

 襲いかかってきても対応できるように身構えながら、リュウは火の鳥に問いかける。本当は戦うことなく穏便に事を済ませたいところだが、森を巻き添えにした不意討ちを仕掛けてきたあたりその願いは叶いそうもないようだ。

「三年前、『シラヌイ村』を襲った火事は、お前が起こしたのか?アレフの両親や、村人たちを犠牲にしたのは、お前なのか?答えろ!」

 リュウの威嚇半分の問いかけに、ファイヤーは何も答えない。いや、口を開く素振りすら見せなかった。ただゆっくりと羽ばたきながら、じっとリュウを見続けている。

「……緋龍の……」
「え?」

 ややあってファイヤーが何か呟いたような気がしたが、羽ばたきの音に紛れてよく聞こえなかった。リュウの姿を映すファイヤーの目から、見る見るうちに光が失われていく。

「ヒ、リュウ、ノ……ウ、ウゥ……グ、ギャアアア――――ッ!」

 先程の咆哮とは打って変わって、酷く濁ったダミ声が瞬く間に辺りを支配した。続けてファイヤーを中心に爆風のような衝撃波が巻き起こり、リュウは呆気なく吹っ飛ばされる。まるで音波そのものを物質化したような波動だ。
 地面にしたたか腹をぶつけ、さらにその熱さで二度ダメージを負った。慌てて立ち上がったリュウの目に、信じがたい光景が移る。
 ファイヤーの全身が、どす黒い炎で覆われていたのだ。
 先程より辺りが薄暗く感じられたのは、決して気のせいではなかった。ファイヤーや木々を覆っていた朱色の名残は欠片もなく、気づけば周りで燃え盛っていた炎も瞬く間にどす黒い色へと染まっていく。
 この炎、初めて見るものではない。数か月前、「ライメイの山」でサンダーと対峙した時も、あのどす黒い炎はまるで悪霊のようにサンダーの身体を包み込んでいた。その力を前にリュウ達はなすすべもなく全滅に追いやられ、間一髪のところで倒した時ですらあの炎は執念深くリュウへと牙を剥き、その身代わりとしてサジェッタが命を落として――
 あれからもう数か月の月日が流れているはずなのに、まるで昨日のことのようにその光景が脳裏に映し出され、リュウは気絶しそうになった。しかし、遮二無二頭を振ってその悪夢を振り払う。もう、あの時とは違う。隣にキトラもサジェッタもいないけれど、進化した今なら、あの炎に打ち勝つこともできるはずだ!

「あの時みたいに圧倒できると思うなよ……行くぞ!」


橘 紀 ( 2016/02/16(火) 21:54 )