第96話 偽物
あり得るのだろうか。今目の前にいる存在が、本来あるべき存在ではないということが。姿形と意志が、異なることがあってよいのだろうか。だが、その者ははっきりと言った。
「我は生命の神にあらず」と。
誰もが言葉を失った。できることなら、信じたくなかったであろう。目の前で無表情を貫き通し、静かにそう告げた神――ホウオウ“の姿をした何者か”が、それを明かしたことを。
「さすがに、汝の蘇りまでは把握できない。我とて予想外だ」
このような形で正体を明かすことになるとは想像していなかったようだ。ホウオウの偽物は小さくため息をつきながら、残念そうに語った。
「じゃーてめーは誰なんだ? なぜホウオウの身体を乗っ取ってやがる?」
核心を突く質問が、パルキアによってされた。もちろん、この場にいる全員がその真実を知りたいと思っている。だがその半面、恐怖に似た感情を抱いていた。
正体が誰であろうと、ホウオウの身体を乗っ取ってしまうほどの力の持ち主である。仮に本気で戦闘を始めてしまえば、何もできないままやられてしまう可能性もあるからだ。
もちろん神達も含めて、冷静でいられるはずがない。しかし、知る義務がある。知らなければならない。いつでも戦える気構えをし、質問の答えを受け止めることにした。
「我は、その存在を無きものにされた。汝ら神族なら、わかるだろう」
それは、神族達に向けて投げられた答えだった。一体この言葉は何を意味しているのだろうかとヒトカゲ達が考えている中、神族達の様子は激変していた。
ルギアも、グラードンも、レシラムも、ゼクロムも、そしてパルキアさえも、吃驚(きっきょう)仰天である。言葉を発するのも困難になるほど、彼らにとって衝撃的な事実であったのだ。
何故、これ程までに驚いているのだろうか。それは、予想すらしていなかった「身内」が正体であったからだ。
「ま、ま、まさかてめー……!」
「本当なの……か……?」
驚愕している神族達。只事でない雰囲気を感じ取ったヒトカゲ達。彼らを見渡しながら、ホウオウ“の姿をした何者か”は、とうとうその正体を明かした。
「我は冥界の神・ギラティナ。称するとおり、冥界を司る存在」
冥界の神――死後の世界である冥界に存在し、死者を管理する役割のある神。そのため、現在いる世界である現界に姿を現すことはなく、伝承のみで知られている存在である。
そして「その存在を無きものにされた」と言うあたり、おそらく神族とも長らく会っていなかったことが窺える。久々とはいえ、良い再会とは言えないようだ。
「な、なぜだ。なぜお前がホウオウの体を……」
動揺を隠しきれずにいるルギアが、ようやく気を振り絞ってギラティナに質問をする。その質問を聞き、はっと何かに気づいたパルキアが口を開く。
「まさか、マナフィの“ハートスワップ”を使いやがったな? しかも2回も」
「ご名答。さすがは兄弟、といったところか」
ハートスワップ――それは互いの心を入れ替える技。行方不明になっているマナフィだけが使える固有技である。そのことに気づいたグラードンが、確かめるかのように説明をする。
「ポケモンの技は、そのポケモンの体を有する者が使用できる。つまり汝は、何らかの形で汝の魂をマナフィの体へ入れ替え、その後汝が“ハートスワップ”をホウオウへ向けた……ということだな?」
「そうだ。少しは頭が働くようになったな、グラードン」
以前ヒトカゲとゼクロムが立てた予想が、ここに来て間違っていなかったことが証明された。『何者かが“ハートスワップ”により、ホウオウと入れ替わった』という予測である。
グラードンの説明により、神族以外のメンバーもようやく事態を把握することができた。とはいえ、あまりに非現実的な事態であるためか、大半はいまだに信じられずにいる。
「ギラティナであったか……できればそうであってほしくはなかったが」
ゼクロムが小さく呟く。だがもうこの事実が覆ることはない。最悪の事態は、起きてしまったのだ。悪い予想を的中させてしまった自分自身を嘆く程に、滅入っていた。
「ホウオウはどこだ」
からくりがわかると、ルギアは真っ先にホウオウの安否を気にした。今の話から推測すると、マナフィの体にホウオウの魂が宿っていることになるが、そうではなかった。
「そのヒトカゲの言うように、魂はステュクスの何処かを彷徨っているだろう」
「魂は、というと、マナフィの体に入れ替わっているわけではないのか?」
「そうだ。体は、ない」
ギラティナの言葉を理解するまでに少し時間を要したが、理解した時には、全員の表情が凍りついた。そう、マナフィの『体がない』のだ。
「2回目の“ハートスワップ”で、マナフィの体ごとホウオウの魂を葬った。その結果、行き場をなくした魂だけがステュクスに残留した」
今の話から、マナフィの魂自体は、ギラティナの体にいることが推測できる。さらに、ギラティナは話を続ける。
「我が体はホウオウによって“じこさいせい”すら出来ぬ程に壊れた。元の体を取り戻すために、『時間をかけて』修復している」
「おいてめー、それ……!」
ここで、もう1つ重大なことが明らかにされる。それにいち早く気づいたのは、パルキアだ。彼が真偽を確かめる前に、ギラティナによってそれは明かされた。
「汝の想像通り、ディアルガの力で、修復させている」
ホウオウの空白の20年、そしてマナフィとディアルガの失踪――全てが1つに繋がった瞬間だった。そしてこれらは全て、ギラティナによるものであったことも。
ここまでわかると、あとは動機だ。20年もかけて身内を巻き込んだ大事件を起こした動機を、全員が気にしている。ましてや、体を抹消されたマナフィのことを考えると、神族は怒りを覚えている。
「なぜこんなことをした? 答えろ」
憤りを前面に出した表情で、ルギアがギラティナに迫る。それに対し、ギラティナは臆することなく、静かにルギアの方を向くと、こう告げた。
「全てを知りたくば、冥界へ来るべし。ただし、汝らが再び現界へ戻れる保証はできぬ」
そう言うと、ギラティナは翼を大きく広げる。そして神族以外の者達の方を見て、「汝らも聞くが良い」と言うと、その場にいる全員に対して宣言した。
「直に、この土地、この国、この星、いや、この世界を我が手で崩壊する。全てを混沌に帰す。防ぎたくば……汝らがこれは間違いだと言うのなら、我を止めに来るといい」
刹那、“すなあらし”で全員の視界を遮る。その威力は凄まじく、耐性のあるバンギラスでさえも目を開けていられないほどだ。ようやく目を開けられるくらいの威力まで弱まった頃には、そこにその姿はなかった。
パルキアが空間探索を行ってみるも、時既に遅し。彼の領域外である冥界へすぐに入ったようだ。悔しさと苛立ちから舌打ちをする。
「くそっ、やっぱりあいつだったか!」
「やっぱり、というと、ギラティナの仕業だと思っていたのか?」
「やっぱり」という言葉に引っかかりを覚えたのは、ゼクロムだ。うっかり口を滑らせてしまったのか、パルキアがはっと、気まずそうな顔になる。
「あ、あー……そーだなー……」
「パルキア、もう話してもいい時ではないか?」
たじろいでいるパルキアに、グラードンが声をかける。何かを知っているような口ぶりである。それもそうか、と小さく呟くと、パルキアが詳細を話し始めた。
「少し前から、俺はあいつを疑ってた。カイオーガやアグノム達はまだ目覚めてすらいねーし、キュレムは40年前から凍ったままだろ?」
パルキアは最初から、疑いをかける者を限定していたのだ。ちなみにキュレムとは、レシラムとゼクロム同様ポケモニアの王の1人であるが、40年前から“休息期間”に入っているため、テレパシーでのみ意思疎通することが可能な状態にある。
「だから俺はギラティナを疑った。だがてめーらも絶対に何も起こさないと言い切れる確証がなかったもんでよ」
ヒトカゲ達がパルキアに初めて会った時にも、同様のことを話していたことを思い出す。特に彼はルギアの行動を不審に思っていたが、それもマナフィ捜しだとわかると、早々に標的を切り替えていた。
「ギラティナは普段冥界にいるが、通常、俺らであっても冥界に行くことはできねー。どうすべきか模索はしてみてたが、そうしている間にも時空の歪みは広がっていた。現に、てめーらの仲間のハッサムだって、その影響でこっちにふっ飛ばされてきたんだ」
そう、どういうわけか人間のいる世界から飛んできたハッサムは、時空の歪みに偶然飲み込まれてしまったことが原因でこの世界に飛ばされてきたのだ。ヒトカゲ達は驚きながらも、納得したようだ。そしてこの場にハッサムがいないことに、若干の安堵感を覚えた。
「とにかく焦った。もし犯人があいつだったら、とんでもねーことになっちまうと予想はついてた。ちょうどそんな時だ。俺の目の前に、冥界に行けそうな奴が現れたのは」
神でも行くことが困難な冥界に、行けそうな者が現れたという。誰かと訊ねると、パルキアは言いづらそうな表情をする。だが答えないわけにもいかず、苦渋の表情のまま、小さな声で答えた。
「……グランサンで死んだ、アーマルドだ」