暗闇より


















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地下の街
ボックr4え.たマシいノ ユく5
『……嘘』

 リーシャンが否定し、癒やしの鈴を更に強く鳴らした。『だめ……いかないで……』念を伴う音の波が、水面へと波紋を広げていく。黒髪の子供に顔を寄せ、その頬を叩いた。『リク……リク……行っちゃ駄目……! リク!』大きく響き渡る癒やしの鈴の音は、本来は優しい音を奏でる。だが水面下のプルリル達はうっとりと目を細め、タマザラシはきゅっと音色に身を縮こまらせた。『こわいー……こわい、音するー……』身を削るような音であった。

『だって、リクは、いなくなったりしなくて、もう置いていったりしなくて……』
『駄目だよ』
『どうしたら……リクまでいなくなったら……』

 リーシャンの瞳からぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。
 ――もう遅いのに、いつまで鈴の音を鳴らすのかしら。私たちが囁きあう。死ぬまで? あの子供は目覚めない。この街は生死の境が曖昧な場所。この場所は、罪人の流れる場所に続く水。魂を引き込む力が強い。
 ――子供の魂もまた、落下の際に体を離れて引き込まれた。そして今は、別の魂に取り込まれかけている。
 ひっそりと、心がこちらへと傾き始めているリーシャンへ私たちは視線を向ける。バッとエイパムが振り返った。――あらやだ、あの子隙がない。抜け目ない瞳が見えないはずの視線の主を探している。別の私たちが微笑んだ。――そう? よく見て。意図的に悲しみを抑えているだけよ、魂がぐらぐらしている。最初に確認してから、絶対に子供の顔を見ない。可愛いわね。
 私たちのそこかしこから忍び笑いが漏れる。脳天気な幼い声が上がった。

『りっきゅん、いるよー』

 タマザラシがひょっこりとリーシャンの顔を覗き込んだ。嗚咽混じりに泣いていたリーシャンの涙が止まる。『……?』『いなくならないよ。ねんねしてるよ』小さな手が指すのは、もはや動かなくなった子供の体だ。
 ――死を理解出来ない年齢なのかしら。ひそひそと囁きあう。子供が死んだか否か。エイパムとタマザラシがズレた会話を続けていた。『いやどこか行ったとかじゃなくて』『りっきゅんなかなか起きないー』
 魂が抜けた状態≠死と定義するならば、エイパムの発言が正しい。魂と肉体の繋がりが完全に途切れた状態≠指すならば、タマザラシが正しい。――では、こちらはどうだろう? 水面下では不定形が大きく育ち始めており、意識の弱いものから取り込んでいっている。核となっているのは、子供が背負っていたリュックサックだ。
 複数の霊体や怨念を取り込んだそれの中心付近に黒髪の子供の魂があった。意識はなく目を閉じているが、話題の中心となっている子供とそっくりの見た目をしている。
 祈りは善きものであったかもしれないが、手段を選ばなかった結果どうなるか、想像に難くない。――墓守の時とは違った意味で危なくなってきたわね、と心配そうな声が上がった。『たぁー!』『やめたまえ!』タマザラシが転がり、咄嗟にエイパムは尻尾で子供を引っ張った。目標を見失ったタマザラシが不定型にぶつかった。
 ずぶん。

『あれ?』

 ハマったタマザラシがそれを見上げたのと同時に、エイパムとリーシャンも本能が警鐘を鳴らすのを感じ取った。
 生と死の境界線を歩むもの。境を乗り越えようと禁忌を侵すもの。
 ――それは、耳を劈く悲鳴をあげた。

『ア゛――オ゛――オオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!』

 リュックサックから赤い光が弾け飛び、真っ白なサニーゴの体を内部へ吐き出す。ゆっくりと目が開く。かつてコーラル≠ニ呼ばれた彼女の、淀んだ両眼と目が合った。

『レディ! タマちゃん!』

 真っ先に我に返ったエイパムが警告する。リーシャンが急いで念力で子供を持ち上げようとして、ガクンと落とした。プルリルとの引き合いに、癒やしの鈴とリーシャンは力を使いすぎた。取り落としたのは当然の結果だった。それでもなお諦めきれないリーシャンが震える体を抑え、子供を引きずる。エイパムの視線が子供と、リーシャンと、変異したサニーゴと、ずぷずぷと飲み込まれそうなタマザラシと躊躇するように滑った。『タマちゃん!』『たあー!』ボン! とタマザラシの体が不定形から飛び出した。冷凍ビームの反動で脱出したタマザラシをエイパムが受け止める。『ぐっ!』『もどったー!』『アアぁアああアアあ!』苦しそうな声が響き、水の流れが掻き乱れ、浅い波が覆い被さった。寄せては返す。三匹がゲホゲホと咳き込みながらも再び地上へと顔を出す。『失敬!』『しっぽしっぽ!』じたじたと暴れるタマザラシの尻尾を掴み、いまだ子供を引きずるリーシャンを引っ張った。
 
『レディ! 念力で竪穴へ! レディ・コーラルをやり過ごすんだ!』
『でもリクが……っ!』

 エイパムが吠えた。

『彼はもう死んでいると、言っただろう!』

 パン、とリーシャンの耳が、エイパムの顔を撃った。
 ひぇっと私たちの一部がどよめき、タマザラシは暴れるのを止めた。エイパムは、ぼうとした顔でリーシャンを見た。リーシャンは嗚咽混じりの、震える声で言った。

『だから置いていくの?』
『……』
『死んでるから、ここに、残して行くって言うの?』

 リーシャンの泣き濡れた目が射貫く。

『……そうだよ、レディ』

 エイパムは子供の方を、決して見ようとしなかった。

『……嫌い。ゲイシャなんて、大っ嫌い!』

 リィン、と刃のような音色が、声が響き渡った。『アアアアアアアオオオオオ!!!!!!』サニーゴが叫喚する。エイパムが天井を見上げた。落下した竪穴が見える。サニーゴが大きく身をよじり、震える。白い巨体が波打つと同時に、エイパムの尻尾がリーシャンの体を掴んだ。『――えっ』尻尾を振り抜く。リーシャンの長い悲鳴が一直線に竪穴へと吸い込まれた。真っ暗な竪穴へとリーシャンが突っ込んだ刹那、白い巨体が凄まじい速さで流動する。牽かれたプルリル達が巻き込まれて沈んだり、内部へと取り込まれたり、ヴェールが引きちぎれたりして泣き叫ぶ。
 ――さぁ、どうするのかしら。私たちは見守っていた。タマザラシは水ポケモン。ぷかぷか浮かべば助かるかも。しかし、彼を連れて逃げ切るには小さすぎる。
 エイパムがタマザラシに囁いた。
 
『タマちゃん、一人で帰れるね?』
『ひとり?』

 エイパムがタマザラシを投げ込んだ。ぽぉん、と高く飛んだタマザラシが弧を描き、天井近くから白い巨体の向こう側へと落下する。直後、残されたエイパムが牽かれ、巻かれるように水底へと墜ちていった。動かなくなった子供と一緒に。子供に囁くように小さく口が動く。
 ――なんて言ったの?
 ――ばか、気にしてる場合じゃ……あ。
 サニーゴだったものがどぷりとこちらを飲み込んだ。意識が途切れる。水底の隙間から、やだー! と幼い声が叫ぶのが聞こえた。
 おれ達/私たち/僕たち。そうして三つ目へと移し替えていく。這い出たものが這い回る。逃れた者達が寄り集まり、どこまでが自分たちでどこから違うものが混じり合っているのか分からなくなっていく。覚えのない声が僕たちの内部で<探せ探せ探せ×ュニ×が探しているぞ消えた子供を×プ×を>囁きあっていた。おれ達が/私たちが意識途切れる瞬間をひっそりと観測していた。気がつきながらも払いのけることも出来ないほどに<人とポケモンの歩みが解くことの赦されぬほど/躊躇うほどに長くそばにあったように>絡んでいる。





 僕たちは、3つ目の意識を開いた。
 彼らは道を開いた者。それに感謝しなくもないが、今はいかんせん、僕らも力を必要としている。僕らの一部は文字通りお縄につき、取り込まれ、消えてしまった。このままでは地の底に再び消えることになってしまう。
 炎溢れるバシャーモと、暗い顔の子供。表面はカタそうに見えるが、魂はどちらも脆そうだ。最初に別の僕らが<あれは開けた奴だよ。ジ××アに教えてあげなくちゃ。悪い奴だ。懲らしめてやろうそうしよう>魂をひいたが、バシャーモに邪魔をされてしまった。でもアレは、そんなに強そうに見えないね。暗い顔の子供の周りをぐるぐる回って、わんわん泣いている。どうにか人気のない地下通路にまで逃げ切ったようだ。子供の方は、大丈夫、大丈夫だから、と言葉をかけている。

「危なかったんだよ。大丈夫、ありがとう」
『黒い手がわーっていっぱい出てきてウミが行ってしまうかと思いました良かったです! オレは! ほんっとーに! 良かったああああ……あ?』

 子供の後ろに、バシャーモの目が釘付けになる。子供が不審そうに振り返るが、その視線の範囲外に僕らは踏み出した。<幻覚、悪夢、ナイトヘッドは心の闇を映し出す。さぁ、君の悪夢はなんだい?>バシャーモの顔色が悪くなる。僕らは悪夢を見せはするけど、記憶が読めるわけではない。バシャーモが何を見ているのかは分からないが、彼の口から、リク、と零れたのを聞き取った。

「シャモ、何もな――」

 子供がバシャーモを見やった瞬間、僕らはわっとバシャーモを抱きしめた。ガクガクと真っ青な顔で涙を零すバシャーモに、子供が瞠目する。「シャモ!」――ああっ! こら腕を掴むな!

「これは――ただのナイトヘッドだ! 振り払え!」

 バシャーモの瞳孔が開く。子供は僕らとバシャーモの引っ張り合いをするつもりらしい。だったらお前も取り込んでやる! 黒い腕がバシャーモを掴む細腕を這い上がった。瞬間、バシャーモの全身から炎が巻き上がる。『ナイトヘッド……悪夢……あく、む……敵!』――熱ッ!? 僕らの黒々とした内部がぼこぼこと沸騰する。端から炎が漏れ飛び散った。『はな――離せアアアアアアアアアああああああああ!!!!』猛火に堪らず僕らは怯んだ。
 悲鳴が二つ上がった。

「アあ゛ぁッ!」

 子供の声だ。ハッとしたバシャーモの炎が一瞬で鎮火する。子供の、バシャーモを掴んでいた腕が燃えていた。「ぅうッ! あ……ッ!」子供が腕を叩きつけるようにして火を消した。顔にびっしりと脂汗を流し、腕を抑えていた。
 バシャーモが顔色を失う。その機を逃さず飲み込むと、簡単に引き込めた。ぐにゅりと泣いている魂が僕らの中に沈んでいく。子供が身を引きずるようにこちらへ近づいた。
 ――あっちも今なら簡単に取り込め……うぅぐっ!? あ、熱い! あちあちあちあち!
 腹の中のバシャーモが泣きながら炎を撒き散らしている。熱くて痛くて堪らない! おい、ふざけるなよ! 僕らはお腹を抑えて身を翻した。あの子供は他のポケモンを持っていない! あとであとで!
 ずるんと闇の中へと潜っていく。バシャーモの炎が消える。本物の暗闇の中、子供の絞り出すような声が尾を引いていた。

( 2021/05/23(日) 09:49 )