第三話 激戦と救助 そして
リュウが放った火球は、確実にナッシーの腹部に直撃したはずなのに、ナッシーは苦しむどころか、何事もなかったかのように“たまなげ”を連発してきた。ナッシーが頭を振るたびに、頭に取り付けてある顔のついた六個の玉の一つが飛び出し、壁にめり込むか地面を転がっていく。
キトラが宙返りで玉をかわし、空中から“でんきショック”を放ったり、目にもとまらぬ速さで相手に体当たりをする“でんこうせっか”を繰り出したりして、少しずつではあるがナッシーにダメージを与えていく。だが、依然としてナッシーは疲労の色も見せないまま玉を飛ばし続けている。
「随分としぶといね、あの椰子の木」
「ダメージは確実に与えているはずなんだよ。でも我を忘れているせいで、痛みとかそういうのを全く感じなくなっちゃったんだ」
「うへぇ、羨ましいというか恐ろしいというか………」
弾む息の中、リュウが独り言のように呟く。火球を連発する際に無理な呼吸をし過ぎたせいで、息を吸ったり吐いたりする度に肺に重い痛みを感じる。キトラも未だに両頬から電気を出していても、その量は戦う前よりもずっと少なくなっていた。
二人の様子を見計らって―――我を忘れているのにそういうことができるのかわからないが―――いよいよナッシーは本格的な攻撃を始めた。相変わらず放つ玉は一発ずつだけれど、地面に激突した瞬間、その玉が大爆発を起こしたのだ。
「うわわわ!何だよあれ!」
危ういところで爆風から逃れたリュウが驚愕している。これは“タマゴばくだん”。命中精度は“たまなげ”に劣るものの、何かに当たった時に起こす爆発で広範囲の敵にダメージを与えられるようになったのだ。今となっては玉一発避けるのに精一杯なのに、爆発後の煙で一気に視界が悪くなり、次に玉がどこに来るのか全く分からない状態になってしまった。
一転して防戦一方となってしまったリュウ達。先程の猛攻で疲れ果ててしまい、避けるだけでも酷い眩暈を感じた。
「うわ!」
玉は避けられたものの、巻き起こる爆風にあおられてリュウは吹き飛ばされてしまった。背中から地面に落ち、目から火花が飛び出す。足をバタつかせて勢いよく立ち上がると、煙の間から、ナッシーがさらにもう一発放とうとするのが見えた。
「こうなったら……!」
なるべく煙を吸い込まないように、リュウは大きく息を吸い込む。ナッシーが“タマゴばくだん”を放つよりもワンテンポ早く、最大級の火球を繰り出した。
火球と“タマゴばくだん”は、ナッシーの一メートル手前でまともにぶつかり、今度はナッシーが爆風の被害者となった。我を忘れていても、こればかりは効いたのだろう。悲鳴を上げてよろめくナッシーに、キトラが最後の“でんこうせっか”をお見舞いした。
痛みも疲れも忘れ、わけもなく暴れていたナッシーも、重い音を立てて仰向けに倒れた。念のためキトラが近づき、完全に気絶していることを確認すると、素早くリュウのもとへ走っていった。
「リュウ、大丈夫?」
「うん。たいしたことないよ」
戦っている間に酷くなっていた眩暈は、いつの間にかすっかり治っていた。
「それにしてもすごいね。爆風を逆に利用してダメージを与えるなんて、戦いのベテランでもなかなか思いつかない戦法だよ」
「……あ、それはどうも」
戦いにおけるベテランの基準がどんなものか分からないが、一応褒め言葉として受けておいた。すると、
「降りられないよおぉ!誰か助けてええぇ!」
あの時と同じ悲鳴。すぐさま見上げると、地上から約十メートルあたりの壁に、緑色の何かが張り付いていた。目を凝らしてよく見ようとした途端、
「ぎょえええぇぇ!い、い、芋虫いいいぃぃ!」
今度はリュウの絶叫が木霊した。それに驚いたのか、今まで壁に張り付いていた緑色の物体が、いとも簡単に壁から離れてしまった。重力に従って、悲鳴を上げながら落ちていく。その落下地点は―――ちょうど、リュウの真上。
「あ、リュウ。キャタピー落ちてくるから受け止めて」
「は、え?」
受け止めてって、腕無いヒトがどうやって芋虫をキャッチすればいいんですか?
腕の代わりに首回りに生えている羽毛をパタパタと動かすが、もちろんそんなことで受け止めることなんかできやしない。
「へぶっ!」
―――結局、顔面キャッチするしかなかった。
(リュウより一回りだけ)小さいくせに案外頑丈で、リュウの額には僅かだが瘤ができた。
「リュウ、ナイスキャッチ!」
「こんなので褒められても全然嬉しくない……」
リュウの顔面クッション(?)のおかげで、どうやらキャタピーは怪我もなく無事のようだ。まだガタガタと怯えていたが、キトラの説明で何とか落ち着き、トーチという名前も教えてくれた。
「やっぱり、キミがトーチ君なんだね?」
「え……ぼくのこと、知ってるんですか?」
「キミのお母さんから依頼を受けてたんだ。ずっとトーチ君のことを心配してたんだよ(発狂して糸吐くほどに……)」
「うぅ、ホントに怖かったです……」
涙混じりに、トーチは自分が地割れに巻き込まれた後のことを話してくれた。地面に激突する前に、母親譲りの本能からか見境なく糸を巻き散らかしたおかげで、壁にその糸が張り付き大怪我せずに済んだようなのだ。だが幼さ故に壁をよじ登ることもできないし、下には例のナッシーが我が物顔で歩いていた為、そのまま壁に張り付いていたのだという。
俯きがちに話すトーチの背中を、キトラが優しく撫でる。リュウはというと、トーチをキャッチした時の衝撃がまだ収まらないのか、しばらく自分の意識を宙に泳がしていた。
「…あのアチャモさんも、ぼくのことを助けてくれたんですよね?」
「すごいんだよ、あのお兄ちゃん。落ちてくるキミを顔面でキャッチしたからね」
「なんでそこだけ強調して教えるんだよ……」
ようやく意識を取り戻したリュウが、ギロリと鋭くキトラを睨む。キトラとトーチは短く笑った。
「それじゃあ、そろそろ地上に戻ろうか。ボクの周りに集まって」
リュウとトーチがそばに来たことを確認すると、キトラは道具箱からバッジを取り出し、それを天高く掲げた。
一瞬にして視界が白一色になり、キトラとトーチの姿さえも見えなくなった。足が地から離れ、徐々に上へ昇っていくような感覚がしたのを最後に、リュウの意識はブツリと途切れた。
「ママ〜っ!」
地上に着くや否や、トーチは真っ先に母親のルースのもとへ駆けて行った。―――いや、「這っていった」と表記するのが正しいのだろうか。とにかく、ルースも我が子の姿を確認すると、ものすごいスピードで飛んでいきトーチを固く抱きしめた。
「あぁ!トーチ、トーチ!大丈夫なの?怪我はない?」
「うん、平気。あそこのお兄さん達のおかげだよ!」
ルースはリュウ達を見、一先ずトーチを地面に下ろして彼らの所へ向かっていった。
「息子を助けていただいて……本当に、何とお礼を言えば………」
「いやいや、救助隊として当然のことですよ。それに、今回はボクだけじゃトーチ君を助けられませんでしたから。ねっ、リュウ?」
「…え?う、うん。そうだね……」
この上なく引きつった顔で笑うリュウ。原因はもちろん、ルースだ。芋虫であるキャタピーのお母さんというわけだから蝶であることは予想できていたのだが………身長約一メートルの蝶。何も知らない人間が見たらまず驚く。
「あ、あのっ!」
急に、トーチが前に進み出た。
「な、何?」
「その……お兄さん達の、名前を教えてください。すっごくカッコ良かったから!」
「こ、こら!トーチ!」
慌ててルースが諌めるが、キトラがやんわりと止めた。
「いいですよ。ボクはキトラ。そして、こっちが………」
「……リュウです」
キトラに言われる前に、リュウは自ら名乗った。さっきからトーチがこれ以上ないほど目をキラキラさせてこっちを見ている……。恥ずかしいような、怖いような。
「本当にありがとうございました!リュウさん、キトラさん!」
ルースとトーチの礼に笑顔で答え、自分達の住処へと帰る母子を見送っていると、
「今日は大変だったな」
ほぼ音もなく、サジェッタが舞い降りてきた。その足には、色とりどりの木の実が入った籠が握られている。
「サジェッタ、どうしたの?その木の実」
「依頼の報酬だ。ルースは果樹園を経営しているからな。報酬はもちろん木の実だ」
籠をキトラに渡すと、徐にサジェッタはリュウの顔を見た。睨んでいるわけではないようだけれど、意味もなく傍観しているわけでもないようにも見える。
「な、何だよ」
漆黒に染まった瞳すらピクリとも動かさないので、流石のリュウもたじろいだ。そのまま数分間、気まずいような張りつめたような時間が流れていく。敢えて少し離れた場所で見ていたキトラも、緊張した面持ちでリュウとサジェッタを交互に見ている。
やがて、サジェッタは目を閉じ、僅かに首を横に振った。
「一応、礼を言わせてもらう」
「え?」
「キトラを助けてくれたんだろう?」
そのことを聞くだけでこんなに気まずい時間を作ったのかこの鳥は……なんて言ってしまったら生き埋めにされるので、とりあえず一つ頷くと、サジェッタが口の端にそっと笑みを添えた。
「あれ、珍しいね。サジェッタが笑うなんて」
「礼を言うときも無愛想だったら失礼だろうが」
サジェッタはキトラを睨むと、またリュウに視線を戻した。今度は無駄な時間を開けず、翼で「ついてこい」のジェスチャーをした。
「いい所に連れてってあげるってさ。行こうよ!」
先に飛び立ったサジェッタに続いて、キトラも走り出す。リュウだけがまだよく分からない展開についていけず、またなんとなくついていくことにした。これで本日三回目の「なんとなく」である。
サジェッタが再び地面に足をつけた場所は、レンガ造りの建物の前だった。形は雪で作った鎌倉を連想させるが、ちゃんとドアも付いており、家の周りを囲むように薪用であろう木の枝が並べられている。中に暖炉でもあるのだろうか、てっぺんの煙突からは煙がもくもくと出ていた。
中に入ると、やはり最初に目につくのは暖炉だった。その近くには藁を寄せ集めて作ったベッド。床には丸いカーペットも敷いてあり、こぢんまりとしたちゃぶ台の上にはリンゴが何個か入ったお盆がある。
「どう、立派でしょ?これがボク達の救助隊『エルドラク=ブレイブ』の救助基地なんだよ!」
地下の時のように、キトラが得意げに胸をそらして教えてくれた。救助基地―――にしては、なんだか平凡な一軒家のように見えるのは気のせいか。まぁ、住むには十分すぎるほど快適そうな家だった。
「まぁ、立派かどうかはいいとして、本題に入ろうか」
リュウが一通り部屋の中を見渡し終えたのを見計らって、サジェッタが口を切った。
「今のお前は記憶喪失プラス人間からポケモンになって、わけが分からないままこの世界にやってきた。なんとか人間に戻る方法を探そうと思うけれど、住む家もなければこの世界の常識その他も知らない。結局、当てもなくそこら辺を彷徨うしかない。大方、そんなところじゃないか?」
図星―――というか、恐らくこの後考えようとしていたことを全て言われた。ご丁寧に、これからリュウがどうなるかも当てて。
「…恥ずかしながら、そんな感じです」
「やっぱりな。そこで、だ。正直俺は気が進まないが………お前、俺達の救助隊に入らないか?」
突拍子もないことに、リュウは声も出せず固まってしまった。よりによってその提案がサジェッタからというのも十分驚きなのに、救助隊に入らないかとは……一瞬、聞き間違いかと思うほどだった。
「もちろん、タダでなんてケチなことは言わないよ。今ならこの基地が君の家になるサービス付き!」
追い打ちをかけるように、キトラがどこぞのセールスマン風な口調で勧めてくる。
今この提案に「はい」と答えれば、この基地がリュウの家となり衣食住には困らない。ただ、提案がどうしても「はい」と言いづらいものだった。救助隊って……さっきのように災害現場まで行ってヒトを助けるということを毎日やるなんて、下手したら人間に戻る前に命を落とすかもしれないのに。
「さぁどうする?『入る』か『入らない』かの二択だ。五秒以内に答えろ」
こうなったらもう自棄だ―――ナッシー戦の前に封印しておいた思いが、今の状況にマッチしていた。
「分かりました。やります」
「声が小さい。お前男だろ?」
「分かりましたやりますこれからよろしくお願いします!」
苛立ちを詰めに詰め込んだリュウの叫びが、基地を飛び越え森や山に響き渡り、茜色の空を飛んでいた鳥ポケモン達の度肝を抜いた。
リュウ本人としては、ほぼ投げやりで決めたこの選択。
だがその選択が、後に世界の運命を大きく変える引き金になるなど、誰一人知るはずがなかった。