第二話 地割れの底に潜むもの
緑の美しい木々が何本も、突如発生した地割れによって根こそぎ奈落の底へ吸い込まれていく。キトラ達もその巻き添えになりかけたが、サジェッタが咄嗟にキトラを背に乗せ、翼の一振りで大空へ舞い上がりなんとか事なきを得た。地割れはものすごいスピードでその懐を広げ、やっと地響きが収まった頃には、今飛んでいるこの場所でも25メートルの幅はありそうなほどになっていた。
「酷いね、これは……」
地割れに沿って滑空するサジェッタの背から、キトラがひょっこりと顔を出して地割れの底を眺める。今日災害が多発している「アナザー」にとって、地割れは決して希有なものにはなっていないが、今回の地割れは稀にみる大規模なものだった。裂け目の淵から地面が削れ、重力に従って地底の暗闇へ落ちてゆく。
比較的足場がしっかりしていそうな場所まで飛んで、サジェッタは翼をたたんだ。キトラが慎重に地割れの淵まで歩き、首をつっこんで耳を澄ませる。地割れに巻き込まれたヒトがいないかを確認するためだ。
「さっきの流れ星騒動で大半のヒト達がこの森を離れたから、巻き込まれたヒトはそう多くはないだろう。どうだ?誰かの声とか聞こえるか?」
「……ダメ、深すぎる。風の音しか聞こえないや。もっと奥までいかないと………」
キトラが言葉を続けようとした、その時。
「誰かああぁぁ!助けてえええぇぇ!」
狂ったような女性の悲鳴が聞こえ、キトラが顔を上げると、いきなりその顔に何かがへばりついてきた。
「うわわわわ!」
驚いて崖から転がり落ちそうになるキトラを、サジェッタが翼をストッパーにして止めた。
「あ!ご……ごめんなさい!」
悲鳴の主は我に返ったのか、キトラの顔から飛びのいてしきりに頭を下げながら謝った。蝶に似た容姿を持つ、バタフリーというポケモンだ。薄く白い羽が羽ばたくたびに、微細な鱗粉が舞い上がる。
「ゲホゲホッ!ど、どうしたんですか………?」
先程の正面衝突で顔についた鱗粉を払い、バタフリーが巻き起こす鱗粉で咽ながらキトラが聞いた。相手は慌てるあまり、しばらく戸惑いを隠しきれない顔で右往左往し、数分たってようやく落ち着き、口を開いた。
「申し遅れました。私、この近くで果樹園を経営しているルースというものです。さ、さっきの地割れで、私の息子が………」
狼狽えるあまりルースが言葉を続けることはなかったが、そこから先は、キトラとサジェッタでも容易に想像できた。逃げ遅れ、地の底に落ちてしまったのだろう。そこそこ鍛えられたポケモンなら、高い所から落ちても受け身をとることで無傷でいられるが、目の前にバタフリーの見た目年齢からして、彼女の息子はきっとまだ幼い。仮に外傷はなくても、自力で地上まで這い上がることは不可能だろう。
「もう私、どうしたらいいかわからなくて。このままじゃトーチが………イヤアアァァ!」
息子に対する心配のあまり、突然バタフリーは糸が切れたように叫びだし、そこら中に糸を巻き散らかし始めた。
「やれやれ、このご婦人の方が自然災害よりも厄介だよ」
時折降りかかってくる糸を翼で払いながら、サジェッタが鬱陶しそうに呟いた。
「キトラ、そのトーチとかいう息子さんはお前が助けに行ってやってくれ。俺はとりあえずこのご婦人をなんとかする」
「………うん、わかった」
キトラはようやく顔についた鱗粉を取り除き、サジェッタからプラスチック製の道具箱を手渡されると、何の躊躇いもなく地割れに飛び込んだ。
所変わって、ここは地割れの底。
ここから地上までどのくらい距離があるのか、想像もつかない。首が痛くなるまで見上げても、見えるのは稲妻ぐらいの大きさしかない裂け目だけである。
なんだか面倒なことになっちゃったな………と、地割れの底を歩きながらリュウはため息をついた。キトラやサジェッタと別れ、当てもなく走っていたら突然足元が真っ二つ。あっけなく裂け目に吸い込まれたが地面に激突する前に咄嗟に火を吹き、ジェット噴射の要領で衝撃を和らげて大怪我は避けられたものの、脱出策も思いつかずこうして時間を潰すしかなかった。
しかもリュウにとって一番の脅威となるのは、時々襲い掛かってくるポケモン達。恐らくリュウと同じく地割れに巻き込まれた連中なのだろうが、こちらに気付くなり目の色を変えて襲い掛かってくるのだ。普通のポケモンなら、ああポケモンかと思って戦うか逃げるか落ち着いて考えることができるが、如何せんリュウは「ポケモン」という生き物も知らないのに何故かポケモンになってしまった身。襲いかかるポケモン全てが化け物にしか見えなかった。特に卵型のポケモンであるタマタマを見かけた時は度肝抜かれたものである(※無論リュウはポケモンの名前すら知らないので未だにタマタマをタマゴ妖怪だと思っている様子)。
とりあえずポケモンに出会ったら顔を見る前に火を吹いて倒す。人間の世界では間違いなく犯罪だと思われそうだが、こうでもしないと自分の身(&精神)が危ない。サジェッタよりも小柄な鳥ポケモンであるポッポを倒し、少し休もうと腰を下ろすと、奥の方で爆発音が響き渡った。
「なっ、何だ?」
目をやると、朦々と立ち込める煙とともに、何かがバチバチはじける音が聞こえる。リュウは飛び起きて壁沿いに走り、岩陰に隠れて様子を窺った。すると、
「“でんきショック”!」
キトラの声。それと同時に、キトラの赤い両頬から電流が迸り、一気に数匹のポケモンを黒焦げにした。ってちょっと待て、あのネズミ身体から電気を出せるのか?
現実を超越した出来事を一度に見てしまい、リュウは目を回して倒れそうになったが、よく見ればポケモン数十人に対し、キトラは一人で戦っている。強力な電撃で確実に一人一人仕留めてはいるけれど、あれではキリがない。
――これって、助けるべきだよな?やっぱり。
そう思った瞬間、体が勝手に動き出し、気が付けばあれだけ大勢いたポケモンを炎で一掃していた。思わぬ加勢に驚いたのか、キトラが目を皿のように丸くして茫然と立ち尽くしている。ポケモン達が皆気絶しているのを確認してから、リュウはキトラのもとへ駆け寄っていった。
「キトラ、大丈夫かい?」
「え?あぁ、うん。ありがと………」
空気の抜けたような声で礼を言うキトラ。そこまで驚いた顔をされるとこちらもどんな顔をすればいいか分からない。リュウは気まずそうに頭を掻――けなかった。そういえば、手が無いんだっけ。首周りに生えている黄色い羽毛がパタパタと動くだけだった。
「っていうかリュウ、なんでこんな所にいるの?もしかして地割れに巻き込まれた?」
「(気付くの遅いよ……)うん。そうなんだけど」
「そっか。ちょっと待っててね」
そう言うとキトラは、踵を返して走っていった。「待て」とは言われたが、リュウは無意識にキトラの後についていく。そして再びキトラの姿を確認した時、自然とその足が止まってしまった。
そこにいたのは、たくさんのポケモン達。リュウの場合、本来なら驚いて声を上げるか何かするが、それをする余裕など全然なかった。ほとんどのヒトびとが壁に寄り掛かるようにして座り、ぐったりとしている。母親を呼んでいる幼い子供もいれば、酷い傷を負って倒れている者もいた。地割れに巻き込まれて地面に激突し、怪我を負ってしまったのだろう。とても姿を見ただけで気絶するような笑える状況ではない。
キトラはその中の一人のそばに駆け寄り、励ましの言葉をかけた後、肩にかけてある道具箱の中から何かを取り出した。卵型をしていて、羽根の形をした板が左右に付いている。
「あれ、リュウ。ついてきたんだ」
リュウが駆け寄る前に、キトラが一足早くリュウの存在に気付いた。そういえば、「ここで待ってて」なんて言われていたんだっけ。
「何だい、それ?」
「このバッジ?エヘヘ、ちょっと見ててよ」
これってバッジだったんだ……その効果に興味を持つ以前に、リュウはそちらにツッコミを入れた。
キトラは手にしっかりとバッジを握ると、怪我をしたポケモンにそれを翳した。するとどうだろう。突然バッジが白く輝き、それに続くような形で今度はポケモン自身が輝きだし、あっという間もなく、ポケモンは白い光の粒子となって、跡形もなく消え失せてしまった。
「え…………ええぇぇっ!」
「うわ!大声出さないでよ!」
「目の前でポケモンが消えたら普通驚くだろ!何なの今の、消失マジック?」
「……まぁ、初めて見たらそりゃ驚くだろうね。このバッジはね、『救助隊』の証なんだ。さっきみたいに、翳したポケモンを地上まで送り届けることができるんだよ」
どういう構造してんだとツッコむ前に、リュウは不可解な言葉を耳にしたような気がした。「救助隊」―――災害発生現場に行って人々を助ける、あの救助隊?
「あのさ。『救助隊』って、もしかして…」
うすうす嫌な予感を感じながら、恐る恐るキトラに聞いてみた。すると案の定、キトラは得意げに胸をそらして、
「こう見えてもボク、立派な救助隊員なんだ。サジェッタとコンビを組んで活動してるんだよ」
こんな答えを返してきた。
予感見事に的中。不躾なほどリュウはドン引きしてしまった。見た目はともかくとして、口調から判断してもこの子、まだ大人の階段上り切ってなさそうだし……
「何なのその顔、疑ってる?」
「いや、だってさ。救助隊って普通子供がなれるようなものじゃないだろ?訓練とかその辺は………」
「これでもそこそこ鍛えてはいるんだよ。それに救助隊に年齢は関係ないさ。だって大切なのは、『困っているヒトを助けたいと思う気持ち』だもん!」
ここまで胸張ってドヤ顔されるといっそ清々しい。だがそれでも、何か心がモヤモヤして仕方が無かった。その気持ちだけで救助隊になってもいいだなんて、どんだけこの世の中単純なんだ?
その後、キトラは残った人々を地上へ送り返した。この場にいる全員を送って一安心と思いきや、キトラの表情は晴れていないままだった。むしろ、何か焦っているように見える。
「キトラ、どうしたの?」
「あ、ううん!なんでもないよ。それより、早く君も地上に送らないとね」
慌てて首を振ると、キトラをリュウに先程のバッジを向けた。
「それはいいけど……キトラはどうするんだい?」
「ボクはここに残るよ。まだ助けてない子がいるから……」
キトラが首を振った、その時。
「うわあああぁぁん!助けてええぇぇ!」
子供特有の幼く甲高い声。即座にキトラはバッジを道具箱にしまい、声のした方向へ駆けだした。成り行きということで、リュウもなんとなくついていく。左右を高い崖に挟まれた暗い道を駆け抜け、そろそろスタミナ切れになるというところで、突然キトラが立ち止まった。
「うわっ、急に止まるなよ!」
リュウがつんのめって転びそうになりながら怒鳴る。キトラは何も答えなかった。ただずっと、四肢に構えて両頬から火花を出しながら前を睨んでいる。どうしたんだよ……と言おうとして、その言葉を丸飲みしてしまった。
気味悪いほどにテンポ良く、重い足音が聞こえてくる。少なくとも先程の悲鳴の主ではないということだけは、流石のリュウもなんとなく分かっていた。やがて、闇でしかなかった奥の空間からヒト影が姿を現した。四方八方に伸びた葉をさわさわと鳴らし、その付け根には六つの丸い物体が取り付けてある。そしてずんぐりと太った胴体。今までリュウが散々火を吹いて倒してきたタマタマの進化形、ナッシーである。
「……リュウ、戦える?」
「はい?」
「今まで倒してきたポケモンもそうだったんだけど、あのナッシー、地割れに驚いて我を忘れているんだよ。あのまま放っておいたら、絶対ボク達を襲ってくる。なんとか大人しくさせないと………うわっ!」
次の瞬間、キトラの身体は小さなアーチを描いて地面に激突した。彼が説明している最中、突然リュウがタックルで突き飛ばしたのだ。僅かな間をおいて、ナッシーが繰り出した“たまなげ”が、さっきまでキトラが立っていた場所にめり込む。
「た、助けてくれたの?」
「ごめんね、ちょっと乱暴だったかな」
小さく火を吹きながら、調子を確かめるリュウ。大丈夫、まだ使えそうだ。
「さぁ、行くよ」
「行くって……一緒に戦ってくれるの?」
「我を忘れてるだか何だか知らないけど、あの椰子の木みたいなヤツを倒さなきゃ先に進めないんだろ?とりあえず協力するから、さっさと片付けよう!」
こうなったらもう自棄だ―――という思いを一旦封印し、リュウは大きく息を吸って、巨大な火の玉をナッシーに向けて繰り出した。