ポケモン救助隊 エルドラク=ブレイブ ―緋龍の勇者―







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第四章 不可視の予兆
第十九話 再始動と、これからのこと
 光というものは、この世のもの全てを遍く照らしているわけではない。物体に光が差した時、地面にその物体の影が映るように、世界のどこかには光の届かぬ「影」と呼ぶべき場所が存在する。
 世界の影。そう、まさに闇という闇に閉ざされている空間と言っても過言ではない場所。

人形(コッペリア)よ、お前の『目』が潰えたぞ」

 まるで独り言のような言葉と共に、黒一色に塗りつぶされた世界にゆらりと小さな影が現れる。しかし、その影はヒトの形を成していない。見えない燭台に灯された、一つの小さな炎の影であった。本来光が強いはずの中心が黒く染まっているため、ほんのりと青く染まった輪郭だけが灯の形を成している。
 その灯が言の葉を投げかけた先には、今度こそヒトが一人、投げ出されたように倒れ伏していた。この暗黒の中、灯が放つ薄い光では顔だけしか判別できない。半分だけ瞼が開いているが、灯がわずかに照らしていてもその瞳に光は宿らない。まさに操りビトを失った、儚げな木偶のようだった。

人形(コッペリア)よ、何故お前の在り方を壊そうとする?我が意思はすなわちお前の意思。お前の意思はすなわち我が意思。お前がその運命に抗うことは、お前の存在を否定し破壊することと同義」

 人形(コッペリア)は何も答えない。否、答えることを許されていなかったのだ。灯の言葉を借りるなら、人形(コッペリア)の意思は灯の意思。灯が返答を要しなければ、人形(コッペリア)は口を開くことすらできない。

「今回はお前の『目』によって阻まれたが、あの異物を取り除く手段はまだある。少しでもその命を永らえたいと願うならば、我の前に二度と立つな」

 人形(コッペリア)は伏した状態のまま、こくりと「頷かされた」。



 そして、舞台は再び光照らす世界へと戻る。

「悪いけど、キミ達にかまってる暇はないんだ!」

 渦巻き模様の腹部を持つニョロゾが群れを成して押しかけてくる。その間を縫うように駆け抜けながら、リュウはまるで辻斬りのように鋭く光る両爪を縦横無尽に振るった。新たに習得した“ひっかく”の強化技、“きりさく”が描いた弧に触れたニョロゾ達は、例外なく深い切り傷を負って吹っ飛ばされる。他方で、放電をし終えたキトラの周りには、目玉のような大きな触角が特徴的なアメモース達が帯電しながら気絶していた。ほんの数分前には二十を超えるポケモン達に囲まれていたはずなのに、今となってはしっかりと意識を保っているのは「エルドラク=ブレイブ」のみとなっている。

「さて、敵さんをこの通り一掃したわけだし、依頼人を探さなきゃね。確かこの階にいるんだろ?」
「そのはずだけど……あ、いたよ!」

 リュウにその場所を教える前に、キトラは目を止めた方向へ走り出す。すると、そう遠くないところで、壁に寄り掛かるようにして座っているポケモンを発見した。目が覚めるようなピンク色の胴体で首には赤と白のヒラヒラした布がついており、巨大な巻貝を頭からかぶっている。キトラ曰くヤドキングというポケモンなのだそうだ。図体はリュウをはるかに上回る貫禄だが、ぐったりとしているし顔色が悪い。食料も乏しいまま長い時間この場所にいたからだろう、かなり衰弱しきっているようだ。

「ほらほら、早くバッジを使って地上に送らなきゃ!『エルドラク=ブレイブ』新リーダーさん!」
「……うるさいな、分かってるよ」

 茶化し半分で急かすキトラを睨み、リュウは道具箱から[救助隊バッジ]を取り出した。
 サジェッタがいない今、キャリアやレベルからして本来キトラが救助隊のリーダーを継ぐべきであるはずなのだが、そのキトラ本人に「リーダーとして活動した方がその分実力もつくんじゃない?」と言われてこの救助隊のリーダーになってしまったリュウ。ただでさえ一人のポケモンとしての知識も実力もまだまだ未熟なのに、これからはリーダーとしての知識や責任もこの身に叩きこまなければならないのだ。
 しかし、リュウは快く請負こそすれ、不満など一言も言うことはなかった。どんな立場であっても学ぶべきことが多くても、リュウのやることはこれまでと変わらない。救助隊の一人として、ダンジョンで危機に瀕しているヒト達を救う、それだけなのだから。
 リュウは右手にしっかりとバッジを握り、天に向かって高く掲げた。いつも救助を終えるときに、キトラが、そしてサジェッタがやっていたこの動作。バッジはいつものように白く光り輝きだすと、その光でリュウ達を包み込み、一瞬にしてダンジョンから地上へと送り出した。


「いやぁ、本当にありがとう。正直もうダメかと思っていたよ。なかなか救助が来ないもんじゃから、ひょっとしたら見捨てられたのではと思ってな……」

 帰還地点である「ペリッパー連絡所」に戻って早々、リュウ達はギクリと身を凍らせ、高鳴る心臓の音を聞く羽目になってしまった。
 「電磁波の洞窟」の一件の後、二度目の入院から復帰したリュウ達は鬼のように救助依頼をこなしていた。それらは全て、活動を休止している間ポストにため込まれたものであった。ポスト自体が小さい故数はそこまで多くなかったものの、その中には当然、一刻を争うほどの救助依頼だって含まれている。それを何十日間もほったらかしにしていたのだから、お礼を言われても怒られる可能性は大であるということは十分に承知していた。現に退院直後、ポケモン救助隊連盟の役人から大目玉をくらってしまったのだから余計に神経は鋭くなっていた。あと一日復帰が遅ければ除名になっていたと言われた時には肝を冷やしたものである。
 確かにサジェッタの件は、リュウ達にとっては今でも傷が完全に癒えないほどの深刻な問題だった。しかし、救助を待つヒト達はそんなことなどつゆ知らず、ただ一心にリュウ達が救助に来てくれているのを待ってくれている。そのヒト達からして見れば、リュウ達の抱えている問題は、たとえどんなに重かろうと切実だろうと所詮他人事にすぎない。身内で問題が起こっても、救助隊は常に依頼人を第一に考えなければならないのである。

「ご、ごめんなさい!あの、けっして見捨てたというわけじゃなくて」
「いいんじゃよ。こうして助けてもらえただけでわしゃあ幸運ものじゃ。わしはこれからも人生を謳歌できるんじゃな……」

 幸い、この依頼人は朗らかに笑って許してくれた。叱責を覚悟していたリュウ達から見るとその笑みはまるで雲の隙間から光が差しているかのようだった。今にも天からの使者が彼を迎えに……これ以上は縁起でもないので控えておこう。とにかく、依頼人から報酬を受け取っている間、本人の前なので今は我慢しているが、リュウもキトラも心底安堵の溜息を吐きたい気持ちでいっぱいだった。

「あれー?そこにいるのはもしや……」

 ヤドキングを見送り、自分達も一旦基地に戻ろうかと思ったところで、聞き覚えのある間の抜けた声が頭上から聞こえてきた。バッサバッサと重たげな羽音を立てて、郵便屋のペリッパー、カテージが目の前に舞い降りてくる。アチャモの頃の目線では見上げるほどだった彼も、進化した今なら文字通り同じ目線で会話することができるようになった。……この何とも言いようのない真正面顔と面と向かって話すのは、まだ慣れていないのだけれど。

「しばらくぶりですねー。あなた達は確かー……救助隊の『エリマキなんとか』さんでしたっけー?」
「『エルドラク=ブレイブ』ですよ!なんでマフラーになってんですか!」
「だってあなた丁度マフラーしてるじゃないですかー」

 そんな理由でかい、というツッコミは酷くどうでもよくなったので心の中で封印しておくことにした。
 記憶を失っているということもあって未だに正体は謎だが、アチャモの時はバンダナとしてつけていたこの布は、今はマフラーとして首に巻いている。進化した時に頭からすとんと落ちたのだろうが、再び頭に巻き直すことはしなかった。もうじき冬も近いので、こうしていた方が何かと都合がいいのだ。
 かといって勝手にオレ達マフラー隊みたいな名前で呼ばれるのは心外なのだが。

「それにしても聞きましたよー。リュウさん進化したんですってねー。いやー見違えましたよー」
「はぁ、そりゃどうも」
「しっかしどうやって進化したんですかー?今災害の影響でポケモンが進化することはできないって聞きましたけどー」
「えっ?」

「あ、あの、カテージさん!ボク達ちょっと明日の準備しなきゃいけないので!この話はまた今度にしてくれませんか?」

 突然、キトラが妙にそわそわした様子で割って入ってきた。さりげなくリュウの手を引っ張り、物言わずとも「早く行こう」と促している。これでは明日の準備とやらが単なる口実だということがバレバレだ。

「き、キトラ。どうしたんだよ?」
「いいから行こう!カテージさん、ボク達はこれで!」
「お、おい!」

 結局、強引に引っ張られるような形でこの場を退散することとなった。二倍もの身長があるワカシャモをピカチュウが引き摺っているというなんともシュールな光景を、当然のことながら街のヒトは揃って唖然とした顔で眺めていた。



「リュウ、さっきはごめん」
「別にいいよ、オレもあれ以上話に付き合えそうになかったし。……途中ですっ転んで顔ぶつけたけど」
「うん。それも含めてごめん」

 強打した嘴をさすった後、リュウは夕食の[ゴスの実]を頬張った。顔の痛みを和らげるほどの甘みが口いっぱいに広がり、それでいてしつこくならないよう微かな苦みが抑えてくれる。この[ゴスの実]、リュウの好物と周囲に認知されているが、どちらかというと「唯一まともに食べられる木の実」という方が正しいだろう。
 ポケモンとなって「アナザー」に来てから半年近くが経つが、未だにこの世界の木の実の味には慣れていない。これまでもサクランボと思ったら酷く辛かったり梨かと思ったら酸っぱかったりと散々な目に遭ってきた。救助の必需品でもある治癒効果を持つ[オレンの実]に至っては五種類の味が一気に襲いかかってくるものだから、最初に食した時は回復どころか逆に昇天するかと思ったほどだ。「良薬口に苦し」というが、この世界では「良薬口に辛し渋し甘し苦し酸っぱし」なのだろう。酷いネーミングかもしれないが、実際そうなのだ。他に言いようがない。
 木の実のトラウマ経験を思い出しながら[ゴスの実]を食べ終えたところで、リュウは気になっていた話題を切り出した。

「ところでキトラ、さっきの進化の話なんだけど」
「……うん、説明しないとね。リュウ、念のため聞くけど、進化のことについてはどこまで知ってる?」
「自分で経験しておきながら、全くだよ。突然姿が変わることすら初めて知ったくらいだから」

 人間だって長い歴史の中で進化を経験してきたが、それは時間をかけて行われたとても緩やかな変化だ。ポケモンのように突然起こるものではない。
 そうだよね。と前置きして、キトラは事細かに説明してくれた。ポケモンは経験を積む、あるいは特定の道具を使用したり環境などの条件がそろったりすると進化して姿形が変わるという基本的なことから始まり、それによって自身の能力やタイプも大きく変化すること、キトラもサジェッタも一度進化を経験していること等々。その中でキトラが特に強調したのが、カテージとの話にもあった昨今の進化事情のことだった。

「今この『アナザー』では、災害の影響で進化ができないのか……」
「災害の影響っていうか、自然界のバランスが崩れたことって言った方が正しいかな。ポケモンはもともと自然に近しい生き物。自然に異常が出れば、ポケモン達もその影響を色濃く受けてしまう。だから進化の件も自然――もっと言えば災害に原因があるって説が有力なんだって」

 サジェッタが進化できないことが発覚した時、キトラは[ポケモンニュース]などで独自に調べていたらしい。ポケモン達にとって主たる情報源とも言える[ポケモンニュース]に出ているということは、この世界に住むポケモンのほとんどがこの件を知っているということだ。だからあの時カテージも、今時進化はできないと言ったのだろう。

「でも、その中でリュウは進化することができた。この時代でも進化できるんだって希望を与えたってとることもできなくはないけど……たぶんこう考えるヒトもいると思うんだ。『リュウは普通のポケモンじゃない』って」
「実際、元人間だけどな」
「でも街のみんなには教えてないでしょ?リュウが元人間だってことを知ってるのは今のところボクだけ。今までは普通のポケモンとしてなんとか振る舞えたけど、これからはそうもいかなくなるかもしれない」

 リュウに何か秘密があると勘ぐった学者達が、いろいろと調べに来るかもしれないからだ。その結果元人間だということがバレて、よくない事実などが流されてはこの世界で過ごすことすらままならなくなる可能性もある。
 そう考えると、「アナザー」に来て間もない頃、見ず知らずの他人であるキトラとサジェッタに元人間だと打ち明けたことも、今思えばかなり危険な行為だったのかもしれない。幸い二人は理解してくれたが、もし大騒ぎされたら今頃こうして生活できていなかっただろう。パニックだったとはいえ、我ながら随分大きな賭けをしたものだ。
 普通のポケモンとして過ごすことはできても、元人間という経歴はついて回ってくる。いつかはそれにけりをつけなければならないのだ。物好きな学者達ではなく、自分自身の手で。しかし、

「正直言うと、まだ迷ってるんだ」
「迷ってるって?」
「できれば、この世界のポケモンとしてこれからも救助をしていきたい。でも、どうしてオレがポケモンになったのか、いつかは自分でその理由を知らなくちゃならないんだ」

 リュウは一瞬、足につけたリングをちらりと見た。もう誰も失わない、今度こそ救うと決めたあの時の誓い。サジェッタの形見だというその足輪に、それをしっかりと刻みこんでいた。

「どちらか一方を優先すると、もう一方が永遠に叶えられなくなるんじゃないかって、これまでずっと足踏みしてた。……変だよな。やっと歩き出せたのに、また立ち止まって」
「リュウは……人間に、戻りたくないの?」
「え?」

 不意の質問に、沈みかけていた心がバウンドして水面に戻ってきたような心地がした。

「リュウの過去やポケモンになった理由が何なのかはまだ分からないけど、いつかは人間に戻る可能性もあるんでしょ?でもこの世界で救助活動を続けたいってことは、人間に戻りたくないのかなって」

 似た質問を、以前にもキトラからされたことがある。あの時は「よくわからない」とはぐらかしたが、今はもうそんな簡単に片づけられる問題ではない。人間に戻りたいのか、それともこの世界にいたいのか。立ち止まってしまったからには、改めて自分の気持ちと向き合う必要があるのかもしれない。自分が何者なのかを知った時に、それに決着がつけば一番いいのだが。
 ひとまずそのことを伝えようとすると、いつの間にかキトラが何やらブツブツと呟いていた。

「やっぱり無理だよね。ボクもできれば、これからもリュウと救助活動を続けたいけど……これはリュウ自身が決めることなんだ。ボクの我儘で止めることなんてできない。リュウのお父さんやお母さんだって、きっと心配してるだろうし……」
「……?なんで、オレの両親の話が出てくるんだ?」

 記憶をなくしているからか、あまり家族について気にかけたことはなかった。それでもふと気になったから軽く質問しただけなのだが、思いの外キトラはハッとして慌てふためいた。

「な、なんでもないよ!今のは忘れて。それより、明日の準備しなきゃ。ボク、ちょっとお店で買い物してくる!」
「えぇっ!ちょ、ちょっと!」

 早口ではぐらかした挙句あっという間に基地を出ていってしまったキトラ。カテージの件といい、今日のキトラは妙に様子が変だ。明日の準備の買い物をすると言った割には、ちゃっかり道具箱を忘れているし。
 リュウは釈然としないながらも、道具箱を持ってキトラの後を追ったのだった。


 基地を出てすぐ、案の定「道具箱を忘れた」ととんぼ返りをしてきたキトラと合流し、改めて明日の準備をすることにした。正直先程の話はまだ少し引き摺っているのだが、キトラのことも考えて、とりあえず無理矢理気持ちを切り替えておいた。
 ヤドキングからもらった報酬のうち、お金の半分は銀行へ、道具は明日の救助で使えそうな物だけを残して倉庫に預けた。気がつけばもう茜色の空。「サルベージタウン」は昼間ほどではないものの、相変わらず多くのヒトびとで賑わっていた。
 いや……賑わいというより、これはざわめきと呼んだ方が正しいだろう。街のヒトびとはみんな二〜五人ほどのグループを作り、深刻そうな顔をして何かを話し込んでいる。状況を読めないリュウ達はヒトの輪の隙間を通り抜け、ハスブレロのバイラを探すことにした。噂好きの彼なら、何か詳しいことを知っているかもしれない。

「あ、お前等!こんなとこにいたのかよ」

 どうやら向こうが先にこちらに気付いたようだ。慣れた様子でヒトとヒトの間を抜けてリュウ達のもとへたどり着く。

「探したぜ。救助基地行っても誰もいなかったもんだから」
「探したって……何かあったのか?」
「何かってレベルじゃねぇっての!火事だよ、火・事!今しがた『キノコの森』で火災が起きてるって通報が来て、森の入り口は救助隊や野次馬でごった返してるぜ」

 救助隊野次馬云々はどうでもいい。しかし「火事」という言葉を聞いた瞬間、キトラの目の色が一瞬にして変わった。四肢になって地面を蹴ったかと思うと、一気にヒト混みを突っ切って広場を出、西に広がる森へと駆けて行く。この突拍子もない行動、本日三度目だ。

「ちょっと、キトラ!」
「ど、どうしたんだ?アイツ……」

 あまりにもあっという間の出来事だったので戸惑ったが、リュウは一先ずバイラに礼を言うと、道具箱に最低限の道具はあることを確認し、またもキトラの後を追う形で「サルベージタウン」を飛び出した。



橘 紀 ( 2014/12/16(火) 00:19 )