第89話 絶対王政
「ど、どういうことなの?」
ヒトカゲが聞いた“監禁”という単語。聞き間違いでなければ、これは立派な事件である。状況から察するに間違いではなさそうで、何故、と思い浮かべることしかできなかった。
「もう1ヵ月以上になるな。見てみろ」
クリムガンが指差した先には、4本の横線とそれを貫く1本の線のかたまりがあり、そのかたまりがいくつも壁面に残っていた。おそらく彼がツメでつけたものだろう。
ここで身動きが取れない間、日が昇った回数をこうやってつけていたのだと言う。線のかたまりは10個ほど。40日以上ここに監禁されていたことがわかる。
「そろそろ教えて。なんで、監禁されてるの?」
あまりに悲惨な状況に耐えきれなくなったようで、ヒトカゲはクリムガンに問うた。だがこれに答えたのはクリムガンではなく、彼らの死角に立っていた他者だった。
「そいつは悪者だからだ」
声がしてようやくその存在に気付いた2人。声のした方へ目を向けると、豊かな髭と、貝でできた甲冑を身にまとった姿が。青色のアシカのような体で、頭には法螺貝のような兜をしているポケモンだ。
比較的渋みのある声で、若いとは言い難い印象である。貫禄のありそうな面持ちでヒトカゲ達を見ている彼の口には、何か物が入った袋がくわえられていた。
「だ、誰?」
ヒトカゲが訊ねると、そのポケモンはくわえていた袋をその場にそっと降ろし、咳払いをする。喉の調子を整えたところで、胸を張って自己紹介を始めた。
「私はダイケンキ。この街の治安を維持する警備兵だ」
警備兵――その言葉を聞いて安心したようで、ヒトカゲは脱力気味に息を漏らす。そんなヒトカゲとは反対に、クリムガンはダイケンキに目を合わせようともしない。むすっとした表情でそっぽを向く。
「ところで、悪者って……」
「あぁそうだ。こいつはれっきとした犯罪者だ」
ダイケンキがクリムガンの方をじっと見ている。その目は犯罪者を差別するような目とは異なり、どこか悲しげな、そして辛そうな表情のときになる目だった。
「私が把握しているのは、窃盗だ。街の食料が大半だが、時には金持ちの家にある金目の物も容赦なく盗っていく」
さらに話を聞くと、ここ2年の間に3回も拘束したのにも関わらず、繰り返し犯罪を行ってきたという。さすがにこれ以上罪を犯されても困るので、仕方なく自由を奪ったのだとか。
拘束の度にダイケンキはクリムガンに犯行動機を聴取してきたのだが、答えが返ってきた試しがなかった。それどころか、一切反省する素振りすら見せなかったらしい。
「ほ、ホントなの?」
ヒトカゲは俄(にわ)かに信じがたいといった表情でクリムガンの方を向く。彼はと言うと、そっぽを向けてから一切目線を変えずに、どこか1点だけを見つめながら軽く返した。
「本当だ。だから何だ?」
そうか、事実だったのか。そう思ったヒトカゲはそれ以上何も言えなかった。確かにダイケンキの言うとおり、反省の気持ちがこもった言葉ではなかった。
でも、何かが違う。今まで見てきた敵を思い返してみるが、カイリューのような精神不安定でもなく、ガバイトのような根っからの悪でもない。はたまたジュプトルのような強い憎悪も感じられない。全く別の、違和感だけがヒトカゲに残った。
「これでわかっただろう? さっ、早くここから離れなさい」
安全確保のためであろう、ダイケンキがヒトカゲに出ていくよう促す。その時、あることに気付いた。“なぜ、警備兵がいながらわざわざ『監禁』をしているのだろうか”と。
「あ、あの、なんで警察に連れてかないんですか?」
この質問が、この国全体の現状を表す最も重要なことだったとは、ヒトカゲは一切思っていなかった。その重大な事実を知ることになるのに、そう時間はかからなかった。
「……そうか、お前はこの国を知らないのだな。なら教えてやろう。この国に、警察はいらぬのだ」
警察がいらない――どういう意味なのだろうか。治安が良ければ確かにいらないだろうが、事実ここに犯罪者がいる。ならば当然警察が必要なのではと考えたが、ヒトカゲの常識は見事覆された。
「この国は絶対王政。王は意に反した者……つまり、どんなに小さな犯罪でも、犯した者を死刑に処するのだ」
“死刑”という言葉で、ヒトカゲは気になっていたことが解決された。初めにラゼングロードを訪れた時に、どうしてレシラム達が「王の意に背くと死刑にする」と言ったことを。
それはヒトカゲ達にだけ言ったわけではなく、この国のいわば法律であったのだ。もちろんであるが、このような法律は他の国にはない。ポケモニアだけの、異色な法律。
「だが、私とて死刑は好ましく思ってはない。だからこうして、王から身を隠す意味合いも込め、こいつを監禁しているのだ」
ダイケンキから語られた、監禁の理由。同じ生き物同士の情け故からの行動ではあるが、ヒトカゲが知っている“常識”からあまりにもかけ離れているため、あぁそうなのかと受け入れ難い。
「さぁ、早く出ていきなさい。ここは子供のいるべき場所じゃない」
事情説明が終わると、急かすようにダイケンキがヒトカゲの背中を押す。言われるがままに外へ出ようとするが、どうもクリムガンのことが気がかりらしく、体が少し抵抗する。
気がつけば、小屋の外にいた。はっと気がついて中の様子を窺う、ダイケンキが食料や水を広げているのが見える。しばらく中を見ていたが、クリムガンはそれらに一切手を付けることはなかった。
数時間後、日が暮れ、ヒトカゲはラゼングロードへと戻って行った。あれから街中へ戻って辺りを見物していたが、とても犯罪が起こるような様子のない、平和な町の姿がそこにはあった。
単に治安がとてもいいのか、それとも死刑を恐れて“平和”を演じているだけなのか。見た目からは判断することができないくらい、街のポケモン達の表情に笑顔が多い。
自分達のログハウスへと戻ると、すでに全員が揃っていた。出迎えた仲間の顔がやけに嬉しそうで、ヒトカゲは何かいいことがあったのかと訊ねた。最初に口を開いたのはドダイトスだ。
「いやぁ、観光はよかったぞ。珍しい酒もあったしなぁ♪」
「ドダイトス、お酒は少しずつ飲みましょうね」
酒を一気飲みしようとする彼を止めたベイリーフの首には、色鮮やかなきのみで作られたアクセサリーがつけてあった。それを見ていたヒトカゲの視界を遮るように、ゼニガメが顔を覗かせる。
「ヒトカゲ、これ見てくれよ! プロトーガってポケモンから薦められたタワシなんだけどさ、すっげーいいんだよ!」
無邪気にタワシを見せてくるゼニガメ。相当お気に召しているようで、指でタワシをなぞって恍惚の表情を浮かべる。「いい買い物できてよかったね」とヒトカゲが答えた。
他の仲間達も、今日の出来事で嬉しかったことをヒトカゲに話してくれている。彼らの笑顔は、テューダーのポケモン達のそれとほとんど同じだった。
(みんなには、偽りなんかない。本当に嬉しい表情だ。この笑顔が街にも確かにあった。だけど……)
ヒトカゲの心の中では、昼間の出来事――クリムガンとのやりとり、そしてダイケンキから聞いたポケモニアの制度が甦ってきた。どこか悲しげな、2人の表情と一緒に。
(街の何人かは言ってた。クリムガンは悪人だって……)
実は、街中を周っているときにヒトカゲはクリムガンについて住人に訊ねていたのだ。住人達は口をそろえて答えた。「あいつは泥棒を止めようとしない。根っからの悪人だ」と。
ならば、警察のないあの街は、犯罪なんかありませんと豪語して住人は平和を演じていることになる。ヒトカゲの推測では、実際はそれなりの犯罪があるものの、それを隠しているのだ。
どうして隠す必要があるのかまで考えるときりがないのでヒトカゲはそこで一旦止めた。いずれにせよ、犯罪者を監禁することも、王に引き渡して死刑にすることも、それはダメだと思った。
「どうした? そんな渋い顔して」
バンギラスの声で、ヒトカゲの意識が現実世界へ戻ってきた。自身は気づかなかったようだが、バンギラス曰く、大分悩んでいるような表情をしていたとのこと。
「あー……話、聞いてくれるかな? 今日あった事なんだけどね」
特に隠すようなことでもないので、ありのままに今日の出来事について語り始めた。自分の口から出すことでますます疑問に思い始めた、この国の制度や、国民の姿。
“この国では”、こういうやり方が正解なのかもしれない。だけどやっぱり自分は受け入れられない。むしろ正しくないと感じている。ヒトカゲの意見は、みんなの賛同を得るのに十分な内容であった。
「確かにな。俺らからしたらあまりに無慈悲な行為だよな」
「だから、ここを訪れたときにあんな発言が……」
それぞれ、初めて王と会った時のことを思い返していた。あれは単なる度胸試しのようなものではなく、法として国中に効力のあるものだったのだと再認識する。
みんな誰1人として、この制度を好ましく思っていない。しかしだからと言ってどう行動を起こせば解決できるのか、見当のつけようがない。もっとも、見当がついていれば国民が動いているのだが。
「ヒトカゲ、お前はどうするつもりだ?」
ルカリオが意見を伺ってみる。もちろんヒトカゲとてこの問題のベストな解決策を知っているわけではない。まずは犯罪者とはいえ、どうも放っておけないクリムガンのことを考えてみた。
「とりあえず、休みの日にクリムガンのところへ通ってみる。今レシラムとゼクロムに話しても、はっきり言ってどうすればいいかわからないから」
ヒトカゲらしい答えだな――ふっと笑顔になった仲間達はそう心の中で呟いた。