第32話 闇夜からの使者
4人が雷光郷から市街地へ戻ってきた時には、既に夜、しかも夜中になっていた。街を見回しても誰かの気配がないどころか、街灯すらついていない。
「じゃあ今晩はここで野宿しよう」
街の中心から少し離れたところに、ゼニガメがちょうどよい広さの芝生を見つけた。
「そうね。結構疲れたわぁ〜」
「僕もう寝る〜」
チコリータとヒトカゲは倒れこむかのように芝生に横になり、すぐに寝息を立て始めた。それを見たゼニガメも横になろうとしたが、その場から動こうとしないドダイトスが気になった。
「ドダイトス、寝ないの?」
「一応ここ外だしな……少しくらい仮眠はとるが、見張ってるからお前達は寝てていいぞ」
見張りをしてくれるというドダイトスは、ゼニガメを気遣って寝かせようとする。自分よりも眠そうにしている彼に見張りさせるのはゼニガメも申し訳なく感じている。
「無理しなくていいからな。俺が交代するから、その時は起こしてくれて構わないから」
「わかった。そうするぞ」
それから2、3言交わしてゼニガメが寝ると、ドダイトスは寝ている3人の周りを見回して安全を確認していた。
「異常なし、と」
誰かがいる気配もなく、辺りは深々としていた。空には綺麗に輝いている月があるが、南から吹いてくる生暖かい風が気持ち悪いせいか、ドダイトスは落ち着くことができなかった。そんな事を思っていた時、何者かに声をかけられた。
「ごきげんよう」
ドダイトスが声のした方を向くと、そこには1匹のポケモンが立っていた。黒豹を思わせる体型と、長い耳と尻尾、赤い目――ブラッキーと呼ばれるポケモンだ。
(……こいつがいる気配が一切なかった。いつの間に?)
ブラッキーが存在を消していたことに若干驚きながらも、ドダイトスはブラッキーに対して紳士的に振る舞おうとした。声色からして、ブラッキーはメスであると確信していた。
「どうしました? 夜中に1人でこんな所に来るなんて」
その問いかけにブラッキーはふっと口元だけ笑みを浮かべると、まるで女王のような高飛車な物言いで答えた。
「そこで寝ているヒトカゲの命、貰いに来たのよ」
それが耳に入った瞬間、ドダイトスは寝ている3人を庇(かば)うように身構えた。お互いに一歩も動こうとせず、風が吹く音だけが聞こえてくる。その静寂を破って口を開いたのはドダイトスだった。
「お前はカイリュー達の仲間……そうだな?」
「ええ、そうよ」
気が張っているドダイトスとは対照的に、落ち着きのある様子でブラッキーは静かに頷いた。その落ち着きが返って不気味にも思えてくる。
(やはりな……どうりで奴らと同じ『匂い』がしたわけか……)
他者の気配に敏感なドダイトスはブラッキーを見た時から敵ではないかと疑っていたようだ。対策を練るための時間を稼ぐためか、ドダイトスは質問を続けた。
「お前らは何のためにヒトカゲを殺そうとする?」
「答えられるわけないでしょ。ただ、私はカイリューが手間取ってるから代わりに来た、とだけでも言っておきましょうか」
このことから、ブラッキーはカイリューやプテラと同じ地位にあることがわかる。つまり、この3人は今のところヒトカゲの殺害計画の主犯とも言える。しかしいくら質問しようが彼らは一貫してその理由を語ろうとはしない。
「質問はその辺でいいかしら? ベルデ島の資産家・メガ家専属警備員のドダイトスさん?」
「……! 何故それを!?」
どういうわけか、ブラッキーはドダイトスの正体を知っていたのだ。ドダイトスは冷静でいられなくなり、そんな彼の表情を見てブラッキーは微笑している。
「個人情報得るくらい、訳ないわよ。それより、後ろを見た方がいいんじゃない?」
そう言われてドダイトスが後ろを見ると、ヒトカゲ達が起きていた。それだけではない。ヒトカゲ達は数匹のブラッキーに囲まれていたのだ。
「“かげぶんしん”みてぇだが……どれが本物かわからねぇ」
ゼニガメはその場にいる全てのブラッキーを見たが、一見しただけでは判別不可能だった。ヒトカゲも詠唱できる隙がないため、内心焦っていた。
「フフフ。それじゃ始めましょうか」
次の瞬間、全てのブラッキーの目が黒く光りだした。“くろいまなざし”だ。4人とも目をまともに見てしまったため、この場から逃げることができなくなった。
「これで十分。……どうせなら少しくらい遊んでいこうかしら」
「い、一体何をするつもり?」
その場から動けないチコリータはじれったく感じながら言った。それと同時に全てのブラッキーがゆっくりと、ヒトカゲを除くみんなの所へ近づいた。そのブラッキー達の後ろから感じるオーラに威圧されているせいか、みんなは攻撃を放てないでいた。
再びブラッキーの目が光りだした。今度は黒色ではなく、何とも表現し難いくらい不気味な“あやしいひかり”を放った。2度も同じパターンで来るとは思っていなかったらしく、ゼニガメ達はまたしてもブラッキーの目を見てしまった。
「み、みんな……?」
ヒトカゲは他の3人が何をされたのかがわからず、とりあえず呼びかけてみる。だが誰も返事をしない。その時、ヒトカゲはみんなの目がおかしいことに気づいた。
『……ぐあぁ!』
突如、ゼニガメ達は奇声を発して暴れだした。どうやら混乱したようだ。ヒトカゲは突然の事に動揺しながらも彼らの暴走を止めようとした。
「ちょっと! みんな落ち着いて!」
必死にくい止めようとするが、一向に治まる気配がない。そればかりか、今度はヒトカゲに向かって彼らの攻撃が放たれた。
「痛っ……ぐっ! みんな正気に……ぐあっ!」
ヒトカゲは暴れまわる3人の攻撃を浴び、ようやくブラッキーの意図がわかった。ヒトカゲの仲間にヒトカゲを攻撃させるという、何とも惨(むご)い手法だ。おそらく精神的に追い詰めるのが目的だろう。
「ウフフ、賑やかね」
そんなヒトカゲをブラッキーは楽しそうに見物していた。ヒトカゲは徐々に体力を奪われていくが、仲間に攻撃できないでいる。いや、敢えてしていないのだ。
「そろそろ正気に戻る頃かしら……」
ブラッキーがそう言って直に、ゼニガメ達3人は同時に正気に戻った。そして彼らの目の前にいたのは、傷を負って苦しそうにしながら立っているヒトカゲの姿だった。
「ヒトカゲ! この傷……!」
3人は我を忘れて暴走していたため、まさか自分達が傷を負わせたとは思っていないようだ。ヒトカゲもみんなを傷つけたくないのか、黙ったままである。
「あなた達がやったのよ? 混乱状態でね」
さりげなくブラッキーが近づいてきながら、3人に今の出来事を語る。いくら混乱状態とはいえ、仲間を傷つけてしまった――罪悪感が彼らを支配する。
「大したことないのね、あなた達って。こんなんでよくヒトカゲを護ろうだなんて思ったわね。悔しかったらかかってきたら?」
これを聞いて3人の怒りのボルテージが上がった。しかしヒトカゲ達は気づいていなかったのだ――これが“ちょうはつ”だと。
「“かなしばり”」
ブラッキーは素早く“かなしばり”で向かってきた4人の動きを封じた。“ちょうはつ”で攻撃技しか出せないところに“かなしばり”がかかると、為す術がない。
「どうするつもり!? こんな事してただじゃおかないわよ!」
チコリータが足掻くが、ブラッキーはお構いなしのようだ。ゆっくりとヒトカゲの目の前へと近づく。そしてブラッキーは、自分がヒトカゲに一番かけたかった技をくりだした。
「“どくどく”」
“どくどく”でヒトカゲは猛毒状態になってしまった。体力の削られ方が早いので、チコリータが急いで対処しようとする。しかし、どういう訳か技が出てこない。
「あら、あなた、私が何故“ちょうはつ”したか、わかっていないようね」
「……どういう意味よ?」
ご丁寧にブラッキーが説明しようとしている。この間にもヒトカゲは毒で体力を奪われているので、チコリータは焦っている。
「私が使いたかったのは“どくどく”。だけどあなたには“アロマセラピー”がある。これじゃ意味がないから、攻撃技しか出せない“ちょうはつ”を始めにしただけ。怒り続けるほど、“ちょうはつ”は持続するのよ」
ブラッキーは涼しい顔をしてヒトカゲの苦しむ姿を目の前で見ている。その時、突如ヒトカゲの口が大きく開いた。
「“だい……もんじ”!」
唯一“ちょうはつ”の影響を受けていないヒトカゲが、苦しみながらも“だいもんじ”をブラッキーに放った。“かなしばり”にあっても口が動くなら技を放てると思ってやったようだ。ブラッキーはダメージを負った上、やけど状態になった。
「……やるわね。結構効いたわよ。でも……」
そこまで言うと、ブラッキーは天を仰ぐように上を向いた。
「“つきのひかり”」
“つきのひかり”を浴びたブラッキーは、月が綺麗に輝いているくらいの晴天ということもあり、受けたダメージ分の体力を全回復してしまった。これではヒトカゲ達が何度攻撃しても意味がない。
「結局無駄なのよ。それじゃ、あなた達はヒトカゲが死ぬのを見届けなさい」
そう言い残すと、ブラッキーはどこかへ去ってしまった。にも関わらず、依然として“かなしばり”と“ちょうはつ”の効果が切れず、ゼニガメ・チコリータ・ドダイトスは苦しんでいるヒトカゲの姿を黙って見ているしかなかった。
「はぁ、はぁ、ぐうっ……」
ヒトカゲの呼吸は小さく、目が虚ろになってきた。顔色も相当悪く、意識も遠退き始めてきた。尻尾の炎も弱々しいものになっていた。
「ヒトカゲ! 頑張れ! もう少しでこの効果が切れるから、それまで耐えてくれ!」
「あとちょっとだから! お願い、頑張って!」
「こんなところで負けるな! ヒトカゲ!」
ゼニガメ達はただただヒトカゲを励ます事しかできなかった。それでも必死で声をかけ続けた。目の前で苦しんでいる仲間がいるのに何もできない自分達を悔やみながらも、今は心の底から願っていた。「死なないでくれ」と。
だが、運命は彼らに味方をしてくれなかったようだ。
それから間もなくして、ゼニガメ達は最悪の光景を目の当たりにした。
それは、自分の目を疑わずにはいられないほど、信じ難い事実であった。
『……ヒトカゲの尻尾の炎が、完全に消えた……』