第2話 番人
ヒトカゲの目の前に現れたのは、大陸の火山を操る者と名乗る、茶色の毛を持つ獅子のような姿をしている伝説のポケモンの1人――エンテイだ。鋭い眼光でヒトカゲを見ている。
「エ、エンテイ……」
「そうだ。私がアイランドの番人の1人だ」
「……番人?」
番人という言葉を知らないのか、首をかしげるヒトカゲにエンテイは説明する。
「知らないなら教えてやろう。私とあと2人はこの近辺の8つの島の集まり・ポケモンアイランドを守る役割をしている。私はほのおタイプ故、ここ『ロホ島』を中心として活動している」
ヒトカゲはエンテイが何者かは理解したが、何故自分の前に現れたのかがわからなかった。番人に止められるようなことは何もしていない。家出なら話は別だが。
「あ、あの、何で僕のところへ来たんですか?」
「ここは子供が来るような所ではないからだ。早急に立ち去れ。さもなくば……」
姿勢を低くし、威嚇するような体勢になったエンテイが警告したが、自分の目的を果たすために、この先を通らずにはいられないヒトカゲは説得を始めた。
「待って! 僕はただ海に行きたいんだ。海に行って、他の島に渡りたいんだ」
「他の島に、だと?」
ヒトカゲから返ってきた答えが予想しなかったものだったのか、エンテイは思わず聞き返した。
「うん! 実は僕、小さい頃に命を救ってくれたポケモンを捜しに行きたいんだ。そのために、他の島をまわって手がかりを探したいんです」
ヒトカゲは家出したということは隠しつつも、必死に事情を説明した。それを聞いたエンテイは表情を変えずにヒトカゲにあることを言った。
「お前、この島の掟を知っているのか?」
「……掟?」
どうやらヒトカゲはこの島に掟があることを知らなかったようだ。少々呆れたような顔つきで、エンテイはヒトカゲにこの島の掟を教えた。
「この島に住んでいるポケモンは皆、進化で最終形体になる、もしくはそのポケモンと同伴でなければこの島を出ることはできない。つまり、お前だけを通すわけにはいかないのだ」
ヒトカゲはまだ1回も進化していないポケモンだ。誰かの同伴なしには島から出られない。それが分かると、悔しそうにヒトカゲは下を向いて黙ってしまった。
「さあ、わかったらさっさとここから……?」
エンテイがそう言いかけた時、ヒトカゲは思いもよらぬ行動を起こす。なんと、エンテイに向かって土下座をしたのだ。そして大きな声で離島を請い願う。
「お願いです! 僕を通してください! 掟は破っちゃうことになるけど……後で罰は受けます! だからここを通してください! お願いします!」
エンテイはそれを黙って見ていた。その間ヒトカゲは一向に頭を上げようとせず、必死で「お願いします!」と何回も繰り返していた。しばらくして、エンテイが口を開いた。
「……掟に背いてまでここを通りたいと言うのなら、通してやろう」
その言葉にヒトカゲはバッと頭を上げ、エンテイの方を見た。ヒトカゲは目を輝かせ、誕生日に欲しかったプレゼントをもらった子供のような笑顔だ。だがその笑顔は、すぐに消え去った。
「だが、条件がある」
いきなり、エンテイはそう付け加えた。ヒトカゲが聞き返そうとする間もなく、エンテイは体勢を低くした。それはまさしく攻撃態勢だった。
「……私を倒してからだ!」
「えぇっ!?」
あまりに無理すぎる条件にヒトカゲは驚いたが、そんな暇もなくエンテイが向かってきた。何をしてよいかもわからず、慌ててヒトカゲは逃げようとする。
「無駄だ! “ほのおのうず”!」
エンテイは“ほのおのうず”をくりだし、自分とヒトカゲを炎で囲んだ。ヒトカゲは突破口はないかと辺りを見回すが、どこも炎。完全に逃げ場を失ってしまったのだ。
「どうしよう……」
戸惑っている間にも、背後からじりじりとエンテイが近づいてくる。その目は獲物を狙う獣そのものだ。子供といえど想いが本気なだけに、容赦はしないようだ。
「……覚悟はいいか?」
エンテイは本気だ。逃げ場もない状況でただやられてしまうわけにはいかない――少し冷静になったヒトカゲはくるりと向きを変え、エンテイに向かって宣言した。
「僕は……自分の力であのポケモンを捜してお礼が言いたいんだ! そのためなら……戦う!」
怯えているのか少し腰が引けているようであるが、ヒトカゲも攻撃態勢に入った。実は、これがヒトカゲにとって初のバトルなのだ。
『“かえんほうしゃ”!』
2人が同時に“かえんほうしゃ”を放った。だがエンテイの方が圧倒的に強い。すぐにヒトカゲは炎の威力に押され始めた。
「やばっ! “でんこうせっか”!」
ヒトカゲはすぐに“でんこうせっか”でエンテイの“かえんほうしゃ”の直撃を避けた。その後もエンテイは何度か“かえんほうしゃ”をくりだすが、ヒトカゲにギリギリでかわされた。
「がああっ!」
エンテイは吠えた。それにビクついてヒトカゲは後ろに下がろうとしたが、先ほどの“ほのおのうず”でできた炎の壁のせいで下がれず、その場に固まってしまった。
「“だいもんじ”!」
動けないでいるヒトカゲに向かって、エンテイは“だいもんじ”を放った。これがヒトカゲに直撃。同じほのおタイプのポケモンとはいえ、力の差が違えば負うダメージもかなりのものだ。
「ぐわあぁっ!」
ヒトカゲはその場に倒れてしまった。それと同時に“ほのおのうず”による壁が消えた。エンテイはゆっくりヒトカゲに近づき、必死に起き上がろうとしているヒトカゲの首を、自分の前足で地面に押さえつけた。
「……ぐっ!」
ヒトカゲは全く身動きがとれなくなってしまった。体力も限界で、あと1発でも何かを受けたら、最悪の事態になってしまうほどだ。これ以上打つ手はなかった。
「これで終わりだ。諦めることだな」
エンテイはこれ以上攻撃するつもりはなく、ヒトカゲの降参を待っている。恐怖や悔しさが入り混じったヒトカゲは目に涙を浮かべた。
「……負ける、もんか……」
蚊の鳴くような声で言った。まだ諦めたくない、体は限界でもその気持ちは一切変わらなかった。その声に気づいたエンテイが耳を貸している。
「絶対、お礼がしたい……命の恩人に、お礼をしたいんだ……」
押さえつけられてもなお起き上がって戦おうと頑張るヒトカゲ。自分の体力については全く考えていない。目的を果たすため、ただそれだけを考えている。その賢明な姿を見てか、エンテイはそっと前足を離した。
「……えっ?」
これにはヒトカゲも驚いた。そしてエンテイは目を閉じ、何かを念じているようだ。それからすぐにヒトカゲの全身が光りだし、10秒くらいで彼の体力は完全に回復した。
「これで大丈夫だ」
エンテイがヒトカゲの体力を回復させ、優しく語りかけた。突然の豹変ぶりにヒトカゲは事態をよく呑み込めず、不思議そうにエンテイに質問した。
「どうして攻撃を止めたの?」
「私は最初からお前を倒すつもりで攻撃はしていない。お前がどれだけの思いで旅に出ようと決心したのか。お前が持ち合わせている勇気、信念、それらを見たかったんだ」
「勇気なんて、僕にはないよ……」
ヒトカゲは俯きながら言った。勇気があれば、最初から逃げようとなんてしない。正々堂々立ち向かっていけたはずだと思っている。
「いいや、お前にはある。私を見て立ち向かってくるポケモンなんてほとんどいない。お前だってわかっていたはずだ、私との力量差がかなりあることくらい」
「でも、ほとんどやられちゃったし……」
自分の力のなさを見せつけられたヒトカゲは落ち込んでいた。そんな彼を見て、これ以上落ち込まないようエンテイが励ましの言葉をかける。
「いいか、よく聞け。旅に出るということは、それだけ危険な事が多いってことだ。それに立ち向かうのに確かに力は必要だ。もっともっと強くなる必要がある。だがそれより大事なものが、どんなものにも立ち向かっていく『勇気』だ。お前は私と戦おうとしただけで、十分強い勇気を持っている。胸を張れ。お前なら、どんな困難も切り抜けられるはずだ」
胸を張れ――自分は胸を張っていいんだ。そう思うことができたヒトカゲの表情は和らいだ。それを確認すると、エンテイはヒトカゲにあるものを渡した。
「これは?」
エンテイから渡されたのは、水滴のような形をしている、透き通った赤色の石のようなものだった。光の加減からか、中で炎が燃えているようにも見える。
「『炎の勾玉』だ。この島のお守りのようなものだ。きっと役に立つ時が来るだろう。お前がこの島に戻ってくるまで、貸してやろう」
エンテイは数歩下がり、道を空けた。
「さあ、通るがよい。ここを真っすぐ行けば海だ」
「……ありがとう!」
ヒトカゲはうれし泣きしながら、荷物を持って歩き出した。数歩歩くと、何かを言い忘れたのか、ヒトカゲは立ち止まってエンテイの方を向いた。
「……必ず、成し遂げてみせます! 本当にありがとう!」
その言葉にエンテイは黙って頷いた。そしてまたヒトカゲは歩き始めた。気づけば、辺りはもう明るくなっていた。
長い長い旅の、始まりである。