第40話 隻眼
その夜、4人は目的地であったジュラの家で食事をしていた。ジュラが初めて会う仲間や、今までの出来事の話をして盛り上がっていた。
「あら〜大変なのね。アタシには絶っっ対無理よ」
「僕だって無理って思ったもん」
ジュラは食後の水を配りながら、ヒトカゲ達の話に驚いていた。お腹が相当膨れたヒトカゲが苦しそうに答えている。食い過ぎである。
「あれ? そういやデリバードの奴は?」
同じく満腹そうにしているゼニガメが、デリバードがいない事に気づいた。どうやら気分は元通りになったようだ。
「あの子、今日はお友達のおうちに初めてお泊りなの。もう不安で不安で……」
とは言うものの、ジュラの顔は少しだけ嬉しそうにも見えた。つかの間の育児休暇を楽しむつもりなのだろうか、よく見れば化粧もしていた。
「ジュラさん、今日はどこかにお出かけでも?」
そのメイクに気づいたチコリータがジュラに訊ねると、やはり嬉しそうにジュラは今日の出来事を語り始めた。
「そうなのよー! 今日は買い物でしょ〜、あと久々にママさん達の会合……ってもお茶会だけどね。あとエステ♪ それからそれからぁ〜……」
マシンガントークさながらの勢いで語り続けるジュラの話は、みんなの右耳から左耳へと貫通していく。興味がないのではなく、早すぎて何を言っているのか聞き取れないのである。
その話を始めて数分後、突如、ジュラの思考が停止したかのように口が動かなくなった。何が起きたのだろうと不思議に思ったみんなは黙ったままジュラの方を向いた。
「ど、どうしたの?」
ヒトカゲが訊くと、ジュラは先程とは全く関係ない話を始めた。
「確か、ゼニガメってお兄さん捜してるのよね?」
「えっ、そうだけど?」
ゼニガメはいきなり自分に話が振られたことに驚きながら答えると、何かを思い出して、それを確認するかのようにジュラはさらに質問をした。
「お兄さんって、ひょっとして、左目に傷がある?」
それを聞くと、ゼニガメの表情は一変した。切迫した様子でカウンターから身を乗り出し、逆にジュラを質問攻めにした。
「な、なぁ、その傷って縦に入ってたか!? ってか俺の兄さん見たのか!? どこにいたんだ!?」
「ちょっと、落ち着いて!」
明らかに冷静さを欠いているゼニガメを、ヒトカゲは落ち着かせようとした。そんなゼニガメの様子を見たみんなが驚かないはずがない。とりあえず席に座らせ、落ち着いたところでジュラはその事をゼニガメに説明した。
「今日買い物してたら、偶然見かけたのよ、左目に縦にはいった傷があるカメックスを。でもすぐにどこかに行ったわ。アンタから聞いてたのはカメールだったから、違うと思ったのよ」
申し訳なさそうな顔をしてゼニガメの方を見るジュラ。そしてもう1人、ジュラと同じ表情で話しかけるポケモンがいた。
「……すまん。俺もそのカメックスを見た」
そう言い出したのはドダイトスだった。彼もまたそのカメックスを見たという。その存在を気にしてはいたようだが、彼もまたゼニガメの兄だとは思っていなかった。
「ちょうどレディバの母親を見つける少し前にな。ただ……」
そこまで言うと、ドダイトスは何故か黙ってしまった。ゼニガメはその続きが気になって仕方がないようだが、聞きたい気持ちと何となく不安な気持ちが入り混じっていた。
「ただな、こんな時にこういう事あまり言いたくないんだが……そのカメックス、俺達を尾行しているようだったんだ」
ドダイトスの発言に全員が息を呑む。と一緒に行動していたヒトカゲとチコリータはカメックスの存在に全く気づかなかったらしい。
「俺達の方をじっと見ているようだった。何の目的かは知らんがな」
さらにその場の空気が重くなった。まだそのカメックスがゼニガメの兄だと決まったわけではないが、どっちにしろ厄介な事に変わりない。
黙って聞いていたゼニガメの顔は引きつっている。しばらくして、理性を保てなくなったゼニガメは不気味に笑い出した。
「な、なわけねーだろ。俺の兄さんが……尾行? じょ、冗談つくなら、もっと笑える冗談つけってーんだ……」
イスにもたれかかったまま天井を見上げるゼニガメ。今にでも泣きそうな顔をしている。今、そんな彼の気持ちを理解すること、彼を慰めることができるポケモンがいるだろうか。みんなは憐れむ目で見るだけで精一杯だった。
突然、ゼニガメが席を立った。何かに憑かれたように焦点が合わず、ふらつきながら扉に向かって歩き始めた。
「ど、どこ行くの?」
明らかにおかしい様子のゼニガメを心配してヒトカゲが声をかけた。扉の取っ手に手をかけたところでゼニガメが、悲しい笑顔をヒトカゲ達に見せながら答えた。
「ちょっと、1人にしてくれ」
ゼニガメは寝室へ向かっていった。どうにかしてあげたいとは思いつつも、みんなはゼニガメをそっとしておくことしかできなかった。
深夜、全員が眠りについた頃、ゼニガメはまだ起きていた。話に出てきたカメックスのことが気になって眠れなかったのだ。体を起こし、ぼーっと考え事をしていた。
(兄さん、カメックスに進化してたのか)
ゼニガメは、話に出てきたカメックスを自分の兄だと確信したようだ。そして過去を思い出す。自分の兄が隻眼となってしまった過去を――。
まだゼニガメが幼い時、アスル島では犯罪が横行していた。それをくい止めるため、ゼニガメの兄、この頃のカメールは単独でポケモン達を救助する仕事をしていた。
ある時、魔の手はゼニガメに襲いかかろうとしていた。島でも有名な暴力団の1人・オーダイルがゼニガメの持っていた、大事な金貨を奪おうとしたのだ。
「ガキが! さっさとよこせ!」
「ダメだよ!」
恐がりながらも必死で金貨を守ろうとするゼニガメ。しかし相手が子供であろうと、オーダイルは容赦しなかった。
「だったらこうだ! “ドラゴンクロー”!」
技の使い方もままならない当時のゼニガメは抵抗する術を知らない。突然のことに目を瞑るしかできなかった。もうダメだと思ったようで、目から涙がこぼれ落ちた。
ところが何故か、数秒経っても痛みを感じない。恐る恐る目を開けると、自分を庇うようにして立ち塞がっている、カメールの姿があった。
「……兄ちゃん!」
ゼニガメの兄は既のところで自分の弟を守ったのだ。だが、その代償は大きかった。
「……くそっ、見えねぇ……」
ゼニガメを守るために、カメールは“ドラゴンクロー”をまともに受けてしまったのだ。しかも傷を負ったのは、彼の左目であった。縦に入った傷からは血が流れている。
その後、カメールは何とかオーダイルを追っ払うことができたが、その場から動けない程ボロボロの状態だ。泣きながらゼニガメがカメールの元へ近づいた。
「ごめんなさい、兄ちゃん……俺のせいで、俺のせいで目が!」
「バカ野郎。弟を守らない兄貴がどこにいるんだよ……?」
傷の痛みに苦しみながらも、カメールはゼニガメの頭を優しく撫でる。彼の顔には、ゼニガメの涙が数粒落ちている。
「兄ちゃんが悪かったな。まだ戦い方を知らないお前を1人ぼっちにしてな」
ゼニガメはカメールにすがってむせび泣く。そんなゼニガメの涙をカメールが拭き取る。
「これから強くなっていけばいい。そして兄ちゃんと一緒にポケ助けするぞ、いいな?」
「……うん!」
その日を境に、何をするにもゼニガメは兄のカメールと一緒に行動し、見よう見まねで技のくりだし方から傷の治療法まで何でもやろうとした。そして数年後には、カメールの手を引っ張らないほど強くなっていた。
いつか兄さんを越えたい――そう思っていた矢先に、突如カメールが行方不明になってしまったのだ。
(兄さん、今まで何してたんだよ?)
気がつくと、ゼニガメは部屋を飛び出して街に向かって走っていた。1人で、兄であろうカメックスを捜しに行こうとしているようだ。空が曇っているせいもあり、辺りは一層暗くなっている。
「はぁ、はぁ、兄さーん! どこにいるんだよ――!」
叫びながらカメックスを捜すゼニガメ。だが返事はない。それでも何度もそう叫びながら、兄を追い求める。ひたすら街の中を走り回り、がむしゃらに捜し回る。
1時間くらい経っただろうか、ゼニガメは昼間レディバと一緒にいた、街から少し離れたところまで来ていた。大分疲れた様子で、木で体を支えながら息を切らしている。
「はぁ、はぁ、どこだよ……」
下を向きながら大きく呼吸している、その時、ゼニガメの耳に“ガシャン”という物音が聞こえた。何だろうと思って音のした方を向くと、遠くに物影があるのが見えた。
「……あれは?」
ゼニガメはその影が気になり、近づこうとした。だがその姿がうっすらと見えた途端、足を止めてしまった。
ゼニガメが見たもの、それは自分より大きな背中、自分と同じ色の甲羅、そこから飛び出ている2つのハイドロキャノン。それらが確たる証拠だった。間違いなく、目の前にいるのは、ゼニガメが捜していたポケモンだった。
「に、兄さん?」