ポケモン救助隊 エルドラク=ブレイブ ―緋龍の勇者―







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第五章 求むものは虚ろなる地に
第二十八話 ひとりでも
 あと少しで突破できる。そんな時に、「群青の洞窟」は本性を表してきた。突然の地震によって引き起こされた天井の崩落。すでにいくつかの大岩が、出口へと急ぐリュウの行く手を阻むように一重二重と積み上がっていく。

 ――このまま走ってても、到底間に合わない!

 わずかな時間でそう悟ったリュウは、踏み出した片足を軸に方向転換をし、今度は来た道を必死に駆け抜けた。これだとダンジョンが突破できないなんてことは考えていられない。とにかく目の前の崩落から逃れることだけが頭の中を支配していた。背後で絶え間なく轟く崩壊音。岩より一足先に迫ってくる砂埃の津波が真横にまで到達したタイミングで、リュウは頭から地面に身を伏せた。
 砂を纏った突風が、リュウの背中を撫でていく。遅れていくつかの小石がパラパラと降りかかってきた。半ば大きな石が頭を直撃した時には一瞬ヒヤリとしたが、それ以上は何事もなく、やがて崩落の音も徐々に治まってきた。

 一連の出来事が過ぎ去り、洞窟が再び静寂に包まれる。朦々と立ちこめる砂煙のせいで辺り一面青みがかった灰色一色に染まってしまったかのようだ。もちろんその砂煙の中には、洞窟の壁から噴出している毒素も含まれている。なるべく吸い込まないよう、リュウはマフラーで口元を抑え、空いた左手で砂煙を吹き払った。
 地震が引き起こした落盤は、見事な岩石のバリケードを作り上げていた。しかし、出口を完全に塞いでいると思いきや、天井付近にリュウが辛うじて通れそうな隙間をぽっかりと空けている。少しだけ情けが入っていると言えど、流石難関ダンジョン。突破も穏便にはさせてくれないようだ。視界が開けるのを待って、早速岩山を登ろうと手を伸ばした、その時。

「“ロックブラスト”!」

 技の名を唱える声が木霊し、今度は背後から無数の岩が飛んできた。何発か直撃をくらいつつも、リュウはなんとか岩の弾幕から抜け出し、転がるように着地する。

「おっし、手配書に書かれた特徴と全く同じ。一番乗りは俺様達で間違いねぇようだな!」

 こちらの状況を嘲笑うかのように上機嫌な声を発しているのは、幾つもの大岩で固めた球体に手足と顔がついたような容姿をしたメガトンポケモン、ゴローニャだ。初めて見るポケモンだが、見た目からして岩タイプだろう。ごつい見た目に似合わないピンク色の可愛らしいスカーフを右腕につけているのが少し気になるが、その結び目についている卵形のバッジが目に入った瞬間、このゴローニャの正体がはっきりと分かった。

「……アンタ、救助隊か」
「おうよ!流石に察しのいい奴だ」

 ゴローニャはこれまた上機嫌に右手で自分の胴体をぴしゃりと叩くと、そのまま右手で「グッド」のサインを作り、その親指を自身に向けるという決めポーズのようなものをとった。

「そう!俺様こそが!固さとタフさが自慢の!『チーム:ゴロゴロ』のリーダー!ゴベルラ様だ!よぉく覚えときな!」

 所々にインパクトがありすぎて肝心の名前が全然印象に残らなかったが、今のリュウにとっては名前すらどうでもいいものだった。相手が救助隊だと分かれば、その目的は一つしか考えられない。
 自然災害の原因である、リュウの、抹殺。

「随分ド派手な足止めをしてくれたじゃないか」

 いつでも相手に接近できるように身構えながら、リュウは声を張り上げた。

「この天井の崩壊。アンタが引き起こしたのか?」
「さぁてなぁ。確かに俺様にかかれば落盤の一つや二つ朝飯前だし、単にこの洞窟が脆いだけかもしれねぇし」

 ゴベルラはそこでいったん言葉を切ると、口の端を釣り上げて歯を見せながら、嘲笑うように言った。

「アンタが起こしたのかもしれないだろ?『自然災害の元凶』さん」

 ――ガッ!

 次の瞬間には、リュウはゴベルラの胴体に渾身の蹴りを叩きこんでいた。ゴローニャはその身体自体が岩石でできているので岩壁を蹴ったような感覚がしたが、多分ダメージは通っているはずだ。苦手な格闘技を受けて流石のゴベルラも一瞬だけ苦痛の表情を浮かべていたが、その身体はびくともどころか微動だにせず、カウンターと言わんばかりの拳をリュウの顔面目がけて振るってきた。

「ちっ……!」

 咄嗟に足を離し、間一髪のところでゴベルラの拳をかわした。眼球や嘴が持っていかれそうなほどの風圧が顔面を襲う。

「ヒュー、なかなか重い一発くれるじゃねぇか。『元凶』さん」
「……」
「無視かよ!なんか言えよ!」
「……アンタとは、口もききたくないよ」

 もとより、呑気にお喋りできる余裕もない。
 慎重にゴベルラから距離をとるリュウ。直撃こそ食らっていないが、かすめただけでもその拳の威力は窺い知ることができた。一発でも貰ったらただでは済まない。冷や汗が目のすぐ横をつたった。

「くらえ!」

 またも不意を突く形で、リュウはその口から“ほのおのうず”を放った。火柱は洞窟の岩壁に沿うように螺旋を描き、ゴベルラを頭から包み込む。

「無駄無駄ぁ!そんなチンケな炎じゃ話にならねぇぜ!」

 炎の海の向こうからゴベルラの声、続けて地面をガリガリ削る音が聞こえた。
 刹那、身体を丸めたゴベルラが炎を突き破り、猛スピードでこちらに転がってきた。“ほのおのうず”を身体を丸めて防御し、そのまま“ころがる”で突進してきたのだ。まずい!
 こんな狭い洞窟では、右にも左にも避けられない。リュウは一か八か、地面を蹴って大ジャンプを試みた。天井に頭がぶつかりそうな、転がるゴベルラに足が当たりそうな、そんなギリギリの隙間を縫ってなんとか衝突を回避することができた。

「おっと、安心するのはまだ早いぜ!」

 “ころがる”をかわされて岩のバリケードに激突したはずのゴベルラが、再びこちらに向けて突進してきた。リュウは再び、天井とゴベルラの合間目がけ飛び上がってこれをかわした。しかし、

「かかったな!“ロックブラスト”!」

 回転を解いたゴベルラの周囲に無数の岩が浮かび上がり、それら全てがリュウに向けて打ち出された。先程の奇襲にも使われた岩の弾幕だ。

「なっ!……うあああああ!」

“ころがる”を避けたばかりで無防備なリュウは、宙を舞う中で今度こそ全弾の直撃を受けた。格闘タイプのおかげで威力は半減されているはずなのに、ゴベルラ自身の能力が高いのか一発一発が非常に重い。最後の一発によって地面に叩きつけられ、もがきながらも立ち上がろうとしているところを、

「とどめだ、“メガトンパンチ”!」

 ゴベルラ渾身の“メガトンパンチ”によって阻まれた。
 悲鳴を上げる間もなくあっけなく吹き飛ばされ、今度はリュウがバリケードに激突した。その衝撃でうず高く積もれていた岩石の山がさらに崩れ去り、わずかながら出口の光が差しこんでくる。おかげで早々に意識を取り戻すことができたが、全身骨折に違わぬ痛みのせいで起き上がることができない。

「ごほっ、ごほっ!う……ぐっ……!」

 突然肺を握りしめられるような痛みが走り、リュウは今しがた吸い込んだ空気を吐き出すように咳き込んだ。立ち上がらなければいけないのに、息苦しさのせいで逆に蹲る一方である。胸を押さえて苦しむリュウの眼前に、爬虫類のような皮膚を纏った鈍重な足がずしりと降ろされた。

「おぉ?その様子じゃあ……この洞窟の毒が効いてきたみてぇだなぁ?」

 ゴベルラの嘲笑う声だけが嫌にはっきりと聞こえる。彼の言う通り、リュウの体内に残っていた[モモンのみ]の効果が切れ、洞窟の毒が身体を蝕み始めたのだ。酷い傷を負って体力もあまりない中で毒が全身に回るのも時間の問題だ。

「ぐ、くそぉ……ッ!」
「さぁさぁどうする?このまま毒にやられるか?いっそのこと俺様の手で楽にしてやろうかぁ?」





 「群青の洞窟」出口近くで激戦が繰り広げられている一方で、洞窟の入り口付近は実に平穏な空気が流れていた。さっきまでは大量のヒトが洞窟に駆け込んだせいで一種のバーゲンセールのような賑わいを見せたが、今や洞窟入口には乾いた風の音だけが響くのみである。

「いやはや、全く今日は騒々しい一日だったな。救助隊の方々がこぞって来店するわ、その前にはあの洞窟に挑む輩が現れるわ。……おまけに、その輩がこの世界で起こっている災害の元凶だったとは」

 日が暮れてきたのでそそくさと店をたたみながら、店主のマルノームは溜息とセットでぶつぶつと呟いていた。
 別に自分は自然災害で故郷や家族を亡くしたという過去はない。ただ、世の中が荒れて不穏になった挙句こんな野営業をする羽目になったのだから、災害に対して恨みを抱いていないわけがない。ましてや知らなかったとはいえその「元凶」を丁重にもてなして損したと思うほどだ。

「早くその『元凶』が退治されてくれませんかねぇ。そうすれば今の暮らしも少しは楽に……」

 グシャッ

 閑散とした荒野に、生々しく鈍い音が響き渡った。




「えーと、この木の実とこの木の実、持っていこうかなぁ」

 店主が押しつぶされてのびている横で、“ふみつけ”の衝撃でさらにとっ散らかった商品を物色する一人のポケモン。片方の翼で商品を器用につかみ、布を縫い合わせて作った簡素なバッグへ入れていく。

「ありゃ、お店番がいない横で品物を持っていく……これってもしかして『ドロボー』ってやつかなぁ?」

 あらかた品物を頂いた後でようやく己の所業に気づいたようだ。翼でひとしきり頭をなでながらじっくり考え事をした後、

「ま、いっかぁ。簡単にヒトが死ぬことを望んでるやつのものドロボーしたくらいで罰は当たらないでしょ」

 適当にも程がある理由をつけて納得すると、ポケモンは一振り翼を羽ばたかせ、洞窟に向けて飛び立っていったのだった。





「さて、どうするよ?毒で苦しむのが嫌なら、今ここで俺様がその頭をかち割ってもいいんだぜぇ?」

 大きな手でリュウの頭をわしづかみにしながら、ゴベルラが満面の笑みでこちらを覗き込んでくる。毒が回り始めたのか、視界がはっきりしてはぼやけるというサイクルを繰り返している。
 洞窟の青い壁とゴベルラの体色で暗い色一色に染まった視界の中で、一際鮮やかな桃色の何かがひらひらしているのが見える。ゴベルラが腕につけていたピンク色のスカーフだ。同じものを、「サルベージタウン」の店で見たことがある。

 ――これはね、[モモンスカーフ]だよ。つけるだけで毒状態にならない装備品なんだ。

 よりによってその内容がキトラの声で再生された。街を飛び出す前、キトラと一緒に店めぐりをしていた時に教えてもらったのだ。

 こんな時に、キトラがいてくれたら。

 絶体絶命の状況で心が折れそうなときになって、ふとこんな弱気な言葉がよぎる。相手がどんなに強大でも、一人では歯が立たなくても、味方が一人いるだけで心強いのに。

「そういやお前、チームの仲間を置いて一人で逃げだしたんだってな?」

 まるでこちらの考えを読んだように、ゴベルラが口を開いた。

「……なぜ、それを……?」
「なぜって、俺達救助隊の間じゃ有名な話だぜ?お前の情報を少しでもつかむために、何組かお前の救助基地に乗り込んだこともあるらしいからな」
「……!」

 息苦しいのに、驚きでまたぞろ息が詰まりそうになった。考えてみれば予測しておくべき事態だった。リュウの居場所の手掛かりをつかむためならば、彼等は可能性のある場所を徹底的に調べ上げることだろう。もちろん、多少手荒な真似をしてでもキトラから何か聞き出そうとしたに違いない。身の安全のため置いていったとはいえ、それはそれで大きなリスクがあることすら全然考えていなかった。

「安心しな。お前のお仲間は怪我も何もしてないらしいぜ。お前の居場所についても知らないの一点張りだったがな」

 場違いでありながらも、リュウは一先ず、キトラの無事に安堵した。手紙に書いた約束も、しっかり守ってくれているのだ。

「しっかし泣かせる話だねぇ。大方仲間を危険な目に遭わせたくないから安全な場所においてったってクチだろ?」
「……」
「だがよ、お前一人でどうにかできるほどこの世界の救助隊は軟じゃねぇぜ?やっぱり仲間と一緒に逃げればよかったって思えるほどの強者がごまんといるんだからな」

 そんなこと、逃げる前から百も承知だ。今だって、一人で逃げだしたことを後悔し始めているくらいに――

「でもまぁ、俺様に限ってはアンタやお仲間が何人いようが関係ないがねぇ。束になってかかって来ようが“じしん”一発で一網打尽が関の山ってもんだ。心細いから連れてきたことを死んでも後悔するくらいになぁ!」

 その言葉が、弱りかけていた心に鞭を叩きこんだ。
 そうだ。確かに一人よりも二人の方が何倍も心強い。でも、相手がそれよりも強大だったら?打ち負かすどころか返り討ちに遭ってしまうかもしれないじゃないか。自分はもともと抹消されるかもしれない身なのだから、たとえ負けたとしても納得できる。でもキトラは?彼はもともとこの騒動に関わるべき存在ではない。アイツがオレと関わりがあるばかりに、オレがふがいないばかりに、本来縁のないはずの危険にその身をさらすことになるかもしれないのだ。
 そう、サジェッタと同じように。

「……嫌……だ……」
「あぁ?」
「それだけは……絶対に嫌だっ!」

 気がつけば、リュウは懐から何かを取り出し、それをゴベルラ目がけて投げつけていた。パン!という破裂音と衝撃で、少しだけだが岩でできた巨体がよろめく。そこをすかさず、ありったけの力を込めた蹴りを叩きこんだ。不意を突かれたということもあってか、身体を丸めずともボールのようにいとも簡単に転がっていく。

「ぐっ!てめぇ、こっちが下手にでてりゃ調子に……うおぉっ!」

 進行方向とは逆に回転をかけることで体勢を立て直したゴベルラを、今度は鮮やかな緋色の炎が呑み込んだ。「ライメイの山」のサンダー戦以来見かけなくなったこの強力な炎が、こんな土壇場で再び放つことができるようになるとは。リュウ自身こんなに満身創痍なのに、毒で体力もほとんど残っていないのに、いったいこの力はどこから湧き上がるのだろう。

「もう、オレのせいで誰かを失いたくない……だからオレはこの旅に出たんだ。オレだって、一人でも戦うことはできる。絶対に、この場を切り抜けてみせる!」

 身体の底から沸々と湧き出る怒りにも似た意思を込めて、リュウは再び炎を放った。洞窟奥の暗闇に紛れて姿こそ見えないものの、しっかり命中したのかゴベルラの悲鳴が響き渡る。地面も壁も天井も炎に煽られ、鮮やかな赤色にその身を染めていた。

「あぁそうかよ、だったらこっちも容赦しねぇぜ!野郎ども、かかれぇ!」
「おうよ!」

 ゴベルラの号令に応える声と共に、地面に二か所、大きなヒビが入る。咄嗟にリュウがバックステップで距離をとった瞬間、そのヒビから二つの影が現れた。

「兄貴に手出しはさせねぇぜ!“いわおとし”!」

 地面から出てきたのは、ゴローニャよりも一回り小さいものの身体が岩石でできた岩ポケモン、ゴローン二体であった。飛び出しざまにその周囲にリュウと同じくらいのサイズの無数の岩を浮かべ、それらがすべてリュウに向かって降り注いでくる。落ちてくる岩を飛んで避けたり炎で打ち返したりしながら応戦していたが、無造作に積み上がる岩によって次第に足の踏み場もなくなってきた。

「ガハハハハ!やっぱ救助隊たるものチームワークで戦うべきだよなぁ!」

 身体のあちこちが焼け焦げているにもかかわらず、ゴベルラは豪快に笑い飛ばしていた。
 何が救助隊だ。何がチームワークだ。ただ三対一という卑怯極まりない状況で追い詰めているだけじゃないか。

「さぁて、ずいぶん手こずらせてくれたがこれで最後にしてやるぜぇ。このゴベルラ様を怒らせたこと、せいぜいあの世で悔やむがいいさ!」

 そう高らかに言い放つと、ゴベルラとその取り巻き二名は突然地を蹴って大ジャンプを始めた。この動作の後何をしでかすかは、おおよそ検討がつく。三体分の巨大な“じしん”で、リュウの息の根を止めるつもりだろう。
 ……いや、まてよ。そもそもこの洞窟はこれまでの激戦の中で大部分が崩れ落ちている。ゴベルラの“ころがる”によって大地が削れ、リュウの“ほのおのうず”によって岩壁が焼かれ、数多の衝撃が重なりまた天井にはヒビが入っている。そんなところに“じしん”が起こったら。

「お、おい!ちょっと待て!」

 聞いてくれないと分かっていても制止を試みるが、時すでに遅し。ゴベルラ達の足が地についた瞬間、波紋状の衝撃波に続いて縦にシェイクされるような地響きがこの洞窟を襲った。リュウはよろめきながら近くの大岩にしがみついたが、意識の半分は天井に向けられていた。案の定、天井に刻まれていたヒビは一回りも二回りも成長していき――

「おわわあああああ!」

 どうやらゴベルラ自身もやっとそれに気づいたらしい。つい数十分前に起こった落盤が、またもこの場にいる四人を襲ったのだ。天井が崩れてできた大岩はまるで天罰であるかのようにゴベルラ達に向かって降り注いでいるが、こちらに被害が及ぶのも時間の問題だ。とにかく、ゴベルラ達が落盤に気をとられているうちに脱出しなければ。
 リュウは今しがみついている岩から出口付近のバリケードの残骸にしがみつくと、遮二無二それを登り始めた。地響きで岩がうまくつかめず、いつ転げ落ちてもおかしくない。死に物狂いで腕を伸ばし、バリケードの頂上付近の岩をつかむと、腕の力で自身を引っ張り上げ、なんとかバリケードを乗り越えることができた。

「いてて……ん?」

 後半はほとんど這いつくばるように岩山を下りていると、リュウの傍らを追い越すような形で何かが転がり落ちてきた。一メートルほど離れていても香る、甘い匂いを漂わせるピンク色の――[モモンのみ]だ。
 この時は状況が状況であったせいでもあるが、「どうしてこんなところに[モモンのみ]が?」とか「何かの罠ではないか?」とか、いちいち考える余裕などなかった。気がつけば何の躊躇いもなくその木の実に手を伸ばし、何の躊躇いもなく口に運んでいた。
 [モモンのみ]特有の極端に甘い味が広がり、思わず吐き出しそうになったが、精一杯喉を動かしてなんとか飲み下した。体内の毒を消す方法は、これしかないのだから。

 未だに続く落盤の音の中に、何かを撃ち込んだ音が聞こえたような気がしたが、気にしている余裕はない。[モモンのみ]によって毒が消され、息苦しさが薄れるのを待ってから、リュウは出口に向かって走り出した。





「……ったく、俺様としたことが。ちと熱くなっちまってたようだぜ」

 ようやく天井の崩壊が治まり、瓦礫の中からゴベルラが姿を現した。相手の苦手な地面技でとどめを刺すどころか、自身が引き起こした落盤で、標的を取り逃がした。これ以上の失態はない。
 いや。落盤だけなら、ものともせず追いかける自信があった。岩がぶつかった程度で傷つくほど柔にできていない。しかし、ゴベルラの身体は先程のリュウのように無数の傷を負っていた。まるであの岩の雨の中に、何か別の技が撃ち込まれたような……
 とにかく、こんなところで考えていても仕方がない。取り巻きのゴローン二名もその「技」をくらってしまったのか、岩に紛れて伸びてしまっている。彼等は[モモンスカーフ]を持っていないので、このままだと毒にやられてしまうだろう。地面に落ちていた[救助隊バッジ]で彼等を脱出させると、リュウを追うために瓦礫を登ろうとした。

「ぐぉ……っ!」

 瓦礫に向かって伸ばしたその手は、突然の激痛によって胸部を押さえることとなった。肺が内側から焼けるような痛み。呼吸を一つするだけでも辛い。さっきまでしっかり立っていたはずなのに、地面にほぼ倒れ伏している状態になっている。まるで、あの時毒に苦しんでいたリュウのようではないか。つまり、これは……

「毒……?いやしかし、俺様には[モモンスカーフ]が……!」

 スカーフが巻かれているであろう腕を見て、愕然とした。
 なくなっているのだ。あの[モモンスカーフ]が。万が一があっても落とすことがないよう、念入りに結んでおいたはずなのに。

「まさか、アイツ……ッ!」

 その原因にあと少しで手が届くというところで、ゴベルラの意識はぶつりと途絶えてしまった。





「これが[モモンスカーフ]か。こんな奇抜な見た目でも、毒を予防する効果があるなんて、すごいよな」

 「群青の洞窟」を抜けた先に広がる荒野をひたすら歩き続けるリュウ。その手には、ゴベルラが身につけていたはずの[モモンスカーフ]が握られていた。何故彼がそのスカーフを持っているのか。結論から先に述べてしまうと「偶然、奪い取ってしまった」ということになる。
 毒に苦しむ中でゴベルラの言葉に奮い立ち、仕掛けた奇襲。その時リュウは相手を怯ませるためにあるものを投げつけたのだが、それが不思議玉[ぶんどりの玉]だったのである。
 [ぶんどりの玉]は相手に軽微なダメージを与えつつ、その名の通り相手の持つ道具を奪い取る効果を持っている。もともと相手に影響を与える不思議玉は使うと小さな光と共に破裂する性能がある。リュウとしてはその性能を使って相手の不意を突くことができればよかったので、使う不思議玉はどれでもよかった。たまたまあの時手元にあったのが[ぶんどりの玉]であったため、図らずも[モモンスカーフ]を手に入れることとなったのだ。

 逆に、スカーフを奪われたゴベルラは今頃あの洞窟の毒に苦しんでいるかもしれない。それに対してはもちろん罪悪感もあるし、仕方がなかったという思いもある。だがそれとは別に、何かやりきれない思いがリュウの心の大半を支配していた。

 ――さぁさぁどうする?このまま毒にやられるか?いっそのこと俺様の手で楽にしてやろうかぁ?

 毒に苦しむ中で垣間見た、あの時のゴベルラの目。ヒトの命を奪うことに、何の躊躇いもない者が見せる目だった。彼だって救助隊のリーダーだ。目の前で苦しんでいるヒトがいたら、まず何よりも助けようと身体が動くはずなのに、あの時見せた表情や行動は賊以外の何物でもない。
 そして、彼を始めとした救助隊にそんな行動をさせている原因が、他ならぬリュウ自身であることもまぎれもない事実であった。災害に慄かなくてもいい、平穏な暮らしを手に入れるために、ヒトの命を守るという使命を置き去りにして、リュウという一個人の命を奪うことに躍起になっている。
 もし本当にリュウが自然災害の元凶であって、その存在が消されれば世界が平和になるというのなら、双方にとってどんなに楽なことだろう。しかし、そうなるべきではない。なんとか自分にかけられた疑いを晴らして、ヒトの命を奪う以外の別の方法を模索させなくてはならないという思いが、歩みを進める原動力となっていた。だが、今のリュウの中ではその思いがまだ形を成していなくて、唯一支えになっているのが「街で待っているキトラのために、真実を見つけて帰ってくる」という思いだけなのだが、それも今回の戦いで揺らぎ始めてしまっている。

 結局、どんな道を選ぶのが正解だったのだろう。

 こんな疑問が浮かんでも、答えてくれるヒトなんて誰もいない。リュウはふらふらとした足取りで、ひたすら北に向けて歩き続けていた。


「あ、[モモンのみ]代請求するの忘れた。……って、別に僕もお金払ってないからまぁいっかぁ」

 マルノームから奪い取った二つの木の実のうち、残りの一個をむしゃむしゃと食べながら、ポケモンは高台からリュウを見下ろしていた。

「一人でも戦える、かぁ。かっこいいよねぇ。もしそんな力を持っていたら、誰も隣で傷つくことはない、誰にも迷惑をかけることもないもんねぇ」

 ポケモンは洞窟の外から聞いた、リュウの言葉を思い返していた。結果的には落盤のどさくさに紛れて技を叩きこんだり、リュウにマルノームの店からくすねた[モモンのみ]を渡したりと手助けはしたが、彼が自らの意思を持って立ち続けていなかったらこんな結末にはならなかっただろう。

「でもねぇ、独りで戦うってすごく辛いことなんだよ。仲間を失う心配はする必要なんてないけど、どんなに苦しくても隣には誰もいない。弱音を吐きたくても聞いてくれるヒトなんていない。ずっと自分が受けた苦しみを、自分の中で押し殺すしかないんだ。そしてそれに慣れてくると、だんだん自分の心が壊れていくのにも気づかなくなってくる。……あの子みたいにねぇ」

 誰に対してでもないが、言い聞かせるようにポケモンは呟いていた。いつの間にか、リュウの姿は荒野に吹きつける砂風に紛れて見えなくなってしまっていた。

「さーて、あの子は今この先の山にいるのかな?あそこあんまり行きたくないけど、行かなきゃボコボコにされちゃうし、ぼちぼち行っちゃいますかぁ」

 ポケモンはひょいと高台から飛び降りると、その巨体が地面に激突する前に翼を一振りし、どんよりとした黒雲がひしめく空へ向けて羽ばたいていったのだった。


橘 紀 ( 2015/10/04(日) 20:38 )