第一話 新米救助隊と緋い流れ星
ポケモン達が住む世界、「アナザー」。
相変わらず自然災害が多発しているが、それに比例して、ヒトびとを助けるための救助隊も年々その数を増していった。全国の救助隊を総括する「ポケモン救助隊連盟」も、連日飛び込んでくる救助隊登録要請にもうてんやわんやな状態だ。まぁ、いいことなのだが。
さて、ここにもポケモン救助に勤しむ救助隊が………
「うああぁぁっ!今日も依頼状一通も来てないぃ!」
※ここで訂正です。先程「ここにもポケモン救助に勤しむ救助隊がいた。」と言いかけましたが、「ここにはポケモン救助をしようにも依頼が来ない救助隊がいた。」の誤りでした。深くお詫び申し上げます。
「お詫びしなくていいよっ!どーしよぉ……これじゃまた何もしないで一日過ごすことになっちゃうじゃないかぁ!」
誰に向けてでもなく、天に向かって嘆きの言葉を放り投げる一人のポケモン。先端が黒く染まった長く黄色い耳に、真っ赤な両頬。そして稲妻を彷彿とさせるギザギザの尻尾を持つ、ピカチュウと呼ばれる種族だ。蓋をつかむ右腕にはオレンジ色のミサンガが巻かれてある。見事にすっからかんなポストの中身を目の前にして、深くため息を吐きながらペタリと座り込んだ。
それでも、頭上でバサバサと羽ばたく音は聞こえた。元気なく垂れ下がった耳をピクンと動かし、ピカチュウは天を仰ぐ。程なく、ピカチュウの身長の二倍くらいはある鳥ポケモンが、大きく旋回しながら地面に降り立った。一本だけ撥ねた赤い鬣、赤と黄色の尾―――ピジョンである。
「さ、サジェッタ」
「キトラ、依頼の方は……って、その顔だと今日もハズレか」
キトラと呼ばれたピカチュウは暗い顔のまま頷いた。サジェッタという名を持つピジョンも、手(翼?)を頭に当て、やれやれと首を振る。
「……まぁ、救助隊といっても結成したばっかりだし、八日目の正直でもうじき来るでしょ、依頼の一通くらい」
「そう言って開き直り続けて七日経ってるんだぞ?早いとこ依頼の一通くらいこなさないとこのままじゃジリ貧だ」
もうすでにお互い貧乏なんだがな……と、どうでもいいように付け加えるサジェッタ。強いて気を取り直そうとしていたキトラも、耳どころか尻尾まで地面にへばるくらいに項垂れてしまった。
「うぅ……でも今から連絡所行ったって、もう掲示板の依頼全部取られてるだろうし……」
ホントにどうしよう……面と向かってサジェッタにそう言おうと顔を上げるなり、キトラは目を丸くして固まってしまった。もちろん、寝起きで寝ぼけ眼のサジェッタの顔を見て驚いているわけではない。彼の肩越しから見える空にある、とんでもないモノが目に飛び込んできたからだ。サジェッタもキトラの驚き顔に気付き、ぼんやりとその視線を追って振り返る。
「……なんだ、ただの赤い流れ星じゃないか」
「こんな朝っぱらから流れ星が見えて何で驚かないの?しかもアレ、真っすぐ近くの森に向かってるじゃないか!」
キトラの言う通り、真っ青な空の中を真っ赤な尾を引いて横切る流星は、キトラとサジェッタのすぐ近くにある森に墜落しようとしていた。そして、
「うわうわわわうわわわわ!」
流星が森に飛び込んだ瞬間、鋭い地響き、さらに大爆発が同時に起こった。地震に弱いが故に派手にすっ転んだキトラの尻尾を、サジェッタが足で掴み大空へ舞い上がる。その下で、爆発に驚いたポケモン達が、慌てて爆発から逃れようと空や地面を駆けていく。
「やれやれ、初めての救助の場所は隕石落下現場か。なかなか滅多に経験できるものじゃないな」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないでしょ!被害が大きくなる前に早く行こう!」
尻尾を掴まれ宙づりの状態で、キトラが声を張り上げて怒鳴る。はいはい、わかったよとサジェッタも返事をして、隕石落下現場―――「小さな森」へと向かっていった。
「小さな森」はその名の通り、「アナザー」に数多くある森と比べると、林以上森未満と表現したほうが正しいと思うほど最も小規模な森である。この森を住処にするポケモンも少なく、何よりあんなに目立つ流れ星だったせいか、負傷者はおろか逃げ遅れたヒトは全くと言っていいほどいなかった。
ただ、さすが隕石と言うべきだろう。何本もの木が跡形もなく吹き飛ばされ、地面には綺麗な円形のクレーターができていた。上空から入念に辺りを見回して怪我人がいないことを確認し、サジェッタの“かぜおこし”で朦々と立つ砂煙を払いながら、キトラ達はクレーターの中心部に少しずつ近づいていった。ヒト一倍視力と聴力の良いキトラが首をのばし、砂埃が晴れて見通しの良くなったクレーターを覗き込むと、
「ひゃああぁぁ!ぽ、ポケモン………!」
驚くあまりに飛び退いたせいで少しだけサジェッタがバランスを崩す。キトラの指差す先には、確かに小柄なポケモンらしきヒト影が、ぐったりと横たわっていた。サジェッタはすぐさま“かぜおこし”を繰り出し、完全に辺りの様子が見えるまで砂埃を吹き払うと、キトラが地面に降り立ってポケモンの容態を調べた。
三本に分かれた黄色い鶏冠、オレンジ色の身体の首周りにはふわふわの黄色い羽毛が生えている。ひよこポケモンのアチャモだ。
辺りに岩などが転がっていないことから判断すると、信じがたいことだが、このアチャモが流れ星の正体なのではないかという仮説が浮かび上がってきた。もしそうだとしたら相当酷い怪我をしている、下手したら死んでいるかもしれないはずなのに、当のアチャモは砂に塗れているだけで傷は一つも付いていなかった。それでもキトラは用心を重ね、懸命に呼びかけてアチャモの意識の有無を確かめる。
「ねぇキミ、大丈夫?死んでるなら返事して!」
逆だろ、というサジェッタの小声ツッコミが入った。
しばらく呼びかけていると、アチャモの瞼がピクリと動いた。次いで呻き声を上げながら、円らで丸っこい目を開く。
「やった、気が付いた。よかった………」
瞼が完全に開いても、焦点を結べずにアチャモはぼんやりと虚空を眺めていた。そして、やっとこさキトラとサジェッタの姿を確認した瞬間、
「うわあああああぁぁぁ!」
ものすごい奇声を発してものすごいスピードで座った状態のまま足だけを動かして後ずさりした。この反応にキトラはもちろん、サジェッタも目を点にして唖然としている。
「あ、あの、キミ……大丈夫?」
色んな意味で……と後に続けようとした言葉を飲み込み、キトラが声をかけてみる。相手のアチャモは返事をするどころか、先程よりもましてショックを受けたらしく、さらに一オクターブくらい高い奇声を発した。そのまま口にした第一声がこちら。
「うわああぁ!ね、ね、ネズミが喋ってる!」
「ね、ネズミ……?」
ピカチュウという種族名で呼ばれるならまだしも、ネズミ……?キトラの頭の中で、何かがブチッ!と切れる音がした。この世界に住む者達にとって、名前でも種族名でもない動物名で呼ばれるのは侮辱以外の何物でもないからだ。それにも気付くことなく、アチャモは依然として同じテンションのまま言葉を発する。
「言葉を話す黄色いネズミって……なんだよアンタ、宇宙人?」
「……俺達からして見れば、お前の方が宇宙人に見えるんだけど」
わなわなと震えているキトラに代わって、サジェッタが受け応えする。アチャモはサジェッタの方を見、キトラの時のように奇声は発しなかったものの、茫然としてこれだけ言った。
「うーわ、デカい鳥……」
後にも続けようとしたようだが、今度はアチャモの耳にも聞こえるほど大きく何かがブチ切れる音が聞こえたらしく、目に見えるほど縮み上がりそれ以上の言葉を発することはなかった。ようやく怒りを抑えたキトラが、相手を刺激しないように事情を聴く。
どうやらこのアチャモ、ポケモンのくせに「ポケモン」とは何たるかということを全く知らないようなのだ。これまでの経緯も含めて、聞くのも言うのも恥ずかしい一般常識をできる限り多く説明すると、物分かりがいいのか、一回聞いただけでアチャモは大体のことは理解したようだ。相変わらず怯えているようだけれど。
「なるほどね、キミ達は『ポケモン』という生き物で、そこの黄色いネズミ君がピカチュウっていう種族のキトラ君。そっちのデカい鳥君がピジョンっていう種族のサジェッタ君というわけか」
「……あんまりネズミって言わないでほしいな」
「次『鳥』って言ったら地面に埋めるぞ」
一方から怒り半分の懇願、もう一方から文字通りの脅しを受けて、アチャモは慌てて謝った。
「そしてオレはというと、赤い流れ星になって地面に激突して、無傷の状態のままここにいるってわけか……しかも、こんな姿になって」
半ば独り言のように聞こえる言葉を呟きながら、アチャモは怪訝そうに自分の身体を眺めまわした。時折火を噴いては目を丸くしている。元からそう見えるけど、傍から見たらより一層変人に見える。
それでもキトラは、アチャモが最後に言った不可解な言葉を聞き逃さなかった。
「ち、ちょっと!『こんな姿』ってどういうこと?」
「…オレ、こう見えても元は人間だったんだ。名前は『五十嵐 龍』っていうんだけど」
アチャモ、基「五十嵐 龍」が言葉を切ってから、三十秒間沈黙という名の沈黙が流れていった。キトラは何を聞いていいか戸惑っているし、サジェッタは半ば不審そうな眼で睨んでいるし、「五十嵐 龍」は二人の反応を待っている。ややあって、キトラが口を開いた。
「えぇと……イガラシ………リュウ君?」
「リュウでいいよ、長いだろ?」
「じゃ、リュウ君。キミさっき、『もとは人間』って言ったよね?」
「言ったよ」
だいぶ落ち着いたのか、先程とは打って変わって淡々と答えるリュウ。
「そう……聞き間違いじゃないんだね。嘘ついてないよね?」
「ついてないよ。初対面のヒトに嘘ついたら嫌われるじゃないか」
リュウが言い終えた瞬間、アンタはもうすでに二人のポケモンに嫌われています―――という空気が漂った。
「アナザー」における「人間」という生き物は、もう何百年も前に絶滅したということしかこの世界に住むポケモン達には知られていないはずだ。しかし目の前のアチャモは元人間と断言しているし、嘘をついているようには全く見えない。
話題の手札が尽きたのか、キトラが困ったように耳を引っ張りながらサジェッタの顔を仰ぐ。サジェッタをそれに気付き、少し考えてから口を開いた。
「とりあえずアンタを元人間と認めて聞くけど、何しにこの『アナザー』へ来た?もしよからぬことを考えているなら『鳥』って言わなくても地面に埋める」
足でトントンと地面をたたいているあたり、余程のことがない限り何言っても埋める気満々のようだ。
そんなサジェッタの様子にキトラが苦笑いを浮かべている一方、リュウは数分間しきりに何かを考え込んでいるようだった。時間が経つにつれ、眉間の皺が深くなっていくのが傍で見ていても分かる。
「分からない」
「は?」
「今ずっと、自分のことを思い出そうとしたんだけど、『元人間』と自分の名前しか頭に浮かんでこなくって……何か企む以前に、今までどこで何をしていたのかも全然思いだせないんだ」
キトラとサジェッタは顔を見合わせた。いわゆる、記憶喪失というやつだ。「元人間」という爆弾発言の時と同じく、嘘をついているようには到底見えない。それでもサジェッタは、まだ疑いの目をリュウに向けていた。
「ここまで言っても、信じてもらえない?」
「五分五分。真っ向から信じる気は毛頭ない」
「あっそう、それじゃあここでお別れだね。ちょうど今思い出したこともあったし…」
じゃあね。こう別れを告げて、リュウは駆けだした。途中でふと立ち止まり、何かを探すように辺りを見回して、探し物が見つかったのか一直線にそこまで駆けて行くのを、キトラもサジェッタもただ眺めているだけだった。
「さ、サジェッタ……いいの?あのまま放っておいて」
「別に。アイツ記憶喪失なんだろう?何かする様子もなさそうだし、俺としてもあんな奴と関わり合いになるのはゴメンだ」
「(まだ『鳥』のこと根に持ってるのかな)でもさ………」
やっぱりボクは放っておけないよ――そう続けようとした時、恐らく今日一番と断定してもいいくらいにサジェッタが驚きの表情を見せた。流れ星の時とは逆に、キトラがサジェッタの視線を追う。
「お、おい待て!そのバンダナは…………!」
地面を蹴って羽ばたくサジェッタが向かう先には、赤よりも鮮やかな緋色のバンダナを持っているリュウがいた。すでに結び目が作られており、後は頭にかぶるだけで手のないアチャモでも簡単に頭にバンダナが巻ける。バンダナを被ったリュウはサジェッタに気付くなり、敵意をむき出しにして怒鳴った。
「なんだよ!信用できない奴と話しても楽しくないだろ?」
ぷいと顔をそらし、リュウは森の奥へ引っ込んでしまった。サジェッタは深追いすることなく、口を半開きにして唖然としている。
「さ、サジェッタ!どうしたの、突然?」
「あのバンダナ……まさか、あのアチャモが………?」
キトラの言葉に返すことなく、サジェッタは譫言のように呟いていた。
一人状況についていけず頭を掻くキトラの耳に、重厚な音が飛び込んできた。それは次第に大きくなり、やがて音に合わせるように地面が小刻みに震えはじめる。
先程の隕石墜落とはまた違う、地下深くから聞こえるこの轟音―――考えるよりもまず、キトラはほぼ直感でこの音の正体に気付いた。
「サジェッタ、地割れだ!早く飛んで!」
まるでキトラの言葉を待っていたと言わんばかりに、彼等の足元に大きな亀裂が入った。