暗闇より


















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地下の街
Box.55 こんセん
「あの声はコーラルか。早いとこ出るぞ」

 手を握ったまま駆けだした。頷いた刹那、大きな一太刀が手と手の間を切り裂いた。引っ張られる力がぷつんと途切れる。

「え?」

 巻きついていた蔓草が鋭利な切り口を見せて揺らぐ。途端、灼けつく熱気が背後からリクを抱きしめた。気がついたヒナタが振り向いた。落涙のようにこぼれ落ちるこちらへ手を伸ばす。
 ――兆域には必ず二人以上で行くって決まりがある。一人だと最悪、足をひかれる。
 ノイズ混じりの声が甦る。黄泉路を辿る。境のルール。
 ――足をひかれるって……誰に。
 決して振り返ってはならない。
 ――死者にだ。

『歩き出したなら、振り返るな。戻れなくなるぞ』

 後背から、無数の炎が蛇のように飛び出した。

「来るな!」

 ヒナタの手を払いのけた。来てはならない。振り返ってはならない。それでもなお、炎を畏れず手を伸ばすヒナタへ叫んだ。「戻れ!」「リク! 手をとれ!」その手をとればどうなるか分かっている。彼もきっと分かっている。
 これはあの時の繰り返し≠セ。喉が張り裂けんばかりにリクは吠えた。

「――帰るんだ! ヒナタ!」

 視界が朱く染まった。自らの意志で振り向けば、何もか焼き尽くすような熱気が視界を埋め尽くした。ナギサの街で見た悪夢。だが、今度は違う。戻らない男はヒナタではない。
 自分自身だ。
 舐めるような熱さが喉を通り、全身を駆け巡る。けれど不思議と、払いのけた右腕だけは海底の冷たさを保っていた。
 白いハンカチと絡み合うヤドリギが、新たな芽を出していた。





 水の中、少年は目を覚ました。ギルガルドの半憑依が弾かれる。トドグラーが歓声をあげ、ギルガルドがぎょっとする。黒々とした少年の瞳が大きく見開かれ――口を押さえた。真っ青な顔で必死に水上を指さすジェスチャーに、トドグラーがしげしげとその顔を見つめる。訝しげな、相手が誰か、判断しかねている様子で。少年の顔色は真っ青を通り越して土気色に変わりつつあった。
 どん、と水中が大きくうねった。青い蝶の群れが流星のようにさざめき、その向こうから白々とした不定形が轟く。一直線に少年へと引き寄せられるように近づく。あ、と口から手を離した少年は、両手を拡げて彼女を迎え入れた。ぐぅっと全てを飲み込んで、不定形は上昇を始めた。サニーゴだったものが少年達を抱き込んで水面の境界線を通過した。ぱん、と噴水のように少年達が打ち上がる。

「ぷは!!!!!」
「ウォ!」

 落下。水面下から、巻き込まれたネオラント達が銀色の風をいっせいに吹きつけた。ぐんぐん近づく水面に叫んだ。

「――コーラル! 水の波動!」

 奇っ怪な、声なき声が歓喜に咽ぶ。不定形の全身が震え上がった。中心のサニーゴから同心円状に超音波が発生する。小刻みに跳ねる水面から下へ、超音波がネオラント達が海底に叩きつけた。直後、ぶつんと、力を使い果たした不定形が弾け飛んだ。パラパラと雨のように降る欠片のさなか、落下する少年達が頭から地下湖へ突っ込んだ。少年の視界が一変し、水中で発生した気泡が上へと遁走する。「ウォン!」トドグラーが接近した。尻尾にはギルガルドが掴まっている。トドグラーの小さな瞳と、少年の目が合う。
 初めまして、助けてくれ。少年が水中で口を動かした。
 応えたトドグラーが少年の真下に滑り込んだ。上へ。猛スピードで陸を目指す。逃げるためではない。体勢を立て直すためだ。後ろ髪を引かれる水底に、まだ取り戻すべきものが残っている。
 お前の体、少し借りる。呟きを水底に落とし、ヒナタ≠ヘトドグラー達と浮上した。跳ねるように陸上へ飛び出る。動きは――悪い。視界は低いし勝手が違うし重たい疲労が纏いつく。駆け寄ってきた影は複数あった。暗くてよく見えない。リクの体で、ヒナタは目を凝らした。レインコートの少年、身軽そうな少女、そしてエイパム。ひとまず誰一人として敵意は感じない。(歳が近い。友達かな)意外だったのはエイパム――ゲイシャがいたことだ。トドグラーと同じく、彼も一歩手前で困惑して立ち止まった。ヒトモシがちまちまと複数寄ってきて、物珍しそうにこちらを窺う。周囲が少し明るくなった。困惑するエイパムへ、ヒナタはへらりと笑った。

「久しぶりだな、ゲイシャ」
「リクちゃん、頭打った!?」

 少女が真っ青な顔で言った。何処か見覚えがある顔だな、と顎に手を当てる。「あ、あー……あ、あーあー! カイトによく怒られてた子か!」名前までは思い出せないが、レンジャーだったはず。がびーん、と少女は更なるショックを受けた。

「コダチだよぉ! リクちゃんがキオクソーシツになっちゃったああああああああ!」

 泣き出した少女――コダチをまぁまぁと宥める。レインコートの少年は、コダチの後ろから強い視線を投げかけていた。片腕を抑えているところを見るに、負傷しているようだ。隠れているゴーストポケモン達の気配もある。(さっぱり状況が分からんな。ここは……地下か? カザアナ?)少し離れた場所にシャンデラとランプラーの灯りが見える。そばに立つ、背の大きく曲がった影にも見覚えがあった。一番状況を知っていそうな相手に片手を大きくあげる。

「おーい、キプ」

 カ、と呼びかけたヒナタの片腕を、誰かが掴んだ。震えてはいるが、かなり強い力だ。顔を向けると、昏い双眸の少年が蒼白な顔で問いかけてきた。

「君は誰だ」

 ミシ、と骨が軋む。(いや、お前こそ誰? ……まるで分からん。リクとどういう関係なの?)うーん、と悩み、正直に答える。「俺はヒナタ。色々あって体借りてるんだけ――どッ!?」肩を掴まれた。至近に迫った少年の両眼に、切羽詰まった色が滲んでいる。

「リクを返してくれ」
「まーてまてまて! 返さないとは言ってない借りてるだけだ!」
「なんでリクが……リクは何処にいる? 君は……いや、貴方≠ヘ……」

 へな、と少年の力が抜け、泣きそうな顔でヒナタを見つめた。手を引き剥がし、ヒナタは息をつく。「今は時間がないから、悪いけど後でな。おいキプカ! 相談があんだけど!」「リクちゃんがキプカさんを呼び捨てにしたー!」「だーから違うって! ちょっとこっちに来てくれキプカ! キプカ?」
 キプカはこちらへ来ず、足早に立ち去ろうとしていた。

「……仕事は終わった。後は適当に引き上げろ」
「相変わらず話聞かねーなぁ!? そんなこと言うなら俺も好きにやるぞ!?」
「……なんだと?」

 キプカが片眉を上げた。ヒナタは軽く屈伸運動をして短いならしを終えると、トドグラーの頭をポンと叩く。「ウォ」トドグラーが頷く。「待て」キプカが指を鳴らした。返事も待たずに水中へ戻ろうとしたヒナタとトドグラーを、ゴーストポケモン達が取り囲む。

「……何をするつもりだ?」
「リクを助けに。置き石を壊してくる」
「意味が分かってて言っているのか?」
「おう。リクを助ける為だ。俺と入れ違いに入ったんだろ?」
「……テセウスの封印も、壊すことになるぞ」
「だったら他の方法教えてくれよ」

 ヒナタがニヤッとした。「……糞餓鬼が」キプカが毒づいた。
 
「……他の方法などない。諦めろ」
「そういやギルガルドがいたな。これ使うのか?」

 ヒナタがギルガルドの柄を両手で掴んだ。隙ありとばかりに霊気が手のひらから這い上るが、「うわっ気持ち悪っ!」ブン、とすぐに放り出した。ガランガラン、と騒がしい音を立ててギルガルドが地面に転がる。恨みがましい気配がヒナタへ向けられるが、本人はまったく気がつかない。鈍感なのだ。

「……そいつは俺か、トモシビの人間にしか従わん……貴様は、マシロだろう……」
「え? てことは俺を助けるためにキプカが協力してくれてたって事だよな!? マジかサンキュー!」

 キプカが苦虫を噛みつぶしたような顔になった。「ならついでに助けてくれよーいいだろー」ヒナタが口を尖らせる。リクの姿でキプカとやり合うヒナタに、コダチがハラハラしていた。レインコートの少年はトモシビ≠ニいう言葉に、じっとギルガルドを見つめている。少年の周囲には、ゴーストポケモン達が隠れて見張っている気配があった。

「……諦めろ……貴様が戻ったならば、他のジムリーダーも納得するだろう」
「俺は納得してない。じゃあいいよリマルカに頼むから」

 ヒナタが兆域の出入口に目を向けた。キプカが「しまった」と片手で顔を覆う。出入口には、来たばかりの二人とゴーストポケモン達がいた。片方はリマルカ。片方は藍色の髪の少年だ。

「ナイスタイミング。リマルカ、こっち来てくれ」





 リマルカは視線を彷徨わせた。
 攫われた二人。父親の姿。そして見知らぬ少年――が、親しげに手を振っている。「彼がリク君?」ソラに囁き声で尋ねると、彼は迷い気味に頷いた。「そう、だと思います」リマルカの目には、リクの姿に別の、背の高い男が重なって見えた。リクはこちらに大きく手を振っている。キプカは反対に、こちらを見向きもしない。背を向けたままだ。
 そのまま反対方向へ立ち去ろうとする父親を鋭く呼び止めた。「待って父さん!」リマルカのそばから、複数のゴーストポケモン達が飛び出す。対抗するようにキプカのそばからもゴーストポケモン達が飛び出して行く手を阻む。形勢はリマルカがやや悪い。止められない。
 リクがすぅっと息を吸い込み、キプカへ叫んだ。

「逃げんな! リマルカにあのこと<oラすぞ!」
「ゲンガー! そこの糞餓鬼の口を塞げ!」

 レインコートの少年のそばにいたゲンガーがリク――ヒナタへ飛びかかった。その隙をついてレインコートの少年がギルガルドへ飛びつく。キプカの視線がリマルカ、ヒナタ、少年と動く。ホムラがギルガルドを連れて地底湖に飛び込んだ。「追いかけるぞトドグラー!」「ウォ!」止める間もなくヒナタがトドグラーと後を追った。「リク!」逡巡。ソラが、キルリアのボールを放った。手段を選んではいられなかった。飛び出したキルリアは、ソラへかすかに視線を向けるとサイコキネシスでリマルカ側に加勢する。ゴーストポケモンの一部がホムラ、ヒナタの後を追い、残りがリマルカのゴースト集団と拮抗する。リマルカが悲鳴のように問いかけた。

「なんで逃げるんだよ父さん!」
「ポケモンセンターにいろと言っただろう……!」
「ちゃんと会話してよ! じゃないと僕だって、納得出来ない!」
「……話すことなどない!」

 一人だけ取り残されたコダチがぐるぐると頭を抱えて親子の修羅場を見ていた。

「えーっとえーっと、ど、どうしたら良いの!?」

 ポケナビが鳴り響く。役割を見つけたと言わんばかりにコダチは耳に当てた。「はいコダチです!」

『今何処にいる』
「りっ……リーダーあああああああああああ!」

 聞き慣れた上司の声に半泣きで応えた。

( 2021/09/18(土) 23:41 )