暗闇より


















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地下の街
Box.43 よばわルこエ
 何処をどう走ったのかは全く覚えていない。転がっていくタマザラシを追いかけた。エイパムが先頭を切って追いかけるものの、掴もうとすれば影に阻まれる。「戻れタマザラシ!」モンスターボールから赤い光線が放たれるものの、すっと影に消え去る。リュックサックが背中で大きく揺れる。次々と灯る先へ誘われるように転がっていく。「たまー!」接触灯は近づく前から明るくなり、通過の瞬間に光の隙間を埋めるように消える。足下を影が並走し、こちらへおいでと囁く。「リー!」足止めの念力を、ニヤリと嗤った影が阻む。追いかけて、追い立てられ、散々につまづき、そして――落ちた。
 リクが。

「たま?」
「リ!?」
「き!?」

 転がり続けていたタマザラシが、ぽてりと放り出された。途端、静かになる。弱い接触灯の下、何処にもリクはおらず、崩れたばかりの竪穴が口を開けていた。端に滑り削った跡がある。察したエイパムの、リーシャンの顔色が悪くなった。「リー!」追いかけようとしたリーシャンの耳を、尻尾が掴んだ。「きーっ!」強い力で引き止めるエイパムに、リーシャンが真っ青な顔で頭を振る。その脇で、ぽん、とタマザラシが竪穴に飛び込んだ。「たまま!」残された2匹が目を丸くした。鳴き声がすぐに竪穴の暗闇に吸い込まれる。呆気にとられている隙に、リーシャンが尻尾を振り払った。「リ!」追いかけ飛び込む。「き!」迷う暇もなく、エイパムもそれに続いた。
 部屋の電気を消すように、パチンと接触灯が落ちた。





 リマルカ達が兆域を立ち去った後、暗がりに息を潜めていた二人組が立ち上がった。リマルカ達と彼らの距離は遠く、互いに声までは拾っていない。二人組――バシャーモとホムラは入り口へと近づいた。
 ゴートを離れた後、アカの命令で二人はカザアナへ向かった。(「カザアナで一番古い場所が開いたはずだ。そこに隠されている石を壊すこと。もう一つは、罪人の行き着く場所に伝承を刻んだ石がある。確認を頼んだよ」)リクのことを尋ねると、アカはしばらく考え、ポンと手を打った。(「アイドルさんのことが知りたいなら、バトルアイドル大会の動画を探しなよ」)意味は分からなかったが、素直にホムラはその言葉に従った。記録は見つからなかった。再度アカに尋ねようにも、彼は既にテレポートで引き上げてしまっていた。

(「たくさん手伝ってもらって、たくさん力を分けたから……2・3日寝てくる」)

 別れ際、眠そうに目を擦っていた。
 ホムラに辛うじて分かったことは、バトルアイドル大会には二種類あり、映像記録が残っていないのはジム挑戦の大会の方だということ。生放送のみで、販売や映像のアップロードは厳しく取り締まっているらしい。挑戦者の一覧すら見つからなかった。
 リクが何故、遠く離れたこの地方にいたのか。仮説を立てるのならば、何らかの理由でこちらの地方でジムバッジを集めていたのだろう。ジム挑戦するわけだから当然ルーローにも行くし、ゴートにも行く。アカはそれほど、リクに興味を惹かれている訳ではなさそうだ。サニーゴの小箱を渡したのは都合が良かったからである可能性が高い。
 バシャーモとリクが顔を合せたのかどうかは訊けていない。事件後もバシャーモはいつも通り自身の傍にいる。それに酷く安堵を覚えたが、そう感じる自分に吐き気もする。リクの元に返さなくては。そう分かっている癖に、まるで真逆の行動だ。

(『君はアチャモを助けたんじゃない。奪ったんだ』)

 羨ましかったんだろうか。
 マグマ団にいたときも、今も。自分はバシャーモの力を利用して居場所を得ているに過ぎない。
 シャモ、と名前を呼んだ。しめ縄を越え入り、暗く、細い道を先導してくれている。バシャーモが警戒しながら振り返った。いつでも敵に反応出来るようにと、体に染みついた癖だ。

「あと少しで、終わるから」
「シャモ?」
「そうしたら君は、帰れる。本当だ。約束する」

 言葉の意図がよく分からなかったらしく、バシャーモが首を傾げた。分からなくたって良かった。
 ――彼にはまだ、帰るべき場所がある。今度こそ、本当に帰さなくてはならない場所が。それだけは確かなのだから。
 最奥までたどり着き、バシャーモが用心しながら踏み入る。嫌な空気が滞留していた。バシャーモから離れないように慎重に進むと、青く輝く湖面が見えた。ホムラは、リクと最後に別れた場所を連想した。
 石とは。尋ねたホムラに、アカは答えた。(「テセウスが出てこれないのは、頭の上に置き石があるからだよ。でっかい奴があるだろ、この地方のど真ん中に。その要石が、上にひとつと、下にひとつ。君が壊すのは下の方」)アカが語った神話では、テセウスは炎を抱えて地に潜った。
 テセウスは約束を守り続けている。それをぶち壊そうというのだから、とんだ皮肉だ。
 
(「だったらこれからも、ライバルだな」)

 自分の大切な約束さえ守れなかった。やっぱりそんなもの、自分には向いていなかったのだ。
 バシャーモの炎が地底湖を照らした。水は澄んでいた。だからそれは、はっきり見えた。
 青く輝く無数の蝶が海中に群がっている。しかし海中に蝶がいるはずがない。じっと目を凝らすと、ホムラはその正体に気がついた――これは、ネオラントだ。
 異常な数だった。元々海底に住まうポケモンではあるが、地底湖では餌の入手は困難であるはず。カザアナの埋葬方法は、水葬。その知識を呼び起こし、嫌な汗が背中を流れた。なるほど天敵もおらず、水質も安定しており、不定期ではあるが餌の供給もある。そして、このような場所に潜ろうとする者もいるまい。

「いったん戻ろう、シャモ。確信が出来てからの方が良い」
「シャモ」

 自分ならば確実に地底湖の底に沈める。方法はさておき、実際に取り出すとなると一騒動起こさない訳にはいかない。場合によっては街を出直す必要すらあるかもしれない。
 道を戻る。行きも感じたが、長い暗闇の道を歩くのは、随分と背筋が寒くなる。見えないものが見え、あるはずのないものの声が聞こえてくる。先導するバシャーモの炎が長い影を作っていた。
 ホムラは袖を引かれ、振り返った。ゆらゆらと長く伸びた自身の影の先に、小さな足が見えた。見覚えのある靴だ。暗がりの中の足を見上げた。よく着ていたジャージ。黒髪に、黒い瞳。見間違えるはずがない姿があった。
 どうしてここに、と疑問が頭をもたげる。彼は手をこちらへ差し出した。最後に別れた瞬間からは想像も出来ない、かつての、少し悪戯っぽい笑顔で言った。

 ――来いよ、良いもの見せてやるよ。

 ふら、とホムラは一歩、足を踏み出した。背後で歩き去って行く炎の光が弱くなった。その昔、洞穴に歩き入った時も、暗がりを恐れた自分の手を引いて彼は笑った。脳内で警鐘が鳴る。彼がいるはずはない。謳うようなかすかな鳴き声が耳を掠めるほどに、懐かしい少年は確かな感触を強めていく。首を横に振った。

「……駄目だ。そこから先は、行ってはいけない」

 少年が驚き、なんでだよ、と落胆を露わにする。「帰ってこれなくなる。取り返しのつかないことになるんだ」少年が、悲しそうに目を伏せた。

 ――だったらいいよ、オレ独りで行くから。

 そう言って背を向けた。「待っ――」走り去ろうとする腕を掴む。少年は振り向き、似ても似つかない声で言った。

『なぁんだ。やっぱりお前、寂しいんだ』

 炎が、バシャーモの叫び声とともに、少年に襲いかかった。悲鳴が上がる。「リク!」バシャーモが力強くホムラの体を引き戻し、暗がりから伸びてくるいくつもの黒い影を払いのけた。炎に巻かれた幻覚・ナイトヘッドが散っていく。くけけけけ! 哄笑。悔しそうな声と憎悪が闇のそこかかしこから響き渡る。「シャモーッ!」バシャーモはなおも手を伸ばすホムラを抱え上げ、炎を吹き出しながら出口へとひたすらに走った。まき散らした火の粉は土壁に赤く散り、ちりちりと消えていく。
 走り去った後。
 新旧両方のしめ縄が、バシャーモの炎に焼き切れ、だらりと壁に垂れていた。暗闇の奥から境界を越え、闇が這い出す。入り口付近の影から、ゲンガーの、サマヨールの目玉が浮かび上がり、目を見合わせた。
 ざわざわ。ざわざわ。囁きあう。
 いちばん古い場所が開いたよ。外から来た人が開けたよ。大変だ、伝えなきゃ、ジムリーダーに伝えなきゃ。
 ジュニアじゃ駄目だ。ジムリーダーに――キプカに、伝えなきゃ。
 境界が、途切れた≠ニ。

( 2021/05/09(日) 08:24 )