第二十四話 時の精霊
「ネ、ネイティオ?フェルガナさん、貴女が?」
キトラがいかにも信じられないといったような面持ちで、ひっくり返った声で問いかける。本人を目の前にして流石に失礼だが、言葉にせずともリュウも同じことを訊こうとしていた。
目の前でポケモンが別のポケモンに変身したことへの驚き、つい先程まで傍にいた者が実は自分達の探し求めていた相手だということに対する驚き、あとこれはリュウ限定であるがその奇抜な見た目が与えるインパクト等、数多の衝撃が怒涛のように心に押し寄せてきて収拾がつかなくなっていた。
そんなリュウ達の動揺を感じ取ったのか、フェルガナが導くように語りかける。
「いかにも。私こそが、ネイティオの、フェルガナだ」
「でも、フェルガナさん。さっきまでヤミカラスでしたよね……?」
「先程も、言ったはずだ。私――ネイティオは、確かに、ここにいる。だが、貴方達には、『見えない』だけ、だと」
そんなこと言われても。と言葉にこそ出さなかったが、リュウは頭を掻き、キトラは長い耳をつかんでギュッと引っ張るなど各々のリアクションで困惑を示した。そんな彼等の反応に気付いていないのかそれとも気付かないふりをしているのか、フェルガナもただじっと微動だにしないまま何とも言えない気まずい空気が流れていく。
すると、フェルガナ自身は行動を起こしていないはずなのに、彼女の懐から何か光り輝くものがころりと転がり落ちた。「それ」は二回ほど小さくバウンドした後、コロコロとキトラの方へと転がっていき、彼の足にぶつかる前に制止した。
フェルガナが落としたのは、赤い夕陽に照らされながらも淡い青色の光を湛えた宝珠だった。大きさは野球で用いるボールほどであり、よく見ると宝珠の内部に、白い煙のようなものが黙々と立ちこめているように見える。
「これは……不思議玉だね」
「不思議玉?」
聞き慣れない言葉だから疑問符をつけて返したのだが、キトラの露骨に驚いたような顔を見る羽目になってしまった。これはポケモンの世界では常識で元人間の自分だけ知らないパターンか。またやっちまったと苦い顔をする前に、長い付き合いのおかげで色々察したのか、あぁ、とキトラは小さく両手をポンと叩き、
「そっか、ボク達あんまり不思議玉とか使ったことないもんね。不思議玉は木の実と同じ、ダンジョンではとても役に立つものなんだ。手に持って高く掲げるだけで、冒険の途中でも脱出できたり、味方を強化したり、逆に敵を状態異常にすることだってできるんだよ」
リュウの知識不足を、チームのダンジョン探訪経験不足に上手く置き換えてくれた。
「その通り。そして今、私が落としたのは、[変化の玉]という、ものだ」
いつの間にかフェルガナがすぐ目の前に立っており、仰天したリュウは慌ててキトラの陰に隠れようとした。無論リュウの方が背は高いので、隠れようとしても無意味なのだが。
「[変化の玉]は、その名の通り、ポケモンを一時的に、別の存在へと、生まれ変わらせることが、できる。私はこれを使って、ヤミカラスとなり、貴方達の旅に、同行したのだ」
ヤミカラスに化けていたから、「ネイティオのフェルガナ」は「見えない」ということだったのか。
説明を聞きながら、キトラがしげしげと[変化の玉]を手に取って眺めている。この玉自体は彼も見るのは初めてなのだろう。すでに役目を終えた[変化の玉]はまるで眠るように輝きを失うと、小さな亀裂音を立てて真っ二つに割れ、キトラの手の中でボロボロと崩れていった。
「でも、どうしてわざわざそんなことを?『精霊の丘』で待ってればいいのに、不思議玉を使ってヤミカラスに化けてまでオレ達の旅に同行するなんて」
「結果的に、貴方達を、騙してしまったことには、謝罪する。だが私は、見極めなければ、ならなかった」
身体の向きをリュウ達に固定しつつ、フェルガナは三歩、静かに後ずさった。
「己が過去を、知りたいがために、この、辺境の峡谷を、訪れる者が、どのような、者なのかを、な」
リュウは息がつまるような心地がした。
今の姿はもちろんのこと、ヤミカラスの姿でいた間も自分達が「精霊の丘」を目指していた本当の理由については一言もフェルガナに話していない。しかし、今しがた放たれた彼女の言葉は間違いなくリュウのことを指していた。
「違うか?」
「いえ、合ってます。……いつから、オレ達の目的を知ってたんですか?」
「お前達も、知っている通り、私は、視力というものを、持ち合わせていない。その代わり、この地にて沈みゆく、あの夕日を、眺め続けることで、ヒトや世界の、過去や未来を、見通す力を、持っている」
フェルガナは再びこちらに背を向け、夕陽と相対した。夕暮れ時もそろそろ終わる頃だが、山の間から溢れ出る光は未だに直視できないほどに力強い。それでも彼女は目を閉じるどころかしっかりと見開いて、縫い付けられたかのように眺め続けていた。
「三年前。その日も私は、ここで夕日を、眺めていた。目に映ったのは……ワカシャモと、ピカチュウが、私と邂逅する、光景。その中で、ワカシャモは、己が過去を、打ち明け、自分が、何者であるかを、私に問いかけていた」
まさにそれは、リュウがこれから起こそうとしていた未来だった。しかも三年前というと、リュウはポケモンになっていないどころかこの世界にすら存在していなかったはずだ。そんな昔に、この世に存在しない者が関わっている未来を見通すなんて。いよいよ御伽話でしか語られていなかったネイティオの能力が現実味を帯びた瞬間だった。
リュウは期待に胸ふくらます半面、実際に問いかけることに関して少々不安を抱いていた。実際フェルガナが言ったことを実行するためにここまで来たのだが、ここまで言い当てられると何だか不気味に思えてくるのだ。
そんなリュウの戸惑いまで見通したのか、フェルガナはいつの間にかこちらに顔を向けており、ゆっくりとした足取りでこちらに歩み寄ってくる。
「自分の正体を、問う以上、不安に思うのも、仕方のないことだ。まずは、覚えている限りでいい。貴方が、この『アナザー』に来て、どんな道を歩んできたのかを、私に聞かせてほしい。核心を問うのは、その後だ」
不安の原因は少々違うが、それでも向こうが渡し船を出してくれたことはありがたかった。キトラの協力も得て、リュウはこの半年間――「アナザー」に来てからここに至るまでの経緯をできる限り語った。言葉にしてみると、ポケモンになってからこんなに長い時を過ごしてきたのだということが、改めて実感できる。
フェルガナはただ聞き手に回っているだけでなく、タイミングを見計らっては口を開き、リュウ達でさえ覚えていないこと(主に「サルベージタウン」でのガニメデとの口論など割とどうでもいいことだったが)を付け加えてきた。こうして話している間も、彼女はリュウの過去を見ているのだ。無造作にちりばめられた言葉という名の点を、映像という線で結びつけていく。
「礼を、言う。やはり貴方は、ただのポケモンでは、なかった。人間、だったのだな」
「やっぱり……気付いてたんですね。リュウの正体に」
「私だけが特別、知り得たことではない。力のある、エスパーポケモンなら、身に纏う気を、感知することで、対象の正体を、おぼろげながら、知ることが、できるのだから」
そういえばこの探訪のきっかけとなったフーディン――フォルテ自身もエスパータイプであり、リュウの正体に気付いていた。恐らく「サルベージタウン」の広場で初めて会い見えた時から、薄々感付いていたのだろう。
「それに、貴方達の語った、経緯と、私の見た、貴方の過去も、一致している」
「話の真ん中あたり、ほとんどフェルガナさんが話してましたからね。分かってて訊いたんでしょう?」
「それに、否と答えれば、嘘となる。しかし、私の見た未来が、絶対ではない、というのも、また事実なのだ。あの光景に出てきた、ワカシャモと、ピカチュウが、貴方達である、という確証も、なかったのでな」
確かに、フェルガナの見た未来にワカシャモとピカチュウはいたのかもしれないが、それがリュウとキトラであるという保証はない。種族は同じでも、こちらの名を騙った偽物である可能性だって十分にあるのだ。フェルガナのこの確認はある種当然のものと言える。リュウは一先ず先程の無礼な発言を詫びた後、姿勢を正し、真剣一色の表情で口を開いた。
「フェルガナさん。貴女も知っている通り、オレがこれまで語ったのはポケモンになってからの記憶です。でも……それよりずっと前、人間だった頃の記憶は何一つ思い出せない。いったい何があって、人間からポケモンになってしまったのかも」
今だってそうだ。自分の過去を語って聞かせる間、リュウは時折人間だった頃の自分がどんな人物であったのかを、必死に思い出そうとしていた。
しかしそれはとうとう叶わなかった。人間世界の常識や知識はしっかり持ち合わせているのに、自身のことは――見た目も家族構成もどんな生涯を過ごしてきたのかさえも、欠片も思い出すことはできない。ぶつけようのない苛立ちともどかしさが募るだけだった。
「そんな時、知人から貴女のことを聞いたんです。過去や未来を見通す能力を持ったポケモンがいると。そのヒトに会えば、オレが何者であるか、どうしてポケモンになったのかを知ることができるんじゃないかと」
いつの間にかフェルガナは目を閉じていた。リュウの言葉に合わせて、ゆっくりと何度も頷いている。
「フェルガナさん、教えてください。オレが失くした過去――人間だった頃の記憶を。そして、人間からポケモンになった、その原因を。……お願いします!」
覚えている限りの生涯の中でこれ以上はないというくらい、リュウは深々と頭を下げた。地面に目を向ける最中、ちらりとキトラの表情を窺った。彼もまた、自分のことではないはずなのに、まるで何かの覚悟を決めたような表情でフェルガナを仰いでいた。彼女の口から放たれる言の葉がどんな結果をもたらすのか、少なくともリュウはもちろんキトラにとっても、他人事で片づけられる問題ではないのだから。
「……よ。まさか、貴女は……この子が、私を、訪ねることを、知った上で……」
フェルガナの声はあまりに震えていて、か細くて――言葉は一つとして耳に入ることはなかった。何か言いましたかとリュウは問いかけようとしたが、それよりもフェルガナが先手を取っていた。
「貴方が請う以前から、私は何度も、貴方が語る記憶より、ずっと昔――つまり貴方が、人間だった頃の、記憶を、読み取ろうとした。しかし、私にも、見えなかった」
「見えなかった?」
「例えて言うならば、そうだな。貴方が、ポケモンになる前の、記憶には、一寸先も見通せないほどの、深い濃霧が、かかっている。そんな状態、なのだ。だから貴方は、人間の頃の記憶を、思い出すことができず、私も、貴方の記憶を、垣間見ることが、できない」
「そ、そんな……!」
キトラがへたりと座り込む。まるでリュウの心情をそのまま代弁しているかのようだった。
リュウも同じく絶望している中、頭のどこかでは違う思考が巡っていた。自分の人間だった頃の記憶は失われていなかった。フェルガナの言葉を借りるなら、濃い霧のようなものが、リュウが過去を思い出すのを阻害しているという。ならばその濃霧とは何だ?記憶を封じているその霧は、何かの拍子で生み出されたものなのか、それとも――何者かが意図的に生み出したのか。
いずれにせよ、これで唯一の道が絶たれてしまったことは紛れもない事実だった。過去を見通してもらえない以上、やはり自分達の手で探るしか方法はないのだろうが、手がかりが全くないこの状態では広大な砂漠の中で一粒の砂金を探ることに等しい。
「リュウ。もし貴方が、望むのならば」
目の前にいる二人が意気消沈している中であっても、フェルガナの声は相も変わらず落ち着いていた。
「貴方の記憶を取り巻く、深い霧の中、私が垣間見た、一つの伝承を、教えよう」
「伝承?」
「本来これは、『アナザー』の、ごく限られた地にのみ、語り継がれるもの、なのだが、何故か、貴方の記憶にも、この伝承と、同じ物語が、眠っているのだ。もしかしたら、その中に、貴方の求めるものが、あるかもしれない」
項垂れていたリュウ達にとって、この言葉はまさに一筋の光とも呼べるものだった。
ポケモンもこの世界のことも全く知らないリュウの記憶に、なぜこの世界の伝承が刻まれているのか。何故その伝承だけが、フェルガナの言う記憶の霧の中から見ることができたのか。冷静に考えれば疑問は尽きないはずなのだ。しかし今のリュウ達の脳内は、失ったと思っていた手がかりが見つかったという喜びが完全に支配していた。
「オレの過去が分かるなら、ぜひ教えてください。お願いします!」
勢いよく深々とお辞儀してしまったからだろう。フェルガナが目にも留まらぬほどの一瞬だけ、思いつめたような顔をしたことにも気づくことができなかった。
「分かった。では、教えよう。……心して聞け」
最後だけ念を押すように言うと、フェルガナは少しだけ身をかがめ、何かを呼ぶように天を仰ぎ大きく翼を広げた。