第四話 戸惑いばかりのポケモン生活
生き物のほとんどは、その日に酷使した体力を回復するため、また明日の鋭気を養うために「睡眠」という行動をとる。それは体がポケモンになっても同じことである。多分。
でも、なんというか………どんな生き物であれ、眠るための環境も睡眠には不可欠だと思う。極端な比喩になるが、活火山の火口で寝るよりは、森の中で眠った方が断然安眠できる。いくらこの世界の文明が人間世界ほど発達していないとはいえ、
「流石に藁敷き布団はないと思うんだよなぁ………」
暖炉の中で薪がパチパチとなる音を聞きながら、リュウは大きな欠伸をした。藁敷き布団は寝心地が悪くて、疲れていてもまともに寝ることなんかできやしない。欠伸したついでに、思い切り息を吐いてみる。暖炉の火より小さいが、やはり息に混じって炎が迸った。
―――こりゃ寝てる時に下手したら、寝息が布団に引火したりして。
苦笑いしながら心の中で呟いた。
「リュウ!起きてるー?」
ドアをたたく音に混じって、こちらの気分とはまるで正反対の元気な声が聞こえてきた。確か、例の黄色いネズミ―――じゃなかった、ピカチュウのキトラだっけ。
「返事くらいする!礼儀でしょ?」
「うわわ!いきなりドア開けるなよ!」
引き戸をガラガラと開けて、キトラが飛び込んできた。少し遅れて、寝起きで一層不機嫌な顔をしたサジェッタが入ってくる。
「……って、何勝手にヒトの家に入ってきてんのさ?」
「ここはボク達の救助基地だよ。いつからキミの家になったわけ?」
「『救助隊に入ればもれなくこの基地プレゼント!』っていう言葉を昨日聞いたはずなんだけど」
「あくまで貸しただけ。大家は俺とキトラだ」
なんという理不尽。貸すならちゃんと「貸す」って言えよ。リュウは眉間に力を入れて皺を寄せた。
「それにしても、戸締りもしないで寝ちゃって……泥棒が入ってきたらどうするの?」
「やっぱこの世界にも『泥棒』ってものがあるんだ。人間の世界よか平和だと思ってたよ」
「昨日教えたこともう忘れちゃったの?ここ最近は自然災害のせいで街の皆が不安な日々を過ごしてるから、犯罪とかも後を絶たないんだ」
リュウの救助隊入隊が決まった時、キトラがこの世界のことについてさらに教えてくれたのだ。おかげで寝るのが遅くなってしまったけれど。
日常生活が不安だらけだから、犯罪が頻繁に起こる………嫌な悪循環だけど、人間世界だって一昔前は、不景気やら何やらでそれに乗じた犯罪が多発して物騒な世の中になったりもした。その点では、人間もポケモンも同じなのだろう。
こう考えてから思ったのだが、リュウは人間世界の常識ならば、ある程度は記憶に残っているようなのだ。ただ思い出せないのが、自分に関する事柄だけ。広い世界のことは覚えていて、狭い自分のことが思い出せないなんて、ちょっと違和感を覚える。
「まぁとにかく、お前の記憶については一応こっちも協力するが、俺達の救助隊に入った以上、きちんと仕事もやってもらうからな」
まだ眠いのか、不機嫌な顔のままサジェッタが言った。彼こそが、救助隊「エルドラク=ブレイブ」のリーダーなのだという。
「エルドラク=ブレイブ」は、結成してまだ一週間の駆け出し救助隊だ。最近入隊したリュウを除けば、隊員はリーダーのサジェッタと、副リーダーのキトラだけ。彼らは双方、自然災害でそれぞれの両親を亡くした、いわゆる孤児なのである。だがポケモンは、生まれてから一か月くらいすれば、自然と一人でも生きていける程度の知恵は身についてくる。幼馴染であり同じ境遇でもある者同士、互いに助け合って生きてきた二人は、自分達が受けた不幸が二度と起こることのないように、自然災害の被害に遭ったヒトを助ける救助隊を立ち上げたのだった。
だが―――立ち上げたからといって、すぐに救助依頼が来るとは限らない。キトラ曰く、森でトーチを助けたのが初めての依頼だったという。しかも報酬は木の実数個。こんなので食いつなげていけるのか?……と、口に出してしまいそうなほどリュウは思ったものである。
「エルドラク=ブレイブ」の簡単な説明はこのくらいにして、リュウ達に視点を戻そう。現在リュウ達は、今日受ける依頼を探すために「サルベージタウン」を経由して「ペリッパー連絡所」へ向かっている。
「サルベージタウン」というのは、この「アナザー」の中でも数少ない「街」の一つである。一般人(…あ、一般ポケモンか)が住む住宅街や、救助隊が冒険の準備をするための店や倉庫、はたまた銀行まであった。経営者はもちろん、個性豊かなポケモン達。これから何度もお世話になるため、慣れなければならないというのは承知しているけれど、リュウにとってやはりポケモンを見るのは初めてなせいか、数分街中を歩いただけで眩暈を覚えた。
「リュウ、大丈夫?顔紫色だよ?」
「………」
「話しかけない方がいいんじゃないか?」
「そ、そうだね……」
なるべく駆け足で街を通り抜け、やっと目的地に着いた。「ペリッパー連絡所」―――全国から依頼が集められてくる、いわば救助隊の出発点。救助隊は朝早くここへきて、入り口近くの掲示板に張られた依頼をチェックするのが日課なのだ。ちなみに、[救助隊バッジ]を使って地上に送られた時、特に細かな設定をしていなければ到達点はここになるのである。
「さてと、今日はどんな依頼にしようかなぁ……」
キトラがサジェッタの頭の上に乗り、掲示板に張られた何枚もの依頼状を眺めている。高さはそれほどのものではないのだが、身長四十センチのリュウやキトラにとっては、三階建てのビルの真下から最上階につるされている横断幕を眺めているようなものなのである。それでもリュウは、精一杯高く飛び跳ねながら、キトラと同じように依頼を探そうとしていた。
「…あの、無理しなくてもいいんだよ?」
「だってっ、オレだってっ、見たいっ、んだよっ!」
顔色を紫から赤に変えて、必死に飛び跳ねるリュウ。子供なのだが、大人げない。
「大体っ、サジェッタっ、オレもっ、乗せてっ、くれたってっ、いいじゃっ、ないかっ!」
「悪い、途切れ途切れで聞こえなかったからアンコール」
リュウには見向きもせず、サジェッタはボーっと掲示板を眺めていた。流石に堪忍袋の緒が切れ、リュウは何か言おうとしたのだが、口を開いた瞬間、サジェッタの踵落としがリュウの脳天に直撃した。
「…次それ言ったら地面に埋めるぞ」
「まだ何も言ってないじゃないか…………」
俯せになって呻いていると、視界に何か白いものが飛び込んできた。おおよそ文字には見えない文字が、規則正しく列を作って書かれている。多分、掲示板に張ってあった依頼状の一枚がはがれてしまったのだろう。当然、元人間のリュウに読めるわけがない。
「ん、リュウ、どうしたの?」
「依頼が一枚落ちてきたんだ。……読めないから、読んでくれる?」
「今日の夜は読み書き勉強会になりそうだな」
わざとかどうかは分からないが、サジェッタがものすごく澄ました顔で呟いた。絶対イヤミ成分は若干含んでいるのだろうけれど、何か言ったら今度は生き埋めにされる。リュウはおとなしく依頼の内容に耳を傾けることにした。
「えぇと……これは救助の依頼だね。『地割れに巻き込まれてしまいました。どうか助けてください』。場所は………昨日の森だ」
「あの森、まだ地割れが続いてたのか?」
「そうじゃない。遊んでいて誤って転落してしまったんだ。昨日の地割れ以来、あの森は立ち入り禁止区域になっていたはずだからな」
子供特有の好奇心で危ない所に入った挙句、酷い目に遭ったということか。
昨日行った場所だし近いので、全会一致でこの依頼に決めた。早速、準備をしに街へ戻ろうとすると、
「もしもーし。アナタ達ひょっとして、救助隊ではありませんかー?」
間の抜けた声の主は、連絡所と同じような外見のポケモン、ペリッパー。肩から黒い鞄を下げている、人間世界でいう郵便屋さんみたいな恰好をしていた。大きな鳥なら、サジェッタを見たおかげで慣れているので、リュウはそれほど驚かなかった。
「そうですけど………何か?」
「いやー、ついさっき救助隊連盟から召集令が出されましてねー、『サルベージタウン』周辺の救助隊リーダーは至急、連盟本部へ来るようにとー」
「召集令?何なんだろう?」
「どうせまた災害のことだろう。ちょっと行ってくるから、お前達はさっさと救助を済ましておいてくれよ」
「エルドラク=ブレイブ」リーダーのサジェッタは、大きな翼を一振りし、山の方角へと飛んで行った。それを見送った後、リュウ達は「サルベージタウン」で一通りの準備を済ませ、初めての救助となった舞台―――「小さな森」へ、再び足を運んだ。
救助は昨日よりもずっと簡単だった。ナッシーなどの強敵は出てこなかったし、それ以前に、地底に到着して少し行った先に依頼主を発見したので、日が沈む前に地上に戻ることができたのだ。
もう二度とあの森では遊ばないと約束した上で、リュウ達は依頼主を家まで送り届けてやった。疲れて寝てしまった依頼主を送り届けるのがなぜリュウだったのかは、未だに理解できなかったことなのだが。
「あ、サジェッタだ。おーい!」
依頼主の家から救助基地に戻る頃には、日はもう沈みかけていた。キトラが手を振ると、救助基地の前に立っていたサジェッタも、小さく手(翼?)を振り返す。
「今日は随分と早かったじゃないか」
「まぁね。ところでサジェッタ、召集って結局何だったの?」
「あぁ、あれか?別に大したことじゃないんだ」
なんでも、最近自然災害が「サルベージタウン」周辺に集中していることが、調査で明らかになったらしい。そこで、少しでも被害を抑えられるように、全国各地の街から一組ずつ、救助隊が派遣されることが決まったのだという。
「それじゃあ、『サルベージタウン』は今まで以上に賑やかになるね」
「オレとしてはものすごく複雑な気分なんだけど……」
「いい加減慣れろ。俺からはそれくらいしか言えない」
「はいはい………」
リュウは苦い顔をしながら救助基地―――つまり自分の家に入ろうとしたのだが、何故かキトラとサジェッタもさりげなくついてきていることに気が付いた。
「あれ、まだ何かあるの?」
「何かって、今朝サジェッタが言ってたじゃない」
「へ?」
「『今日の夜は読み書き勉強会になりそうだな』……俺、確かそう言ったはずなんだけど」
「えーっ、じゃあまた寝るのが遅くなるじゃないか!」
「それはボク等も同じだよ。すぐに覚えられるから、早めにやって早めに切り上げよう!」
「うー……」
当分まともに寝られる日は来ないだろうなぁ……と、その夜、ポケモン文字の五十音表を壁に張り付けながら、リュウは炎混じりの溜息をついた。