第98話 決心
《赤色の鎖で縛られて……ディアルガが橙色になってる!?》
突然の光景にアーマルドが驚いているのが声色で伝わってくる。何が起きているのかと心配する一方、神族達は血相を変えていた。
「ちっ……ディアルガ、暴走しちまってんのか!」
舌打ちをするパルキアは、苛立ちと焦りを募らせている。ディアルガの暴走――よくない言葉が彼の口から出てきたのを、聞かない者はいなかった。
「ぼ、暴走って?」
「あいつ、自我がねー状態だ。だから前より酷い歪みが発生しちまってんだな……」
パルキア曰く、ディアルガの体が橙色に変化すると自我がない“暴走”状態にあるとのこと。こうなると、元の状態に戻すには相当な苦労を強いられるらしい。
《ひとまず、ここから離れよう。早く来て! 来れる方法こそわからないけど、でも早く!》
ここで、アーマルドが吹き込んだメッセージは終わった。彼の言うように、一刻も早く冥界へ行かなければと全員が思っていた。体がそれを表していて、前かがみになっている。
だが、神族達はヒトカゲ達の方を見ると、なかなか動こうとしない。はやる気持ちを抑えられずにいる彼らは、なぜ一歩も動こうとしないのかと神族達に訊いた。
「なぁ、早く行かねぇと危ないんじゃねぇか!? 俺らはもう心構えは……」
「簡単に言うな」
深刻な表情を浮かべ、ルギアが口を開いた。ディアルガを助ける、という目的に簡単も何もあるか、とルカリオが言い放つが、神族がためらっていたのはそこではなかった。それよりも、もっと辛い現実であった。
「冥界に行く、ということは、どういうことかわかるか?」
ヒトカゲ達の方を見ながら、ゼクロムが言う。まだこの言葉の意図を把握してない彼らは、ディアルガのことで頭がいっぱいだ。一呼吸置いて、ゼクロムは事の重大さを伝えた。
「お前達一般のポケモンが冥界に行くということは、お前達は死ぬも同然だ。しかも、肉体ごと冥界に移動すると、世界の歴史上から存在が消えることになるのだぞ」
つまり、魂が冥界に行くことが“死”、肉体ごと冥界に行くことが“無”になるという。この説明を受けて、初めて神族が動こうとしなかった理由を理解した一同の心には、恐怖心が芽生え始めていた。
それは徐々に、心の中を侵食していった。これが死への恐怖というものなのだろうかと思いながらも、彼らはそれを実感している。1度死んでいるヒトカゲとて同じである。
「そ、存在が消える……?」
「そうだ。今お前達を知っている者達の記憶からも抹消される。はじめからお前達がいなかったことになる」
親、小さい頃にお世話になった隣人、旅の途中で出逢った者達――全員の頭の中から、自分の存在が消えるなんてことを想像できるだろうか。想像する機会すらない、それどころか、想像したくないに違いない。
「こうなることを含めて、私達は神族以外の者を関わらせたくなかった。とはいえ、パルキアがとった行動も理解できなくはない。それ故、私達から提案する」
怖気づいているヒトカゲ達に、落ち着いた声色でルギアが話しかける。少しでも不安を和らげてあげたいという表れだろうか。この状況を把握した上で、提案を持ちかける。
「もし、自己を犠牲にしてでも冥界に行くというのなら、連れて行こう。だが戻れる保証は一切ない。恐怖が抜けぬなら冥界へは行かず、この世界の異変を抑える役割を担うのも一考。どうするか、明日の夕刻までに各々答えを出してくれ」
メンバー一同に選択肢を与えられた。存在がなくなっても構わない覚悟で冥界に行くか、冥界は神族に任せ、現界で自分達はやれるだけのことをやる。この2択であった。
「場所はここだ。私達も考えを練る時間が必要だ。お前達も、じっくり考えてくれ」
そうレシラムが言うと、神族達は移動を始めた。ヒトカゲ達も、一旦宿に戻って落ち着いてから話しあおうということになり、その場を後にした。
歩いている時、カメックスとドダイトスの足が一瞬だけ止まる。その次はバンギラスとジュプトル、その次はゼニガメとラティアスといったように、ヒトカゲとルカリオ以外が何かに反応したかのように動きを止める動作を見せた。ヒトカゲとルカリオは「怖いんだろうな」と思って何も言わずにいた。
その日の夜、焚き火を囲みながら、メンバーは話し合いをすることにした。だが集まってみたものの、誰も言葉を発さず、俯きながらじっと焚き火を見ている。
気まずい空気が辺りを支配する。まずは、何か話すきっかけでも作らねば、そう思ったルカリオはたどたどしくみんなに話しかけることにした。
「ま、参っちゃったな、あんな怖いこと言われてよ」
誰かが反応するかと思いきや、一切反応せず。さらに気まずくなってしまい、ルカリオも困惑している。だが今更引き下がれず、何とか言葉を出しつつ様子を見ることに。
「神様達も、もうちょい笑える冗談言ってほしいもんだぜ。なぁ?」
ルカリオが辺りを見回しても、誰も顔をあげようとしない。無理もないか、と黙ろうかと思った時、聞こえるか否かの小さい声で口を開いたのは、サイクスだった。
「……無理だ……」
珍しく、否定的な発言であった。この後にいつものように、冗談だと笑い飛ばして全員を元気づけるのがお決まりのパターンである。今回もそうだと思ってルカリオが顔を覗きこむと、予想と大きく異なる表情をしていた。
泣いていたのだ。
必死で嗚咽を抑えて、体を震わせ、泣いていたのだ。声をかけようとした瞬間、サイクスは勢いよく立ち上がり、怒号をぶつける。
「俺らに神と戦えっていうのか!? 戦ったって絶対に敵うはずがないことなんかわかりきってることだろ!」
戦意は完全になかった。ギラティナに対峙しても、この世界にいても、どのみち死ぬ。そして魂となって世界が崩壊するのを見届け、やがて無に帰す。恐ろしいという言葉では片付けられなかった。
「……そうだ。そうだぜ! 俺達は最初から死ぬ運命だったんだよ!」
「あんまりだ……こんなこと!」
サイクスに続き、他のメンバー達も同様に思いを吐き散らす。ヒトカゲとルカリオには痛いほど彼らの気持ちが伝わってきた。そしてそれらは自分達も同じである。
だが、2人は使命感の方が恐怖より上回っていた。自分達が動かなくては、とにかくやらねば、頭の中で何度も自分自身に言い聞かせていた。
「待って! 死ぬって決まったわけじゃ……」
「死なないはずがねぇだろ! 戦ったとしても、ここに残っても、世界は消えるんだぞ!?」
そう言うと、俯いていたバンギラスがその場に立ち上がった。すると突然、ツメを立ててヒトカゲとルカリオの方に向ける。ツメを向けられた2人は何事かと驚く。
「だったら! 今ここで! ずっと俺らを騙してきたお前らを殺して俺も死ぬ!」
『え、なっ……!?』
一瞬、何かの間違いだと思った2人は瞬きをするが、目の前に映っていた光景は変わらなかった。荒々しい息遣いをしている、殺意を抱いた、仲間の姿がそこにはあった。
それはバンギラスに限った話ではなかった。彼につられるように、次々と、仲間達がその場に立ち上がり、ヒトカゲとルカリオの2人に対して攻撃する体制を取る。
「ま、待ってくれよ! 本気じゃないだろ!?」
「本気に決まってる! 死ぬなんてわかってたら、一緒に行動なんかしてない!」
非情な言葉が並べられていく。それを聞いたヒトカゲ達は何を感じているのだろうか。怒りか、悲しみか、それとも哀れみか。いくつもの感情が入り混じり、言葉すら出てこなかった。
いつしか、ヒトカゲとルカリオは完全に囲まれていた。背中合わせになった2人は互いの顔を見ることも出来ず、どうすることも出来ないでいる。まさかこんなことになるとは、予想できるはずもない。
とにかく、彼らの考えを改めさせなければ。現状を打破しなければ。次第に気持ちが変化していった2人は、説得、もとい、自分達の想いをぶつけていった。
「僕達は、どう思われようと、絶対に諦めないで立ち向かう! 無理だって決めつけて何もしないより、わずかでもできることをしたい!」
「あぁ、俺もだな! 何があったって、逃げたりなんかしねぇぜ! 親父だったらぜってーそうするだろうし、何より、俺は探検家だからな! こんなところで後ろなんか向かねぇよ!」
きっぱりと、2人は言い切った。これが、自分達の想いだと。絶対に変わることのない、意志であると。顔つきこそ険しいものではあるが、どこか自信に溢れていた。
「それが、お前らの答えか?」
冷たく、誰かが言い放った。この際誰かということは、ヒトカゲとルカリオにとってどうでもよかった。今この場にいる全員に、信じてほしい、ただそれだけだった。
『そうだ!』
2人は息を揃える。これでわかってもらえないなら、自分達だけでも冥界に行ってギラティナを止めなければ、そう思いながら彼らの反応を待っていた。汗だけがこの空間で動いている。
その答えを聞いたヒトカゲとルカリオ以外のメンバーは、一瞬の間をおき、全員である行動に出た。それは、2人の予想を大きく裏切るものであった。