暗闇より


















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地下の街
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 リュックサックの中のサザンドラは、生きているのだろうか。魂だけのリクは、死んでいるのだろうか。
 生死に関係なく、現在≠得るために、サニーゴだったものはずるずると街中を這い回っていた。内部で瓦解していく過去の中で、深く、眠るようにリクは、夢を見ていた。海底のような暗さに沈んでいく。泡沫の天井から子供の手が差し込まれた。ざぱん、と浮上する。
 快晴の空の下で、赤毛の少年がこちらを見ている。ヒナタの面影があった。同時に、この子は誰だろう、という感覚が不思議とあった。「お前の名前は、コーラルだ!」にぱっと小さなヒナタが笑いかける。すとんと腑に落ちた。
 ――これは、サニーゴの過去だ。
 ここはマシロタウン。穏やかな始まりを告げる街。
 さくさくと草原を行く。「行くぞ! マシロレンジャー!」わっという歓声の先頭で、子供達を引き連れ駆けてゆく。草原が清潔なお屋敷の床に変わった。寝てばかりの女の子が、階段から見下ろしている。「お前、ポケモン勝負が凄い強いんだって聞いたぞ! 俺と勝負しようぜ!」「嫌なのです」
 お屋敷の床を歩いてゆく。「お前、意外とやるのですね」女の子は階段下で言った。さくさくと草原を歩いて行く。研究所の床に変わった。博士に旅立ちを告げる。笑って泣いて勝って負けて、故郷を旅立った。
 てくてくと街道を歩いてゆく。暗い洞穴の道を入りゆく。「お前、ここにいたいか?」臆病な子供を引っ張り出した。
 森の中をざくざくと歩みゆく。土のフィールドへと変わった。初めてのジム戦。初めてのジムバッジ。「うん、君は良いトレーナーになりそうだ」ジムリーダーが帽子をくるりとする。次の街へ。
 カツコツと汚い路地を歩いてゆく。カジノの街。「ひゅー、やるじゃねぇの」煙草の煙。
 数知れぬ足跡が残る道を歩く。歴史の街。まだ早いと、ぴんと背の伸びた老婆に告げられ、町外れの街道を行く。緑の帽子の旅人が加わる。
 ざくざくと深雪を踏みしめ雪山の街へ。「成人したら一緒に飲もうぜ」
 ピカピカに磨き抜かれた床を歩く。水路の道を泳いでいく。暗い地下の道を探り歩く。次の街へ。次の人々と話し、次のバトルを楽しみ、次のポケモンと出会い、ゴミ箱に投げ込んだ空き缶が外れ、レンジャー服の少年が拾った。「君のか?」
 砂埃が舞った。引き分けの勝負は、それから長く、何度でも繰り返される。強い相手もたくさんいた。負けたことも数え切れないほどに。泣いた顔を見た。笑った顔を見た。悔しそうな顔を見た。興奮した顔を見た。前へ。前へ前へ。悩んで戦って負けて悔しくてそれでも、ひたすらに、

 前へ。

 ……生の歩みは、いずれ止めなくてはならない。
 呆気なく終わったその先を望むのならば、対価が必要になる。サニーゴの目を通して、リクはその過去を見ていた。終わってしまった時間は、進まないという意味で全て同列に扱われる。現在は今この手に。未来はまだない。過去など要らないから、未来を。願いに応え、過去が瓦解していく。
 戦った少年の名前はなんだった?
 三匹目の仲間のどこで出会った?
 臆病なモノズはどこにいたの?
 初めてのジムバッジはどこ?
 寝てばかりの女の子は誰?
 彼が好きだった番組は?
 始まりの街の名前は?
 寝てばかりいた女の子の名前ライバルの少年の顔地下の街緑の帽子歴史の街カジノの街臆病な子供森の中のリゾートの初めての送り出した博士の初めて出会ったあの日の少年の笑顔を、

 私の、名前、を。

(名前……)もう思い出せない。リクはその名を知っていたけれど、私≠ヘ思い出せない。私≠ヘもう死んだのだから、死者には過去も現在も未来もない。(そこまでして、戻りたかった理由も、分からない)
 目の前に、真っ白になったサニーゴがいた。
 リクの目はもう、過去のサニーゴを通してはいない。自分自身で真っ白なサニーゴと向き合っていた。崩壊した言語をサニーゴが話した。ついさっき、彼女の過去を見ている時にはあんなにも鮮明で明瞭だったのに、もうひとかけらだって汲み取れない。
 死者の言葉は聞こえない。特別な人間の耳にしか届かない。リクはまだ生きているから。
 伝えられたものを誰かに伝えるには、生きていなければならないから。

「オレは、ヒナタのところに連れて行けなかった。……ごめん」

 無理矢理つなぎ止めた生は、苦しい。生きるには理由がなければいけない。
 苦しみを乗り越えてもう一度、生まれようとするのにも。
 足下が沈んだ。真っ白なサニーゴの体内に、ヒナタ≠フ名が収められた。ふいっと彼女が視線を外した時、魂が沈んでいく感覚が強く迫る。それでも良いかと、リクは思った。サニーゴが取り込んだあらゆるものは、陰が大半を占める。気持ちが暗闇の底へ引きずられていく。
 片手にモンスターボールが触れた。
 夜の底でそっと考える。洞窟の奥にいたモノズは、外の世界に触れて、どう思ったのだろう。違うものになったサニーゴを、自分を恨んでいるだろうか。リクの意識がずぶずぶと沈み込んでいく。侵食する黒が心を浸していく。
 疲れたな、と思った。失われたものに謝り続けること、傷つくこと、誰かに怒りを覚えること。それら全てに、酷く。サザンドラは目覚めない。サニーゴももう、戻らない。
 遠くから泣き声がした。

「――……?」

 リクは目を開いた。覚えがある声だ。初めて海に連れていった日。逃げてしまったアチャモを探して、岩場を歩いた。顔をあげた。(食いしん坊で、調子に乗りやすくて、泣き虫で、オレの後をずっとついてきて……今は、誰の後を、お前は)あの洞窟で別れた日から、探していた泣き声へ手を伸ばす。

(まだ、死ねない)

 強くそう思った刹那、体が重くなる。(お前だって死なせるもんか)片手のモンスターボールを掴み、引きずられる底から抜け出した。
 死んだ心にとって、生を叫ばれることは苦痛かもしれない。だが、これは借りだ。(あの洞窟の底からオレを引きずったのは、お前だ。絶対に置いていくもんか)暗闇の道はまだ続いている。果てが何処にあるかも分からず、何度でも惨めに行ったり来たり。
 それでも苦しい生を、ともに生きてもらおうじゃないか。





 ぽつぽつとリクは歩く。泣き声は、近づいたり、遠のいたり。そもそも自分は今何処にいるのだろう? 歩いている、といっても感覚がふわふわしていて、止まってるのか進んでいるのか判然としない。五感にもやがかかったような感じだ。現実感がなくて、解像度が低い。馴染みのあるもの、モンスターボールなどの感触は鮮明だが、それは本当に存在しているのか? ――足がずぷっと沈みかけ、慌てて気を取り直した。気を確かに持たないと、あらゆるものが持って行かれそうだ。泣き声に耳を傾ける。そちらへ行きたいと強く意識すると、ぐねぐねとした洞窟のような道の底に明かりが見えた。他の音が混ざり始める。人の声と足音……カードを切る音? 足を踏み入れ、リクは目を灼く光に手を翳した。

「カジノ?」

 カードが舞う。ダイスが転がる。ポケモンの技が翻り、ゲラゲラと笑い声が響き渡る。後にしたばかりの、ゴートシティ・スカイハイのカジノ場だった。騒がしい声は直接耳に聞こえてくるわけではなく、どこからどのように届いているのか分からない、不可思議な距離でそこに存在していた。げ、ラ、ゲラ、からン、コ、カかん、と天井から床まで音が跳ねて、集中しても意味のある言語を拾い上げることが出来ない。解像度の低い視界と同じだ。誰一人知る相手がいないような、強烈な孤独感が襲ってきた。(……怖い!)震える手の中に、モンスターボールの感触があった。独りではない。喉を鳴らし、リクは泣き声を探した。きょろきょろと周囲を見渡す。鮮明に見えるものがいくつかあった。例えば、景品交換所でいっとう高いもの――ツキネへの挑戦権。その必要チップ数。バニーガールが配っているフリードリンク。それぞれのテーブルで舞い踊るチップの数々。そして、スロットマシン。見覚えのある尻尾がひらりと動くのが見えて、思わず駆け寄った。「ゲイシャ!?」小さな肩を掴む。「なんでここに――」
 くるりと振り返った顔は、般若の形相だった。

「え」

 パシン、と尻尾で手を撥ねのけられる。「なんだい君は。気安く触らないで欲しいね!」

「は、おま、え、しゃべ……っ」

 呆然とした瞬間、リクの足下がずぶっと沈み込んだ。「やべ……っ! ま、まて!」混乱しながらも違う違う、そうじゃない、と意識を強く持つ。気がつくと、元の汚いカジノの床に手をついていた。(あ、あぶない……しっかりしないと……)だんだんと、ここはそういう¥齒鰍ネのだとリクにも分かってきた。気が逸れたり、弱くなったり、意識に空白があると一気に沈み込む。(ここがどこだか分からないけど、つまりカジノと同じなんだ。ちゃんとルール≠ェある)エイパムが喋ったのも、そういうルール≠ェあったのだろう。
 つまり、ここでのポケモンは、喋る。サニーゴの過去を覗いたときのことを振り返ると、意識を共有していた為か地面が近く、視界も低かった。以前読んだ本に載っていた――ポケモンは、種族が違っても会話が成立している可能性が高い、と。(『……携帯獣は種族ごとに異なる言語体系を持ち、異種族間の言語的コミュニケートは近縁種もしくは訓練下による状態でのみ観察されると初期は考えられてきた……(中略)知人であるオダマキ氏と洞窟へフィールドワークの出向いた際、道に迷ってしまった私たちをクロバットが出口まで導いたことがある。その直前、氏のオオタチがクロバットと鳴き声でやりとりをしていた。更には出口まで送ったクロバットに手持ちのきのみを……』)ウミがポケモンセンターの図書室で借りていた本だ。何度も読み直して読破したので、覚えている。
(でもゲイシャはオレのこと知らないみたいだし……コーラルの時みたいに、誰かの記憶を覗いている訳じゃないし……)夢のような空間。(これは、オレの見てる夢なのか?)ここはリアルではない。(タマザラシを追っかけてから、どうなったか、あんまり覚えてないんだよな)このエイパムが夢の中の虚像だとすれば、現実のエイパムやタマザラシ、リーシャンは今頃どうしているのだろう。(早めに帰らないと)むいっとほっぺたを引っ張ってみたが、伸びるだけで痛みはなかった。引っ張った分だけ、チューインガムのように無限に伸びる。「……なんなんだよ」ほっぺたを元の形に整形する。
 エイパムはスロットマシンの向こう側に行ってしまった。気がついたのだが、スロットマシンのマークもやたらと鮮明に見える。老婦人とテーブルにつく前はスロットに齧りついていたからだろうか? キラッと床で光るものを見つけ、拾うとコインだった。(オレの夢なら、ゴートでやったことと同じことをしたら、何か変わるかもしれない)テーブルを見渡すが、鮮やかな色を纏った人影があちらこちらを行き交ったり、喋ったりしているようにしか見えない。目を凝らしても不鮮明で、なんだかやたらとキラキラした人たちやポケモンが笑い声を上げて楽しそう、という雰囲気だけある。ソラの姿は見当たらないし、老婦人もどこにもいない。諦めてスロットを回してみる。
 
「……遅」

 ゆっくりと回っている。運頼みにしなくてもラッキーセブンが揃えられそうだ。夢でくらい大当たりでも――ポチポチポチと押していく。ラッキーセブン、ではなく、全然違うタイミングで止まった。「あれ?」当然のようにずれ込み、一枚もコインは返ってこない。納得いかない気持ちで更に床に落ちているコインを探すと、キラッと遠くの床に見つけた。夢中になって拾いに走り、繰り返しスロットを回す。外れ。どう見てもゆっくりと回ってるようにしか見えないのに。(現実のスロットの方が当たるってどういうことだよ!)次々にコインを探し、リクはスロットを回した。笑えるくらい外れる。だんだんと馬鹿にされているような気すらしてくる。スロットを回す。外れ。外れ。外れ。ガシャン。真ん中で止まったピカチューが舌を出した。同タイミングで、反対側のスロットマシンから大当たりのファンアーレが鳴り響く。

「くそっ!」

 ガツン! と思わずスロットマシンを蹴った。「うるせーぞ!」他の客から罵声が飛ぶ。スロットマシンの反対側から、先ほどのエイパムがひらりと姿を現した。般若の形相だ。

「おい君! スロットを蹴るなんて言語道断! 反対側のレディが怪我をしたらどうするつもりだったんだ!」

 椅子を蹴って半泣きで立ち上がる。誰か≠フ感情がのっているかのように、苛立ちが抑えられずにリクは叫んだ。

「こいつが悪いんだ! だってオレが止めたとこと全然違うとこで毎回止まるか、ら――」

 エイパムの隣で、控えめに、リーシャンがこちらを見ていた。「あ……」名前を呼ぼうとして、出てこなかった。よく知ってる、先ほどまで一緒にいたのに懐かしいと感じる。けれど、名前がどうしても出てこない。じっとリーシャンと見つめ合う。「なんか、……なんか、用?」変な感じだった。リーシャンが苦笑いする。

「いいえ、なんだか、知り合いの声に似ていた気がしたんだけど……気のせいだったみたい」

 鈴を転がすような、綺麗な声だった。

( 2021/06/13(日) 20:26 )