第88話 監禁
修行を開始してから10日、すでにメンバーの数人には修行の成果が表れ始めていた。俊敏さが向上した者や、判断力が研ぎ澄まされてきた者もいる。
だが一方で、まったくと言っていいほど変化が見られない者がいた。ヒトカゲとサイクスの2人だ。“あおいほのお”に近づけろという無理難題を押し付けられたのだ、無理もない。
サイクス曰く、レシラム以外のポケモンが“あおいほのお”を出すのは原理的には可能なことらしい。問題は実際にどうすれば思い通りに酸素濃度を調節するかだとか。
「ん〜やっぱ簡単なことじゃないよなぁ。でなきゃ固有技なんて言われないか」
あれこれ考えては試してみるものの、青色になるどころか少しも炎の色を変えられずにいた。ヒトカゲ同様、微塵も進歩しないことに少々うなだれはじめてきている。
そんな彼らの想いを知ってか知らずか、その日の夕方にレシラムが「明日は全員休みだ」と言い放った。みんなは疲れた表情しか見せていないが、内心は喜んでいた。
話し合いの結果、休日は各々で街を巡って気分を晴らそうということに。もちろん、一部のメンバーは昼まではぐっすりと睡眠をとるつもり満々である。
次の日、早起きできた者達はさっさと街へと繰り出していった。休みがとれた嬉しさがみんなの足取りに表れている。走るときに地面を踏みきる足の力が強い。
一方、昼過ぎにようやく目が覚めた4名――ヒトカゲ、サイクス、カメックス、そしてルカリオ。ちなみにカメックスは考え事で寝つけず、ルカリオは眉間にしわを寄せたカメックスに怯えていたせいで寝つけなかったようだ。
「まーたまには寝るだけの1日ってのも、悪くないぜー」
「サイクス、それは普段寝てねぇ奴の台詞だ」
寝不足という言葉を知らないサイクスに、冷静にカメックスが突っ込む。手を引っ張って無理やり起こすと、そのままずるずるとサイクスを引きずりながら外へ出て行った。
「あっ」
ふと、何かを思い出したかのようにカメックスは立ち止まり、後ろを振り返った。目線の先にいたのは、眠たげな目をしている青い狐っぽいような犬っぽいような奴だ。
(えっ、何? 俺何もしてないよ!?)
いつものように本能的に拒否反応を起こすルカリオ。そして黙ったまま動かないカメックス。この緊張感漂う空気をどうにかしよう……とする者はいなかった。
殴られるのか、はたまた殴られるのか、とにかく殴られることしか考えられなかったルカリオにとって、思いもよらぬ言葉がカメックスから発せられた。
「お前、ポフィン好きだったよな?」
意外すぎる一言だった。それはカメックスが珍しくルカリオに対して“普通の”会話をしたこともあるが、何より驚いたのは、自分からは話していない「ポフィン好き」だということをカメックスが知っていたことだ。
「な、なんで俺がポフィン好きだって知ってんだ?」
「知らねぇはずがねぇだろ」
そう言うとカメックスは左手で掴んでいたサイクスを放り投げ、ルカリオの正面へ体を向ける。若干声量を抑え気味に、その理由を一言で言い放った。
「お前よぉ、仲間のことくらい、どうでもいいようなことでも知っとくもんだぜ?」
この一言が、ルカリオの心に突き刺さった。自分に対してほとんど冷たい態度をとっていたと思ってきた奴が、これほど真剣に自分のことを考えているとは思ってなかったのだ。
それと同時に、ピンと張っていた糸が切れて垂れ下がった感覚を覚えた。強ばっていた表情も穏やかになり、初めて彼のことを “素直に” 受け入れることができた瞬間であった。
「あ、あの……」
「まぁいい。好きなんだろ。旨い店知ってっから、来いよ」
ため息をつきながら、カメックスは1人歩き始めた。慌ててルカリオが彼の背中を追いかけていく。意識したわけでなく、ごく自然に、足が動いていったと後にルカリオは思い返した。
「……で、いい風な話で締まりそうな状況の中取り残された俺らはどうすれと」
眠いのか、それともこの状況に納得いかないのか、目を半開きにしたサイクスがぼそっと呟く。おそらくサイクスと同じ思いなのだろう、ヒトカゲは脱力感いっぱいの笑い方をする。
「あはは……ぼ、僕は街でふらつこうかな〜って思ってたんだけど」
「そっか〜。俺は今度でいっかな。なんか異様に眠くてさ」
「あ、じゃあお留守番よろしくね。僕行ってくるから!」
街へ向かって歩き始めたヒトカゲを、力の入ってない手を振って見送るサイクス。姿が見えなくなるまで手を振るつもりだったが、サイクスの視界が闇に染まるあたり、体は正直だった。
程なくしてテューダーに辿り着いたヒトカゲは散歩気分で街中をふらつき始める。前回訪れた時はハッサムの件であまり見まわることができなかったため、少し期待しているのだ。
右を見れば子供のエモンガやパチリスが草むらで仲良く遊んでいる光景が、左を見れば昼間から酒屋で酒を飲んでいるナゲキとエンブオーの姿が。外国といえど、やはり平和で楽しそうな辺りはどこも一緒だ。
「みんなも楽しんでるかなー?」
先に街に行った仲間達のことを考えながら歩いている。ひょっとしたらこの近くにいないかなと、辺りをキョロキョロと見まわっていると、あるものがふと目に入ってきた。
「立ち入り禁止?」
ヒトカゲが見たのは、賑やかな出店の列から1本だけ延びている道、そしてその道を塞ぐロープに貼られた“立ち入り禁止”の文字。道の先には小さな小屋らしきものがあった。
こういう状況を見ると何かと知りたくなるのがヒトカゲの癖。誰も自分のことを見てないのを確認して、ロープをくぐって小道を進み始めた。
小屋の前に辿り着くと、すぐさまヒトカゲは周りを調べ始めた。雑草の伸び具合から、誰かが頻繁に立ち入っている様子がないことが窺える。そして物音ひとつしない。
「誰もいない……よね? 中入っちゃお」
もう気持ちは遊びモードだ。かくれんぼや探検ごっこの時と同じ高揚感を胸に、鍵のついていない扉を素早く開け、音をたてないようにすっと閉めた。
扉がきちんとしまったかを確認してから部屋の中を見ようと振り返ると、ヒトカゲは心臓が破けるのではないかというくらい驚き、一瞬呼吸が止まった。
ヒトカゲが見たもの、それは床にうつ伏せ状態になっている1匹のポケモン、そしてそのポケモンの両手首につけられた手錠と、左足につけられた錘(おもり)だ。
言葉すら失ってしまう状況に冷静でいられるわけもなく、軽いパニック状態である。そんな中、うつ伏せになっていたポケモンがゆっくりとヒトカゲの方を向いた。
「……ガキか」
そう呟いたポケモンは、腕や尻尾に無数の赤いトゲがあり、背中には翼らしきものを持ち、青い体と赤い頭部を持つドラゴンのような姿をしていた。だが、初めて見た種族ゆえヒトカゲにはこのポケモンの種族名はわからなかった。
「あ、だ、大丈夫です……か?」
「……いいから失せろ」
とりあえず生きていた――ひとまず安心して話しかけるものの、相手は構ってくれる様子もない。だがこの状況を見て放っておけるようなヒトカゲではない。話を続けた。
「と、とにかく誰か呼んで……」
「呼ぶんじゃねぇ」
「で、でも! どう考えたって普通じゃないでしょ!」
「……ちょっと待て」
突如、相手の目つきががらりと変化した。睨んでいることには変わりないのだが、何かヒトカゲに対して疑いを持っているような、威嚇とは違う睨み方だ。
もちろんその変化をヒトカゲは感じ取ったが、いきなり呼び止められたことの方が印象強かったようだ。少し解けていた緊張が再び張りつめてくる。
「お前、ただのガキじゃなさそうだな。こんな状況の俺を見て怯えねぇどころか、助けよとしやがる。お前こそ普通じゃねぇな」
まるで正体を見抜いているような物言いだ。これにはヒトカゲも動揺を隠せず、その表情を顔に出してしまう。そんなヒトカゲを見て確信づいた様子で相手は口を開いた。
「図星か。そっちも訳ありって感じだな」
「ま、まぁ……」
終始無表情なこの相手の真意がよくわからず、ヒトカゲは戸惑いつつも半笑いで返す。だがまだ、目の前の拘束された相手への恐怖心が取れたわけではない。
「……こっち来い。安心しろ、別に何もしねぇし、できねぇからよ」
一呼吸置いて、相手はヒトカゲを呼び寄せた。相手がどういう者かを把握できずにいるため躊躇はしたが、拘束状態では何もできないだろうと判断し、ゆっくり近づく。
相手も辛そうにしながら起き上がり、コンクリートでできた冷たい壁に背をつけて座る。ふぅ、と大きく息を漏らし、体の力が少し抜けたところでヒトカゲに話し始めた。
「俺はクリムガン。お前、この辺じゃ見かけねぇ顔だが、外ポケか?」
「あ、うん。僕ヒトカゲ」
ヒトカゲの横にいる相手――クリムガンはそれだけ言うと、小屋の隙間からわずかに入ってくる光をじっと見ていた。何となく気まずくなってしまったヒトカゲが先程できなかった質問を訊ねてみる。
「あの、なんでこんなものつけられてるの?」
「……監禁されてんだよ」
監禁という単語を聞いた途端、ヒトカゲの背中に戦慄が走った。思わず本当かどうか聞き返してしまった。するとクリムガンは、今の状況に至るまでの経緯について、ゆっくりと語り始めた。
「そうだ。俺はこの街の奴らによって、監禁されてんだ……」