第十三話 迅雷轟く雷の司
昔、人間とポケモンが共存していた頃、伝説としてある三体の神鳥が古くから言い伝えとして語り継がれていた。
一体は氷の使姫と呼ばれ、その者が天駆けるとき、その地域一帯は瞬く間に雪に閉ざされるという。
一体は炎の化身と呼ばれ、その者が天駆けるとき、その地域一帯には春が訪れると言われている。
そしてもう一体は雷の司と呼ばれ、その者が天駆けるとき、その地域一帯には必ず雷鳴が轟き、嵐が吹き荒れるという。
その中でも、この雷の司はもっとも神に近い神鳥とされ、とりわけ崇め奉られた。雷はもともと神の怒りを象徴したものと昔のヒトびとは考えており、それを操る能力を持っていたのがその所以とされている。
さて、彼の神鳥が携えた神の怒りは、誰に対してのものなのだろうか?昨今から絶え間なく続く災害?それとも―――神鳥の眠りを妨げた者達?
神の怒りの象徴を身に纏い、サンダーがリュウ達の前に舞い降りてきた。
これまで倒してきた電気タイプとは比べ物にならない量の稲妻に包まれたその荘厳な姿は、「沈黙の谷」で見た時と然程変わりない。しかし、
「な、なんだよ?あの炎……」
誰に向けてでもなくそう呟いたリュウの声は、発した本人も驚く程に震えていた。それほど無意識に恐怖しているということだ。キトラもサジェッタも声こそ出さなかったものの、抱いている感情はリュウとほぼ同じだろう。半開きになった口は小刻みにわなわなと震えていた。
リュウ達を恐怖させていたのはその身に纏っている稲妻とは別の、四方八方に手を伸ばすかのごとく揺らめき踊るどす黒い炎だった。雷の司に宿っていながら、稲妻が放つ光をまるで拒むかのように飲み込んでは消していく。リュウ達を見下ろすサンダーの目もすでに光が失われており、ゆっくりと羽ばたいて滞空しているはずなのにその動きはまるで幽鬼のように定まることを知らない。
そう、まるで何か邪悪なものに憑りつかれているようだった。
「気をつけて、来るよっ!」
悪霊のような黒い炎の正体を、どうやら相手は考察する暇すら与えてくれないらしい。キトラの声を合図に、リュウ達は散り散りになって飛び出した。刹那の轟音の後、さっきまでリュウ達がいた場所には大きな焼け焦げができていた。
三人の中で一番サンダーに近い場所まで飛んだリュウは、着地の反動に乗せて巨大な火球を放った。小さな隕石のように空を切る火球は、しかしながら、無情にもサンダーが纏う稲妻のヴェールに弾かれてしまう。
「リュウ、もう一度火球を放て!」
「えっ?」
「早く!」
珍しく声が上ずっているサジェッタに言われるがまま、リュウはもう一度火球を吐く。すると、サジェッタはその火球に向け、翼を大きく振るって“かぜおこし”を繰り出したのだ。風に煽られた火球はサンダーの目の前で花を咲かせるように大きく広がり、瞬く間にサンダーを包み込む。そのまま雷のヴェールを焼き尽くすかと思ったが、無尽蔵に湧く電気の力が勝ったのか、サンダーを包んでいた炎は布が千切れたようにかき消えてしまった。
「くっ、これでもダメか………!」
あまり表情を映さない顔で、サジェッタは言葉で悔しさを露わにする。リュウも似たような心持だったが、それよりも、普段はリュウに対してそっけない態度ばかりとっていたサジェッタが協力を求めてきたこと、そちらの方が驚きだった。
「“でんこうせっか”!」
突き出た岩に飛び乗ったキトラが、疾風の速さで稲妻のヴェールを突き破り、サンダーに体当たりを仕掛ける。結果としてサンダーをよろめかせることができたが、キトラも稲妻のヴェールによってダメージを受け、転がるように着地した。
「キトラ!」
「ボ、ボクは大丈夫だよ!それより、早く逃げて!」
キトラに促され、リュウは上空のサンダーを仰ぐ。サンダーは再び雄叫びを上げながら、背後で度々落ちていた雷を吸収し始めた。次第に分厚くなるヴェール。それが一際強く輝いたと思うと、四方八方に放電したのだ。
リュウは危ういところで稲妻をかわし、近場の岩の陰に隠れて避難しようとした。しかし、その岩にも間もなく稲妻が命中し、リュウを巻き込んで木っ端微塵に吹き飛んでしまった。
「ぐっ!」
横倒しに地面に落ちるリュウ。と、その近くで、サンダーの放った稲妻が地面に突き刺さった。プスプスと立つ煙が、一瞬だがリュウの恐怖を膨らませる。
「キトラ、今だ!同時攻撃で行くぞ!」
サジェッタは大きく舞い上がると、サンダーに向けて両翼を振った。風が巻き起こるのかと思いきや、なんとそこからサンダーのそれに匹敵する程の稲妻が飛び出してきたのだ。これは“オウムがえし”。電気タイプが弱点である上にそれに対する決定打となる技がないため、これを使うことでサンダーの技をコピーしたのだ。
それに続くように、キトラもなるべくサンダーに接近して“10まんボルト”を放つ。二人から放たれた高圧の電撃は、サンダーに過たず直撃した。サンダーの苦鳴が辺りに木霊する。
「やったか……?」
「エルドラク=ブレイブ」は一先ず集合し、サンダーの様子を見計らう。稲妻が一先ず静まっても、黒い炎だけは未だにリュウ達をからかうようにゆらゆらと踊り狂っていた。やはりヴェールを消すことができても、あの黒い炎も破らないと倒したことにはならないのだろうか。案の定、サンダーはしばらく地に羽をつけて痙攣していたが、すぐにまた大空へ舞い上がり、稲妻のヴェールを纏い始めた。
「くそっ、しぶとい奴だ!」
リュウは悪態をつきながら、第二波の火球を放った。キトラとサジェッタもすぐさま互いの技を放つ。しかし、三対同時攻撃にもかかわらず、稲妻のヴェールがそれをいとも簡単に弾き返した。
「(……?待てよ、あのヴェール………)」
相変わらずヴェールの強固さに圧倒されながらも、リュウはあることに気付いた。先程もそうだが、リュウが最初に放った火球も、あのようにヴェールによって消されてしまった。だが、キトラの“でんこうせっか”、また彼とサジェッタが放った電撃はしっかりとサンダーにダメージを与えている。
その共通点は何か?前者はサンダーのヴェールを突き破り、後者は攻撃し終えて身にまとう稲妻がなくなってしまっていた――――
リュウの頭の中の電球が光った。
空に無尽蔵に存在する雷を吸収することで、自身を守るバリアを作る。そのバリアが最大規模まで達したら、今度はそれを武器として放つ。そして稲妻がなくなったら、また空から集め始める―――サンダーはそのサイクルを繰り返しているだけなのだ。だとすれば、次に攻撃を仕掛けた直後、稲妻のヴェールを切らせた瞬間こそが攻撃のチャンスだ。
すぐさま二人に知らせたかったが、一足遅かった。以前より一回り大きく発達したヴェールから、またも無造作に稲妻が放たれる。どこに落ちるか分からない稲妻から逃れるので精一杯だった。とても作戦を話し合える状況ではない。
「ぐあっ!」
サジェッタの悲鳴が耳に入った。走りながら横目で見ると、帯電しながら倒れていくサジェッタが見えた。雷に当たらないよう低空飛行を続けていたようだが、避けきることができなかったらしい。相性の悪い技をくらってしまったからこそ一刻も早く大事はないか確認したいが、そんな余裕すら今のリュウには残されていない。
「サジェッタ……うわ!」
キトラも思わずよそ見をしていたせいで、目の前に雷が落ちてくることに気付かなかったようだ。直撃は避けられたものの、宙に投げ出されて無防備となったキトラを、サンダーは稲妻を纏った翼で叩き落とした。文字で形容し難い呻き声が響く。
「キトラ、サジェッタ!………くっ!」
頼みの二人が戦闘不能になってしまい、攻撃できるポケモンはリュウだけとなってしまった。最後の一発をかろうじて避け、先の二つよりも数倍大きな火球を放ったのだが、まだ何発か隠し持っていたのだろう。一筋の閃光が火球を突き破り、リュウの右まぶた上をかすめた。剰え怯むリュウに追い打ちをかけるように、二つ目の閃光がリュウの身体を貫通する。
「ぐ……あ…………!」
痺れるような感覚と突き刺すような痛みが同時に身体を蝕み、リュウは前のめりに倒れこんだ。右目が異常に熱い。一発目の雷で目の上が切れ、血が目に流れ込んできたのだ。
左目だけ開けてサンダーを仰ぐ。攻撃して切らせてしまったヴェールを再生しようと試みているが、キトラ達の攻撃が効いていたのだろう。周りの雷を集めるのに手間取っているようだ。稲妻に混じる黒い炎もその量が減り、苦しみを表すかのように歪んでいる。
チャンスは今しかない――――体がマヒして動けない今、顔だけを持ち上げてサンダーに標準を合わせた。口を大きく開けて、息を大量に吸って、体内に巨大な炎を作り出す。
「行っけえええぇぇ!」
全身全霊の力を振り絞って放った火球は、度々見た鮮やかな緋色に染まっていた。すでにサンダーはわずかにヴェールを作り上げていたのだが、緋色の炎はそのヴェールや黒い炎をも焼き尽くし、一瞬にしてサンダー自身を包み込む。火球の爆発音とサンダーの悲鳴、双方を混ぜ合わせた音は瞬時にキトラとサジェッタの意識を呼び起こした。
「リ、リュウ………?」
打撲の痛みに耐えながら、キトラが顔を上げると、緋色の炎に包まれたサンダーがゆっくりと地面に墜落していくのが見えた。ヴェールの名残である火花や黒い炎の欠片が、場違いな紙吹雪のようにサンダーの後を追って舞い落ちる。意識が半分朦朧としているせいか、地を揺るがすほどの墜落音が聞こえるまでサンダーを倒したという実感がわくのに数分の時間を要した。
それに反して、同じく意識を取り戻したサジェッタも思うように思考ができないながら、頭の中を疑問で満たしていた。サンダーは倒した。それなのに、この胸騒ぎは何だろう?どうしてこうも不安な心地がする?それに、今朝から薄々感じていた、憎悪の波動のようなものが、ここに来てからより一層強く感じる……
……今のうちに……消さねばならない………!
憎むべき力を持った、あの者を………この手で………!
ここに来るまで何度も聞いた、身体にひしひしと伝わる波動の中に潜む、怨念のこもった言葉。続きが聞こえかけたが、稲妻が当たった箇所が急に疼きだし、集中力が途切れてしまった。全身が引き裂かれるような痛みに思わず呻くと、それに気付いたのか、リュウがこちらへ顔を向けた。
「サジェッタ!大丈夫か?」
まだマヒが残っているのか、千鳥足に近い形でリュウが駆けよってくる。大丈夫だ、無理をするなと柄にもない事を言おうとしたが、それは突如として起こった噴射音によって遮られてしまった。
「な、何あれ……?」
キトラの言葉によって、今この場にいる全員が、眼前の光景が現実であると確信した。
リュウの放った緋の炎によって意識を奪われ倒れ伏しているサンダー。その身体から、消滅したはずの黒い炎が直径一メートルの塊となって姿を現したのだ。武器も持っていないし顔すら映っていない、客観的に見ればただの炎であるはずなのに、サンダーに寄生していた時のそれとは比べ物にならないほどの憎悪と殺意を存分に孕んだオーラが、逃げようとする意志ごと彼等の足に不可視の釘を打ちつける。
―――今、滅ぼす時!
「エルドラク=ブレイブ」の三人が人魂のような禍々しいその姿を確認して間もなく、炎の中央から何本もの矢のような物体がリュウに向けて放たれた。
ああ、あの時と全く同じだ。目の前に映る光景の一瞬一瞬が、心の奥底深くにしまいこんだはずの記憶と何度も重なり合う。あの時もこんな状況だった。満身創痍のあまり一ミリも体を動かすことができないまま、矢を全身に受けたあの方をただ見ていることしかできなくて。
少し考えれば分かることなのに、なぜ今まで気付けなかったのだろう―――サジェッタの脳裏に、二度としまいと思っていた後悔と自責の念が襲いかかる。しかし、こんな状態でも少しだけ身体を動かせたことには感謝した。次の瞬間にはすべての感情をかき消し、痛みを堪え、地面を蹴って、数多の矢よりもずっと早く、ただ無心にリュウに向かって突進する。
「『マスター』、危ない!」
手ごたえを確かに、額に感じた。矢が地面に到達するよりも先に、無事リュウを遠ざけることができた。あの時も放ったこの言葉、今度こそ意味のあるものになれただろうか―――
地面に叩きつけられた音のおかげか、何かが突き破る音は耳には入らなかった。しかし、うつ伏せの状態のまま顔を上げたリュウの目に、避けがたい現実がこれ以上ないほど鮮明に映る。
サジェッタの身体は、いつも見るような翼を広げた飛行姿勢のまま止まっていた。しかしそれは、彼自身の意思でそうしているわけではない。先程黒い炎から雨のように放たれた矢が、サジェッタの身体を地面ごと貫き、このような状態を形成しているのであった。あまりにも惨い光景なのに、何故か目を逸らすことができなかった。意思が失われた頭ががくりと下がった拍子に、半開きになった漆黒の目が閉ざされる。
眼前の光景に釘付けになりながらも、視界の端で何かが小さくなっていくのが見えた。サンダーの身体の上で渦巻いていた黒い炎が、まるで力を使い果たしたようにしぼんで消えていく。それに呼応するかのごとく、サジェッタを貫いていた矢もあっけなく霧散した。矢が完全に消え失せると、かりそめの支えを失ったサジェッタがどさりという重い音を立てて墜落した。
「……サ、サジェッタ……!」
リュウよりも遠方ながら事の一部始終を見たキトラは、その時の顔のまま、夢遊病者のようにふらふらとサジェッタのところまで歩いていく。リュウに至っては立ち上がることすらできなかった。マヒは粗方治っているはずなのに、まるで足に力が入らない。
「サジェッタ……ねぇ、起きてよ。どうしたの?……目、開けてよ……」
ようやく到達したキトラはゆっくりと、小さな手でサジェッタを揺さぶる。次第にその手は早くなり、呪文のように呼びかける言葉にはしゃくりあげるような声が混じり始めた。やがて、キトラの目から数滴の涙が零れ落ちる頃、数人の足音が遠くから聞こえてきた。
「こ、これは………!」
声を聞くまで、その足音の正体が救助隊「FLB」だと気付くことはできなかった。フォルテはしばらくその場にとどまり、辺りを見渡して状況を手早く把握すると、傍らにいるレバントとバチスタに小声で指示を飛ばした。レバントは背中に付いた大きな翼を一振りし、リュウ達の頭上を越えてガニメデの救出に取り掛かる。バチスタは動かないリュウを抱きかかえ、サジェッタのところまで運んで行ってくれた。
「下がっていてくれ」
フォルテが片膝をつき、キトラに離れるよう促す。キトラは少し躊躇ったが、小さく頷いて一歩退いた。
片手に二本のスプーンを持ち、フォルテは空いた右手をサジェッタの首に当てた。脈を取っているのだろう。バチスタに運んでもらっても、リュウは虚ろな目でサジェッタを見ることしかできなかった。
「……どうなんだ、フォルテ?」
思わず口にしたかのように問うバチスタ。フォルテはしばらくその状態のまま、時が止まったかのように動かなくなった。―――しかし、
やがて、顔を伏せ、ゆっくりと首を横に振った。
「そ、そんな………サジェッタ……!」
この時になってようやく、全感覚がリュウの身体に戻ってきた。バチスタの腕を振り払い、這うようにサジェッタに飛びつく。身体を貫通するほどの矢を受けたはずなのに、サジェッタの身体は雷による焦げ跡以外に傷は見受けられなかった。しかし、おおよそ生物とは思えないほどの信じられないような冷たさを肌に感じる。フォルテの無言の返答を見てもまだ信じることのできなかった事実を、この時初めて実感した。
今、目の前で一つの命の灯が消えた。
どこかで聞こえた引きつるような声の主は、キトラだった。ぼろぼろと涙をこぼし、歯を食いしばって、サジェッタのたてがみに顔を埋める。リュウは何度もサジェッタの名を呼びかけるが、その目は開くどころか、未だ尚徐々に冷たくなっていく身体は一ミリたりとも動くことはなかった。
「そんな、嘘だ……サジェッタ………サジェッタアアァッ!」
こみ上げる思いが叫びとなり、リュウの口から迸り出る。サンダーと対峙している間曇天の中を我が物顔で暴れ回っていた雷は、残された「エルドラク=ブレイブ」の思いを感じたかのように、その手を休めて静まり返っていた。