第65話 ヒトカゲの旅
ヒトカゲが人間の世界に戻ってから1ヵ月。ポケモンアイランドに住むポケモン達は、いつもと変わりなく平穏な日々を過ごしていた。
あの事件の後、ヒトカゲがいなくなった事に全員が涙し、心に穴がぽっかり開いたような虚無感を抱いたといっても大げさでないというほど、みんなは悲しんだ。
しかし、ゼニガメとチコリータ、ドダイトスには全てを知らせる義務があった。この世界で何が起こったのか、ヒトカゲがどうしてこうなったのかを、旅で出会った仲間に知らせるために3人でアイランドを回った。
そのことを真っ先に伝えられたのはウインディ。全てを知った瞬間、何も言えずにただ涙を流していた。ゼニガメ達が帰った後も、自分の家で泣き伏していたようだ。
ポッポやブイ、ゴローとゴロ爺、ピジョットやニドキングにはバンギラスの口から伝えられた。衝撃の事実にただただ驚かされるだけだった。やはり、ヒトカゲがいなくなったことに涙した。
そしてアイランド中を回り終わると、役目を終えた3人はそれぞれの居場所へ帰った。今は、ゼニガメはカメックスと一緒にポケ助けを、チコリータとドダイトスはメガ家に帰り、今までと何ら変わらない生活を送っていた。
バンギラスもバクフーンも、ヒトカゲと出逢う以前の生活をしていた。平和で何よりと思う反面、ヒトカゲがいない悲しさが入り混じっていて、しばらくは茫然としながら1日1日を過ごしていたようだ。
一方、ヒトカゲはと言うと、あれからルギアに人間のいる世界に連れて行ってもらい、ジョウト地方を回っていたリサに会うことができた。当然ながら、リサはルギアの背中に乗っているヒトカゲの存在を不思議がった。ありのままに説明をすると、ヒトカゲを哀れみながらも、いつものしていたように優しく受け入れた。
そしてルギアは「しばらくうずまき島にいる」と言い残して去っていった。リサとヒトカゲは再び、懐かしいメンバーと共に旅をすることとなった。
ある日、リサはいかりの湖に来ていた。その日は天気がよく気温も心地よい。湖の近くの芝生に腰かけると、リサは手持ちのポケモン達を全員モンスターボールから出した。
「みんなー、気持ちいいでしょー♪」
モンスターボールから出たポケモン達は気持ち良さそうにしていた。ラプラスは湖ではしゃぎ、ハッサムとエーフィは日向ぼっこ。カイリキーとライチュウは鬼ごっこをして楽しんでいる。
「ふふっ、楽しそうね♪」
リサはそんなポケモン達を見るのが大好きだった。だが、1匹だけどうも様子が違うポケモンがいた。みんなの輪に入ってはしゃぐことなく、ただ何かを思っているようだ。
「どうしたの、ヒトカゲ?」
リサが心配そうにヒトカゲを覗き込む。リサが言うには、こちらの世界に帰ってきてからしばらくはいつも通りの明るさだったが、最近になって食欲がなかったり、いつも哀しそうな顔をしているらしい。そんなヒトカゲを、リサは自分の胸元に抱き寄せた。
「懐かしいよねー。ヒトカゲだった時はいっつもこうやって抱っこしてたもんね」
そう言いながらリサはゆっくりと体を左右に揺らし始めた。そうしているうちに、リサはどこか切ない表情に変わりつつあった。そして何かに決心がついたように、リサはヒトカゲに話しかけた。
「ヒトカゲ。本当は向こうの世界にいたかったんじゃないの?」
えっ、というような顔つきでヒトカゲはリサの方を振り向いた。ヒトカゲの目を見ながらリサは話を続けた。
「私は、ヒトカゲがあっちの世界でどんな経験をしてきたかはわからない。でもきっといろんな出会いがあったんだと思う。ポケモン同士だけの、素敵な出会いが」
ヒトカゲは黙ったままその話を聞いていた。思い返せば、向こうの世界で経験したポケモン達との出会いは、それは素晴らしいものだった。記憶をなくしていたとはいえ、この数ヵ月間の経験は何ものにも代え難い。
最近のヒトカゲの様子を見て、リサは徐々に思うようになったようだ。自分のところにいるよりは、向こうの世界で楽しくやっていった方がよいのではないかと。
「たぶんヒトカゲが思っているように、あっちの世界のポケモン達も思っていると思うよ。“もう一度、会いたい”って」
再び向こうの世界に行きたいという気持ちがないと言えば嘘になる。だけどリサの元を離れることになるのもできれば避けたい。ここ数日間、この事でヒトカゲは葛藤していたのだ。
しばらくするとリサはヒトカゲを立たせ、ヒトカゲの目線に合わせるためにしゃがみながらヒトカゲの両手をギュッと握った。
「私なら、大丈夫。私の事は気にしなくていいのよ」
ヒトカゲはこの時、どうしてリサがこう言うのかわからなかった。リサだって、もし自分がいなくなったら寂しくなるはずだ。なのに何故大丈夫と言えるのか、不思議でならなかった。それに付け加えるように、リサはゆっくりとその理由を述べた。
「私とヒトカゲは、たとえ離れていても、いつも思い出の中で一緒にいるんだから……」
(思い出の中で、一緒にいる……)
「姿が見えなくたって、思い返せば、いつでも会うことができる。思えば思うほど、より鮮明にね」
今だから、ヒトカゲはリサの言っていることがわかる気がした。仲間と離れた今できる事といえば、彼らとの思い出を思い出すことだ。その1つ1つがまるで昨日の事のように、溢れてくる。それが日に日に止められなくなり、会いたい気持ちが抑えられなくなっていたのだ。
だがリサとは数年間の付き合いがある。ヒトカゲの頃から世話をしてくれ、立派なリザードンに進化するまで見守っていてくれた。だからそう簡単に結論を出せずにいた。
「それに……」
再び、リサはヒトカゲに自分の想いを伝えた。
「人間とポケモンは共存できるってことを証明してくれた。そして同時に、向こうの世界のポケモン達を守った。ヒトカゲ、あんたは英雄だよ? 英雄がいなくなるほど悲しい事なんてないわよ?」
確かに、自分は向こうの世界を悪の手から守った。やはり自分がいなくなったことでみんな悲しんでいるのだろうか。ヒトカゲはそう思いつつあった。
「……行っておいで。さっきも言ったけど、私とヒトカゲはずっと一緒なんだから……」
ヒトカゲはふと顔を上げると、そこには笑顔のリサがいた。それを見てようやく理解ができたようだ。リサは自分が向こうの世界へ行っても悲しくならない。リサの心の中で自分と一緒にいることができるから、寂しくないんだと。
ようやく、ヒトカゲは自分の答えを出すことができた。リサと目が合うと、ヒトカゲは鳴きながら頷いた。リサはそれが「向こうに行くよ」という返事だとすぐに気づいた。
「……わかった!」
夕方、リサとヒトカゲはうずまき島にやって来た。島に誰か来たと察知したのだろう、直に海中から勢いよくルギアが現れ、リサの元へ近づいた。まさかいきなり現れると思ってなかったリサは思わず一歩後ろに下がってしまった。
《……どうした?》
ルギアは地面に降り立ち、テレパシーでリサに語りかける。リサとヒトカゲは互いに見つめながら頷くと、ルギアにヒトカゲを向こうの世界へ連れて行ってくれるよう頼んだ。
《……いいのか?》
念を押すかのようにルギアはリサに尋ねた。それに気落ちが揺らぐことなく、リサは返した。
「うん。私とヒトカゲは心で通じ合っているから、ずっと一緒だもの」
《……お前も、向こうに行きたいのか?》
リサの答えを聞いてから、今度はヒトカゲの意志を聞こうとしたルギア。それに対してヒトカゲは力強く首を縦に振った。それ以上聞かなくても、ルギアは2人の考えは同じであることがわかった。
《わかった。連れて行ってやろう。ヒトカゲ、私の背中に乗れ》
ルギアが地面に伏せるように体勢を低くすると、ヒトカゲは背中に乗っかった。
《では、いくぞ》
ヒトカゲがいるのを確認すると、ルギアはその大きな翼をはためかせ、空中に浮かんだ時だった。リサが手を振りながら大きな声でヒトカゲに別れの挨拶を告げた。
「ヒトカゲー! またね〜!」
リサは「さようなら」とは言わず、敢えて「またね」と言ったのだ。ヒトカゲはその言葉の意味がすぐにわかり、姿が見えなくなるまでリサの方を向いて手を振り続けた。その顔は悲しみではなく、再会を誓った笑顔でいっぱいだった。
時を同じくして、ここはポケモンだけの世界。そしてその世界にある、8つの島の集まり「ポケモンアイランド」。さらにその島の中の1つ「ロホ島」に、みんなが集まっていた。
ようやく身辺が落ち着いたところで、ウインディは今までヒトカゲを支えてくれた6人を誘って、軽い夕食会を開くから来てくれないかと声をかけたのだ。
ゼニガメ、チコリータ、ドダイトス、バンギラス、バクフーン、そしてカメックスがウインディの家に行くと既に食事が用意されていて、みんなは居間で円形になって座り込む。
「みんな、来てくれてありがとう」
準備が全て整うと、ウインディが軽く頭を下げた。それにつられるようにみんなも頭を下げた。
「本当にご苦労だったな。そして数ヵ月間とはいえ、ヒトカゲに優しくしてくれてありがとう」
みんなにお礼を言ったウインディは、「さ、食べなさい」とみんなに料理を勧めた。みんなは美味しそうに料理をほおばる。そして食べながら話を始めた。
だが会話の内容はヒトカゲの事ばかり。話は尽きないものの、話しているうちにだんだんと切なくなってきたようで、徐々に空気が重くなり始めていた。
(……ヒトカゲ……)
みんなは俯きながらため息をついた。なんで何も言わずに言っちゃうんだ、とみんなはこの1ヶ月間ずっと思い続けていた。悲しさが込み上げてきている。
その時だった。誰かが家の扉をノックする音が聞こえてきた。1番扉に近いところへ座っていたバクフーンが「俺が出るよ」と言って玄関まで歩いていった。
それから間もなくして、何事もなかったかのようにバクフーンが居間に戻って来た。
「バクフーン、誰だったんだ?」
ウインディがそう訊ねると、バクフーンはいきなり顔をニンマリとさせた。
「主役登場さ♪」
『……は?』
バクフーンの答えはまるで意味がわからなかった。全員が首を傾げている。それを見てバクフーンは笑いながら自分の後ろを振り返って、誰かに向かって何か言っている。
刹那、みんなは我が目を疑った。
「ただいま」
バクフーンの後ろからひょこっと顔を出したポケモンがそう言った。小さくて橙色の体、短い手足、尻尾から出ている炎――それはまさしく、あいつだった。
『……ヒトカゲ――!!』
みんなは一斉にヒトカゲの元へ駆け寄る。みんなの目からは涙が溢れているが、笑っている。ヒトカゲに会えたことが嬉しくてたまらないようだ。
「バカ! 何で黙って帰っちゃったんだよ!?」
「わ、私達、寂しかったんだからね!」
「俺だって……くぅ〜……」
ヒトカゲもみんなに再会できたことを心から喜び、笑顔を崩すことができないでいる。しばらくこうして時間を過ごした後、料理を食べながらみんなで改めて再会の喜びを分かち合った。
その際、ヒトカゲはみんなにこう言った。
僕は、この世界に来ていろんな出会いを経験した。いい出会いも、よくない出会いも。
そして別れも経験した。でも、別れるまでにできた思い出はいつまでも心に残っている。
そこからいろんな事を学んでいき、また誰かと出会う。
こうやって、僕は「旅」を続けていくんだ。