第93話 仮説
「この世界の歴史上で最も厄介な事件?」
随分と大げさな言い方をするものだなと、ヒトカゲが半信半疑で訊き返す。だがゼクロムの表情は一切変わることなく、真剣な眼差しを保ったままである。
「そうだ。冗談などではない。お前達にとっても、俺達にとってもだ」
その圧のある口調は、より彼の発言に真実味をもたせた。それがヒトカゲの緊張感を強くさせる。背中から頭に向かってくる、不快な寒気と同時に。
「今から話すことに、嘘偽りはない。お前も、事実だけを述べよ。いいな?」
「うん、わかった。信じる」
ヒトカゲの眼差しが、ゼクロムの目に強く突き刺さる。そしてゼクロムの眼差しも同様、ヒトカゲの目にしっかと入ってくる。相互の、絶対の信頼がそこにはあった。
一呼吸置くと、まずはゼクロムが口を開いた。
「ではまず、おそらくお前が気にしているであろう、ルギアについてだ。あいつは今、20年前から行方がわからなくなっているマナフィを捜している」
「えっ、20年前?」
「心当たりでもあるのか?」
これに驚かないはずがない。20年前といえば、ジュプトルの住んでいた村――グロバイルが何者かによって滅ぼされ、それに関わったルカリオの父・ライナスが亡くなった年である。
それだけではない。ホウオウが行方不明になったのも、今から20年前の話だ。偶然にしては、大きな事件が並びすぎている気がしてならないとヒトカゲは考え、ゼクロムにこれらのことを話す。
「ホウオウの事は確かに聞いていたが、村が壊滅する事件か……ふむ」
彼もまた、これらの関連性について疑いを持った。話を聞いた限り、村の壊滅はどこかの盗賊などが行ったものではなく、強大な力を持つ存在――“身内”の可能性を捨てきれないでいる。
「ねぇ、マナフィって、どんなポケモンなの?」
ふと、置き去りにしていた疑問をヒトカゲは投げた。ルギアが捜すほどの重要な存在であることはすぐに理解できたが、それ以外の情報は持ち合わせていない。それに対し、ゼクロムはマナフィについて簡単に説明をする。
(……あれ?)
説明の途中、ヒトカゲはあることが気になった。説明を聞きつつ、そのことについて考え始める。そんな彼の様子に気づき、ゼクロムが説明を中断してヒトカゲに訊ねる。
「どうした。思い当たる節でもあるのか?」
「いや、そうじゃないんだけど。それってマナフィだけだよね? 他のポケモンには無理でしょ?」
「あぁ、あいつだけだ」
おそらく関係ないだろうと思いつつも、今考えていたことをゼクロムに伝える――それはヒトカゲがポケモニアに来る前から、ずっと心の底で引っかかっていたことだ。
これを受け、ゼクロムはしばらく目を閉じて思考を巡らせる。ヒトカゲの話を整理していくうちに、ある仮説を立て始めた。その仮説は、彼の予想していた「この世界の歴史上で最も厄介な事件」よりも、さらに厄介なものであった。
(この推測が本当だとしたら、まずい……猶予など一刻足りともない!)
冷や汗が一筋、ゼクロムの身体を伝う。口を開いて声を発したときには、焦りが出てしまっているのか、いつもより高く、リズム感がばらばらの声色になっていた。
「お前、この事を誰かに話したことあるか?」
「いや、まだ誰にも話してない」
彼の様子を見ただけで、ヒトカゲは何となく状況を察した。自分達は、緊急性を伴う危ない状況になってしまっていそうだということを。
「おそらくだが、俺が今から話す推測は、ほぼ間違いない。今のことも含め、『その時が来るまで』誰にも口外するな」
そう言うとゼクロムは口を閉じ、ヒトカゲにだけ念を送った。その念の内容は、彼による推測――20年前からの出来事全てが1本に繋がった、“事件”だ。
その頃、ヒトカゲ以外のメンバーは孤児院の子供達と戯れていた。小さなユニランと遊んでいたクリムガンのもとに、買い物から帰ってきた院長・アバゴーラが近寄ってきた。
「久しぶりだなぁ。いつも悪いなぁ、子供達と遊んでもらってるのに、何もお礼できなくて」
「いえ、いいんです」
子供の前だからか、クリムガンの顔は少し綻んでいる。ちょうどその表情を、遠くで別の子供と遊んでいたルカリオが目撃した。なんだ、笑えるじゃねぇかと心の中で安心していた。
「あの、クリムガンは、普段どんな奴なんでしょうか?」
背中に子供達を載せたドダイトスが、この孤児院の管理人であるツタージャに話しかける。お気に入りの日傘を閉じ、彼女はクリムガンの方を見ながら口を開いた。
「彼はね、まるで我が子のようにあの子達の面倒を見てくれているわ。それだけでなくて、何度も食料を持ってきてくれて」
さらに話を聞くと、2年前くらいに突然孤児院を訪問し「子供達の面倒を見させてほしい」と言ったそうだ。だが彼自身のことについてはほとんど教えてくれず、いまだに住処や職業すら知らないのだとか。
それでも、真摯な態度と優しい心遣いを垣間見るうちに感謝すると同時に、彼への信頼感が芽生えた。それ故、特に深入りしないことにしたという。
「なるほど……」
「ところで、あなた達は彼とどういったご関係で?」
ひと通りの話が済むと、今度はツタージャの方が問いかけた。これに対し、どう答えてよいのだろうかとドダイトスは頭を悩ませる。嘘をつかない範囲で核心に触れないように伝えようとした、ちょうどその時だ。
「おーい、みんな俺のとこに集まってくれー」
突如、クリムガンが遊んでいた子供達を呼び寄せた。ドダイトスを始め、他のメンバーのところにいた子供達が一斉にクリムガンのもとへと向かう。当然ながらその行動にメンバーも気になり、子供達より少し離れたところで様子を窺うことにした。
「おじさん、どうしたの?」
「何かお話してくれるの?」
これから絵本でも読んでくれるんだと期待しているかのような顔つきをする子供達。だが反対に、口元こそ笑顔ではあるが、クリムガンの表情はうっすらと曇っている。
「聞いてくれ。おじさんな、もうここへは来れないんだ」
子供達、そして孤児院を管理している2人は、何事だと首を傾げる。しかしルカリオ達だけはその言葉の意味を理解した――彼は処刑を覚悟しているのだと。そして、誰にも本当のことを言わないつもりなのだろう。
「どーして来れないの?」
「おじさん、遠くへ旅に行かなければならなくなったんだ。ごめんな」
「じゃー旅から帰ってきたら来てよ!」
クリムガンは子供達を悲しませないよう、ずっと笑顔のままだ。それでも、「また会いに来る」という約束だけは、絶対にしなかった。余計に悲しませるだけでなく、自分自身も辛くなってしまうと思ったのだ。
何かあったのかとアバゴーラに訊ねられても、メンバーは真実を言えなかった。もし口にすれば、今のクリムガンの行動を否定することになる。彼の気持ちを察すると、気が引けてしまったようだ。
「私情に巻き込んで悪かった」
帰り道、歩きながらクリムガンは呟いた。昼間、感情を抑えられなかったことを悪く思い、謝りたくなったのだ。それに対しては誰も責めることはなかったが、1つ、大事なことをルカリオは訊ねる。
「ヒトカゲのことはどうするつもりだ?」
仮にクリムガンが善人であることを証明できなかった場合、ヒトカゲが道連れになる。もちろん見捨てるつもりは一切なく、是が非でも道連れにならないよう説得をするとのこと。
「あいつは何もしていない。さすがの王でも無駄な死刑などしないはず」
「そうじゃなくて、あいつの言葉から、何も感じなかったのか?」
ヒトカゲの言葉――“僕は、クリムガンを信用してる!”。その意味を改めてクリムガンは気付かされる。これはヒトカゲが安全に開放される保証を意味するものではなく、クリムガンが無実であること、それを必ず証明できるというものある。
その想いを受け止めず、ただレシラムからの開放だけを目的としてしまっては、誰も喜ばない。孤児院でのクリムガンの半分死刑を覚悟しているかの発言は、半ば諦めを表しているとメンバーは思っていた。
「お前の無実を証明しなければ、何も解決しねぇんだよ」
ため息混じりに、バンギラスが呟いた。それに同意しているメンバー全員が、首を縦に振った。クリムガンは何も言えずに、黙って立ち止まってしまう。
「……確かにそうだが、俺ができることは何もない。容疑者、いや、仮にも罪を犯した者が訴えても意味がない」
「それだな。どうやってこいつの良心を王に伝えるか……」
道中、メンバーはそればかり考えていた。孤児院での振る舞いを見て、何とかしてやりたいという気持ちが一層強くなったが、良い解決法を見いだせずにいた。
そんな中、サイクスとラティアスが団体の後ろの方を歩きながら話をしていた。話が終わると笑顔になり、声を大きくしてメンバーの足を止めさせた。
「いい感じの作戦、思いついたぞ♪」
「そ、その仮説、もし、もし本当だったら?」
一方ヒトカゲの方はというと、ゼクロムによる仮説をひと通り聞き終わっていた。その内容がどれほどの脅威であることかは、ヒトカゲの口調に表れていた。そんな彼に、ゼクロムは冷静な口調で答える。
「もし本当なら、奴は……世界そのものを無くしてしまうかもしれん」