第16話 お嬢様
ベルデ島に上陸した2人。そこは普通の町並みが広がっていた。特に発展しているわけでもなく、過疎が進んでいるわけでもなく、中規模であった。
ある家の横には家庭菜園できるくらいのスペースがあり、そこではきのみや薬のもととなる植物が植えられていたりする。
「いつものように回ってみようよ」
ヒトカゲがゼニガメを連れて町を散策し始めた。道を辿って歩いていくと、周りに昼寝をしているポケモンが多くいた。イスの上だったり、草むらの上だったりと、この町がのどかであることを象徴するような光景だった。
「ホントなら俺達も昼寝したいけど、さっき思いっきり寝ちゃったからな」
ゼニガメは昼寝しているポケモン達を見ながら羨ましそうに言った。心地よい日光と風に当たりながらする昼寝は格別だろうと想像をふくらませている。
「え、僕全然寝れるけど?」
「それはお前の特殊能力だよ」
2人が一緒に旅をしてからそれほど月日は経っていないが、ゼニガメはヒトカゲの事を大分理解しているようだ。
「それはそうと、今更なんだけど……」
突然、ヒトカゲが何か思い出したかのようにゼニガメに向かって言った。次はどんな特技を暴露してくれるだろうと思っているゼニガメは軽く聞き返す。
「どした?」
「前に夢で見た話なんだけど、僕が何かの『救世主』だったらどうする?」
それはナランハ島で見た夢だった。夢の中でヒトカゲは誰かに「彼が本当に救世主だというのなら……」と言われたように感じた。それからしばらくこの“救世主”という言葉にずっと引っかかりを覚えていた。その事をゼニガメに話すと、珍しく真剣に考えてくれた。
「そうだなぁ。何かの命を受けて、救世主としてロホ島にやって来た。しかし事故によって記憶喪失。こうやって考えてみるとつじつま合うよな」
「だけど、この世界に危機が迫ってるのかな?」
「でなかったら、カイリューが命を狙ってくるわけないだろ」
「あ、そうだよね」
ヒトカゲは再び頭がごっちゃになってきた。仮に自分が救世主だとして、どんな危機が迫っているのか。そして自分の命を狙っている者がいるということは、その原因が自分にないとは言い切れない。しかし思い当たる事もない。
「まぁとにかく、お前が救世主だろうが何だろうが、まずは目の前の事を片付けるだけ!」
頭をかしげているヒトカゲに向かって、ゼニガメは気楽に言った。ヒトカゲにとってはそれが嬉しかった。
「そうだね!」
一瞬で悩みが吹っ飛んだヒトカゲは、再び前を向いて歩き始めた。
しばらくすると、2人はレンガでできた壁にぶち当たった。その壁は右を見ても左を見ても果てしなく続いていた。例えるならベルリンの壁のようなものだった。
「うへー何だこれ」
2人はその大きさに驚いた。よじ登れるほど低くない壁だったので、2人はまず曲がり角を探すことにした。しかし、行けども行けども曲がり角が見えることはない。
「何なんだろう? ここ……」
ヒトカゲはずっと壁を見ながら歩いていた。壁の向こうからは木が顔を出している。それによく見ると、有刺鉄線がいたるところに張り巡らせてある。
「ひょっとしたら刑務所かなぁ? 怖いよ〜」
臆病なヒトカゲとは対照的に、ゼニガメはひたすら歩いて何かないかと興味津々だ。目を凝らしていると、遠くにようやく曲がり角が見えた。
「おっ、曲がり角あったぞ!」
ゼニガメがヒトカゲの方を向いて大声で言ったその時、ヒトカゲはゼニガメの後ろから何か飛び出してきたのが見えた。さほど大きくないものの、速さがあった。
「あ、危ない!」
「へっ?」
そう叫んだときには遅かった。ゼニガメが振り返ると同時に誰かが真正面からぶつかってきた。ゼニガメは背中から倒れたため、起き上がれずに手足をジタバタしていた。
「だ、大丈夫?」
(起こしてくれよ……)
ヒトカゲは真っ先にぶつかったポケモンの方を心配した。どことなく見捨てられた気持ちのゼニガメは半分涙目になっていた。一方ぶつかったポケモンを見ると、頭には大きな葉が1枚、首には赤い球体を持っている――チコリータだ。
「す、すみません! ……あっ!」
チコリータは2人に謝り、その後すぐに何かを思いついたようだ。ゼニガメの手を引っ張って起こしながら、ヒトカゲはどうしたのかと訊ねた。
「あの、私追われているんです。今すぐ匿って頂けませんか?」
何ともいきなりなお願いだった。もちろん最初は疑問に思ったが、真剣な顔つきで言われたため、2人は快くしてあげることにした。
「わかった! じゃあどうするかな……そうだ、この草に隠れて。絶対動かないでよ!」
ヒトカゲの指示でチコリータはすぐ近くにあった草むらに隠れた。よく見れば頭の葉っぱは周りのものと同化してないが、緊急時には十分な擬態だった。するとそれから直に、チコリータの言うとおり、追っ手がやって来た。進化系のベイリーフだ。
「君達、こっちにチコリータが走って来なかったか?」
早速チコリータの居所を探ってきた。2人は咄嗟に機転をきかすことが苦手で、一瞬答えに詰まったものの、何とか答弁できた。
「チコリータですよね? さっき来ました。何でも港に行くとか言ってましたよ」
ヒトカゲが真顔で言った。いつの間にこんなに嘘つくのが上手くなったんだろう、とゼニガメはヒトカゲの顔を見ながら思った。
「本当か、ありがとう」
その嘘にまんまと引っかかったベイリーフは、港の方へ走って行った。2人はベイリーフが見えなくなるまで見送って、安全を確認すると、チコリータの隠れている草むらに近づいた。
「もう行ったみたいだよ」
ゼニガメがそっと言うと、チコリータが周りを確認してから草むらから出てきた。ほっとした様子で、大きく息を吐き出す。
「あ、ありがとうございました。いきなり無理言って申し訳ありませんでした」
チコリータは行儀よく前足をそろえて、いわゆる「伏せ」のポーズで頭を下げた。おもわず2人も2足であるはずなのに伏せのポーズで応える。
「お礼なんかいいって。でも、君どうしてベイリーフに追われてたの?」
ヒトカゲがチコリータの方を見ながら訊ねる。事情を説明しようと口を開きかけた時、チコリータはちょっと困った顔になった。
「それなのですが……ここで話すのは少々危ないので、私の家でよければ来て頂けませんか?」
2人は訳ありなのだと悟り、言葉に甘えてチコリータの家に行くことにした。誰が追っかけてくるか2人はわからないため、チコリータを先頭に3人は歩き始めた。
「ところで、君の家ってどこ?」
「ここです」
ヒトカゲの質問にチコリータはすぐ答えた。チコリータは首から出した蔓で自分の左側を指した。しかしそこにあるのは、先程からヒトカゲとゼニガメが気にしていた壁だった。
「ここって、ただの壁じゃん」
「えぇ、そうですよ」
そうですよと言われても2人は全く理解できなかった。顔を見合わせて首をかしげている様子を見て、チコリータはさらに補足する。
「あ、説明が足りなかったようですね。この壁の先は、私の家の敷地です」
チコリータは仰天発言をした。何とこの1km以上続いている壁の向こう側がチコリータの家だったのだ。2人は驚きすぎて返す言葉に詰まってしまった。
「い、家? これが? てことは……」
『……お嬢様ぁ!?』
2人は口をそろえて絶叫した。だが当の本人はこういう事に慣れっこなせいか、当たり前のように「そうです」と言った。
「私は『メガ家』の長女なのです。あまり口に出して言いたくないのですが、この島1番の資産家の娘です」
いわゆる典型的なお嬢様のように高飛車に自慢するのとは異なり、チコリータの場合、ちょっとためらいがちに口にした。そのため、2人には好印象を与えることができたようだ。
すると、ゼニガメはチコリータのもとへ1歩近づいた。挨拶をするのだろうとヒトカゲは思っていたが、そうではなかった。
「チコリータ! 俺達今日から友達だ!」
「は、え、まぁ……」
いきなりゼニガメがチコリータの前足をつかみ、友達になろうと言ってきた。その目はギラギラ輝いている。急な申し出にチコリータはものすごく動揺していた。
(さすが番長、金がらみになるとがめついな……)
その様子をヒトカゲは黙って見ていた。
「ここが裏口です」
チコリータが案内してくれたのは、草むらで隠れてよく見えない位置に扉がある裏口だった。小さいポケモンがようやく通れるくらいの大きさしかない。
「ここを真っすぐ行ったら建物にぶつかり、また扉があります。そこを入って階段を上がって4階のフロアに“Chikorita”と書いてある部屋があるので、そこに急いで行ってください。私は後から追いかけます。決して誰にも見つからないようにしてください」
『わかった』
3人は緊張しながら、チコリータの部屋に向かった。