第11話 少しの勇気
次の日、街からさほど離れていないところを流れている川にアーマルドはいた。顔を洗い、直接口をつけて水を飲んでいる。彼の朝はこうして始まる。
だがいつもと違うところがあるとすれば、どこからか視線を感じることだ。わかっていても敢えて自分からは動かず、相手が動くのをじっと窺っていた。
「おはよーさん」
アーマルドの予想通り、そこにいたのは昨晩に会ったヒトカゲとルカリオだった。わざわざ自分を捜してここまで来たのだろう、そうでなければこの場所にポケモンが来ることは滅多にないとアーマルドは心の中で呟いた。
「…………」
無視するかのようにわざと目線を逸らす。そしてアーマルドはその場から立ち去ろうとしようとした時、ヒトカゲが手に持っていたリンゴを差し出した。
「お腹空いてるんじゃない? これ食べていいよ!」
優しく差し出されたリンゴを、じっとアーマルドは見つめていた。昨日から何も食していない彼にとってこのリンゴはこの上ないほどのご馳走だ。そのリンゴを受け取ろうとすっと手を差し出そうとした。
だが彼の中で何かが働き、その手の動きを止めさせた。その顔にはためらいの表情が浮かんでいる。そしてその場にいづらくなったのか、ヒトカゲ達から離れようとして背を向け、早歩きでどこかへ向かって行ってしまった。
心を閉ざしているとわかっていても、いざリンゴを受け取ってもらえないとなると、ヒトカゲは少し落ち込んでしまった。それをなだめるようにルカリオが肩を叩く。
「何落ち込んでんだよ? まだ始めたばっかじゃねーか」
「そうだよね。よしっ、頑張っていこう!」
すぐに気持ちを切り替え、2人は少し間を置いてからアーマルドを追いかけ始めた。
両親の死後、当時は進化前のアノプスだったということもあってか、一時期は面倒を見てくれる者もいたアーマルド。しかしそれもつかの間、半ば捨てられる形でその家を追い出されてしまった。
その後は路頭に迷いながら物乞いをして生活を送ることとなった。これも最初は彼を哀れんで食料を渡す者も少なからずいたが、いつからか周りには誰も寄らなくなっていた。
この経験が、アーマルドの心の扉に重い南京錠をかけたのだ。自分をさらけ出すことのできる家族や友達がいない――それが長く続いたせいか、自分からもこのような者達を求めようとはしなかった。いや、求めるのが怖かったのだ。いつまた捨てられてしまうか、自分を裏切ってしまうのかを考えると、どうしても他の誰かと接触ができない。
(……あいつら、何で……)
いつもと同じ事のはずなのに、今回はどこか違った。いつもなら自分と接触した者の事は忘れるようにしているのだが、どういう訳か、アーマルドはヒトカゲとルカリオの事だけは頭から離れない。
(……どうして俺にこんなに構おうとするんだ?)
実は昨晩からこの事ばかりずっと考えていたのだ。アーマルド自身、大抵の奴らがやるようなからかいではないとわかっていた。では何かと考えてみたものの、答えが浮かばない。そう考えながら歩いているうちに、再びその2人がやって来た。
「なぁアーマルド。俺達は本気で友達になりたいだけなんだって。一目見た時からそう思ったんだよ」
本音をぶつけるルカリオ。そして同じ想いのヒトカゲも賛同の意がこもった頷き方をする。2人の様子を見て、アーマルドは確信した。こいつらの言っていることは嘘ではないと。
話だけならしてみたい、そう思っても恐怖が体の動きを抑えつけようとする。しばしの間頑張ってみるものの、結局ヒトカゲ達に背を向けてしまった。
ヒトカゲとルカリオが顔を出しては、避けるようにアーマルドはそっぽを向く。この一連のやりとりは数日間続いた。その間、アーマルドは1度も口を開く事はできていない。
そしてこの日の夜も、ヒトカゲとルカリオはアーマルドの元へやって来た。もし彼らが義務でアーマルドに会いに来ているなら飽き飽きした顔になっているだろうが、そのような表情はせず、友人同士に見せる普通の顔をしている。
「リンゴ取ってきたんだ。ここに置いとくから食べてね」
ヒトカゲがリンゴを3つ、アーマルドの足元に置いた。そしてあれこれ話をするわけでもなく、「また明日来るね」と言って2人は去っていった。
2人がいなくなったのを確認すると、アーマルドはヒトカゲが置いていったリンゴを貪(むさぼ)る。最初はヒトカゲ達が持ってきた食料を触りもしなかったが、日が経つにつれてだんだんその気が変わってきたようだ。
『うわあっ!』
リンゴを食べ終わったちょうどその時、遠くからあの2人――ヒトカゲとルカリオの声が聞こえてきた。心配になったアーマルドは声のする方へ向かって行った。
(…………!)
現場近くまで来ると、アーマルドは草むらに隠れて様子を窺う。そこで彼が見たのは、1匹のウツボットの“つるのムチ”でヒトカゲ達が縛られている姿だった。
「ぐっ、何しやがんだ!?」
「か、金目のもの置いてけ。そしたら解放してやる!」
このウツボット、どこか緊張気味である。それもそのはず、金に困って衝動的に2人を襲ってしまったのだ。そのせいか、2人を縛っている蔓が気持ちゆるく感じる。
2人が本気を出せば簡単に倒せる相手だろう。だがウツボットが持つ蔓の先端の針を向けられているため、下手に動けない。
(……ど、どうしよう……)
アーマルドはただ1人、どうすることもできずに草陰で慌てふためいている。助けなければいけないと思いつつも、恐怖が先走ってしまっているのだ。
そのせいか、ヒトカゲ達を放置しようとまで思い始めた。関係ない、俺には関係ない、赤の他人なんだからと自分に言い聞かせ、その場から離れようと背を向けた。
(…………)
それでも、足が1歩も前へ進もうとしない。どこかで何かが引っかかっている。そして本能的に行ってはならないと足止めされているのが自分でもわかったようだ。
この数日間で、アーマルドの気持ちは確実に変化していた。うざいと思ってしまうくらい毎日のように顔を出す2人が変化を与えたのは言うまでもない。
友達になりたい――今まで生きてきた中でそんな事を言われたことすらなかったアーマルド。友達というものが実際にはどういうものかを知らない彼にとっては、興味をそそられる誘いである。
だがそれ以上に、ヒトカゲとルカリオ、この2人から感じ取ったものがあった。アーマルド自身感じた経験が皆無なため口で表現しづらいと思った、とても大きく、暖かく、光り輝いているもの――“愛情”だ。
(…………!)
自分に今足りないもの、そして自分に必要なもの、それをはっきりと自覚したアーマルドは、もう1度自分の体をその方へと向けた。
「さ、さっさとよこせ!」
「ぐっ……くそっ!」
なかなか金品を渡そうとしないヒトカゲとルカリオに腹を立てたのか、ウツボットはさらに蔓をきつく締めた。抵抗しようにも手を塞がれ、さらには針も向けられている。ヒトカゲの方は口を塞がれているため、強力な炎技が出せない。
(ヒトカゲがあれじゃあ技使えないよな。仕方ねぇ、俺が一か八か……)
ルカリオは針で刺されるのを覚悟で脱出を試みようとした、まさにその時だった。
「“シザークロス”!」
突如、どこからか声が聞こえた。それから直に、ヒトカゲとルカリオは自分達を縛っていた蔓が緩んだことに気づいた。ふと顔を上げると、思いも寄らぬ顔がそこにはあった。
『……アーマルド!?』
2人を庇うように前に立ちはだかっていたのは、あのアーマルドだった。“シザークロス”を受けたウツボットも突然の事に困惑している。
「……消えろ」
やはり怖いのか、小さな声でアーマルドはそう言った。だが逆にそれがウツボットの恐怖心を呼び起こし、戦(おのの)いてしまった。そしてアーマルドが自分のツメを振り上げると、それを見ただけでウツボットは逃げていった。
自分の視界からウツボットが消えると、アーマルドはふうと小さく息を漏らした。自由の身となったヒトカゲとルカリオが彼の元に近づいていった。
「ありがとう! 助かったよ!」
「マジ感謝! ホントにありがとな!」
感謝の言葉に顔を赤らめるアーマルド。だが相変わらず何も喋ろうとはしない。
「よーし、明日はいっぱいリンゴ持ってきてやるからな! 楽しみにしとけ!」
ルカリオはそう約束すると、ヒトカゲと共に先程のように手を振って別れようとした。それをアーマルドは黙って見つめていた。
「ヒトカゲ、尻尾の炎で蔓を焼けなかったのか?」
「なんか変にからまってて、尻尾動かせなかったんだ」
先程の出来事の話をしながら、2人は今日泊まる宿に向けて歩いていた。程なくして、何となく自分達の背後に何者かの気配を感じ、後ろを振り返った。
「…………」
少し遠いところに、何とアーマルドがいた。距離をおきながらも、2人についてきたらしい。2人が歩けばアーマルドも歩き、2人が止まればアーマルドも止まる。それを数回繰り返していた。
それを2人は楽しそうに見ていた。アーマルドの心の内を読んだヒトカゲは、アーマルドに声をかけた。
「一緒にくる?」
それに対し、アーマルドは大きく、はっきりと頷いて返事をした。ヒトカゲもルカリオもおもわず笑みがこぼれた。
「なら、こっち来いよ!」
ルカリオの言葉にアーマルドは小走りで駆け寄っていった。その顔はほんの少しではあるが、嬉しそうにしているように2人には見えたようだ。
まだ完全に心を開いたわけではないが、“友達”、そしてヒトカゲの旅のお供になったアーマルド。夢や希望を膨らませ、彼はこれから新たな旅に出る。