第九話 迫りくる二つの危機
今回の救助地点である「妖しい森」は、徒歩の場合近くにある「小さな森」を経由しないと辿り着くことができない。地割れが起こった場所を除けば比較的平和そうなイメージの「小さな森」を抜けると、その雰囲気はがらりと一変した。
夕暮れ時とはいえ、「妖しい森」は真夜中のように暗かった。「小さな森」と比べて規模が大きく、色濃い葉を持つ木々がひしめき合うように乱立しているため、一枚一枚の木の葉が太陽の光の一切を遮ってしまうのだ。そのせいか、どうも歩いているとジメジメとした空気を感じるし、そこら辺に生えている色とりどりのキノコがかえって不気味さを一層醸し出している。
だが幼い子供というのはこういった薄暗さに対して、恐れよりもその先に何が待ち受けているのかという期待に胸ふくらませるほど好奇心が強い。一寸先も見えない暗がりという名の魅力に誘われ、小さな身体に大きな期待を胸に抱いて、後戻りすることのできない冒険へと足を踏み入れてしまう。そんな衝動を駆り立てる作用を持った妖しげな雰囲気を放つ森。毎年迷子が絶えないのは大方その妖気が所以だろう。
「うわー、歩いてるだけなのに気分悪くなってきた………」
「…フォトン君、無事だといいけど」
無論、現在その「妖しい森」に潜入しているリュウ達は「救助」が一番の目的のため、そんな誘惑に惑わされることはなかった。
救助対象であるフォトンの好奇心の大小は定かではないが、このモノクロと言っても過言ではない暗い森の中、どちらにせよじっとしていることはまずないだろう。当てもなくうろうろ彷徨ってしまっては、見つけるのにも相当苦労してしまう。キトラは集中力の十分の九を耳に集め、木の葉の音に紛れているであろう子供の声を聞き取ろうと必死になっていた。リュウもキトラに倣って耳を澄ませつつ、足で叢を切り裂いて道を作りながら進んでいく。
「ん、何だ?あれ」
鬱蒼と茂った叢を切り裂くと、何かがぞろぞろと動くのが見えた。キトラもすぐそれに気付いたようで、リュウと共に切ったばかりの叢に身を隠し、目を凝らしてその「何か」の正体を探る。クリーム色を基調とした笠を頭からかぶった一頭身の形状をしたポケモンで、何か不服そうなむっつりとした表情を浮かべている。それも単体ではない、超がつくほどの大人数だ。
「あれは………キノココだね」
「キノココ?」
「草タイプのポケモンだよ。危険が迫ると頭から胞子を吹きだして身を守るんだ」
ポケモンの世界ではアレがキノコの部類に入るのか―――と、まずそんなことを頭に思い浮かべるリュウ。もちろん、あれは正真正銘のポケモンだ。食べ物ではない。
そのキノココはかなり大規模な群れを作り、規則正しく列に並んで大移動を行っていた。真上から見たら、ちょうどこの森を徘徊する大蛇のように見えるだろう。群れを上げて住処でも変えるのだろうか。
「行こう、リュウ」
「へ、何で?」
「キノココの胞子は猛毒なんだ。ヘタに関わったらフォトン君見つける前に行き倒れになっちゃうよ。さ、早く行こう!」
キトラは妙にそわそわした様子で、リュウを引っ張って足を速めた。
キトラの耳がピクリと動いたのは、それからさらに一時間ほど歩いた後のことだった。確証はないが、トーチに似た子供の泣き声だったという。常人にはまず聞こえないその泣き声を辿るように走るキトラを、クタクタになった足に鞭打ってリュウは追いかけていった。
「うわぁ!」
突き破るように叢を抜けると、キトラが歓声を上げた。リュウは一先ず立ち止まって弾む息を整えた後、ようやく顔を上げる。
目に入ってきたのは、広さこそ違うが「小さな森」に似た草原だった。時間帯こそ違うが、まさにリュウがこの世界に降り立ったあの時の広場を思い起こさせるものだ。星空の下、夜風になびく下草を月明かりが照らし、夜天から降り注ぐ月光をその身に受けた小さな花々は白銀のような輝きを放つ。今までの湿気を含んだ不気味な雰囲気が嘘だったかのように思える美しい風景に、リュウもキトラも思わず見入ってしまっていた。
「って、感動してる場合じゃないだろ!フォトン君捜さないと!」
「う、うん!そうだね!えぇと…………」
再びフォトンの声を聞き取ろうとしたキトラの耳に、突如風を切るような音が飛び込んできた。
「リュウ、危ない!」
キトラがリュウに体当たりしたと思った刹那、今までリュウ達のいた場所に飛び込んできた「それ」は大爆発を起こした。二人共いっしょくたになって転がり、もがくように立ち上がると、朦々と立つ煙の中に何かの影が見えた。その正体が確認できたきっかけは、正直聞きたくなかったあの声。
「ケケケケッ、ちょっと遅かったようだなァ!」
「……ゴラド!」
煙が晴れた先には、ゴラド率いる「イジワルズ」がそこに立っていた。チャーレムの傍には、蛹のような容姿をしたトランセルが、こちらから見ても分かるくらいにブルブルと震えながら佇んでいる。リュウとキトラは、全身に悪寒が走るのを感じた。
「そのトランセルは……」
「フォトン君だよ。案外あっさり見つかってな、とりあえず勝負は俺達『イジワルズ』の勝ちってとこだ。ケケッ!」
リュウは口の中で歯を食いしばった。ゴラドの高笑いが余計癪に障る。勝負に負けた上に、このままフォトンを連れて引き上げていく彼等を見送らなければならないなんて、これほどの屈辱はない。キトラも同じ思いを噛みしめていることだろう。
しかし、何故か「イジワルズ」はなかなか踵を返さなかった。それどころか、フォトンをその場に残して、明らかに何かを企んでいるかのような笑みを浮かべながらこちらへ近づいてくる。
その真意にめずらしくリュウが気付き、咄嗟に息を吸って火球を放った。時同じくしてゴラドも、拳に秘めた邪悪な波動をリュウに向けて突き出す。互いの攻撃は過たず正面からまともにぶつかり、爆発音を残して一塊の煙と化した。
「ほほぅ、なかなか勘がいいじゃねぇか」
「御託は結構。いきなり攻撃とは何様のつもり?アンタ等の目的はオレ達より先にフォトン君を見つけることじゃなかったのか?」
「まぁそれも目的の一つだな。そしてもう一つの目的は…………俺等の野望の障害になるお前等を完膚なきまでに叩きのめすことさ!エーギル!」
ゴラドの言葉を最後まで聞き取らないうちに、リュウは背中に重い衝撃を感じ、叫ぶ間もなく顔から地面に叩きつけられた。チャーレム―――エーギルが気配を消して背後に回り込み、無防備なリュウの背中に“とびひざげり”をくらわせたのだ。エーギルは膝でリュウを地面に押さえつけたまま、目にも留まらぬ速さでもう片方の足をキトラに向けて振るう。
「うぐ!」
不意を突かれたキトラはゴム鞠のように吹っ飛ばされ、力なく地面を転がっていった。四肢を踏ん張ってブレーキをかけようとするが、キトラは止まるどころか今度は真上へ投げ飛ばされてしまった。
「ホホホ、ナイスよアセビ!」
キトラがいたはずの地面からは、アセビという名のアーボが顔を出していた。キトラが転がってくるルートを予知して、“あなをほる”で先回りしていたのだ。相性の悪い技をくらったキトラは反撃することもできず、なすすべもなく地面に墜落する。敵ながら、恐ろしいほどのチームワークである。
「くっ……離せ、離せ!」
リュウはエーギルから逃れようとじたばたするが、暴れれば暴れるほど強く押し潰されてしまう。首を動かして見上げれば、ニヤニヤしながら見下ろすようにリュウを見るゴラドの顔が目に映る。
「最近有名になったとはいえ弱ぇなお前等。やっぱリーダーさんがいねぇとダメってか?ケケケッ!」
声も出ないほど押し潰されているリュウの代わりに、墜落のショックで気絶していたキトラが意識を取り戻し、ゴラドの言葉にすぐ飛びついた。
「な、な……どうしてサジェッタのことを………」
「流石にリーダーさんがいると厄介なんでねぇ。今朝方、ちょっとした細工をしておいたのさ!ケケケッ!」
その頃―――
「……っ、ここは……っ?」
目覚めた瞬間、サジェッタは身動きが取れないことに気が付いた。縄で十字に編んだ網越しに夜の森が見える。夜まで寝過ごしたのかと思ったが、次第にサジェッタの脳裏に、昨晩の記憶が蘇ってきた。
リュウ達と別れ、家路について眠りに付こうと思った時、いきなり目の前に黒い影が現れた。名を聞くのはおろか身構える間もなく、その影の目から何か波動のようなものが飛び出したと思った刹那、サジェッタの意識はそこで途切れた。“さいみんじゅつ”で眠らされてしまったのだ。
そして意識が戻った今、こうして自分は木から吊り下げられるように網に閉じ込められている―――
ここまで考えて、何かの陰謀があると考えないバカはいない。リュウ達の身にも何かが起こっているかもしれない。とにかくここから脱出せねばとサジェッタが足の爪を使って網を切り裂こうとすると、下からざわざわと何かの声が聞こえてきた。
「な………キノココ……?」
サジェッタの真下には、先程リュウ達が目撃したキノココの群れが、野次馬のように集まって彼を見上げているのだった。不思議そうに眺める者もいれば、すでにビクビク震えている者もいる。
マズい…………。恥ずかしいのと嫌な予感を感じ、サジェッタは急いで網を切ろうとした。だが、それが逆にまずかった。爪を立てて暴れる様子を見たキノココ達が、襲いかかってくるのだと勘違いし、一斉に護身用の胞子を吹きだし始めたのだ。
「(しまった!)」
毒々しい色をした胞子がサジェッタを包み込み、やがてそれはドーム状に広がっていく。翼で嘴を押さえるが、事前に息を吸い込んでいなかったため、すぐに息苦しくなってきた。しかも早く網を切ろうと気ばかり焦るせいで、息苦しさはさらに増していく。よりによってキノココ達は逃げる素振りも見せず、ただただ騒ぎながら胞子をまき散らす。
「(……くっ、どうすれば…………!)」
普段は冷静なサジェッタも、この時ばかりは頭の中が真っ白になっていた。
「サジェッタに……サジェッタに何をし………うわっ!」
四肢ながらようやく立ち上がったキトラは、気がつくと既に身動きが取れなくなっている状態になっていた。アセビが“まきつく”でキトラを拘束したのだ。言葉を続けるはずだったキトラの口からは、か細い呻き声しか出てこない。
「キトラ………ッ!」
助けに行きたくても行くことができないというこのもどかしさ。その反動もあってか、リュウが緋色の目を更に鋭くしてゴラドを睨みつける。よく見ると、ゴラドも似たような緋色の目をしていた。だがその内に秘められた意味はまるで違う。それぞれが今置かれている立場をそのまま映しているかのようだった。
「さて、やっぱフィニッシュはアンタが決めるかい?ゴラド」
「当然だ。さて、どんな風にいたぶってやろうかねぇ……ケケケッ!」
ゴキゴキと鳴るゴラドの手は、火球を打ち消したあの波動が再び纏わりついていた。波打つようにうねうねと動く黒いオーラの放つ異様な気が、リュウの中で暴れる焦りを更に増長させていく。
そして、何かを決めたような笑みを浮かべ、邪悪な波動を纏った拳――“シャドーパンチ”を振り下ろした。