Special Episode 4 -バンギラス-
「おーれーはバンちゃーん、わーかだーいしょー♪」
ミュウツーとの戦いから半年程経った頃のある日、ナランハ島ではバンギラスが歌を歌いながら森を闊歩していた。その表情はにこやかで、頬もほんのり赤い。
それにしても、この歌、どこかで聞き覚えがあるような気がするのは作者だけではないと信じたい。
「さー早く行かねぇとな。夕飯に間に合わなくなっちまう」
陽の当たる方向を見たあと、バンギラスの足取りが速くなる。彼の右手には藁で作ったであろうカゴが握られており、中にはきのみがたくさん入っている。
彼は今、警察官になるべく警察学校へ入学するための受験勉強中。その合間の息抜きを兼ねて、“友達”と言い張るポッポのもとへ遊びに行くことにしたのだ。
「ここの大木を右に曲がって……まっすぐ2分走る!」
目印にしているケヤキの木を見つけると、バンギラスはダッシュでポッポの家へと向かう。彼はいつもここから走るのがお決まりで、そのせいか同種族の平均より速く走れるのだ。
「おーい、来たぞー」
ポッポの家の前に着いたバンギラスは来客用の扉をノックしながら呼びかける。いつもはポッポ専用の扉からひょっこり顔を出すのだが、今日はどういうわけか物音ひとつしない。
おかしいなと思いつつ、次は強めにノックをする。もしかしてうたた寝でもしているのではないかとゴンゴンと打ちつけるが、それでも反応なし。留守なんだろうかと考えた瞬間、ノックの反動で扉が開いた。
「あれ、開けっぱなし?」
バンギラスは少々不安になる。いつも戸締まりをしっかりしているポッポが扉の鍵をしないわけがない、何かあったのではと推測する。
勢いよく扉を開け中に駆け込む。それほど大きな家ではないため、辺りを見回すとすぐに状況を理解した。
「……おい! ポッポ!」
彼が目にしたのは、苦しそうに息を荒くして床に横たわっているポッポの姿だった。すぐさま持っていたきのみが入ったカゴを放り捨て、ポッポを抱きかかえる。
「しっかりしろ! どうした!?」
「バン、ちゃん……熱、みたい……」
ポッポの顔は赤らみ、抱いているその体はいつもより熱い。彼女の言う通り、酷い熱のようだ。すぐに医者に見せるか安静にさせるかをするところではあるが、それ以上にバンギラスの方が重症であった。
「うぉーー! ポッポに風邪移した奴出てこい! それかどこぞの菌が入りやがったんだ! まとめてぶっ殺してやる!」
ポッポが倒れたという事実にパニックを起こし、犯人を突き止めてボコボコにするつもりなのだろう、バンギラスは怒鳴り散らしながら“すなあらし”を起こそうとしていた。
「片付け、終わった?」
「はい……」
1時間後、ポッポは藁の布団の中で暖を取りながら体を休めている。一方のバンギラスは顔に打撲と傷跡をつけながら散らかった部屋の片付けを終えたところだ。ちなみに部屋が散らかったのはポッポが暴走気味のバンギラスに「くらわせた」からである。
「熱のせいか、節々が痛いわ」
「それはお前が俺をボコボコにしたからだろ……」
思わず本音が漏れる。蚊の鳴くような声で言ったつもりであるが、ポッポの耳には一語一句逃さず入っていた。すかさず“すなかけ”でバンギラスの目を潰す。
「あーっ! 目が、目がぁー!」
「早くお粥作ってね」
どこぞの古代王家の末裔のような断末魔の叫びをあげるバンギラスをよそ目に、お粥ができるまで一眠りしようと目を瞑るポッポであった。
それから2日間、バンギラスはポッポの熱が下がるまで毎日家に通い看病した。その3日後にポッポが友人達と旅行へ行くことになっていたため早く治したいとのこと。
だがそれ以上に、体力の弱っている“友達”を見ていられないと、バンギラスが一生懸命になっている。
「んー、もう下がったかな」
「だいぶ体も楽になったわ」
バンギラスはその短い腕を使い、自身の額には届かないので、ぬるま湯を用いてポッポの体温を測る。ほぼ同じ温度に達したため、大丈夫だろうと2人で判断した。
「はーとりあえず良かったな。旅行前に治ってよ!」
「ホントね。バンちゃん、ありがとう」
不意にお礼を言われ、バンギラスは体をビクつかせ顔を赤くする。そして急に恥ずかしさを覚えたのか、ポッポから目をそらせて喋り始める。
「い、いや、お礼なんていらねぇよ。大したことしてねぇし……」
言葉を発する度に、蚊の飛ぶ音よりも小さな声になっていく。彼が照れていることを知っているポッポはわざと彼の視界に入るように、何度もその場を移動する。
「なに照れてるの?」
「……うっせぇ」
2人の目が合うと、そこには2人だけの世界が創られていた。胸が苦しくなりつつも、溜めていたものを爆発させたい、暖かくももどかしい世界で、2人は互いの顔を近づける――。
1週間後、すっかり回復したポッポは友人達と旅行に出かけることができた。本来であれば船着場まで見送りがいる予定であったが、ある事情でその場に現れなかった。
「……くそっ」
1週間前までは“お熱”になっていたバンギラスであるが、当日に本当にお熱になってしまったのだ。ポッポの風邪が移ったのかは不明だが、動くだけでも精一杯な様子だ。
そしてたちの悪いことに、彼を看病してくれる人がいないのだ。医者は休日で、知り合いも仕事などで不在にしているためどうすることもできず、最低限の水と食料を寝床近くに置いて大人しく寝ているしかなかった。
「あーあ、今度は俺の番かよ。受験勉強もできねぇし、何より動けねぇし」
そう独り言をつぶやいている最中にも、熱は上がっていく。段々と寒気が増し、頭がくらくらし、意識が飛びそうな感覚を覚え始める。さすがに彼もやばいと感じたが、体が言うことを聞かない。
そんな中、バンギラスの頭の中にある記憶が蘇る――。
20数年前、彼がまだヨーギラスだった時代の話である。よく外で遊ぶ元気な子供であったが、たまにかかる風邪が重く、風邪を引いたときにはいつも高熱を出していた。
「おい、苦しいか? 熱いか?」
彼の看病をしていたのは、父親のラルフである。ラルフは当時ポケモン警察の最年少巡査部長として活躍していたが、子供の世話となるときっちり休暇を取る、よき父親でもあった。
ヨーギラスには母親がいなかった。母親はヨーギラスが産まれてすぐの頃にある事件に巻き込まれ、ラルフが犯人に向けて放った攻撃の一部を受けたことが致命傷となり、絶命してしまったのだ。
ラルフは酷く後悔し、警察を辞めようと何度も考えた。だがその度に、亡くなる直前の妻が残した「あなたは誰もが憧れる警察官になるのよ。約束ね」という言葉を思い出し、それを果たすべく奮闘し、現在に至っているのだ。
「おとうさん、からだがいたいよ……」
「どれ、ちょっと起きれるか?」
もちろん、愛する妻が残した結晶――息子に血は受け継がれている。だからこそ警察官という職業も、父親という役割も、がむしゃらになって頑張れていたのだと、約20年後にバンギラスはラルフのかつての同僚であるニドキング警視から聞かされている。
ラルフはヨーギラスの体を起こし、優しく背中をさする。ゴツゴツとした、温かい父親の手。そんな手でさすってもらったり、頭を撫でてもらったりするのがヨーギラスは大好きであった。
「どれ、熱冷ましの薬を飲もう。苦いけど、我慢できるか?」
そう言いながらラルフが取り出したのは、解熱作用のある薬草だ。だがこれは大人のポケモンでもそこそこ苦く感じるものであった。
「やだ! にがいののみたくない!」
当然ながら、子供のヨーギラスも嫌がる。しかし1日でも早く元気にしてあげたい、外で目一杯遊ばせてあげたいというラルフの想いもあり、説得を続ける。
「だよな、父さんもこれ飲むのは嫌いだ。だけどな、これを飲むとすぐに熱が下がるんだ。そしたらすぐに遊べるようになるぞ」
「うーん、でも……」
「じゃあ、お前がこれを飲んだら、父さんがお前の好きなお菓子を買ってきてやろう。どうだ?」
「ホント? やくそくだよ?」
「もちろんだ。さぁ、頑張ろう!」
「……はっ!」
ここで、バンギラスは目を覚ました。意識を失っていたと自覚したのは、窓の外がすっかり暗くなっているのを見てからだ。寝ていたからか、昼間より多少は体が楽になっているようだ。
「夢……だよな」
先程まで見ていた光景を夢だと、辺りを見回して認識する。あの頃住んでいた家とは別の家、そしてそこに自分を看病をしてくれた父親の姿はない。それがわかると、急に胸が苦しくなった。
「……独りぼっちって、寂しいもんだな。親父……」
無意識に、涙が流れてきた。父親にもう1度逢いたい、誰かの温もりを感じたい。そんな思いが交錯し、バンギラスの胸をさらにきつく締めていく。
だが叶わないことはわかっている。だがらじっと堪えるしかないんだ。彼は頭の中で自分にそう言い聞かせつつ、この苦しみを忘れるために、再び眠りにつこうと必死に目を瞑った。
次に彼が目を覚ましたのは、翌日の昼前だった。目を開けると外から明るい日差しが部屋に入り込んでおり、室温も暖かい。そして何より、頭がすっきりした感覚だ。
「ん、下がったのか?」
体調を確認しようと体を起こすと、ふと自分の目の前に何かが落ちた。バンギラスは何だと思いながらそれを拾うと、ほんのり水分を含んだスカーフであった。
「あれ、俺これ使ってたっけ?」
思い返してみるが、自身の覚えている限り濡れおしぼりを作って額に乗せた記憶はない。高熱のときに無我夢中でやったのかと思っていたとき、突然家の扉が開いた。
「あ、起きたか」
扉から入ってきたのは、何とドダイトスであった。何でいるんだと驚いた様子でバンギラスがたずねると、事情を説明してくれた。
「実はお前に土産があって夜寄ったんだけどよ、見るからに風邪でダウンしてますって感じで寝てたから、土産だけ置いて帰ろうと思ったんだよ。そしたら……」
「そしたら?」
「お前、寝ながら涙流しててよ。ちょっと心配になったから、一晩様子見てたんだ」
実は2度目に寝たときも、バンギラスは幼少期の夢を見ていたのだ。意識せずに流していた涙をドダイトスに見られ、心配になった彼が夜通しで看病してくれていたのだとか。
「そっか……ありがとよ、ドダイトス」
「お礼なら、こっちにも言ってやれよ」
「えっ?」
ドダイトスが鼻の先で示したのは、家の扉。まだ少しだけ重い体で扉まで歩くと、家の外で寝ている友達――ヒトカゲ、ルカリオ、そしてサイクスがぐっすり眠っていたのだ。
「俺だけでいいって言ったのに、心配だからこいつらも一緒に看病するって。お前が寝てる間におしぼり作ったり薬飲ませたり、よく動いてくれたよ」
その時、バンギラスの目からは再び涙が流れ落ちていた。自分の知らないところで自分のために頑張ってくれていたことを嬉しく思ったのもあるが、それ以上に感じたことがあった。
(そっか、俺、独りぼっちじゃねぇんだ……)
夜中に目が覚めたときには心細くて弱音を吐いていたが、今の自分には心を許せる、家族同然の友達がたくさんいる。決して1人でなかったんだと自覚することができ、嬉し涙となって溢れ出てきたのだ。
いつも見ていたはずなのに、心のどこかでないがしろにしていたのかもしれない。だけどいざという時に駆けつけてくれ、助けてくれる存在がこんな身近にいたのだと、改めて感じることができたようだ。
「ところで、何で泣いてんだ? 怖い夢でも見てたのか?」
ドダイトスはふと涙の理由をたずねる。それに対し、バンギラスは思い切り目を瞑って涙を振り払い、いつもの明るい調子でこう応えた。
「うるせぇ、なんでもねぇよ!」