第79話 岬の途中で
「おはようございま……せんね」
翌朝、宿泊客を起こしに回るブラッキーが、ヒトカゲ達が寝ている部屋に入った時に発した一言だ。彼らが眠りについたのは結局朝方。起きられるはずがない。
しかも全員の寝相があまりにも酷い。藁でできた布団が散乱し、4人とも何故か部屋の隅っこで仰向けになって寝ている。こんな状態の彼らを見てしまっては言葉も出てこない。
「あんまり遅くまで寝てると、料金上がっちゃうわよ、フフフ」
ぽつりと呟きながら、ブラッキーは他の部屋へと行ってしまった。いやらしさだけは以前と変わっていないようだ。そんな事に気づくはずもなく、4人は深い眠りの中にいた。
太陽が南中高度から少し下がった頃、先に目が覚めたのはラティアスだ。すっきり目覚めたようで、すぐに体を起こすことが出来た。水を飲もうと部屋の扉を開けたとき、ちょうど部屋にブラッキーがやって来た。
「あら、起きたのね」
「あっ、はい。今起きました〜」
ふとラティアスの目に入ってきたのは、ブラッキーが口にくわえている紙切れ。何だろうと思っていると、その紙切れをラティアスに渡したブラッキー。口元が少しにやついている。
ラティアスがその紙に書かれているものに目を通すと、どうやら請求書のようだ。右下に料金が書かれているのを発見し、さすがの彼女も青ざめる。
「ひゃ〜! こ、こんなに! ルカリオさん持ってるかな……?」
書かれていた金額はそこまで高い値ではない。だが彼らにとったら巨額な請求であることには間違いない。慌ててルカリオを叩き起こし、金の有無を確認する。
数秒後、部屋中にルカリオの絶叫する声が響き渡った。部屋の前で待機しているブラッキーはくすくすと笑っている。いわゆる確信犯だ。
「な、なんだこれ!? ってか今昼!? くっそーまんまとやられたか!」
ルカリオの大声によりヒトカゲとジュプトルも目を覚ます。何事かと近寄ってみると、絶叫こそしないものの、今の彼らにしては目を覆いたくなるほどの数字が羅列されている。
「これ、払える?」
「……ルカリオ、お前どのくらい持ってる?」
その場で小会議が開かれた。もちろん議題は「お金が払えるかどうか」。1分以内にその会議は無事に閉幕し、1つの結論を出すことが出来た。結論をブラッキーに伝える。
『……払えません』
この時の所持金は、わずか1000ポケ。ルカリオの計算によれば、オースに到着するまでにきっちり使える金額でやりくりしてきたという。と言っても、今持っているお金は前にバンギラスから借りたものに、ジュプトルが持っていたものを足したものだが。
「それは困るわ。この旅館、4名分の料金を免除する余裕はないわよ」
ブラッキーはそう言うが、実はブラッキーが働き始めてから経営は右肩上り。ヒトカゲ達の料金が支出されても痛くないほどの稼ぎだ。商売をしている以上、請求にはうるさいようだ。
仕方ないので、再びバンギラスに電話。しかし不在だったためサイクスにも電話するが、彼もまた不在。ここでヒトカゲの提案により、サイクスの実家に請求書を送りつけるという方法で難を逃れた。
「これなら問題ないわ。それじゃあ、みんな頑張ってね。応援しているから」
嬉しそうな顔をしながら、ブラッキーは仕事へと戻っていった。せっかくホウオウに会える日だというのに、寝坊しただけでこれだけの被害を受けるとは何て不幸なんだと、4人は心の中で嘆いた。
それから数時間後、太陽が赤みがかってきた頃、ヒトカゲ達はオースまで数kmのところまできていた。夜には到着できるだろうと考えながら歩いている。
ヒトカゲがきのみを1つ食べようと、カバンの中に手を入れた、その時だ。細長い棒状のものがあることに気づき、それを掴んで取り出してみる。
「……あっ」
「どうかしました?」
声に反応したのはラティアス。振り返ると、ヒトカゲが口を半開きにして固まっていた。そして右手には、綺麗な水色の棒状のものが握られている。
「わぁ〜、綺麗な色の笛ですね〜♪」
今度はルカリオとジュプトルがラティアスの声に反応し、彼らの方を振り返る。その笛を初めて見るジュプトルは興味を持っているようだが、その笛がどんな笛かを知っているルカリオの体は震えだす。
「お、おいヒトカゲ、その笛……海神笛だよな?」
「う……うん」
そう、この笛は海神笛。ポケラスに来る前にルギアからもらった、ルギアを呼び出すための笛。グラードンとの一戦の際に使用してから、ずっとカバンにしまいっ放しにしていたのだ。
滅多に使うものでもないということもあり、その存在を忘れかけていたようだ。いまだ固まったままのヒトカゲに、ルカリオの怒号が浴びせられる。
「どうしてホウオウがオースにいるかもってわかった時にそれ使わねーんだよ!!」
「だ、だって〜!」
もしルカリオの言うとおり、早めの段階で使っていれば、さほど苦労することなくオースへ辿り着けるのは間違いない。笛を掴んだ瞬間、ヒトカゲもそう思っていた。
「いいから吹け! 今すぐ吹け! 早く!!」
ルカリオの怒り方が半端ない。さすがのラティアスとジュプトルも1歩引くほどの怒り具合だ。ヒトカゲもこれほど怒ったルカリオは見たことがない。
慌てて笛を吹くヒトカゲ。動揺しているせいか笛の吹き方が荒々しく、吐息も強い。ホイッスルさながらの音色になってしまった。耳を劈(つんざ)く音が鳴り響く。
【何事だ、やかましい】
刹那、テレパシーを使ってルギアが呼びかけてきた。さすがにこの音に不満をこぼさずにはいられなかったようだ。そしてヒトカゲ達の近くにいたのか、1分と経たないうちに駆けつけてきてくれた。
神様と、神様を呼びつけるヒトカゲをジュプトルは目を丸くしてみている。初めて見る者は誰でもこのような反応になる。話で聞くのと実際に目にするのとではこれほど差が出てしまうものだ。
「ホウオウが、この先のオースにいるって!」
「本当か? 確かなのか?」
ヒトカゲの言うことが少し信じられないといった顔をするルギア。だが嘘偽りをつくような者でないとわかっているため、首を縦に振ったヒトカゲを見て事実だと受け止めた。
「少し待てるか? 番人達も呼ばなくては」
そう言うと、ルギアは目を閉じて強く念じる。今念じているのは、いわば緊急信号のようなもので、エンテイ・ライコウ・スイクンにしか伝わらない特殊な念である。
1時間ほど経ち、夕陽が地平線に差しかかり始めた時、遠くから番人達3人が一緒に走ってきたのがヒトカゲ達に見えた。彼らもわりと近くにいたのだろう。
『只今、参上致しました』
ルギアに対して深々と頭を下げるエンテイ達。珍しい光景にヒトカゲ達はじっと見ている。そのままルギアから、ホウオウ発見の旨が伝えられた。
番人達もこれには非常に驚いた。彼らの話によると、これまで何度もオースも見てきたが、ホウオウが訪れた様子もなかったという。実に良いタイミングに恵まれたと嬉しがっている。
これで、メンバーは揃った。ヒトカゲはルギアに、ルカリオとジュプトルはそれぞれスイクンとエンテイに乗り、全員で一気にオースへ向けて駆け始めた。ヒトカゲ達が走る数倍の速さで。
「ねぇ、1つ聞きたいことがあるんだけど……」
「何だ?」
飛行中、ヒトカゲはルギアに話しかけた。その内容は、以前から気になっていた、“あの”ことである。
「その……僕達に、隠してることってある?」
前にスイクンにもたずねてしまった、この質問。もちろん隠し事をしていないと信じたいと思っている、そのせいで確信を得たい気持ちが強くなっているのだ。
これに対し、ルギアは小さくため息をついた。少々呆れたような表情をしながら、前を向いたままヒトカゲの質問に答えた。
「パルキアに何か吹き込まれたのか?」
「えっ、あ、いや……」
「まったく、要らん事を。ヒトカゲ、これだけは言っておこう。私はお前達を騙したり、操ろうとしたりするつもりは全くない」
直接是非で答えることはなかったが、隠し事があったとしても悪い方向ではないという意味合いをヒトカゲは掴めたようだ。少しは安心できたらしい。
しかし、ルギアの方からパルキアの名が出てくるとはと、ヒトカゲは驚いた。やはり何かしらの関係があるのだろうか、それとも隠し事をしているのはパルキアの方なのかと、新たな考えが生まれてきた。
「ヒトカゲ、お前がパルキアに何を言われたか私は知らん。だが、我々神族が嘘をつくことは一切ない。たとえ、それが信じられない事だとしてもな」
この言葉が何を示しているかはすぐにわからなかったが、ヒトカゲは後々この言葉の意味を理解することとなる。そう遠くない、未来で。
「この話はこれまでだ。今はホウオウを優先せねば。いいな?」
「う、うん」
ヒトカゲの返事を合図に、ルギアは飛行速度を一気に上げた。同時にエンテイ達も走るスピードを上げ、ルギアに遅れを取らないようにぴったりついていった。
目指すべき岬・オースまでは、もう目と鼻の先の距離だ。