ポケモン救助隊 エルドラク=ブレイブ ―緋龍の勇者―







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第五章 求むものは虚ろなる地に
第二十九話 シラヌイ村
 夜と見紛うほどに黒い曇天の下に広がる、純白の大地。一歩踏みしめる度に、足の裏に柔らかな感触が残る。まるで降り積もった粉雪のようだが、握っても冷たくはない。むしろ温かい。背後で響いた爆発のような音に導かれて振り返れば、この純白の大地の正体が自ずとわかる。
 悠然と聳え立つ山の頂上で、白煙と共に炎が摩天楼のように高々と噴き上がっている。「アナザー大陸」の中で最も巨大な火山「炎の山」だ。噴火が起こらなくても絶えず火口から麓にかけて溶岩の大河が流れており、遠目で見ると山全体が赤々と燃えているように見えることからその名がついたと言われている。
 そしてこの純白の大地を作り上げているのが、「炎の山」の火口から立ち上っている白煙――火山灰である。砂よりもずっと細かくさらさらとした感触だが、物体が燃えてできる灰と違い、火山で生成されたガラス片や鋭く尖った鉱石の破片が成分の大半を占めている。遥か昔、まだ人間がこの「アナザー」に存在していた頃は、この火山灰からガラス細工を作る文化もあったらしい。
 ガラスや鉱石が粉末となって降り注いでいるわけだから、一度吸いこめば肺を傷つける恐れがある。火山近くにある断崖に佇んでいたポケモンはローブの襟元をつかみ、それで口を押さえた。こんな暑いところでローブをまとうのもいい加減うんざりしてきたが、素性を知られないためなら致し方ない。

「おい、そこのお前。訊きたいことがあるのだが」

 そろそろこの場を離れようと思ったところで、背後から呼び止める声がした。しかし、ローブのポケモンは振り向こうとしなかった。もとより興味などないし、このご時世で訊ねられることと言ったら、だいたい内容は決まっている。

「このあたりで、赤いマフラーを纏ったワカシャモを見なかったか?普通と違い、その目は鮮やかな赤色をしているのだが」

 こちらは了承もしていないのに一方的に聞いてきた。やはり背後にいるポケモン、種族は分からないが救助隊のようだ。落ち着いた口調ではあるが、その声色には若干の焦りも含まれている。一刻も早くその「尋ねビト」を探し当てたいのだろう。

「なぜ黙っている?まさか……奴を庇っているわけではあるまいな?」

 今度は答えもしていないのに勝手に何かと決めつけているようだ。さくさくと、灰に覆われた地面を踏みしめる音が聞こえてくる。その音が間近に迫り、救助隊の気配がすぐ背後に感じた、その時。

「やはり。貴様達はもう、真実を見極める目を持ち合わせていないのだな。……実に愚かで、哀れだ」
「なに?」

 溜息に乗せて呟いたこの言葉が、果たして背後の救助隊に届いたかどうか。いや、届いたところで何も変わらないだろう。この救助隊の心も。そして、これから自身が起こす行動も。

「愚者に向ける顔は持たぬ。この地に注ぐ灰塵と共に、儚く無残に舞い散るがいい!――“かまいたち”!」

 まるでその言葉自身に刃を秘めているかのような詠唱。それに応えるかのように、今まで微風一つ吹くことのなかったこの地に、巨人の拳のような突風が吹き下ろしてきた。唸るような風音に混じって、何かを重く切り裂いたような音と、先程の救助隊のものであろう悲鳴が木霊する。あまりの風圧でローブのポケモンがかぶっていたフードが取れてしまったが、恐らくあの救助隊は最後までその素顔を見ることはなかっただろう。
 一瞬とも思える暴風が治まり、やっと背後を振り返ったローブのポケモンの目に映ったのは、積もった灰までもが跡形もなく消し飛び、むき出しになった地面だけだった。

「さて、いつまでもここに長居するわけにはいかないな。……早いところ突破してほしいものだ」

 はずれたフードを再びかぶり直すと、ローブをまとったポケモンは、何の躊躇もなく崖下へと飛び降りた。



「リュウが『炎の山』に向かったって、本当か?」
「あぁ。選抜隊からの報告によると、そうらしいな」
「おいおい、冗談じゃねぇぞ。前人未到の『空虚の地』の玄関にして、最初で最大の難関である『炎の山』に挑むなんざ、とても正気とは思えねぇぜ」

 ここは「炎の山」登山口。番人の如く立ちはだかる巨大火山の麓にて、何組かの救助隊が寄り集まって会話をしている。リュウを追って「群青の洞窟」を突破したはいいものの、昨今の自然災害の影響で活発化しているこの火山を前にして立ち往生しているようだ。
 そもそも毒にまみれた「群青の洞窟」を突破できた救助隊は、毒に耐性のある鋼タイプのポケモンが大半を占めている。熱や炎に弱い彼等が火山になど飛び込んだら、間違いなく全滅するだろう。すでに恐れをなして逃げようとしている輩もいるようだ。

「仕方がない。炎が苦手な奴はここに残って捜索を続けてくれ。この火山に挑む勇気のある者はこのまま先へ進もう。いいか、絶対にここでリュウを捕らえるんだ!」
「おお――!」

 高々と拳を上げると、各々は進むべき場所に向けて意気揚々と歩みを進めていった。
 また面倒なことをしてくれたな――と、岩陰で聞き耳を立てていたリュウは溜息を吐いた。炎でガクガク怯えている奴はそのまま逃げ帰ってもよかったのに。「空虚の地」に何が待ち受けているのかわからない以上、せめて追手の数だけは減らしたいところだった。
 本当はリュウ自身がいち早く「炎の山」を突破できればよかったのだが、「群青の洞窟」を突破してから数十日、ここに来るまでほぼ休まず歩き続けていたためすでに足の筋肉は限界を超えていた。加えて洞窟で受けた毒自体はすでに完治しているものの、それによって蝕まれた体力はなかなか元に戻らない。こんな状態で火山に行くなどフルマラソンを完走してから手ぶらで山登りするようなものだ。追われている身でなければ、村にでも立ち寄って休んでいきたいところなのに。
 せめて体力だけは回復させようとこうして火山近くの横穴で身体を休めていたのだが、そうこうしているうちに追手に追いつかれ、剰え一部には追い越されるという事態になったものだから、リュウは内心かなり焦っていた。たとえ今ここで急に回復して「炎の山」に突入できたとしても、先に行った連中の待ち伏せをくらうのがオチだ。となれば、残された手段は……

「この山の外側を迂回するしかない、ってことかな」

 火山に突っ込むより遠回りだが、危険度はこちらの方がずっと下だろう。
 実はこの火山、「炎の山」とは別にもう一つ「岩の横穴」と呼ばれる洞窟がある。別の出口につながっているかもしれないとリュウも挑戦してみたのだが、なんとこの洞窟、突破すると入口に戻されてしまうという厄介極まりない構造をしているのだ。おかげで少ない体力を更に酷使する羽目になってしまったのだが、過ぎたことは悔やんでも仕方がない。
 登山口に残った救助隊が遠のいたのを見計らって、リュウは一先ず登山口を後にすることにした。全身に錘がぶら下がっているのではないかと思うくらい身体が重い。苦手とはいえ、「群青の洞窟」の時のようにその辺に[オレンの実]が落ちていたらと何度願ったことか。火山近辺は木どころか植物の影すらないので、願うだけ無駄なのだが。

「うわああああああ!助けてえええええ!」

 だいぶ「炎の山」から離れることができたところで、微かな悲鳴が耳に入った。トーンからして多分、子どもの悲鳴。逃避行中に仕舞いこんでいた救助隊としての性が目覚めたのか、気がついたらリュウは自分でも驚くほど軽快に駆け出していた。
 やがて見えてきたのは、黒く煤けてグニャグニャとひん曲がった木々達。かつては森林地帯であったようだが、山火事でもあったのか葉は全て焼け落ち、幹だけが無残な姿で残されている。悲鳴はその木々の合間から聞こえてきた。近づくにつれて、何かが羽ばたいたり叩きつけたりするような音も聞こえてくる。

「あれは……!」

 やっと姿が見えたところで、リュウは一先ず手近な幹に隠れて様子を伺った。
 目に入ったのは、二体のポケモン達。一人が追いかけ、もう一人が追われているという状況だ。追われている側は手のついた尻尾を持つ猿のようなポケモン、エイパム。追っている側は細長い首と長く鋭い嘴をもつ鳥ポケモン、オニドリルだ。どちらも初めて見るポケモンなのでリュウにとっては紫色の子猿と巨大な首長鳥にしか見えていないが、それでもこの状況が放っておけないことには変わりはない。エイパムを仕留めようと自分の長い嘴をしきりに地面に突き立てていくオニドリル。両者の距離は瞬く間に縮んでいった。

「やめろ!」

 次の瞬間には、オニドリル目がけて火炎弾を一発、放っていた。
 自身の体格と同じくらいの大きさの火炎弾をまともにくらったオニドリル。怒り出して反撃してくるのを覚悟していたが、どういうわけかオニドリルは怒るどころか、文字では表せない悲鳴を上げて一目散に逃げ出してしまった。どうやら、もともと本気で襲うつもりはなかったようだ。ダンジョンのポケモンと同じ、災害の影響で一時的に理性を失っていたのだろう。

「な、なぁ……」

 リュウのすぐ足元で、先程のエイパムがまだ怯えを残した目でこちらを見上げている。
 案の定顔を見られてしまったが、リュウが自分で選んだ道なのだから仕方がない。頭の片隅で逃げる方法を模索しつつ、エイパムと同じ目線になるようにリュウは片膝をついた。

「大丈夫?怪我してないかい?」
「え?あぁ……平気」
「そっか、よかった」

 ひとまず相手を刺激させないように、頑張って笑顔を作ってみる。笑顔なんて逃避行に出る前は何度も自然に出ていたはずなのに、今は顔の口角を上げるだけでも何故か苦労するなんて、少し切ない気持ちになった。
 しかし、半ば引きつり気味の笑顔でも、エイパムは少し安心したようで、

「へへ、助けてくれてありがとな、兄ちゃん。すっごくかっこよかったぜ」

 こちらとは対照的にものすごく歯並びのいい笑顔を見せてくれた。口調からして「やんちゃ坊主」という言葉が似合いそうな子供のようだ。

「どういたしまして。えぇと……」
「オイラはアレフ。この近くの村に住んでんだ」
「そっか。よろしくな、アレフ。……って」

 さりげなく名前を聞けてホッとしたところで、さらにとんでもない事実に気が付いた。今この子猿、「村」って言わなかったか?先程まで立ち寄りたいと散々思っていた「村」があるというのか?

「え、この近くに村があるのか?」
「うん。『シラヌイ村』って村なんだけど……そうだ!」

 アレフは何かを思いついたのか、手のひらを拳でポンと叩いた。指のない棒みたいな手をしているせいで、どっちが拳でどっちが手のひらなのかが分かりにくいが。

「兄ちゃん、アレだろ?『たびびと』ってやつだろ?オイラ達の村では『たびびと』は手厚くもてなすってふーしゅーがあるんだ。案内してやるよ!」
「え、えぇ?ちょっと待っ……うわわわ!」

 突然アレフはこちらに向けて尻尾を伸ばすと、その先についている手(のようなもの)でリュウの腕をつかみ引っ張ってきた。思いの外力が強く、不意を突かれたこともあってあれよあれよという間にリュウは森の奥へと連れられて行った。

 ――ちょっと待て。指名手配中なのにこのまま案内されていいのか?オレ。



「ここが、『シラヌイ村』だぜ」

 煤けた臭いの漂う森を抜けると、アレフが教えてくれた。
 そこに広がっていたのは、まさにファンタジー小説の挿絵やマンガでよく見る「村」そのものだった。「サルベージタウン」の商業区にある住居はレンガや石で造られた家が多いけれど、目の前に映る集落は木の板と茅葺屋根で造られたものがほとんどだ。「炎の山」から吹き下ろす生暖かい風に撫でられて、屋根を形作る乾いた藁がさわさわと侘しい音を奏でている。
 何より最大の特徴は、どの家も例外なく焼け焦げているということだ。
 ある家は屋根だけ、ある家は全てが、煤にまみれて黒みがかっている。またある家は本当に炎に煽られたかのように焼け崩れていた。よく見れば、リュウが今踏みしめている下草ですら、すっかり水気を失ってカラカラになっている。火事でもあったのだろうか。そういえば村の住人も見当たらなかった。

「なんだか……随分静かな村だね」

 そんな「シラヌイ村」の佇まいを眺めながら、半分はアレフに向けて、半分は独り言気味につぶやくリュウ。本当は「火事でもあったのか」といろいろ聞きたいところだが、あまり立ち入って聞くとアレフの気を悪くしてしまうだろう。
 一先ず、今や各地で出回っているリュウの指名手配書がないことには安堵することにしよう。

「……みんな、出てっちゃったんだ。だからここには、じいじとオイラの他にはじいちゃんばあちゃんしかいないんだよ」

 説明しながら歩き出すアレフ。リュウを引き摺り回している時はあんなに元気だったのに、村について歩き出した途端水をかけられたかのように大人しくなってしまった。

「出てったって、なんで?」
「……。あ、あれがじいじの家なんだ。オイラ、先に行ってじいじに兄ちゃんのこと伝えてくるからな!」

 余程話せない事情があるのだろう。アレフはそそくさと一軒の家に飛び込んでいった。
 数ある茅葺小屋の中でも、一回り大きな家。恐らくこの村で最も偉いヒト――アレフの言葉で言うならば「じいじ」のお宅なのだろう。村の長の威厳を示すかのように屋根から壁まで装飾が施されていたのであろうが、そこもほとんどが煤にまみれており、鮮やかな色合いだったはずの鉱石も真っ黒に染まってしまっている。
 さほど待つことはなく、油の切れたようなギイィという音を立ててドアが開いた。

「兄ちゃん、入っていいぜ」

 ドアの影からアレフが顔を出し、右手と尻尾の手でこちらを招いている。……結局、どちらが本物の手なのだろう?



「……よう来なすった、旅人よ。わしはこの『シラヌイ村』の村長、オボラと申す者ですじゃ」

 恭しい手つきで客人用の茣蓙を出してくれたのは、長い首に眠ったような目を持つ赤い亀のようなポケモン、コータスだった。例のごとくリュウにとっては初めて見るポケモンで、やはりその目を引いたのは背中の甲羅だ。天辺に穴が開いており、その中はまるで燃えているかのように赤々と光っている。まるで小さな火山を背負っているみたいだ。もう年なのか、そこから溶岩が吹き出たり煙が出たりするなんてことはないようだが。

「アレフを助けて下さったそうで、ありがとうございますじゃ」
「いえ、そんな」
「何もないところですが、どうぞゆっくりしていきなせぇ。アレフ、お水と[オレンのみ]を持ってきなさい」
「はーい!」

 げっ、[オレンのみ]……
 つい先程までは苦手でも欲しいとか思っていたくせに、いざ目の前に出されると思うとやはり胃が拒否反応を起こすようだ。

「い、いえ!お気持ちだけで結構です!それに、オレは先を急ぐ旅の途中で……」
「遠慮なさるな。どのみち、この村で旅人をもてなすのも最後になりそうですからの」

 なんとか回避する言い訳を並べていると、オボラはいつにも増して沈んだ顔で、ゆるゆると頭を振った。

「最後って、どういうことです?」
「ファイヤー様ですじゃ」

 ファイヤー様。初めて聞く言葉だ。「様」とついているあたり、恐らくポケモンの名前なのだろう。
 オボラはどっこいしょの一言で立ち上がると、亀に違わぬ重い足取りで窓の方へと向かった。火山灰を防ぐため、簾のようなものが垂れ下がっている丸窓。手が届かないのか頭でそれを退けようとしたので、リュウはすぐさま窓のところまで飛んでいき、オボラの代わりに手で簾を持ち上げてあげた。
 オボラは一言「ありがとう」と言い、それきりずっと窓の外へ目を向けていた。丸く切り取られた景色の真ん中に映る、赤く燃える山。

「旅人よ、お主は見ましたかな?この村やこの近くの森の、無残に焼け焦げた姿を」
「はい。最初は山火事があったのかと思ってましたけど」
「いいや、それは違う。これらは全て、ファイヤー様の天罰なのですじゃ」
「天罰?」

 巷で頻発している自然災害ではなく、一人のポケモンがやったというのか?ここまでの火災を。

「この『シラヌイ村』は昔、人間がいた頃からわしの曽祖父の時代まで、火山灰からガラス細工を作る文化がありましてな。それを特産品として世に広めることで繁栄を築いてきた村なのですじゃ。村の繁栄の要となる火山灰を生み出しているのが『炎の山』……そして、その守り神がファイヤー様でございますじゃ」

 言われてから気付いたが、この家の棚には、確かに埃を被ったり少し欠けたりしたガラス細工が飾ってある。「サルベージタウン」で生活していた頃もガラス製品を目にすることはあったが、どれもこれも高価なものばかりだった。それを生産していたのだから、この村の繁栄はさぞかし輝かしいものだったのだろう。
 そして、その恵みの火山灰を注ぐ「炎の山」に住まうファイヤーを、この村の人は守り神として崇めている。ポケモンがポケモンを神として崇めるのはちょっと不思議な構図だけど、人間世界における神様もその姿はほとんど人間に近いもので描かれているから、それと似たようなものなのだろうか。
 とにかく、「シラヌイ村」の繁栄は「炎の山」があってこそのものだった。だから村人は毎年祭りを開催しながら、「炎の山」の恵みに対する感謝と更なる村の発展への祈りを捧げていたのだ。しかし、

「時が流れるにつれて――特に村の若い衆は、次第にファイヤー様への信仰に対して疑問を持ち始めたのですじゃ。確かに村は栄えているが、それを実在するかどうかも分からないもののおかげにするなんて馬鹿げているのではないか、と」
「実際、いたんですか?その、ファイヤー様は」
「わしもお姿を見たことはない。祭事では御神体としてファイヤー様のお姿が描かれた岩が用いられるが、そのお姿も時代によってまちまちでな。それも若い衆が疑問を抱くきっかけになったのかもしれんのう」

 そして、次第に祭祀が行われる回数も減ってきた頃、事件が起こったのだという。

「今から三年ほど前のこと。まさに今日の空のような……日の光の一片すらも届かぬ曇り空の日だった。その日は朝からかすかな地響きが絶えず、村の誰もがこう思った」

 ついに、「炎の山」が噴火するかもしれない、と。

「ついに……って、今まで噴火したことはなかったのですか?」
「小さな噴火ならその昔に何度かあったらしいが、どれも村に被害が及ぶほどのものではなかった。じゃが、今回ばかりはなんとなく、村の者皆が嫌な予感を感じていた。今回の噴火は、いつもとは違う……慌てて逃げる準備をする者も大勢いましたですじゃ」

 そして、とうとう「その時」が来た瞬間、村人たちは我が目を疑った。
 大地を思い切り叩いたような地響きが来て、山の頂上から炎が噴き上がる――ここまではヒトが皆思い描く火山の噴火だ。奇妙なのは、噴き上がった炎が一塊の火炎弾となり、まるで打ち上げ花火のように天空へと舞い上がったのだ。宙を高くつき進む間にも火炎弾はみるみるうちに膨らんでいき、やがて巨大な鳥の形を成したという。

「巨大な火の鳥……」
「わしだけでなく、皆が確信した。あれこそがファイヤー様だ。やはりわしらの神は実在していた。じゃが、そう思った時にはもう、遅かったのじゃ……」

 「炎の山」より生まれ出た火の巨鳥は一つ雄叫びを上げると、山頂から「シラヌイ村」へ、一直線に舞い降りてきたのだ。その背後に、山諸共焼き尽くすほどの火の海を生み出しながら。

「一瞬じゃった。ファイヤー様がこちらに来たと思った瞬間、村は炎に飲み込まれていた。この世に地獄というものがあるなら、あの光景こそがまさに地獄じゃった……」

 オボラがそこで口を閉ざしたので、リュウも簾を上げていたその腕を降ろした。これ以降説明がなくても、当時この村がどんな状況だったのかは、この荒れ果てた光景が雄弁に語ってくれている。
 村だけではない。その周囲に広がる森ですら、まるで魔女が住まう森のように葉もなく黒くひん曲がっていたり、根こそぎ折れたりしてしまっている。普通なら山火事が起こっても一年ほど経てば新たな若草が生い茂るというのが自然というものなのだが、あれから三年経っても村も森も当時のままなのだという。オボラが言うには、ファイヤーの繰り出す炎が特別だからということなのだが、神と崇められるほどのポケモンだからといって向こう三年木も草も生えないような焦土にすることなどできるのだろうか。

「仕方のないことなのですじゃ。一部の者とはいえ、わしらはファイヤー様への信仰を捨てようとした。ファイヤー様はそんな愚かなわしらに天罰を下した。自業自得とはよく言ったものじゃ。村をこんな有様にしたのは、他ならぬわしらの――」
「そんなの嘘だッ!」

 背後から突然怒鳴り声が聞こえたかと思うと、アレフが水の入ったコップと[オレンのみ]が乗ったお盆を持って立っていた。たぶん、今のオボラの話をずっと聞いていたのだろう。歯を食いしばり、丸く大きな目には涙を浮かべていた。

「オイラ達のせいじゃない!村を、みんなをこんなにしたのは、ファイヤー様だろ?『しんこー』が足りないっていうなら、ちゃんと口でそう叱ればいいじゃないか!なんで関係ないヒトまで焼いちゃうんだよ?こんなの……こんなの、ヒト殺しと変わらねぇよ!」
「これ、アレフ!」

 アレフの「冒涜」とも取れる言葉に、オボラもまた大声で怒鳴り返す。

「なんてことを言うんじゃ!お主のような言葉を吐く連中が多いから、村がこのような有様になったということが、まだ分からんのか!」
「違う!オイラだって……オイラの父ちゃんや母ちゃんだって、ファイヤー様が好きだったんだ!ファイヤー様のために、毎日『お祈り』もやってた!なのにファイヤー様は、そんな父ちゃんや母ちゃんも焼いて……しかもそれがファイヤー様のせいじゃなくて、オイラ達のせいだって?ふざけんなよッ!」

 耐え切れなくなったのか、アレフはお盆をそのまま地面に叩きつけると、そのまま外に飛び出していってしまった。中身がぶちまけられたコップの傍を、[オレンのみ]が転がっていく。

「全く、あの子は……」

 オボラも大層ご立腹のようである。相当信心深い性格なのだろう。彼だけではない、恐らくこの村に残っているであろうご老人のほとんどがそうなのかもしれない。信心深い故に、災厄が起きてもそれは自分達が崇めている神が下した「天罰」と信じて疑わないのだ。
 しかし、ただ一つ揺るぎない事実は、「炎の山」によってこの村が焼かれてしまったこと。神様の天罰とか罰が当たったとか、事実そうなのかもしれないけれど、それらは全て事が起きた後につけられていくものだ。しかもアレフにとっては、両親を亡くしてしまう要因にもなった忌々しい災厄なのだ。それを天罰や信心のない自分達のせいだなんて、認められるわけがない。

「お見苦しいところをお見せしてしまいましたな。申し訳ない」
「い、いえ」
「今や生き残った若い衆も次々と村を去り、残るはわしのような老人とあの子――アレフだけとなってしまいましたですじゃ。もう『シラヌイ村』は滅びゆくのみ……それも、そう遠くないうちにですじゃ」
「遠くないうちって……どうしてわかるんです?」
「また、ファイヤー様がお目覚めになるかもしれないのですじゃ」

 もう一度簾を上げてくだされと言われるまで、リュウは空いた口が塞がらないまま固まってしまった。話を聞いただけでもその恐ろしさを窺えた出来事が、近い将来再び起こるかもしれないなんて。
 簾を掲げて眺める先には、またしても例の火山「炎の山」。心なしか火口から流れている溶岩が増えているような気がするのは、あのファイヤーの話を聞いた後だからだろうか。

「三年前のあの日のような地響きはない。しかしわしらには分かるのじゃ。今の『炎の山』は尋常ではない、またファイヤー様がそのお姿を見せる日がくる――そうなったら今度こそこの村は無事では済まされまい」

 しかし仕方のないことじゃ。これもまた天罰なのだから――と、またゆるゆると首を振るオボラ。逃げようという気は微塵も起きていないらしい。だから初めて会った時、「旅人をもてなすのはこれが最後になるかもしれない」と言ったのだ。
 話が一段落したところで、リュウはとりあえずアレフがぶちまけたコップとお盆を片付けると、オボラに一言礼を述べて村長の家を後にした。



 アレフを探すのに、そんなに時間は要さなかった。
 村長の家から少し離れた先、大きく焼け焦げた広場のようなところで、アレフは蹲っていた。声こそしないが、肩が震えている。リュウは少し迷った後で、アレフのすぐ後ろに立った。

「アレフ」

 呼びかけても、アレフは顔を上げなかった。それでもリュウの存在には気付いたのか、必死に目をごしごしこすっている。

「兄ちゃん、ごめん。お盆、投げちゃって……」
「いいんだ。オレの方こそ、ごめん。辛いことを思い出させちゃったね」

 慰めになるかどうかは分からないが、リュウはアレフの隣に座った。泣いているところを必死に見られまいとしているのか、なかなかこちらに顔を向けてくれなかった。

「ここ、オイラの家だったんだ」

 嗚咽混じりにそう教えられ、リュウは驚いた。家の面影などどこにもない、ただ地面が焼け焦げただけの広間――ここが、アレフの家だったというのか。あの災厄の日、ここで家族と過ごした思い出諸共、まるで最初からそこになかったかのように無くなってしまったというのか。
 彼の家だけではない。見回してようやくわかったのだが、他にも所々黒く焼け焦げている場所があった。これらは全て、家が「あった」所だろう。もともとこの村には今より住居がたくさんあって、それらのほとんどが、一夜にして影も形も残さず焼失してしまったのだ。

「あの日、父ちゃんと母ちゃんは逃げる準備をしてた。オイラは持ってく物は何もなかったから、ドアの近くで待ってたんだ。そしたら急に、家中に火が出てきて……」

 あまりにも一瞬の出来事でわけも分からないまま、近所の村人に救助されたのだという。すでに家全体に火の手が回っており、家の奥にいた両親を助けることはできなかったようだ。

「……オイラ、悔しいよ。あんな火事を起こして、オイラの大切なヒトたちまで焼いて、それなのにファイヤー様は誰からも責められないで、平気で生きてるんだぜ。許せるわけねぇじゃんか。でも、じいじやみんなは『てんばつ』だからしょうがない、わしらがファイヤー様を信じなかったのが悪いって」
「アレフ……」
「オイラだけでも、ファイヤー様に会ったら一発、ぶん殴ってやりたいよ……」

 とうとうアレフは本格的に泣き出してしまった。
 こんな時、どんな言葉を投げかけてやればよかったのだろう。自分も大切なヒトを亡くした経験がある。アレフの痛みを十分に分かってやれるはずなのに、こんな時に限って言葉が出てこない。言えたとしたらそれは、「そんなことしても両親は帰ってこない」とか、「それでアレフに何かあったらオボラさんや両親が悲しむだけだ」とか、諌める言葉ばかりだ。ただそれを言ってしまったら、かえってアレフの心を抉ってしまうことになりそうな気がして――どうしても思い留めさせることができなかった。
 そんな躊躇いが、あんな事件につながるなんて、この時は思いもしなかった。



 その夜。
 村人の一人が空き部屋を貸してくれて、リュウはそこで寝泊まりすることとなった。しかし、たとえ屋内であっても追われている身故気を抜くことができないのか、あるいは昼間聞いたオボラの話が心にこびりついているのか――いずれにせよ、なかなか寝付くことができなかった。掛布団を頭からかぶり、必死に目を閉じても、頭と心がざわざわと波打って、どうしても落ち着かない。

「いたか?」
「いいや……全然見つからん」

 布団にくるまった状態のままゴロゴロ転がっていると、外で何やらバタバタと騒ぐ音が聞こえた。
 もしかして追手か?心臓がきつく締まりそうな感覚を覚えながら、リュウは恐る恐る窓の外を見た。昼間からずっと立ちこめている暗雲のせいで月も星も見えない、木々や小屋の輪郭がぼんやり見えるだけの夜の「シラヌイ村」。
 その闇の中にぽつりと二つ、ゆらゆらと小さく揺れる明かりが見えた。それに照らされた二つのシルエットも見える。誰かが松明を持っているのだろうか。一人はリュウに空き部屋を貸してくれた村人、もう一人は――オボラだ。

「あの、オボラさん。何かあったんですか?」

 窓から顔を出して呼んでみると、余程驚かせてしまったのか、オボラも村人も素っ頓狂な悲鳴を上げて危うく松明を落としそうになった。

「や、や、誰かと思ったら『旅人』さんか。びっくりしたわい……」

 村人が心底安心したかのように胸をさすっている。頼んだわけではないのだがオボラを始めとした村の皆さんには旅人と呼んでもらえることとなったようだ。名乗りたくないこちらとしてはありがたいことである。

「ちょうどよかったですじゃ。旅人よ、アレフを見なかったかの?」
「アレフ?オボラさんの家にはいなかったんですか?」
「夕食の時にはいたのじゃが、ふと目を離した隙にどこかへ行ってしまったのじゃ。昼間もオニドリルに襲われていたし、また何かあったと思うと心配でな……それに……」

 オボラが話している間にリュウは手早く支度を済ませ、外へ飛び出して彼等の元まで駆け寄った。火山が近くにあるとはいえ、季節はもう冬の手前。不意に夜風を受けて、つま先から頭まで寒気が駆け上る。

「それに、何ですか?」
「わしの家の物置から、祭祀用の道具がいくつかなくなっていたのですじゃ。その昔、儀式の時にファイヤー様を呼び寄せるために使っていたものなのじゃが……」

 これを聞いて初めて、リュウは全てを悟った。アレフが何故いなくなったのか。そして、これから何をしようとしているのか。

「お、おい村長!あれ見ろ!」

 村人が指差した先を、素早く目で追うリュウとオボラ。
 彼等の目に飛び込んできたのは、赤々と輝く火の粉を粉雪のように撒き散らしながら夜空を横切る火の鳥の姿だった。まるで曇天に刻まれた外国の地上絵のようだ。赤い彗星の如く突然現れたそれは、ゆっくりとしたスピードながら迷うことなく村より少し離れた森の方角へと一直線に向かっている。

「あれは……ファイヤー様……!」

 魂が抜けたような声で、オボラがその鳥の名を呟く。驚くのも無理はない。三年前にあの鳥が現れた時は、「炎の山」は噴火していたしその前には地響きなどの予兆もあった。しかし今回は地響きどころか、「炎の山」が噴火した形跡も見当たらない。ファイヤーの覚醒がそう遠くないと予感していたオボラにとってすら、文字通り不意の出現だったようだ。
 しかし、どう出現しようとリュウにとっては関係ない。あの火の鳥が目指す先。あそこには多分――いや間違いなく、アレフがいるはずだ。

「すみません、ちょっと松明借りていきますね!」

 もはや放心状態のオボラから松明をひったくると、ファイヤーが向かう場所目指して夜の森へと飛び込んでいった。


橘 紀 ( 2015/10/29(木) 22:11 )