第六話 銀翼の鳥
「……さて、家の出来はこんなものかな」
リュウ達がエアームドと対峙しているちょうどその頃、サジェッタは今朝の地震で崩壊した家の修理を済ませていた。修理と言っても、大概の鳥ポケモンの巣は木の枝を寄せ集めて作る簡素なものなので、わざわざ材料を調達しなくてもバラバラになってしまったものをまた集めて組み立てればよいだけなのだが。
サジェッタの住むこの森は、比較的高い木が多いので鳥ポケモンが多く住みつくことから、「飛翔の森」と呼ばれている。森のシンボルでもある巨木には「飛翔の森」の長老が住んでおり、幸いこの巨木は無事だったものの、他の住居は木そのものが倒れるなど深刻な被害を受けていた。一休みしたら、サジェッタも救助隊員として、怪我人を病院へ運んだり他の家の修理を手伝ったりするつもりである。
「いやー、これは大変なことになってますねー」
修理したての家で休んでいると、どこかで聞いたような間の抜けた声が家の中に入ってきた。サジェッタの家の隣に立っている木の枝で、カテージが羽を休めている。つい昨日会ったばかりなので、声と顔くらいはサジェッタも覚えていた。
「アンタ、昨日のペリッパーか」
「先日はどうもー、カテージと申しますー。さっき『エルドラク=ブレイブ』の皆さんにお会いしたんですがー、なんか一人足りないなーと思いましてー、気ままに飛んでたらアナタを見つけたわけですー」
「………そこまでは聞いてない。というか質問もしていない」
「ひゃー、クールなツッコミですねー」
カテージは翼を広げると、サジェッタの家の木の枝に飛び移った。
「『エルドラク=ブレイブ』に会ったと言ったな。彼等はどうしている?」
「さっそく仕事をしに行きましたよー。ワタシ、彼らに依頼状を届けたんですー」
「そいつはご苦労様。で、どこへ?」
「『ハガネ山』だそうですー、なんでもエアームドに連れ去られたディグダを助けに行くらしいですー………って、あれー?」
微かな羽ばたきだけを残して、サジェッタの姿はすでにそこから消えてしまっていた。
「(……エアームド……か。もしアイツがあのお方の力をそのまま受け継いでいるなら、倒すこともそんなに難しいことじゃないが………ま、行って損することは何もないか)」
歩きでは五時間以上もかかる「ハガネ山」も、空を飛んでいけばそんなにかからない。すれ違う鳥ポケモンも驚くほどのスピードで飛びながら、サジェッタは一路、「ハガネ山」を目指して翼を羽ばたかせた。
一方、ここは「ハガネ山」頂上付近の空間。あと少しで山頂到達というところで、幸か不幸か誘拐犯であるエアームド自らがリュウ達の目の前に現れたのだ。まともにこちらの話も聞いてくれず、現在やむを得ず戦っているのだが、二対一という有利な状況にもかかわらず、リュウとキトラが押されっぱなしの状態になっていた。
というのも、相手は空を飛べるのでこちらの攻撃を縦横無尽にかわせるのに対し、リュウ達は地面を走るかジャンプするかしか避ける手段がない。しかも仮にうまく避けることができたとしても、高威力の攻撃が巻き起こす爆風に煽られて徐々にダメージが蓄積していく。そして、渾身の力で繰り出した技がいとも簡単に避けられることでたまっていくストレスと、ダメージに比例して大きくなる焦りとが、リュウとキトラの身体を内側から蝕んでいった。
「ちょこまかとウザったいザマス!これでもくらうザマス!」
向こうもイライラしているのか、さらに一オクターブほど高くなった叫びをあげるエアームドの翼から、突然無数の小さな黒い塊が飛び出してきた。重力に逆らってフワフワと浮いていると思った刹那、それらが雨のようにリュウ達に降りかかってきた。
「あいてててて!何だよこれ!」
黒い塊が地面に到達して初めて、それらが何本もの鋭い棘を伸ばしている物であるということが分かった。これは“まきびし”。鋭い菱を相手の周りにバラ撒き、行動範囲を狭める技だ。
「どうするのリュウ!これじゃあ動けないよ!」
焦りを露わにして怒鳴るキトラの身体は、先程の“まきびし”が当たったのか所々血が滲んでいた。今のリュウもそんな状態なのかと思うと、背筋が寒くなる。
流石のリュウも、現在切羽詰まった状況であるということは十分に理解していた。エアームドが余裕たっぷりの表情でリュウとキトラを交互に見ているあたり、次はどちらかを大技で菱ごと吹き飛ばすつもりだろう。避けようにも周りに散らばっている菱が行く手を遮るし、かといってジャンプして避けたら余計狙われやすくなってしまう。そうなると、残る選択肢は―――
「“でんきショック”!」
リュウがその選択肢を思い浮かべる前に、キトラが素早く行動に移っていた。「避ける」ことができないのなら「手っ取り早く倒す」しかない。しかし、避ける隙も与えないつもりで放ったこの技も、エアームドの白銀に輝く翼でいとも簡単に弾かれてしまった。
「決めた!まずはアンタから倒すザマス!」
エアームドはニヤリと笑ってそう宣言すると、両翼を今までで一番強く輝かせた。あまりの眩しさに目がくらんでしまい、狙いを定められたキトラは避けることすらままならない。必死に力を入れて開けたリュウの目には、“はがねのつばさ”でキトラを叩きつけようとするエアームドの姿があった。
「キトラアアァァ!」
キトラの名を叫ぶと共に、リュウはダメもとで炎を吐きだした。エアームドに当てようとしても到底間に合わない。そんなことは分かっているはずなのに、こうすれば何か奇跡が起こるかもしれないという変な予感が、リュウの心の片隅で顔をのぞかせていた。
瞬間―――信じられない光景が、この場にいた者達の目にスロー再生で移る。
リュウの口からは確かに炎が出たのだが、その炎は明らかに今までとは違っていた。おおよそ自然の火の色とは思えない、鮮やかな赤―――緋色の炎が、大きく開かれたリュウの口から極太の火柱となり、エアームドの飛行速度より何倍も速いスピードで迸ったのだ。
エアームドももちろんその炎を見たと思われるが、見たと思った次の瞬間には、天井を突き破るまで緋色の火柱に押し出され、やがてエアームド自身が菱ごと遥か彼方まで吹っ飛ばされる結果となった。
「な、何ですか、あれ!」
緋色の炎でできた火柱は、山頂からも確認することができた。それに驚いて声を上げたのは、エアームドに誘拐されたディグダ、名前はイオ。そして、その近くでオニスズメの群れと奮闘していたのは、
「“つばめがえし”!」
「エルドラク=ブレイブ」リーダーのサジェッタだった。空を飛んだおかげでリュウ達よりも早く着いた彼はすぐにイオを見つけ、待ち伏せていたように襲いかかってきたオニスズメの大軍を片っ端から蹴散らしていたのだった。そして今、残る一名を撃退したところである。
立ち上る緋色の火柱は、無論サジェッタも目撃していた。最初は顔に出さずとも驚いたが、やがて彼の心に、二度と感じることもないだろうと思っていた懐かしさが込み上がってくるのを感じた。
「やはり………間違いなかったか」
「ん?サジェッタさん、今何か言いました?」
一連の騒ぎが終わって一安心したイオが、サジェッタの顔を覗き込む。
「……いや、なんでもない」
「そうですか。でも、ありがとうございました。危ないところを助けてくれて………」
「悪いが、礼を言うのは『サルベージタウン』に戻ってからにしてくれないか?救助というのは、無事に街へ戻って初めて成功したことになるんだからな」
「は、はい!」
「よし、まずは一旦下山するぞ。すぐ近くに俺の仲間がいるはずだからな」
サジェッタの予想通り、山を下り始めてすぐにリュウとキトラを発見した。火柱に巻き込まれたのか、溶けかけて変形した“まきびし”が辺りに散らばっている。その中で、あちこちに小さな傷を負いながらも、リュウとキトラは呆然とした顔で穴の開いた天井を仰ぎながら座り込んでいた。
「リュウ、キトラ!」
サジェッタの声で、やっと我に返ったのだろう。二人とも誰かに引っ叩かれたように同時にこちらを向いた。
「サジェッタ!」
「遅すぎだろ!どんだけ自宅修理に時間かけてんの!」
「悪かったな。詫びにお前達が捜していた奴を連れてきてやったぞ」
サジェッタは脇に退いて、リュウ達にイオの無事を確認させた。キトラはもちろん、リュウも今回は、イオにビビらずに安堵のため息をつく。
「ところで、コイツを攫った……エアームドだったか?そいつは……」
ここで何が起こったのかは薄々理解できていたのだが、念のためにサジェッタは聞いてみることにした。しかし、
「ゴメン、なんでだか分からないけど……何が起こったか、全然覚えてないんだ」
「ボクも。いきなり目の前が真っ赤になって、気が付いたらエアームドがいなくなってて……」
二人共、何が起こったのか―――リュウに至っては、自分が何をしたのかさえ覚えていないらしい。あまりにも突然すぎる出来事で、記憶も菱やエアームド諸共彼方へ吹っ飛ばされたのだろうか。
だがサジェッタは、それでいいと思っていた。今はまだ知らない方が、彼等にとって一番いいのだろう。多分。
到着場所を「エルドラク=ブレイブ」基地前に設定し、リュウ達は[救助隊バッジ]を使って「ハガネ山」を後にした。眼前に広がる目映い光が収まって地に足がついたのを確認した時、突然リュウの立っている地面が盛り上がってきた。
「おぉ〜っ!息子よ、無事に帰ってきたか、よかったよかった!」
そう叫びながら、リュウを跳ね飛ばして地面から顔を出すアイオン。本人は決して攻撃したつもりはないのだろうが、相性上こうかはばつぐん……である。
「おぉっ、これはこれは先程のアチャモ殿!失礼した!」
「……アンタ、地面から顔を出す時もうちょい注意したらどうなんだ?」
地面に墜落して頭を強打したリュウ以外、みんなが朗らかに笑った。
依頼の報酬を渡し、親子二人そろって改めて礼を言った後、アイオン達は再び地面に潜って自分の住処へ帰っていった。それを見送って―――まるでアイオン達が帰るのを見計らったように――キトラが口を開いた。
「……それにしても酷いよね」
「酷いって、何が?」
リュウが顔を向けると、キトラはいつになく深刻そうな表情を作っていた。
「あのエアームド、自分がイオを攫ったのは慈善事業だとか言ってたじゃない。地震を起こしているのは彼らが暴れているからって。でも、ディグダ達が暴れたくらいでこんなに大きな地震は来るはずないんだよ」
「じゃあ、あの時エアームドが言ってた噂っていうのは……」
「災害で不安が募った誰かが流したんだろうな。ここのところ毎日のように災害が続いているから、とうとうその元凶を排除しようとする輩まで出てきたというわけか。そして今回、罪のない幼い子供が犠牲になりかけた…………」
独り言のように言ったサジェッタの言葉は、リュウの心の奥底に深く沈んでいった。
救助隊というのは災害に巻き込まれた人々を救うために存在しているのであって、災害の元凶を根絶するというのは管轄外である。エアームドのように「慈善事業」の名の下でその活動をするということは、決して悪い行為とは言えない。だけど……
キトラ達と別れ、家に帰って眠りの世界に入るまで、リュウの頭の中はそのことで一杯だった。本人は自覚していなかったのだが、リュウはこの時、自分に何の関わりもないはずであったこの世界―――「アナザー」について、初めて真剣に考えていたのだった。絶えない自然災害、ポケモン達の動揺、それによって生じる様々な誤解―――自身もポケモンの姿となっている今、それら全てが他人事のように思えなくなっていた。
時同じくして、サジェッタも星空を仰ぎながら、ぼんやりと物思いにふけっていた。もちろん、内容はリュウと全く違う。今日目撃した緋色の炎を思い出しつつ、サジェッタにとって家族以上に大切なヒトの面影を感じていた。
「全く思ってもみませんでしたよ……こんな形で、また貴方に会うことになるだなんて」