第十七話 一歩、歩み出す ―交―
「電磁波の洞窟」。
「サルベージタウン」北に広がる森、さらに湖をも越えた先の岩場にぽっかりと空いた洞穴をヒトびとはそう呼んでいる。規模は洞窟と呼ぶには些か小さいものだが、その名に記されているように、洞窟内部には強力な電磁波が流れているのが大きな特徴だ。この電磁波、現在はすでにその効力は失われているが、かつてはとあるポケモンの進化にも関わっていたという。
特別な効力はないにしても電磁波は電磁波。強弱次第でヒトを癒す特効薬にもヒトを傷つける刃にもなりうるが、ヒトの手が加えられていないこの洞窟は明らかに後者だろう。電気を弱点に持つ者はもちろんのこと、並のポケモンでは一度足を踏み入れれば電磁波によって脳の神経が刺激され、激しい頭痛に見舞われることとなる。故にここに住むポケモンは、耐性を持つ電気タイプか電磁波の届かない地中を住処としている者達ばかりだ。
やはり災害の影響なのか、ここ最近洞窟内の電磁波の量が電流として目視できるほど爆発的に増えているらしい。許容量を遥かに超えた電磁波を受けたポケモン達は理性を失い、しばしば洞窟を出ては付近の森に住むポケモン達に危害を加えているという報告も出ているほどだ。
本来これはフォルテの口から説明されるはずだったのだが、如何せんキトラはリュウが連れ去られたと知るや否や大慌てで飛び出していったので、先程述べた「電磁波の洞窟」の情報は断片的にしか知らない。それでも洞窟入口前に立っただけで、奥から発せられる電磁波のビリビリとした空気を肌で感じていた。電気タイプ故電気に耐性のある自分でさえこのように圧倒されているのだから、中にいるであろうリュウはかなり影響を受けているに違いない。しかもエレキッドに襲われているとなると、一刻の猶予もない事態であることは確かだった。
「フォルテさんの言ってた『電磁波の洞窟』、ここでいいんだよね?エウロパ」
「そうだよ!ったく何も引き摺り回すことないじゃんか……イテテ」
やっとキトラの強制同行から解放されたエウロパが、道中何度も強打した腰をさすりながら愚痴っている。急いでいたとはいえ、流石に乱暴すぎたかな。キトラは苦笑いしながら謝罪した。
「さてと。なんかここにいてもビリビリして頭痛いし、僕は一足先に帰らせてもらうよ」
「うん、ありがとう!」
森へと引き返していくエウロパを見送った後、キトラはここに来てから覚えていた違和感の正体を探った。
肩にかけてきた巾着袋。その袋からかすかに温もりを感じる。その根源には薄々見当はついていたが、念のため袋を開けて中身を取り出してみた。
「うわ!」
その正体が明るみに出た途端、放たれた目映い光に固く目を瞑った。
リュウに会った時、手渡そうと思っていたサジェッタの腕輪。そこに埋め込まれた赤い宝玉が光を放っているのだ。赤く強靭で、だけど温かみのある優しい光。それは戦闘の時リュウが稀に放つ、緋色の炎と雰囲気が酷似していた。何かを叫ぶように明滅する腕輪を、試しに洞窟へと近づけてみる。微かに、ほんの微かにだが、その光が大きくなった。数歩下がって洞窟から離れてみると、光がふわりと小さくなる。
この光、もしかしたらリュウに反応しているのではないか?
「やっぱりリュウは、ここにいるんだね?」
問いかけてみるが、当然ながら光は何も答えない。しかし、洞窟に近づくにつれ輝きを増す光は、何かを伝えようとしているかのようだった。かつての持ち主の言葉で訳すのならば「こんなところでつっ立っていないで早く行け」、といったところだろうか。
「そうだね、急がなきゃ!」
腕輪を再び袋に戻すと、キトラは飛び込むように洞窟へと入っていった。
「ちょこまか動いてんじゃねぇっつってんだろ!」
微細な稲妻の迸る岩壁に、半ば呂律の回っていない野太い声が反響する。闇に閉ざされた洞窟を薄明るく照らしていた稲妻たちも、この声によって一瞬だけ闊歩を止めたかのようだ。だからこそ、その直後に響いた鈍い殴打音が何物にも遮られることはなかったのだろう。
「なんとか言ったらどうなんだ、あぁ?」
「……ぅ、ぐ!」
右頬に拳を一発もらったせいで口が思うように開かない。それでも「なんとか言え」と言われたから返そうとしたのに、今度は腹部を蹴られリュウはさらに大きく吹っ飛ばされた。ゴム鞠のように転がって――そろそろ壁にぶつかるかなと思った瞬間、背中で何かがバチリと弾け、うつ伏せで床に叩きつけられた。岩壁を走る電流に接触したのだろう。
見ての通り先程からずっとこのコンセント頭に殴る蹴るの暴行をくらっているというのに、不思議と痛みが感じられない。それ以上に、ここで意識を取り戻してから感じていた頭痛の方が酷かった。脳が沸々と沸騰するような痛みが、全身の痛覚をマヒさせているようだ。
鶏冠をつかまれ、再び蹴りが眼前に迫ってくる。しかしリュウは避けようとも抗おうともせず、むしろ甘んじてその蹴りをくらった。先程からずっとこうだった。単に頭痛で思うように動けないのではない。絶え間ない頭痛の間から、リュウの中にいる小さなリュウという存在が語りかけてくるのだ。
仮に逃げてもどうせ今までのように心の痛みが付きまとってくる。それなら、いっそここで命を落とす方がいいのではないか――と。
そんなことを思っても誰も救われないということは少し考えれば分かることなのに、今のリュウにはその余裕さえない。ただ、今抱えている苦しみから逃れたい――それだけのために、こんな歪んだ選択肢を選ぼうとしていた。
「リュウ!」
記憶に最も深く刻まれた声が、底無しの闇に滑り落ちそうになる意識をつかんで引き上げる。ぼやけた視界に飛び込んできたのは、突然乱入してきた小さな影が、コンセント頭を吹っ飛ばしている光景だった。聞くも情けない悲鳴を上げながら、今度はコンセント頭がゴム鞠のようにゴロゴロと転がってゆく。
何が起こったのか咄嗟に理解できず一先ず状況を確認しようとしたが、ここにきていよいよこれまで受けたダメージを身体が認識し始めた。重くのしかかってくる痛みに耐えきれず倒れそうになったその時、先程の小さな影がこちらに気付き駆け寄ってくる。
「リュウ、リュウ!ねぇ、しっかりしてっ!」
支えられて――顔がはっきり見えた瞬間、ようやく確信できた。あの日以来、その顔を見て現実を知るのが怖くて、無意識に遠ざけていた友の姿。
「き、キトラ……?」
「リュウ!酷い怪我……ボクのこと、分かる?」
ぐったりするリュウの意識を保たせようと、何度も揺さぶってくるキトラ。満身創痍の身体にその揺さぶりはかえって逆効果なのだが、とりあえずキトラの質問に答えようと、頭がガクガクしながらもリュウは何度も頷いた。
「や、や、だ、大丈夫!大丈夫だから!痛い痛い痛い!」
「あ!ご、ごめん!」
揺さぶりからようやく解放され、リュウはへなへなと座り込んだ。見事に脳内がシャッフルされ、電磁波とはまた違ったクラクラが頭に襲いかかる。
それでも、微かに響いたポツリと言う音はしっかりと耳に入った。
「……よかった。リュウ、本当に、よかった……間に合って、うぅ……」
顔を上げると、ぼろぼろと涙を零しているキトラの姿が目に入った。泣いてこそいるが、ごしごしと拭う腕の間から、しばらく見ていなかった安堵の笑顔が垣間見える。
どうして?目の前にいるのは自分の友人の命を奪った奴なのに、どうしてそんな表情が浮かべられるんだ?
病院にいた時のキトラの表情が脳裏をよぎる。自責に囚われていたリュウを眺めていた、あの虚ろな瞳。いつも輝いていたあの瞳の光が消えたのは、家族同然の友人を失ってしまった所為だ。その事実は決して揺らがない。そして、その原因を作ってしまったのは紛れもないリュウ自身だということも。
だからこうして会った時も、その虚ろな目は変わっていないと思っていた。だが、この笑顔は何だ?
「危ない!」
突然視界がぐらりと流れたかと思うと、キトラはリュウを抱えて大きくジャンプした。程なく彼等のいた場所に、青みを帯びた一筋の閃光が地面を貫く。
「……グルルルル……」
威嚇する獣のような唸り声が聞こえたが、現れたその影は少なくとも獣のそれではない。頭から生えた二本の角に先程の青い電撃を纏わせて、蛇行気味ながらのっしのっしと大柄なヒト影がこちらへやってきた。黄色と黒のツートンカラーに染まった身体はコンセント頭と似ているが、体格はそれよりも一回りも二回りも大きい。丸みを帯びた胴体にがっしりと太い二の腕、鋭い目つきと牙を併せ持つそれは御伽話に出てくる鬼を連想させた。
「やっぱり。あのエレブーも、さっきのエレキッドも、ここの電磁波にやられてるみたいだね……」
抱えていたリュウをゆっくりと降ろしながら、キトラがポツリと呟く。さっきから鬱陶しいくらいに頭を蝕むこの頭痛は、洞窟が発する電磁波によるものだったのか。そしてそこで伸びているコンセント頭、基エレキッドや今しがた現れたエレブーもその影響を受けている。言われてみれば、リュウ達を睨みつけているその目は焦点が合っていないようにも見えた。
「……バッジ、置いてきちゃったか」
横でキトラが何やらゴソゴソやっているかと思いきや、彼は肩にかけてきた巾着袋の中を必死で探っていた。目的のものが見つからないのか一つ溜息を吐くと、
「リュウ、まだ歩ける?」
こちらに背を向けてエレブーと相対しながらこう聞いてきた。ちらりと過った嫌な予感を胸にしまいつつ、リュウは頷く。
「よし。じゃあ、キミは早くここから逃げるんだ」
「……え?」
「ボクは電気タイプだからまだ大丈夫だけど、ここの電磁波は長く浴び続けてると命に関わるくらい危険なんだよ。たぶん、フォルテさんが今こっちに向かってると思うから、キミは先に外に出て助けを呼んできて。それまでは、ボクが何とかしてあのエレブーを食い止める」
こんな時に限って嫌な予感というのは的中する。キトラにしては嫌に冷静な口調だが、頼んでいる内容が危険なものであるということは電磁波に侵された頭でも理解できていた。理性を失っているようだが、見る限り目の前のエレブーはかなりの手練れだろう。フォルテに救援を頼むとはいえ、それまでキトラ一人にこの場を任せるなんてそれこそ今の状況よりも危険すぎる。
しかし、頭でそんなことは分かっていても、足は本人の意思に反して徐々に後ずさりを始めていた。キトラ一人に任せることなんてできない。体力を消耗しているとはいえ自分にも戦う力はあるのだから、ここは二人で力を合わせて戦うべきだ。それなのに、どんどんキトラから遠ざかっていく。
結局足の向くまま、リュウはその場から逃げ出した。バチバチと絶え間なく弾ける火花の音が耳に入るのを、頭を何度も振ることで防いでいた。
キトラの予想通り、フォルテ達もまた、リュウが攫われたという「電磁波の洞窟」に辿り着いていた。再三の警告をしたにもかかわらずついて行くと聞かないエウロパと(背中の籠にトーチを入れた)ルースを連れて、電磁波の影響が薄い洞窟前に佇んでいる。
本来ならばすぐさま救助に向かいたいところだが、フォルテは敢えて洞窟に入ろうとはしなかった。緊急事態ではあるが、これは「エルドラク=ブレイブ」を大きく変えるきっかけになるかもしれないからだ。キトラがリュウを助けに行くことで、「ライメイの山」の一件以来互いに顔も合わせることはなかった二人が再び会いまみえることになる。どんな結末に至るにしろ、リュウとキトラ、これまで互いを思いやるが故にすれ違っていた二人の道が交差する。今がその時なのだ。できればそこに、部外者である自分達が介入するのは極力避けたい。
しかし、フォルテ達がここにきて随分と時間が経つ。恐らくキトラはこちらよりずっと前にこの洞窟に潜入していることだろう。それでもまだ帰ってこないとなると、キトラもまた危機に陥っていることも視野に入れねばならない。変えるきっかけとは言ったが、命を落としてしまっては元も子もないというのもまた事実なのだ。
フォルテは一瞬、右手に握った物に目をやると、洞窟に向かって歩み始めた。
「あれ、結局助けに向かうんすね。フォルテの旦那」
「いくらあのピカチュウ――キトラといったか。あ奴が実力を持っていても、あの『電磁波の洞窟』に入って無事でいられる確率は高いとは言えぬからな。……ところで今更だが、何故お主等はついて来たのだ?」
「え?いやまぁその……なんというか、成り行きっすよ。ね、ルースさん」
「は、はい。私も、あの二人が心配ですから」
「……ママ、そろそろ籠から出ていい?」
ルースの背負っている木の実を入れる籠から、トーチがひょっこりと顔を出す。彼の足ではどんなに急いでも到底フォルテ達に追いつかないため、こうして母親に運んできてもらったようだ。
「ダメよトーチ!ここはとっても危ないところなんだから、おとなしくしてなさい」
「分かっているなら何故ここに連れてきたのだ……」
エウロパとルースに気取られないよう、フォルテは短く溜息を吐いた。心配する気持ちも分かるが、かといって依頼でもないのに不思議のダンジョンに一般ポケモンが立ち入るなど、かえって危険が増すだけだ。できれば「サルベージタウン」で待っていてほしいのだが、ここまで来てしまっては全員梃子でも動かないだろう。
その時、
「三人とも、下がれ!」
フォルテは素早く身構え、背後のエウロパ達に注意を促した。微かにだが、洞窟奥から足音が聞こえてくる。超能力を使えば対象が発する波動で何者かは特定できるのだが、洞窟内部を跋扈する電磁波に阻害されて上手く認識できない。リュウとキトラか、はたまた電磁波に煽られて理性を失ったこの洞窟の住人か。いつでも応戦できるように、両手にスプーンを持ち替えて洞窟奥を睨む。
「!……お主は――」