第97話 密約
それは、今から少し前――グランサンの崖山・レッドクリフでヒトカゲ達がグラードンの暴走を阻止するために、ガバイト達と戦っていたときだ。ある2人が、互いに命の危機に晒されていた。
一歩間違えれば崖から転落しかけないルカリオ。そして、腹部を刺され、崖から落ちそうになったところを腕一本で命を繋がれている、アーマルド。
不運にも、岩が崩れてルカリオが落ちそうになる。それを庇い、アーマルドはルカリオの右手を刺し、自分を掴んでくれている手を離させた。
ルカリオの叫び声も徐々に小さく聞こえるようになり、このまま地面へ落ちるのを待っていた。地面に叩きつけられようが、仮に何かのクッションになろうが、助けが来られる場所ではない。ただ黙って、死を待つのみであった。
もはや、アーマルドにとって自分の命はどうでもよかった。それよりも、生き延びたルカリオがグラードンの暴走を必ず止めてくれる、それだけを想っていた。
目を瞑ると、そこには走馬灯のように想い出が映し出されていた。ヒトカゲとルカリオが初めて話しかけてきた時、宿に泊まってかくれんぼをした時、ヒトカゲがかつて旅を共にしてきた仲間達と出逢った時――全てが、幸せだった。そう呟きながら、自分の命が尽きるのを待っていた。
「よっと」
想い出を遮るかのように、声が耳に入ってきた。それと同時に、落ちていく感覚がなくなっていた。なんだ、死ぬ時ってこんなに楽なものなのかと思っていたが、どうやら違うようだ。
「おい、生きてんだろ? 目開けろ」
その声の主は、アーマルドに向かって言っていた。そうか、自分はまだ生きているんだ、そう自覚して目を開けようとする。しかし体力の限界からか、やっとの思いで半分くらい目を開けた。
「……だ、誰?」
「俺は空間の神・パルキア。覚えとけ」
目の前には、パルキアの顔があった。状況を察するに、どうやらこのパルキアという神が自分を助けてくれたのだろうと推測する。お礼を言わなければと声を発しようとした、その時だ。
「……がはっ!」
急に全身に痛みが襲ってきた。そう思った瞬間、口から血を吐いた。脳が一気に現実に引き戻したのだろう、想像以上の痛みや苦しみがアーマルドを襲う。
「無理に喋んな。しっかし、これじゃー医者どころか、俺でも回復させてやれねーな……あと持って数分ってところか」
アーマルドは、パルキアの想像よりも傷ついていた。このまま何もしなければ数分で命が絶えてしまうというところまで至っていた。それは、パルキアの腕を伝っている血を見れば一目瞭然であった。
だがここで、パルキアは意外なことを口にする。
「てめーに頼みがある。よーく聞いてくれ」
今にも死にそうなアーマルドに対して、頼みがあると言う。意識が朦朧とし始めたアーマルドであったが、さすがにこれには疑問に思ったらしく、耳を傾けようとする。
「今暴れてるガバイトや、てめーらが捜してるディアルガ、こいつらの謎が解けるかもしれねーんだ。お前が協力してくれたらな」
「……俺、が?」
「そうだ。死後の世界――冥界に全てを解く何かがあるはずだ。捜してくれるか? 上手くいけば、てめーは生き返ることができる」
何と、パルキアは冥界での調査をアーマルドに依頼したのだ。この時から既に、ギラティナのことを疑っていたのだ。だが自分から冥界へ侵入することすらできない、このままでは世界が危ないことを訴える。
「本当は頼みたくねー。調査のために死んでくれだなんて、神の言うことじゃねー。だけど、こればっかりは俺も他に打つ手がねーんだ」
苦渋の決断であった。神という地位を剥奪されてもおかしくない愚行である。だがそれでも、パルキアには後がなかった。是が非でも、“家族”を助けたい一心だった。
アーマルドからしても、自身が生き返ることができることよりも、これがヒトカゲ達のためになるのだとわかると、自分がしないわけにはいかないと奮起した。
「わかった。どう、すればいい?」
普段のパルキアなら、笑みを浮かべているところだろう。だが今は、真剣な表情を一切崩さずにいる。彼は、これまで経験したことのない切羽詰まった状況にあるのだ。
「冥界にはフリズムっつー、声を入れることができるものがある。そこにわかったこと入れて、時空の歪みに投げ込んでくれ。どっかの空間に出ちまえば、俺が見つけて回収できっからよ」
ちょうどそこまで聞くと、アーマルドの意識が急に遠のく。いよいよ持たなくなってきたようだ。眠気に近いものを堪えながら、言われたことを頭の中で忘れまいと繰り返す。
それをパルキアも悟ったのか、アーマルドの爪をしっかと握りしめる。この密約を成し遂げて欲しいという願いを伝えるために。そして彼の最期を看取るために。
「頼む。俺を助けてくれ」
「……わかっ……」
そこまで言いかけた時、彼の体から力が一気に抜けるのをパルキアは感じ取った。その瞬間から、呼びかけても、揺さぶっても、彼から反応が返ってくることはなかった。
「……許せ! 本当にこれしか方法がなかったんだ!」
ひと通りの説明を終えたパルキアが、全員の前で謝罪する。事情を把握した彼らの表情は複雑で、彼ら自身も言葉を発しようにも何から話せばいいか戸惑っていた。
あの時、まだアーマルドが生きていたという衝撃、重体の彼を助けようとせずに冥界での調査を依頼したことへの怒りや、今の状況だから言えるその重要さから来る納得――全てが入り混じり、混乱しているのだ。
「もちろん、いかなる罰も受けるつもりだ。だけど俺は! それよりも! あいつを止めたかった! “家族”であるあいつを、助けたかったんだ!」
これほどパルキアが感情を表に出したことがあっただろうか。神族でさえも、こんな彼を見たのは数千年前にあったかないかくらいであるという。
少々高ぶった感情が落ち着いた頃に、パルキアは指を鳴らす。すると彼の目の前に、氷で作られた壺のようなものが現れた。それがフリズムであることは、全員すぐにわかった。
「1つだけ、あいつから届いたフリズムがある。俺はまだ中の声を聞いていない」
フリズムに手を付けてないということは、はじめから全員の前でこれを聞かせるつもりであったに違いない。ここで、パルキアが1つ、警告をする。
「いいか。ここには何が吹きこまれているかわからん。特に神族でないてめーらにとって、不利益になることもあるかもしれねー。それでも、聞く……真実を知る覚悟はあるか?」
ヒトカゲ達にとって、冥界というのは想像でしかない世界。内容によっては、衝撃という言葉だけでは言い表せないほどのものがあるかもしれない。そうなった時、彼らはそれを受け入れることができるかを神族は心配していた。
恐怖が募っていくのを彼らは感じている。その空気を、神族も感じていた。だが、空気はすぐに変化した。彼らは瞬く間にして決心を固めたようだ。
「パルキア、聞かせて」
覚悟を決めたヒトカゲの目は、真っ直ぐパルキアの方を向いていた。パルキアが他のメンバーの顔を見ても、同じ顔をしていた。ヒトカゲ同様、真実を知る覚悟を決めていたのだ。
「わかった。じゃー開けっぞ」
辺りが緊張感に包まれている中、パルキアはフリズムを暖め始める。フリズムは音を立てることなく、徐々に蓋と思われる部分が溶けていく。ヒトカゲ達はそれをただ黙って見守っている。
そして蓋が開かれた時、封じられていた声が辺りに流れ始めた。その声色や口調はまさしく、今まで一緒に旅を続けてきた、アーマルドのものであった。
《あ、あー……これでいいんかな?》
全員の耳に入る、アーマルドの声。もう2度と聞けない声だったはずが、今フリズムによって聞くことができている。まるで彼が生きているかのような錯覚に陥っている。
《えっと、今いるのは冥界の北東。もともとは結界みたいなものが張られていて、誰も入れないはずなんだが、どういうわけか入れてる》
《パルキアの言ってた時空の歪み、本当にいっぱいある。聞いた話だけど、普段こんなに空いてないって。落ちたらどこ行くんだろ……》
《なんか、俺、死んだって実感ないかも。普通に歩けるし、匂いわかるし、痛みは全然……痛くない》
彼の発する声や言い回しの1つ1つが、全員に懐かしさを与えている。特に一緒に旅をしてきたメンバー達は、涙を流さないよう必死に堪えている。
その後もフリズムの内容を聞いていると、どうやらアーマルドはフリズムに声を吹き込みながらどこかへ向けて歩いていることがわかる。
《あっ、ここは……えっ、はっ!?》
突如、アーマルドの声色が一変する。明らかに驚いている様子が窺える。何があったのかと、おもわず身を乗り出すように耳を傾ける。そこには、誰もが予想だにしない事実が語られていた。
《な、な……なんだこれ!? ディアルガが……ディアルガが、赤色の鎖に縛られてる!!》