第60話 残されたもの
朝を迎え、ヒトカゲとルカリオはグランサンの診療所に向かった。そこでは怪我の治療中であったベイリーフ、ドダイトス、プテラ、そして彼らを看病するラティアスが待っていた。
1人、欠けている。それにいち早く気づいたのはラティアスだ。この診療所にいない、そしてヒトカゲ達とも一緒でない、どうしたのかと誰もが訊ねる中、ルカリオが静かに語り始めた。
あいつは、俺を助けるため、自分から命を絶った――その言葉を言うだけで物凄く大変な思いをした。嗚咽で言葉にならない。視界はぼやける。そして、右手の傷が疼き始める。
誰がこの事実を素直に受け入れようとするだろうか。聞き間違いであってほしい、誰もがそう願ったが、ルカリオの首が横に振られるのを見て、願いは崩れ去った。
『…………』
終始、無言が続いた。言葉が一切出ず、出てくるのは涙のみ。つい1日前まで輝いていた命がその輝きを失うということの重みが、全員にのしかかった。
中でも、それを直に目にしたルカリオにのしかかるものは相当なものだ。悲愴感、後悔、そして自責の念。全てが複雑に混ざり合って心の中に注がれていく。
そんな中、部屋に入ってきたのは、たった今治療を終えたばかりのガブリアスだった。他のメンバーは大部屋でぐっすり眠っているという。
「今回は残念だったな。まさかそんな事になっていたとは……心中察するぞ」
胸に自分のツメをあて、祈るような仕草で会釈するガブリアス。そしてふらりと窓際まで行くと、燦々(さんさん)と照りつける太陽を見ながら話を始める。
「慰めにも何にもならねぇが……俺達も仲間を失ってるんだよ。数年前にな」
みんなの視線がガブリアスの方へと向く。みんなに背を向けているためどのような表情をしているかはわからないが、彼の背中から哀しさが伝わってきた。
「……俺らのチームのマネージャーをしてくれてた奴なんだが、ある日突然死体で発見された。ここからさほど遠くないところにある、小さな村の港でな」
ガブリアスの話によると、そのポケモンは何の罪もないのに殺されたのだという。自分達を恨んでいるものの犯行かとも疑ったがそうでもなく、変なことに近くで別の悪者達も死んでいたらしい。
どこかで聞いたことのある話だな、とプテラは思ったが、なかなか思い出せなかったため深く考えるのを止めにした。そうしているうちにも話は進んでいく。
「無念の死としか言い様がなかった。残された俺達は今のお前達のように、抜け殻状態だった。だがな、ある日気づいたんだよ。そいつ、俺達のためにあるものを遺していったんだ」
『……あるもの?』
みんなは気になって仕方がない様子だ。死期を悟って何かをあらかじめ準備していたのかと想像していたが、その予想は全く違っていた。
「“強くなること”……それを遺したんだ」
悲しみに暮れ、何もすることができなかったメンバーが気づいたのは、いつまで経ってもそれを理由にして前に進んでいくことをしなかった、各々の情けなさだ。
心が傷つくことを怖れたりはしなくなっても、決して強いというわけではない。今の自分達の心は弱い。心身共に強くなれ、そう伝えるためにこの世を去ったのだと解釈するようにした。
「その役割を担うために、そいつは生きてきたのかもしれねぇな」
ふとヒトカゲが顔を上げると、ガブリアスの目にうっすらと涙が。その涙に深い意味はない。傍にいないことが寂しい、悲しい、ただそれだけだ。
午後になり、体を動かすことができるヒトカゲとルカリオ、そしてラティアスがレッドクリフへと足を運んだ。ルカリオの案内で辿り着いた場所は、悲劇の起きた現場だ。
みんなそれぞれが手に持っている花をそっと地面に供えた。必死で哀しみに耐えようとするが、耐えることができずに再び涙が頬を伝っていった。
「……何を泣いている?」
泣き伏している彼らの前に現れたのは、疲れた表情のルギアだ。実はグラードンとの戦いの後、ずっとガバイトを捜してくれていたのだ。だが見つからず、ここに立ち寄ったようだ。
涙を拭きながらヒトカゲは事情を説明する。グラードンと対峙する前に大事な仲間を失ったことを知ると、ルギアは申し訳なさそうな表情になる。
「すまない。そんな事があったとは知らずに……」
「何事だ?」
そこへ今度は、グラードンが姿を現した。戦いによる傷を癒して戻ってきたところへ、何だかただならぬ様子の盟友や恩人達が目に入ったのだとか。グラードンもまた事情を聞かされると、驚くと同時に同情し始めた。
「汝等の深き悲しみ、痛いほど伝わる。我を救った礼に何とかしてやりたいが、こればかりはどうすることもできん」
いくら神という座にいようと、グラードンやルギアに命を操る力はない。確かに命を操る力のある神もいるが、その力を私的感情などにより使うことはあってはならない。
「私達を含め、いかなる者も、生(せい)の歩む道に干渉してはならんのだ。特に命は、意によって再生されることはこの世の理を犯すことになる」
3人にはルギアの言葉が重く感じていた。それは、もしかしたら生き返らせてくれないだろうかという、僅かな希望を持ち合わせていたからだ。彼らも甘く考えすぎていたと反省する。
そしてルギアとグラードンも、それがどんなに重罪に値するかを思い返し、この件に関しては情けをかけまいと戒めていた。それほど、命の扱いは肝要なものなのだ。
「……大丈夫だよ」
しばしの沈黙の後、最初に声を上げたのはヒトカゲだ。声に反応してみんなはヒトカゲの方を見ると、もう涙を流してはいなかった。むしろ笑顔になっている。
「だって、自分の命と引き換えに、多くの命を救ったんだもん。悲しまないで、むしろ尊敬しなきゃいけないもん」
確かに、失ったものは大きい。だがそれによって護られたものも大きい。多くの命を救うために今まで生きてきたと、ガブリアスの話に影響されたような解釈をヒトカゲはした。
それはヒトカゲだけではなかった。ラティアスも、そして現場にいたルカリオもそう思っていた。自分で背負ってきた不幸の分、数多の命に還元したのだろうと。
「すげー奴だったな。もう殴れねーと思うと寂しいけどな」
涙を拭って、笑みを浮かべてルカリオが言う。右手につけられた傷を見ながらこう思っていた。これがその証――大勢のポケモンのために戦った勇者のつけた、生きてきた証なんだと。
「ええ、私もそう思います」
接していた期間が1番短いラティアスも、尊敬の念を抱いていた。旅に出て程なくしてこれほどまでに辛い場面に遭遇した彼女の辛さは相当なものだろうと誰もが思っていたが、その心配はすぐになくなった。
3人の想いは一緒だった。出会えたこと、一緒に旅をしたこと、いろんな思い出をつくらせてくれたこと。亡き彼に対して、感謝の気持ちを伝えることにした。
『ありがとう、アーマルド』
空を見上げながら、声をそろえて言った。その気持ちに応じるように、すうっとそよ風が吹く。その風に1枚の花びらが乗っかり、遠くへ向かって、長い旅をし始めた。
約1週間が過ぎ、ベイリーフ達の怪我が治り、自由に動けるようになった。全員がその場に集まって、これからについて話し合っていた。
「ベイリーフ、ドダイトス、旅行中なのにごめんね。いろいろ巻き込んじゃって」
「いいのよ。それより、これからはどうすればいい?」
旅行を再開するどころか、ヒトカゲ達の手伝いを買って出る。その気持ちを無駄にしたくないからか、それならとヒトカゲはお願いをすることにした。
「じゃあ、この事を、ゼニガメやカメックス、バクフーン兄ちゃんに伝えて。みんなポケラスのどこかにいるはずだから」
「了解した。ヒトカゲ、それからルカリオにラティアスちゃん、気をつけて」
そう言い残し、ベイリーフとドダイトスはすぐに旅立った。姿が見えなくなるまで見届けると、今度はグロックスのみんなに指示を出す。
「グロックスのみんなは、ガバイトを裏で糸引いている存在を探ってほしい。何も手がかりがなくて難しいかもしれないけど……」
「いや、その方がやりがいはある。引き受けよう」
快くガブリアスが受けてくれた。他のメンバーもしっかりと頷いてくれ、ヒトカゲは安心した様子だ。これでひと段落したと思っていたが、大事なことを忘れていた。
「……あのさ、俺ぁ何をすれば……」
『……あっ』
すっかり忘れられていた、プテラの存在。何か頼めないだろうかと改めて考えるも大したことも思い浮かばず、最悪帰ってもらおうかと思っていたとき、ガブリアスが口を開いた。
「何もする事がないなら、俺らを手伝え」
それは願ってもないことだった。何とチーム・グロックスのアシスタントとして働けと言っているのだ。それだけでも多くのポケモンから羨ましがられることだ。
「えっ、お、俺が?」
「そうだ。ここまで改心していれば、何も問題ないだろう。それに、過去にガバイトに関わったことのある貴重な証人だからな」
ガブリアスが自分の願いを聞いてくれただけでなく、共に行動しようと言ってくれたことにプテラは感涙だ。メンバーも嬉しそうにしているが、バシャーモだけは「正義のヒーローの座を奪おうとする奴だったら許さん」と思っていたようだ。
「じゃあ行くぜ。何かあったら、警察にでも頼んであの本拠地(アジト)に手紙してくれ」
彼らも、足早にその場を去っていった。残った3人は互いに目を合わせると、ヒトカゲが中心の横一列となり、手を繋ぎ始めた。これからの旅の無事を祈ると、歩幅を合わせて歩き始めた。
話は戻って1週間前、とある場所ではガバイトともう1人とで、話をしていた。ガバイトの計画が失敗したことがすぐに知れ渡ったのだ。
「汝は我に誓ったはずだ。我の代わりに手足となって動くと」
「は、はい……」
そのポケモンは恐れていたのだ。グラードンとルギアに、自分の存在が知られるのではないかと。ガバイトが失敗したことで、確実に危険が迫っているのではないかと。
「それどころか、汝は我の意とは無関係の行動をし、挙句の果てに失敗に終わるとは……」
完全に呆れている様子だ。何のために汝を生き返らせたのか、と嘆いている。もちろんガバイトもこのままにするわけにはいかないと思い、再度試みると願い出る。
「今回は失敗でした。で、ですが、次は必ず……」
「汝に次はない」
そう言うと、そのポケモンは自分の目の前に1つの玉を出現させた。黄色に光るその玉を見ると、ガバイトは酷く驚いた顔をする。
「そ、それは……!」
「これこそ、汝の命そのもの。これを砕けば、永遠に蘇ることはない。無に還るのだ」
無に還る。それは死んだ者達が集まる場所、いわゆる冥界からの追放を意味していた。追放されると、完全に存在がなくなってしまう。
「ど、どうかそれだけは! それだけはご勘弁を! あ、あなた様の御慈悲を……!」
次の瞬間、パキッという乾いた音と共にガバイトの体は一気に黒い粒子状となり、消え去った。この場に残っているのは、ガバイトを消し去った張本人のみだ。
「……仕方ない。我が直々に出向くとしよう。さすれば、向こうから姿を現すであろう」
そのポケモンは、静かにその場で立ち上がり、どこかへ向けて移動を始めた。ある標的が自分の前に現れることを願いながら。