第41話 理解不能
「ふぁ〜、眠い」
物音1つしない深夜、ヒトカゲはふと目を覚まし、それと同時に喉が渇いたようだ。
「水飲みたい〜」
半分寝ぼけながら、ヒトカゲは1階の台所へ行こうと体を草のベッドから起こして、扉の方を振り向いた。すると、隣にいるはずの相方がいないことに気づいた。
「あれ、ゼニガメは?」
自分が寝る時には草のベッドで横になっていたはずのゼニガメが、何故かいなくなっている。首をかしげながらも、きっと1階にいるだろうと思ったヒトカゲは台所へ向かった。
「どこ行ったのかな?」
ヒトカゲがどこを見渡しても、ゼニガメの姿がない。ヒトカゲは怪訝そうな顔をしていると、急に嫌な予感がした。
(ゼニガメ……?)
その嫌な予感が落ち着かず、何かに導かれるかのようにヒトカゲはいきなり走り出して外に出ていった。
「に、兄さん?」
その頃、ゼニガメは激しく動揺していた。ゼニガメの目の前には、左目に傷がある、隻眼のカメックス――そう、カメールから進化したゼニガメの兄がいたのだ。
「…………」
ゼニガメの声に反応したカメックスが振り向くと、睨むような眼差しでゼニガメを見ている。その間、ずっと無言のままである。
「兄さん、だよな? その目の傷……昔俺を守ってくれた時についた傷だよな?」
確認するかのようにゼニガメがカメックスに言う。だがカメックスは、それに対して何も言おうとも頷こうともしようとしない。それに加え、一向にきつい目つきを和らげようともしない。
ゼニガメはその事を全く把握してなかった。眼中にあるのは、自分の兄が目の前にいるということだけだった。
「なぁ、俺を置いて、今まで何してたんだよ?」
ゆっくりと、1歩1歩地面を踏みしめながらカメックスのところへと向かうゼニガメ。目には涙が溜まっていた。兄との再会がよっぽど嬉しくて仕方がないのだろう。
あと数メートルのところまでゼニガメは近づいた、その時だった。カメックスはいきなり自分のハイドロキャノンをゼニガメに向けたのだ。それにはゼニガメも驚き、足を止めた。それはカメックスが「これ以上こちらへ来るな」と言っているようだった。
「…………」
やはり言葉を発しようとしないカメックス。一体何がどうなっているのかゼニガメにはわからなかった。昔なら、ゼニガメが近付くとどんな時でも快く迎え入れ、頭を撫でてくれた。だが今は違う。明らかに敵意が窺えるような形相でこちらを見ていた。
「な、なんだよいきなり。ビックリしたじゃ……」
何かの冗談だろうと解釈したゼニガメは、再びカメックスに近づいていった。しかしそれは冗談ではなかった。カメックスはゼニガメに対していきなり“ハイドロポンプ”を発射したのだ。
「うわあっ!」
その水圧によって、ゼニガメは地面をすべるように数メートル程後方に吹っ飛ばされた。突然の事にゼニガメの思考が停止する。
「に、兄さん?」
ゼニガメはおもわずカメックスの顔を見上げたが、一切表情は変化していなかった。それがゼニガメには恐かったのか、全身に寒気が走った。
「…………」
無言でゼニガメの事を見続けるカメックス。立ち上がったゼニガメに対して再びハイドロキャノンを向ける。
「何で、俺に攻撃するんだよ?」
再びカメックスに歩み寄っていった。そうだ、これは何かの間違いだ。兄さんに限ってそんな事をするはずがない。そう自分に言い聞かせながら近づいた。
だが、またしてもカメックスは“ハイドロポンプ”をゼニガメに浴びせた。しかも先程よりも強い“ハイドロポンプ”を。それによってゼニガメはその水砲に押され、そのまま近くの木に打ち付けられた。
「ぐはっ!」
ゼニガメは力なく倒れ込んだ。打ち所が悪かったせいか、徐々に意識が遠退き始めた。視界に映る兄の顔が、徐々に霞んでいく。
「……な、何でだよ……兄さ……」
そこまで言うと、ゼニガメは木にもたれるようにして気を失ってしまった。それを確認すると、カメックスは気絶している自分の弟に背中を向け、どこかへ去ってしまった。まるで感情を持ち合わせてないように、無表情と沈黙を貫き通した。
それから数分後、ゼニガメを捜しに出ていたヒトカゲがゼニガメを見つけた。ヒトカゲの位置からは居眠りしているように見えたので、驚かせないようにそっと近づいた。
「ゼニガメ、起きてよ」
「……ん――」
ヒトカゲがゼニガメの体を揺すると、ゼニガメはすぐに気がついた。そして急にがばっとその場に立ち上がり、しきりに辺りを見回す。
「起きた?」
「に、兄さん? 兄さん!? どこだ!?」
さっきまで目の前にいた自分の兄を、必死に探す。その様子を見たヒトカゲがゼニガメに訪ねた。「まさかお兄さんに逢ったの?」と、喜ばしいことだろうという思いで。
するとゼニガメは急に静まり返った。それから直にヒトカゲは、彼の肩が小刻みに震えているのを見た。そっとゼニガメに近づいていった。
「……どうして……」
ヒトカゲはゼニガメの顔を覗きこむように見た。ゼニガメは何度も鼻をすすっていて、目からは大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちていた。
「どうしてだよ! せっかく逢えたのに――!」
ゼニガメはヒトカゲに泣きついた。ヒトカゲはいきなりの事で驚き動揺しつつも、とりあえず今は自分の胸を貸してやることだけを考えた。
ゼニガメは大声でわんわんと泣いていた。いつもの頼もしいゼニガメはそこにはいなかった。今いるのは、今まで堪えてきた悲しみを溢れさせている、まだ進化もしていない小さなポケモン。
ヒトカゲはゼニガメがどれだけ兄に逢いたがっていたかを知っていた。あまり表には出さなかったが、毎日自分の兄の事を考えて今まで旅をしてきた。それが叶ったと思った矢先の出来事。辛くないはずがない。
しばらくして落ち着きを取り戻したゼニガメに、ヒトカゲは何があったのかを訊いた。ゼニガメは途中で泣きそうになりながらも、事の一部始終を細かく説明した。
「じゃあ、そのカメックスがゼニガメの……」
ヒトカゲは衝撃を受けた。まさかとは思ったが、実際に話に出てきたカメックスがゼニガメの兄だとわかると、どうしてよいものかと悩んだ。
「俺、どうしていいかわかんねぇよ」
落胆してしまったゼニガメは頭を抱えながらその場にしゃがみこんだ。哀れむ目でヒトカゲはゼニガメの事を見ていたが、そんな時、ある事を思い出した。
「“それがどんな理由だろうと、俺はお前を信じる”」
「……えっ?」
それは、ゼニガメにとってものすごく聞き覚えのある言葉だ。その言葉を聞くと、彼はヒトカゲの方を振り向いた。
「この間、ゼニガメが僕に言ってくれたじゃない。ゼニガメのお兄さんだって、きっと何か訳があってそうしたんだと思うよ。兄弟だもの、そう信じていいんじゃない?」
“信じる”――1番大切な事を忘れていた。心のどこかでカメックスの事を少し疑っていたのかもしれない。だから余計絶望感を覚えたのかも。そう思ったゼニガメは、ヒトカゲのおかげで気持ちが少し楽になれた。
「そうだよな。兄さんが俺を敵視する訳ないよな。きっと何か理由があって、今はまだ関わってはいけないって注意だったのかもしれないな」
手で顔を擦ると、座り込んでいたゼニガメは再び立ち上がった。力強く、目の前をしっかりと見つめて次の1歩を踏みしめる。
「サンキュー、ヒトカゲ。助かったぜ」
そう言うと、ゼニガメはヒトカゲに握手を求めた。照れながらもヒトカゲは手を差し出し、互いにがっちりと握手を交わした。
「大丈夫、ゼニガメのお兄さんはまた戻ってくるよ」
「そうだよな」
ゼニガメの心は絶望から期待へと変わっていた。カメックス兄さんは絶対に自分を裏切るような事はしない。いつかまた一緒にポケ助けをできる日がやって来る。ヒトカゲのおかげでそう信じることができた。
「じゃ、帰ろうか」
みんなが起きて自分達がいないとパニックになっているかもしれないから、と思ったヒトカゲとゼニガメはいそいそとその場を後にした。
翌朝、みんなはいつも通りの朝を迎えた。ヒトカゲとゼニガメだけは眠そうな顔をしていたが、朝食の時間になる頃にはすっかり目を覚ましていた。
「これ食べないの? もったいないなぁ〜」
「いやまだ食べてないだけだって! 俺のだってば!」
朝食の取り合いをしているヒトカゲとゼニガメの姿がそこにはあった。すっかり立ち直ったゼニガメを見たチコリータとドダイトスはほっと一安心といった様子だ。もちろん、深夜に何があったかは知らない。
「ほれっ、いただき〜♪」
「あっ、それ僕のオボンのみ〜!」
たぶんこれから何があっても大丈夫だろうと、その場にいたみんなはそう思った。ゼニガメの兄・カメックスと再会する事を願いながら――。
「ゼニガメ! 取りすぎだって!」
「お前が横取りするからだろーが!」
……雰囲気ぶち壊しである。