第二十六話 疑念、決意、そして旅立ち
――フルーラ、だって………?
目の前の少女が口にした言葉が、リュウの脳内で木霊していた。美しく凛とした声でいて、聞き間違いだと思いたくなる衝動を計り知れない力で抑えつける。
フルーラ。「キュウコン伝説」に登場し、主人である人間のために自らを犠牲にして祟りを受けたサーナイト。それにもかかわらず、守ったはずの主人に見捨てられてしまった悲劇のポケモン。そのフルーラが今、夢の中ではあるけれど、元人間であるリュウの目の前に現れたのだ。
――嘘だ。違う。オレは伝説とは関係ない。
ここで初めて浮かんだ否定の意思も、やがて溶けるように薄れていく。
考える限り、目の前の少女は決して邪悪な存在ではない。しかし、彼女が口にした言葉によって生まれた確信が恐怖となり、爪先から全身へと這い上がってくる。後ずさりしたくとも足が動かない。少女がゆっくりとした足取りで近づいてくる。「来るな」と叫ぶこともできない。少女が口を開く。耳を塞ぐための両腕も動かない。瞼だけを動かすことができたのが救いか、リュウは固く目をつぶった。
「ようやく、逢えましたね。私は、貴方の……」
――それ以上、言うなッ!
誰かにこじ開けられたかのように開いた目に映ったものは、レンガで敷かれた天井だった。自宅の天井だ。遅れて肺が活発に動き始め、全速力で走った後のように息を切らす。起き上がろうとしたが、どうにも手足に力が入らなかった。いや、力の入れ方を忘れてしまったようだった。仰向けの状態のまま、虚ろな目で天井を眺める。
これまでの経験上、夢というものは覚めた時点で内容の半分は確実に記憶から消えるものだが、こんな夢に限って一部始終がリュウの頭の中に記録されていた。
美しい草原の中で出逢った少女。その少女はフルーラと名乗った。そして、核心は彼女が最後に言いかけた言葉。
――ようやく、逢えましたね。私は、貴方の……
最後までは聞き取れなかった、いや、聞きたくなかったから聞かなかったのだが、この言葉だけでも、フルーラとリュウには何らかの関係があることは確実だった。そして、リュウが知っている中で、彼女との接点となるキーワードは一つしかない。
「キュウコン伝説」。
信じたくなかった、真っ向から否定したかった仮説が、ここにきて一層真実の色に染まっていく。もちろん、リュウはフルーラのことなど全く知らないし、そもそも「キュウコン伝説」なんて、先日フェルガナから聞いて初めて知った事柄だ。
しかし、一つの事実が、その反論を根本から崩していく。
リュウは人間だった頃の、一切の記憶を失くしている。――正確には、フェルガナが言ったように、何かが霧のようにリュウの記憶に纏いつき、リュウが過去を思い出すのを妨げている。しかし、所詮どちらも一緒だ。リュウがいくら「覚えがない」と反論しても、この事実がある限りその反論は塵のようにいとも簡単に風に運ばれ、やがて消えていく。
傍らの暖炉では今でも火がパチパチと燃えているのに、身も心も芯まで冷え切った感覚がして、リュウは頭から掛布団を被った。この寒気、「キュウコン伝説」を聞いた後で感じたものと同じだ。デジャヴの連鎖の果てに、リュウの中でだんだんと「答え」が形作られていく。
――やっぱり、このオレが、相棒であるフルーラを見捨てた非情な人間なのか?
――そして、今オレがこの姿でいることが、自然災害の源となっているのか……?
「リュウ、リュウ!」
ドアを強く叩く音。その間から聞こえたキトラの声は、聞くからに焦っているようだった。リュウの身体に存在する感覚がようやく起床し、時折転びそうになりながらリュウはドアまで急いで走り、取っ手に手をかけた。
「ぜぇ、ぜぇ、リュウ!起きてたんだね」
「キトラ。それに……トーチ君?」
汗だくになって肩で息をしているキトラの傍らには、同じく息を切らせているトーチが立っていた。どこで何があったのかは知らないが、とにかく二人とも、全力で走ってここまで来たことは間違いない。
「どうしたんだい?そんなに慌てて」
「えっと、えぇっと……と、とにかくっ、大変なんです!早く、『サルベージタウン』に!」
まだ十分に息を整えていないのに、そのままキトラとトーチは駆けだした。余程大変なことが起こったのだろう。リュウも急いで二人の後を追った。
連日多くのポケモンで賑わう「サルベージタウン」。
しかし、今日に至っては、近所に住むよく見かける者はもちろん、リュウ達がいつも活用する店や倉庫にすら、店番のポケモンが一切そこにいなかった。不気味さを感じさせるその静けさは、まるでゴーストタウン。朝だが、今にも幽霊が出てきそうだ。
そんな非現実なことはひとまず置いておくとして、この閑散とした光景をリュウはしばらく眺めていた。本当ならもう少し先に行って実態を調べたいところだが、如何せんもうキトラとトーチの体力が限界らしく、二人とも必死に空気を吸って息を整えている。
「……ふぅ。待たせてゴメンね、リュウ。街のみんなは広場に集まってるから、ボク達も急ごう!」
流れる汗を全て拭って、キトラが再び走り出す。トーチがまだ走れないようなので、リュウが彼を抱き上げて走ってあげた。街のポケモン達が広場に集まっているということは、何かの集会でもあるのだろうか?
キトラの言ったとおり、広場には「サルベージタウン」、さらにその近辺に住んでいるポケモンでごった返していた。街に散らばっている時でさえ賑やかなのに、こうしてひとつの場所に皆が集まっているともはやうるさいほどだ。トーチを抱いたままのリュウはキトラを肩に乗せ、「すみません」と周りのヒト達に謝りながら強引に進み、ようやくヒト混みの最前列に到達した。
中心に立っている者を見た瞬間、声を出しそうな口を手で塞いだ。そのせいで、今まで運ばれていたトーチがリュウの手から離れ、ぽてりと地面に落ちる。
「ハイハイ、ここからが重要な部分だからな。静かにー!」
そう皆に呼び掛けているのは、救助隊「イジワルズ」リーダーのゲンガー、ゴラドだったのだ。木の台に乗って、演説者のように弁舌をふるっている。彼如きの器が紡ぐ言葉なんて聞いてもろくなものではないと思われるが、よほどその内容が重大なものなのか、ここに集うヒトびとは文字通り熱心に聞き入っていたようだ。
ざわめいていたギャラリーがようやく静まるのを待って、ゴラドは口を開いた。
「そこでキュウコンは、フルーラに庇われた人間にこう聞いたんだ。『汝の相棒を助けたいか?』ってな。だけど、人間は卑怯なことに、フルーラを見捨てて逃げ出したんだ」
なんとゴラドは、「キュウコン伝説」について語っていたのだ。辺境の地でしか信じられていないこの伝説を、何故ゴラドは知っていたのだろう?
現時点でその答えは分からないが、やはり、とも言うべきか。この話を聞いていたポケモン達は「酷い」だの「なんて奴なんだ」だの、逃げた人間を非難する言葉を次々に口にした。ここにいる大多数のポケモン達がゴラドというヒトがどんなポケモンなのかを知らないからこそ、彼の言葉を真に受けているのだろう。一瞬、リュウは胸の疼きを感じた。
「お、おいキトラ、これはどういうことなんだ?」
「ボクも分かんないよ!トーチ君からゴラドが何かしてるって話を聞いて来てみたら、いきなりゴラドが街の皆を呼び出して、『キュウコン伝説』を話しだして……」
リュウ達がヒソヒソ声で話している間にも、ゴラドははきはきと続ける。
「逃げた人間を見て失望したキュウコンは、こう予言したんだ。いずれ、あの人間はポケモンへと生まれ変わる。そしてその時こそが、世界の均衡が崩壊する時だ……ってな」
「世界の均衡が崩れる……ひょっとして、今起こっている自然災害のことかい?」
聞き覚えのある声だと思ったら、リュウ達の斜向かいに、バイラが立っていたのだった。噂好きなだけあって、しっかりと最前列を取っている。
「間違いないと思うぜ。ちゃんとした証拠もあるからな。俺は昨日、ちょっと野暮用があって『大いなる峡谷』って所に行ったんだ。その頂上にある『精霊の丘』で、とんでもないものを見ちまったんだ」
リュウとキトラは目を丸くして互いを見た。昨日のフェルガナとの会話を、ゴラドに盗み聞きされていたのだ。「キュウコン伝説」も、恐らくそこで知ることになったのだろう。よりによって一番知ってほしくなかった奴に。
「『精霊の丘』には、未来を見通す力を持つネイティオってポケモンが住んでいるんだ。俺が来たその時、とあるポケモンがネイティオと話していたんだがよ、なんとそのポケモン、元は人間だったって言ってたんだぜ!」
驚きの声が大旋風となって辺りを包み込んだ。推察の末早くも確信に辿り着いたのか、ガタガタと震えはじめるポケモンも出てきてしまっている。
「元人間のポケモンがこの世界にいて、今この世界は災害に見舞われてる……まさに『キュウコン伝説』の通りじゃないか!」
「そう!今まさにみんなを苦しめている災害を引き起こしてるのは、そのポケモンになっちまった人間ってことなのさ。ケケッ!」
声を上げたのは、バイラの隣にいたようせいポケモンのブルー、エウロパだった。彼が見出した小さな共通点を、ゴラドがどんどん捻じ曲げていく。
「あ、アイツ……騒ぎをわざと大きくして……!」
足元でキトラが唇をかんでいる。その時ふと、ゴラドの目がリュウを捕らえた。リュウもそれに気付き、さりげなくヒト陰に隠れようとするが、もう遅い。ゴラドは口を更に大きく横に広げた。
バイラやエウロパだけにとどまらず、ここにいる全てのポケモンが思い思いの言葉を口にしていた。その内容の大半はやはり、「アナザー」の未来に対する恐れ。最近の自然災害で植えつけられた恐怖心が、ここにきて急速に成長してしまっている。
だがこのままだと「アナザー」以前に、リュウに危ない未来が待っている。何か物申したいところだが、そんなもの「その人間はオレです」と言っているようなものだし、かと言ってここでそそくさと逃げようとしても、この大観衆の中だ。怪しまれることは確実。
「まぁまぁ、諸君。気持ちは分かるが落ち着いてくれたまえ。俺に一つ考えがあるんだ」
嫌に丁寧な言い回しで、ゴラドが大衆を静める。こちらとしてはどちらかというと盛大に騒いでもらいたいのに、恐怖のあまり彼の考えにすがりたいのか、皆一瞬にして静まった。
「よく考えてみな。自然災害が多発しているのは、その人間がポケモンに生まれ変わったのが原因なんだろ?だったら、そいつを消しちまえばいい話じゃねぇか」
軽い口調で恐ろしいことを言ったことなど、どうやらここのポケモン達は気にも留めなかったらしい。
悪いことが起こっているならそれを引き起こしている根源を消してしまえばいい。よくある話だが、その手段がヒトを殺めることだなんて、道徳的にはあり得ない話だ。それなのに、伝説と自然災害の結びつきに慄いたヒトびとの中から、ゴラドの提案に賛同する声が次々と上がってきてしまっている。リュウとキトラの全身に、嫌な予感が高速で駆け廻った。
「しかもそいつは、自分の相棒を見捨てた酷ぇ奴なんだぜ?消されても文句は言えねぇと思うんだがな。……そうだろ、リュウ?」
ゴラドの視線を辿って、皆が一斉にリュウを見た。近くにいた者達は慌てて後ずさりしてリュウと距離を置く。覚悟はしていたが、一瞬心臓が止まるような心地がした。
「お、おいリュウ……お前が、その人間なのか?」
皆を代表するかのように、バイラが問いかけてくる。「違う」と言いかけた口が、自動的に閉じてしまった。キトラがフォローに出ようと、素早く間に割って入る。
「え、えぇっと、ちょっと待って!これには、深いワケが……」
「お前に聞いてるんじゃねぇ!リュウに聞いてんだよ!」
バイラがキトラを跳ね飛ばし、ずんずんとリュウに近づいてくる。反論、弁解しようにも、閉じてしまった口は開かなかった。
こんな切羽詰まった状況にもかかわらず、リュウの脳裏に再び、昨晩の夢が鮮明に蘇った。目の前にいたフルーラの姿、顔、言葉、何もかもが再生しては巻き戻され、また再生というサイクルを繰り返している。その光景に、フェルガナが語った伝説、ゴラドの語った言葉が渦巻くように混ざり合い、一つの「真実」をリュウに叩きつける。
反論できるわけがないじゃないか。だって、自分は――
結局、歯を食いしばって項垂れるしかなかった。そんなリュウの反応を、キトラとトーチが驚きの目で見ている。それを見るのも嫌だった。
「ケケケッ、返す言葉がないようだな。リュウ!」
勝ち誇ったように笑みを大きくして、ゴラドが言った。そして最後に、
「そういうわけだ。諸君、リュウを消して平和になろうぜ!ケケケッ!」
その言葉が合図になったかのように、皆一様にしてにリュウを睨む。まるで周りのポケモン達が国を守る兵士で、ゴラドがその国の王のようだった。王の巧みな弁舌に心酔した兵士達が、憎き敵を消さんとリュウに鋭い槍を向ける。敵意を存分にはらんだ視線をまともに受けて、リュウはさらに数歩後ずさりするしかなかった。
「リュウ、すまない!」
一番リュウと距離が近かったバイラが、両腕の鋭い爪を振りおろしてきた。目にも留まらぬ速さで相手を切り裂く“みだれひっかき”。何発かがリュウの腕や腹をかすめ、羽毛が飛び散った。
かろうじて全弾をかわしたリュウだが、反撃もすることができず、そのまま踵を返して走り出した。キトラがその後を追い、遅れて何人かのヒトびとが追い打ちで技を繰り出し、追手となってリュウ達を追いかけていく。
リュウが逃げていく姿は、ゴラドの心を愉しませるのに十分だった。
「いい気味だぜ。ケケケッ!」
追手のポケモン達は、何を考えたか知らないが「小さな森」に向かっていった。とりあえず、「エルドラク=ブレイブ」基地近くの林に身をひそめて追手をやり過ごし、完全に気配が無くなってからリュウ達は道路に出た。
「ふぅ、危なかった。まさかみんなが襲ってくるなんて……」
キトラが胸をなでおろす。でも――と繋げて、急に振り向いてリュウの顔を睨んだ。
「リュウ、どうしてあの時何も言わなかったの?自分は『キュウコン伝説』に出てくる人間じゃないって言えば、みんなだってすぐには襲ってこなかったかもしれないじゃないか!」
キトラの憤りはもっともだった。今すぐにでも理由を話したいところだが、様々な思いが入り乱れて頭が混乱して、何から話せばいいのか分からない。
結局、苦し紛れにとった行動は、懐から[救助隊バッジ]を取り出し、それをキトラに投げ渡すことだった。
「え、どうしたのさ?いきなりバッジなんか投げて」
「それ、返すよ。オレにはもう……救助隊をやる資格なんか、ないんだ」
言い終わってようやく、これが今の心情にふさわしい、この切り出しが最善の方法だったと実感できた。災害を引き起こしている張本人が、その災害で苦しんでいるヒトを助けるなんてバカバカしい話じゃないか。
「そんな、急に何を言い出すの?救助隊をやめるなんて、リュウらしくないよ!……一体、何があったの?」
予想通り、向こうから理由を聞いてきてくれた。キトラが話している間に経緯のプロットをまとめたおかげで、リュウは行き詰ることなく説明できた。
度々見る不思議な夢にフルーラが現れ、彼女とリュウに何らかの関係があるような言葉を言ったこと。フェルガナが話した伝説と合わせて、もしかしたら自分が伝説に出てきた人間ではないかという疑念を持ったこと。それら全てを話すと、キトラの顔にちらほらと片鱗を見せていた憤慨が、驚愕に押しつぶされたのが一目で分かった。
「そっか、そんなことが……あったんだね」
しかし、それでもまだ納得いかないとでも言わんばかりに、キトラが目を鋭くして声を発しようとする。が、その言葉は、
「……そこまでだ、リュウ」
重く、威厳のある声が打ち消した。リュウが面を上げると、そこにはフォルテ、レバント、バチスタ――「チーム・FLB」が立っていた。キトラも背後の存在に気付き、慌てて一メートルほど飛びのく。
「ゴラドとやらの話を聞いていた大衆の中に、救助隊連盟のメンバーがいてな。彼の報告もあって、『キュウコン伝説』とお主との関連を調べ、そしてこれからのことについて本部で話し合われた」
すると突然、フォルテは右手のスプーンをリュウに向けて突き付けた。それから間もなく、そのスプーンが仄かに青く輝く。それに同調するかのように、今度はリュウの全身を青い波動が包み込み、リュウを宙へ浮かび上がらせた。強力な念力で相手の自由を奪う、“サイコキネシス”だ。
「……その話し合いの結果、お主を抹消せよとの命令が下された」
言葉を切ると同時に、フォルテが右腕を勢いよく振り下ろす。すると、今まで宙に浮いていたリュウも地面に強く叩きつけられた。その威力があまりにも強すぎたのか、リュウが激突した後の地面に小さなクレーターができていた。
「うぐぁ!……く……ッ、ゴホッ、ゴホ……ッ!」
胸と腹を強打し、リュウは咽返った。空気を全て吐いた後、なんとか息苦しさを堪えて立ち上がろうとするリュウに、フォルテが再びスプーンを突きつける。歴戦を潜り抜けてきたことを物言わずとも語る傷だらけのスプーン。それでも、苦しみのあまり歪んだリュウの顔ははっきりと映っていた。
そのまま、自然の音も聞こえないほぼ完璧な静けさが辺りを漂った。それは決して穏やかなものではない、今にも破裂してしまいそうな程の張りつめた空気。それを生み出していたのは、燃え上がる炎のようなリュウの緋い瞳と、深い海の底のようなフォルテの黒い瞳。両者の瞳がぶつかり合ってできた火花がこの緊張した空気を作り上げ、そこにいる者達の動きを封じていた。フォルテの命令もあるのか、レバントとバチスタは一歩も動かないし、キトラもリュウに加勢しようとするが、なかなかタイミングがつかめなかった。
「……一晩、時間をやろう」
スプーンを持った右腕を下ろし、フォルテはこう言った。同時に、リュウを包んでいた青い念波も跡形もなく霧消する。
「その間に荷物をまとめ、この街を離れるのだ。明日になれば、ここだけではない――『アナザー』に存在する全ての救助隊が、お主を消すために襲いかかってくるだろう。それは我々も同じだ。当然お主を倒しに行く」
「そ、そんな……!」
キトラが駆け寄ろうとするが、フォルテの鋭利な眼差しがそれを制する。再び顔をこちらに向けたフォルテと目があったが、「倒しに行く」と言った割にはどういうわけか敵意がほとんど感じられなかった。
「しかし、それに屈することなく逃げ続けるのだ。どんなに高い障壁が行く手を阻もうとも、それを乗り越えるのだ。真実を見つけるまで、な……」
「……真実……」
フォルテの語る言葉の中で最も重みの感じた二文字を、リュウは噛みしめるように復唱する。
ゴラドの語った言葉こそが真実だと、今この瞬間誰もが思っていることだろう。自分達を苦しめてきた悪夢を晴らす手段がようやく見つかった。皆その喜びに心を奪われてしまっているのだ。つい先程までリュウ自身もそう思いかけていた。自分がいなくなれば、世界が平和になるのだと。
だがフォルテは違っていた。この世界で恐らく最大の権限を持っている「救助隊連盟」の命令があるにもかかわらず、また別の可能性を信じているのだ。誰もが知る真実とは違う、もう一つの「真実」。
「……次会った時には、容赦はしないからな」
行くぞ――そうレバントとバチスタに促して、フォルテは行ってしまった。リュウとキトラはしばらく、その後ろ姿を眺めていた。その間、リュウの頭の中ではずっと、先程フォルテの言った言葉がループしていた。彼等の姿が完全に見えなくなる頃になって、キトラがリュウに顔を向ける。
「リュウ、フォルテさんもああやって、リュウのことを信じてるんだよ。ボクだって同じさ。フェルガナさんから『キュウコン伝説』を聞いた時はすごくビックリしたけど……でも、ボクは決してリュウを疑わなかった」
「どうして?キミだって、自然災害で……」
「そうだね。ボクは災害で両親を亡くした。ボクみたいな思いをするヒトをこれ以上増やさないために、救助隊を結成したんだ」
でもね、と言葉を一旦切って、何かを思い出すようにキトラは空を仰いだ。
「『ハガネ山』での救助のこと、覚えてる?」
「エアームド、だっけ?そいつと戦った時だよな」
「うん、あの時エアームドも、地震の原因をディグダ達と決めつけてイオを誘拐した。この世界全体で猛威を振るうほどの地震なんて彼等は起こせないはずなのに、一刻も早く災害から逃れたいから、エアームドはあんな事件を起こしたんだ。今回だって同じさ。みんながみんな、災害のない平和な世界で暮らしたいから、それが叶うならどんなことでもやろうと躍起になってるんだよ。でも、誰かを犠牲にしてまで災害を無くそうだなんて、ボクは思わない。キミがいなくなってこの世界から災害が消えたとしても、ボクは一生幸せに暮らすことなんてできないよ。それくらい……ボクにとって、リュウはかけがえのない親友なんだから」
だからあの時――「キュウコン伝説」が語り終わった時、キトラは真っ先にフェルガナに食ってかかったのだ。リュウが伝説に出てきた人間で、世界の崩壊の元凶であることなんて信じられない、と。
「なのに……それなのに、リュウが自分のことを信じられないでどうするのさ!記憶を失くしてるから本当のことは分からないかもしれない。でもリュウが否定しなきゃ、みんなにとってゴラドの言ったことが真実になっちゃうんだよ?本当に、リュウはそれを望んでるの?」
キトラの一喝が、リュウの心の中で眠っていた何かを呼び覚ました。
崩しようがない事実をつき付けられて、周りにいるヒト全てが敵であるように思えて、目の前が真っ暗になってしまったせいで、唯一無二の親友の思いに気付くことができなかった。消すべき者というレッテルを貼られても、こんな自分を信じてくれる者がいる。そんなことさえも忘れてしまっていた。
「リュウさん」
声のした方へ目をやると、そこにはトーチが立っていた。真っ先にリュウ達に危機を知らせてくれて、誰もがリュウを攻撃する中たった一人だけその流れに抗った、小さき存在。
「ぼく、ずっとリュウさんに憧れてました。優しくて勇気があって、どんなに強いポケモンにも立ち向かっていくリュウさんが、本当にカッコよかった。ぼくもいつか、誰かを助けられるくらいに強くなったら、リュウさん達と救助がしたいんです。だからリュウさん、くじけちゃダメです。リュウさんはぼくにとって、ヒーローなんだから。ぼくも、リュウさんを信じてます」
幼い声、だけど力のこもった言葉。目頭が熱くなって、リュウは気付かれないように、一瞬目を固くつぶった。恐れや疑いはもう残っていない。凍てついた心を溶かすように気を奮い立たせ、まだ“サイコキネシス”のダメージは残っていながらも、リュウは両の足でしっかりと立った。
「分かった。あきらめないよ。真実を絶対見つけ出してみせる!」
思えば、久しぶりに笑顔になれたような気がする。今まで止めどなく溢れ出す疑心や恐怖から身を守るのに精一杯だったせいで、感情を顔に浮かべる余裕など全くと言っていいほどなかった。笑顔はやがて笑顔を生み出すもの。キトラもトーチも満面の笑みを浮かべた。
「うん!それでこそボク達のリュウだよ!とりあえず、しばらくはここに戻れなくなるけど……でも、必ず帰ってこようね。真実を見つけて!」
そうと決まれば、早速準備をしなければ。
追っ手の救助隊から逃れるとはいえ、やみくもに逃げ回るつもりはない。リュウ達は地図を広げると、目指すべき場所に印をつけた。「アナザー大陸」北東の果て――未開の地であるためか、山などの地形も描かれず文字通りの空白地帯となっている場所。
伝説を語った後、「空虚の地」というキーワードをフェルガナは残してくれた。詳細な場所は教えてくれなかったけれど、地図を見る限りこの場所がその名にふさわしいのではないかと考えた。たとえそうでなくとも、地図に書かれていないということは誰も滅多に足を踏み入れないほど厳しい環境であるということだ。一筋縄ではいかないだろうが、突破できればかなりの数の追手をやり過ごすことができる。
逃避行が長くなることも考えて、それ相応の道具は必要になってくる。しかし、疑いをかけられてしまったせいで、「サルベージタウン」の施設は全て使えなくなってしまった。今道具箱に残っているものと、基地にとっておいた僅かな道具しか補給方法はない。それでも、「大いなる峡谷」へ向かう際に用意した量よりは十分多かった。恐らくいつも使っている道具箱では到底足りないだろう。サブバックも準備した方がいいだろうか。
長旅の荷造りをしている間、リュウは準備のために基地内を走り回るキトラを眺めていた。その心に宿しているのは、自分でも正しいのかどうかは分からない、ある一つの決意だった。
翌朝。
「ふあぁ……トーチ君、さすがに早過ぎなんじゃない?リュウさん達だってまだ起きてないかもしれないよ?」
「大丈夫だよ。朝早く起きないと他の救助隊も起きちゃうし、見送りするにはこのくらい早くないと」
こんな話をしながら街へと続く小道を歩いているのは、トーチとその友人、トランセルのフォトン。これから街を発つリュウ達の見送りのために救助基地へ向かっているのだった。……もちろん、例の如くトーチは母親に内緒で、こっそり抜け出してきたのだが。こうでもしないと、足の遅い彼等ではリュウ達の出発に間に合わない。
ようやく基地にたどり着くと、二人は妙なことに気が付いた。基地のドアが、少し開いているのだ。まさか、戸締りもしないで行ってしまったのだろうか?
「あの、失礼します……」
ドアを開けて、部屋の中を覗き込む。部屋の中には、キトラがこちらに背を向けて、小さな椅子に腰かけている。彼の肩越しから、何かの紙の角が見えた。リュウの姿はどこにもない。
「キトラさん、リュウさんは?」
フォトンは続けかけたが、突然糸が切れたように、キトラが両手でテーブルを力強く叩いた。その反動で、今までキトラが持っていた紙きれが地面に落ちる。
「リュウのバカ!どうして……どうしてだよ……ッ!」
天を仰いで叫び、キトラはテーブルに突っ伏して声を上げて泣きだした。あまりにも唐突過ぎて、トーチとフォトンはただ狼狽するばかり。その時、トーチは紙切れに何かが書いてあることに気付いた。
そこには、少し覚束ないような文字で、こう書かれてあった。
キトラへ
やっぱり、真実を見つける旅はオレ一人で行くことにします。
昨日は、オレのことをかけがえのない親友と言ってくれて、本当に嬉しかった。
オレにとっても、キトラはこの世界で初めて出会った、大切な親友です。
だからこそ、キミをこれ以上危険な目に会わせたくない。
今この手紙で伝えていることが、キミの気持ちを裏切るものだってことは、十分理解してる。
だけど、今回の旅はいつもの救助とわけが違う、とても厳しいものだ。
もしこの旅路のどこかで、キミが命を落としてしまったら。
たとえ真実を見つけて疑いが晴れたとしても、
その時キミがこの世界からいなくなってたら、オレは一生後悔するよ。
だから、オレが真実を見つけて帰ってくるまで、安全なこの街で待っていてほしいんだ。
ごめんね、キトラ。
その頃リュウは、遠くの山で起こっている火災を崖の上から眺めていた。見えている限りでも五つほどの山を、真っ赤な炎がすっぽりと覆ってしまっている。噂で聞いた話だが、未だに完全に消火されず、一か月ほどこのまま燃え続けているらしい。そしてこの世界に住むポケモン達は、この山火事も含めた自然災害の原因を、リュウ一人の存在だと思っているのだ。
その思い込み、間違っていることを証明してやる。例え地の果てまで逃げようとも……
リュウは地図を広げた。早朝に飛び出したとはいえ、まだ「サルベージタウン」から少ししか離れていない。今いる場所から地図の空白地帯まで爪でなぞってみる。地図では短く感じるが、これからこの途方もない距離を、自分の身一つで歩かなければならないのだ。
そして、目的の地に行くにはまず「群青の洞窟」と呼ばれるダンジョンを突破しなければならない。今まで探訪した場所の中で最も遠く、今日からそこへ向かっても、辿り着くのは三か月かかってしまうだろう。リュウとしては、体力の温存のためにも、なるべくこういった洞窟には近づきたくないところだが……
「おい、ここにはいないみたいだぞ?」
「分かった、じゃあもう少し先に進んでみよう」
「あぁ、早くリュウを消さねぇとな……」
もう追手が来たのか――リュウは小さく舌打ちをし、急な坂道を駆け下りていった。