第1話 家出
ここはポケモンだけが暮らす世界。そこには8つの島があり、みんなはそれを「ポケモンアイランド」と呼んでいる。その島のうちの1つにある1軒の家で、2匹のポケモンが話をしていた。
「ねぇ、お父さん」
「何だ、ヒトカゲ」
“お父さん”と呼ばれたポケモンは、話かけてきたヒトカゲの方を向いた。ヒトカゲというのは、尻尾に火を灯した橙色のトカゲを思わす外観をしたポケモンである。ヒトカゲは徐(おもむろ)にその父親に質問をする。
「お父さんは、僕を拾ったときの事、覚えてる?」
そんな事を言うヒトカゲの目の前にいるのは、本当の父親ではない。血が繋がっているのならば父親はリザードンになるが、実際にヒトカゲと話をしているのは、獅子を彷彿される容姿のポケモン――ウインディだ。このヒトカゲは、この島に長く住んでいるウインディによって拾われ、今日まで育てられたのだ。
ウインディはじっとヒトカゲの方を見て、ふっと微笑んでその質問に答える。
「もちろん、覚えている。お前と私が初めて出逢った日の事だからな」
そう言うと、ウインディはヒトカゲを自分のそばへ呼び寄せ、その場に一緒に座りこんだ。しばしの間瞳を閉じて、当時の出来事を頭の中で回想していた。それが終わると、ヒトカゲに向かって話し始める――初めて出逢った日の事を。
「……あの日は天気が悪かった。昼間は晴れていたんだが、日が暮れ始めた頃からだんだん厚い雲がかかって、激しい雷と雨に変わった。そんな天気を見て、私は何か嫌な予感がしたんだ。『何か起こるのかもしれない』とな」
ヒトカゲはウインディの瞳をじっと見ながら話を聞いている。彼もまたヒトカゲの瞳をじっと見つめながら、話を続けた。
「それで変な胸騒ぎがして外に出てみると、白……というよりはむしろ銀色に近い色のベールに包まれたお前が、ふわふわ空中を浮遊してきたんだ。そして私のところへ降りてきた。眠っていたお前を起こしたけど、名前がヒトカゲってことぐらいしか覚えてなかったみたいだ。……こんな感じだ」
「へぇ〜」
自分との出逢いについて詳細を聞いたのが初めてなのだろう、今の説明を受けてヒトカゲはそうだったのかというような顔をしている。
「ところで、何でいきなりこんな事聞いたんだ?」
ふとウインディが不思議そうにヒトカゲに聞いた。というのも、ヒトカゲは自分の事について質問したことがなかったからだ。以前、ウインディが「私は本当の父親じゃない」と話したことがあったが、その時もヒトカゲはその理由を聞こうとはしなかったのだ。
「えっ……別に。ただ、なんとなく」
ヒトカゲの目が泳いでいる。汗もダラダラだ。明らかに様子がおかしい。そんなヒトカゲを見て、ウインディは怪しさ満点のヒトカゲを問い詰める。
「お前、何か大事な事を私に隠してないか?」
「か、隠してないよ!」
「まさか、また私に黙ってきのみを食べたな?」
「……はい……」
小さい声でヒトカゲはきのみをつまみ食いしたと言った。食欲旺盛な年頃で、最近つまみ食いをする機会が多くなっていたらしい。ヒトカゲの返事を聞いたウインディはキバをむき出しにしている。お説教タイムの開始を告げる合図だった。
「はぁ……ようやく終わった〜」
いつもより長めの、約1時間のお説教が終わり、ヒトカゲは自分の部屋に戻った。溜息をついてがっくりと肩を落としている。よほどきつい説教だったのだろう。
「……ホントは、今日は食べてないのに……」
どういうわけか、ヒトカゲはウインディに嘘をついていたのだ。ちなみに、これまでヒトカゲは1回も嘘をついたことはなかった。呟き終わると、そのままふかふかの草でできたベッドに横になり、考え事を始めた。
(お父さんが言った事が本当なら、やっぱりあれは夢じゃなかったんだ。僕を“しんぴのまもり”で助けてくれた大きいポケモンは、やっぱりいたんだ!)
記憶喪失のヒトカゲが名前以外に唯一覚えていること、それはウインディの前に現れる少し前の出来事だった。覚えていると言っても断片的なものであり、ヒトカゲが何らかの攻撃をされかけた時に、大きいポケモンが“しんぴのまもり”で助けてくれた場面がうっすらと記憶にあるだけである。
(僕が何者かなんてどうでもいい。僕の命を救ってくれたポケモン……そのポケモンに会ってお礼が言いたい!)
もちろん、そのポケモンがどこにいるのか、どんな名前か、どんな姿をしているかもわからない。それでも、ヒトカゲの意思は変わらなかった。お礼が言いたい、その一心だけだった。
(……ただなぁ……)
しかし、そんなヒトカゲにも引っ掛かっていることがある。その1つは、外の世界である。ヒトカゲは他の7つの島に行ったことがなく、自分にとって未知の場所に行くことに少し抵抗があった。そしてそれとは別に、最大の要因があった。
(お父さん、絶対許してくれないよなぁ)
ヒトカゲ曰く、父親、すなわちウインディは少し頑固なところがあるようだ。またヒトカゲの事が心配なのか、門限が早かったりあまり1人で行動させなかったりと、ちょっと厄介らしい。
「……よしっ、決めた!」
少し考え事をしたのち、ヒトカゲはバッとベッドから飛び起き、何やらガサガサと物を探し始めた。
1時間後、ヒトカゲは居間にいた。その手には、先端に荷物を包んである袋がくくりつけられた木の枝を持っている。
「これで準備OK。お父さんが寝ているうちにそ〜っと……」
ヒトカゲがしようとしていることは、まさしく家出だ。この島を出て1人で旅へ出る決意をしたようだ。足音を立てないようにそっと居間を通り抜ける。
(お父さん、ごめんね。ちゃんと帰ってくるから……)
心の中でウインディに謝りながら、家をそっと抜け出した。この旅が、後に全ての原点になるとは想像すらせずに――。
家を後にしてほんの数分後、家から300mくらい歩いたところでヒトカゲはふと思った。
「……そういえば、どこに行けばいいのかな?」
旅に出るのはよしとして、まずどこへ向かうかも決めていなかったヒトカゲ。しかも辺りは真っ暗。明かりがあるわけではないので、右も左もよくわからない。
「とりあえず、あっちにしてみよう」
ヒトカゲは勘で決めた方向へ歩き出した。歩いていくうちに、草だらけだった足元がだんだん岩場へ変わり、傾斜がついてきた。ゆるやかな坂をずっと上っているようだ。どこへ行っているかはわからないが、とにかく真っすぐ歩いていた、その時だ。
「……帰れ……」
突如、どこからか発せられた低い声がヒトカゲの耳に入ってきた。初めて聞くその声にヒトカゲは少々怯えていた。
「だ、誰?」
そう聞き返した時、ものすごい熱風がヒトカゲに向かって吹いてきた。その熱風とともに、ヒトカゲの目の前に1匹のポケモンが現れた。最初は暗くてよくわからなかったが、そのポケモンが少し近づいたことで、姿を見ることができるようになった。その姿を見て、ヒトカゲは思わず荷物を地面に落とした。
「あ、あなたは?」
ヒトカゲの質問に、威圧した態度でそのポケモンは答えた。
「我は、大陸の火山を操る者・エンテイだ……」