第八話 怪しい救助隊と「妖しい森」
ある日の深夜。サジェッタの住処がある「飛翔の森」は、夜行性であるふくろうポケモン、ホーホーとヨルノズク達の鳴き声以外何も聞こえなかった。皆自分の巣で眠りの世界に入っている。そんな彼等を再び目覚めさせないよう、足音を忍ばせて森の中を歩く三つのヒト影があった。
「へへっ、リーダー、ひとまず作戦は成功だな」
「何ともあっけないねぇ。まぁ、よい子はぐっすり寝てるこの時間帯だから当たり前か」
「お前達、もうちょい音量下げて話せ。コイツが起きたら全てが台無しになるんだからな」
彼らが担いでいる袋の中で、「それ」はスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。今自分の身に何が起きているのかもつゆ知らず。
「ホントにありがとうございました〜!危ないところを助けていただいて〜」
「とにかく無事でよかったよ。……あと、喋る時くらいそのなっがい舌なんとかならないのか?」
「これが僕達ベロリンガのチャームポイントですから〜。貴方も三日三晩舌を出し続けていればこれの半分くらいはいけますよ〜?」
「……遠慮しておくよ」
依頼主であるベロリンガに舌なめずりされながら迫られて少々ドン引きしながらも、以前のように顔を真っ青にすることなくごく普通に会話するリュウ。
ここ数日「エルドラク=ブレイブ」は日課の依頼も兼ねて、リュウの「ポケモン慣れ」に専念していた。ポケモンを全く知らないリュウにとって、この世界に住む者達がどんな姿をしていようが衝撃的であることは仕方ない。しかし、見ず知らずのヒトに会う度にビクビクしていては流石に失礼なので、できるだけ様々な種族からの依頼を受け、依頼主とのコミュニケーションをとることでそれを克服しようというものだ。
リュウの物分かりの良さも手伝ってか、始めて十数日のうちに「サルベージタウン」の住人とも気軽に話せるようになり、さらに数十日たった今ではポケモンの基礎知識はともかく、初めて会ったヒトに対してもこのようにいつもの口調で話せる度胸もついた。キトラも一安心である。
「すごい上達っぷりだねぇ。ヒト見知りっぽかったあの頃のイメージが大崩壊だよ」
「それ褒め言葉?あとヒト見知りっぽく振る舞ったことなんか一度もなかったけど」
報酬の半分を銀行や倉庫に預ける間、リュウ達は談笑していた。今日は依頼も簡単なものだったので、まだ空の色は赤みすらかかっていない。「サルベージタウン」全体を包み込むような住人の賑わいは今日も相変わらずだ。
「それより、サジェッタまだ帰ってこないのか?」
「うん……さっき同じ『飛翔の森』に住んでいるヒトに聞いてみたんだけど、まだ誰も見てないみたい」
この日の朝、いつものようにキトラが「飛翔の森」へ迎えに行くと、サジェッタの姿はなく代わりに小さな紙があった。「野暮用があるから今日は二人で依頼をこなしてくれ」と書かれてあったという。
仮にもリーダーなのに私用で仕事を放り出していいのかと思いたくもなるが、野暮用だけにそんな野暮なことを聞いたが最後、物理的に慎重を五センチほど縮められてしまうだろう。彼の性格からして遊びに行っているわけではないと思うのだが、真相は幼馴染のキトラでさえも知り得ない。
「でも、まだこんな時間だしね。夕方くらいには帰ってくるんじゃない?」
「……そうだといいけど」
リュウはそう呟きながら、体内の熱を逃がすために小さく火を吐いた。遥か昔に絶滅した人間の知恵を少なからず受け継いだポケモンの文化には、当然暦の概念も存在しており、四季の一つである夏がもうそろそろ近いということで、外は石畳の地面からの熱で陽炎が見えるほど暑い。とりわけ炎タイプのリュウは、ヒト一倍汗をびっしょりと掻いていた。アチャモ特有のふわふわの羽毛も汗でぐっしょりと重くなっている。
サジェッタが戻ってくるまで、リュウとキトラは救助基地で待つことにした。こんな暇な時間こそ、リュウの勉強にはもってこい。タイプ相性、状態異常等、「アナザー」では人間世界で言う小学生にあたる年齢がすでにマスターしているほどの知識をキトラから教わっていると、突然ドアを強く叩く音が聞こえてきた。
「リュウさーん、キトラさーん!」
ノックの隙間から、聞き覚えのある幼い声も聞こえる。リュウがドアを開けると、
「あれ?キミは……トーチ君じゃないか!どうしたんだい?」
最後に会ったのが二か月ほど前なので名前を思い出すのに少々手間取ったが、確かにそこにはキャタピーのトーチがいた。この暑い中全速力で走ってきたのだろう、リュウに負けず劣らず全身に滝のような汗をかいていた。キトラが慌ててコップを取り出し、基地の外にある水場から水を汲んでトーチに渡す。
「き、キトラさん……すみません」
「いいから。それより何かあったの?」
「は、はい!さっきまで、トランセルのフォトン君と遊んでたんですけど、フォトン君、森に入ったきり出てこなくて……」
遊びが高じての迷子のようだが、災害や「不思議のダンジョン」の出現が頻発しているこの世界における「迷子」はただの「迷子」では済まされない。リュウもキトラも顔つきが真剣そのものとなる。
その森は何て名前と尋ねても、幼いトーチには分からない。リュウが「アナザー」の地図を見せると、トーチは「サルベージタウン」から北東へずっと向かった先の森を指し示してくれた。彼を助けた「小さな森」より、一回りも二回りも規模の大きな森。
「これは………『妖しい森』だね」
「『妖しい森』?」
「ただでさえ道が迷路みたいになってるのに、深い霧のせいで迷いやすい森と言われているんだ。毎年迷子が絶えなくて……」
何より怖いのが、「小さな森」よりも凶暴なポケモンが生息していることだという。フォトンが無事でいられる時間はそう長くはないだろう。言葉にせずとも考えは同じ。リュウとキトラは顔を見合わせ互いに頷いた。
「わかった、オレ達が捜してくるよ………って、あれ?」
再び顔を正面に戻すと、目に入るはずのトーチの姿が、忽然と消えていた。慌てて探してみると、門の前でトーチが三人のポケモンに取り囲まれているのが目に入った。
「おうおう、トーチ君。友達が行方不明なんだって?」
「その依頼、アタイ達が引き受けてやるよ」
「あんなチビ共よりずっと実力があるからな」
シャドーポケモン、ゲンガーを先頭に、めいそうポケモンのチャーレム、へびポケモンのアーボが一方的にトーチに話しかけている。案の定リュウにとっては見たこともないポケモン達だが、キトラに聞くのは後回しにしておいて、癪に触るのは今言った言葉だ。いきなり見ず知らずのヒトに馬鹿にされたら、流石のリュウでもイラッとくる。
「アンタ等ちょっと待て!いきなり出てきて何なんだよ?」
リュウの怒鳴り声に気付いた三人が、一斉にこちらを睨んできた。そのうちの一人――黒い胴体と嫌に歯並びのいい大きな口を持つゲンガーが、ずかずかと前へ出てくる。
「何って、困っているポケモンに救いの手を差し伸べてたんだよ。救助隊として当たり前のことだろ?」
「それは否定しないけど、トーチ君はオレ達に頼んでたんだぞ?アンタ等がやってるのは『救いの手』じゃなくて『横取り』だろ?」
「あらあら。かわいい顔して生意気な口きくわね、このボウヤ」
口を開いたのは、チャーレム。ずんぐりとした足腰とは対照的にすらりとした上半身に、鱈子唇。そして声の色からして多分、女性。それはもう大人の女性を強調するねっとりとした声色に、リュウはドン引きして後ずさりしかけたもののその足を根性で止めた。言い返そうとしたが、今度はアーボが金色の目でぎょろりと睨みをきかせて割り込んでくる。
「誰が行こうが助けたもん勝ちなんだよ、救助隊ってのは。それにさっき言った通り、『妖しい森』ってのはお前等の実力で抜けられるほど手ぬるい森じゃないぜ」
「さっきから実力がどうとか言ってるけど、キミ達何?ホントに救助隊なの?」
苛立ち混じりのキトラの質問に、ゲンガーが待ってましたと言わんばかりに答える。
「ケケッ、いかにも。俺達はここらじゃ有名な救助隊『イジワルズ』だ。まさか知らないとは言わせないぜ?」
「知りません(ネーミングセンス悪いし)」
最後の本音だけ心の中で呟きながら淡白に答えると、『イジワルズ』の三人は声高らかに笑い出した。トーチがこそこそと三人の輪から抜け出し、リュウの陰に隠れる。
「俺等を知らないとは相当な世間知らずだな。ここらじゃ有名だぜ?世界征服を目指す正義の救助隊ってな!」
世界………征服………?
ゲンガーの言葉を最後に、辺りは気味が悪くなるほど静まり返ってしまった。「イジワルズ」の周りには「何がおかしいんだよ」、「エルドラク=ブレイブ」の周りには「アンタ等本気でそう言ってんですか」というような雰囲気が物言わずとも漂っている。
「ケケッ、何だ?怖気づいて言葉も失ったってか?」
「コメントに困っただけです。それで、『世界を制服で埋め尽くそう計画』を目論んでいる救助隊様が何の用?」
「酷ぇ誤変換だな。それにさっき言ったろ?そこで困っているトーチ君とやらに救いの手を差し伸べてんだよ」
「こっちもさっきリュウが言ったでしょ?トーチ君はボク達に依頼してんだよ。横取りしないでよ!」
「やれやれ、お頭の悪い奴が相手だとどうも埒があかねぇな」
いらだたしげに口を三角にして、ゲンガーが見下ろすようにキトラを睨む。傍からそれを見ていたアーボが、思いついたように首を持ち上げ、
「ゴラド、いいこと思いついたぜ」
耳打ちでゲンガー―――ゴラドに何かを話した。一通り話を聞いたゴラドは再び大きく白い歯を見せると、片手でリュウをいとも簡単に弾き飛ばしてトーチの顔を覗き込んだ。赤い目ともろに合ってしまい、「ヒッ」とトーチが息をのむ。
「いいこと思いついたぜ、トーチ君。俺達とそこのチビ共が競争して、先にフォトン君を助けた方に報酬をあげるってのはどうだ?」
こちらの言葉を全く無視しての提案。キトラはもちろん、跳ね飛ばされたリュウもすぐさま起き上がって抗議しようとしたのだが、「イジワルズ」の残り二名がさりげなく動いてリュウ達の前に立ちふさがる。
「で、でも……ぼ、ぼく、お金、持ってないです…………」
ガタガタ震えながら強いて目を逸らし、か細い声で答えるトーチ。ゴラドは白い歯の奥で微かに舌打ちをしたが、すぐにまたニヤニヤ顔をトーチに向けた。
「大丈夫さ。お金ならあとで君のお母さんからたんまりもらうからね」
そう言うと、トーチの頭をポンポンと軽く叩き、またリュウ達の方へ顔を向けた。ギロリと睨むリュウ達を、あしらうかのようなニヤニヤ顔を浮かべて。
「そういうわけだ。さ、善は急げというし、さっさと行ってちゃっちゃと済ませちまおうぜ!」
ゴラドの言葉にチャーレム、アーボが「おー!」と威勢よく答えると、「イジワルズ」の三人は逃走中の小悪党並みのスピードで走って行ってしまった。幼い子供を脅した上にその母から金を巻き上げると宣言しておいて善は急げとはよく言ったものである。
しばらくその後ろ姿を傍観していたリュウ達は、すぐに気を取り直して、救助の準備に取り掛かった。ただでさえ一方的な申し出、さらにリュウもキトラも売られた喧嘩は買うような性質ではないが、これほどまでにバカにされては流石にこちらのプライドが許さない。預けたばかりの道具を引き出し、さらにカクレオン商店で食糧などを何個か買い込んで、救助基地前でもう一度それらを確認する。
「リュウさん……キトラさん………」
トーチが心配そうにリュウ達を見つめる。ゴラド達の件もあって本当は怯えているはずなのに、そんな気持ちを押しのけてリュウ達のことを心配してくれているのだ。
それならば、なおさら負けるわけにはいかない。
「大丈夫だよ、フォトン君はオレ達が必ず助けてやるから。だからトーチ君はここで待っててくれよ、な?」
その心配を少しでも和らげようと、リュウは余裕を含んだ笑みでトーチに言い聞かせる。まだ不安を隠せない顔のまま、トーチが一つ頷いたことを確認すると、リュウ達は「サルベージタウン」の出口である門を抜け、「妖しい森」へと駆け出した。