暗闇より


















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地下の街
Box.54 いれかわり たちかわり
 突き刺すような冷たさが体の芯まで迫ってくる。夜よりもなお暗い、闇を塗り込めた地底湖の水中を下降する。視界とは裏腹に、聴覚は飽和せんばかりに忙しなかった。気泡音。サニーゴの悲鳴。無数のネオラント達による水のたわみが身を打つ。喧噪のるつぼと化した暗闇の果てにそれはあった。ここに至るまでネオラントと一度も交戦に至らなかったのは、ギルガルドの力の証明であろう。ギルガルドの霊気による軽い操縦を受けながら触れると、見えないが石の感触があった。封印というからには壊したら不味いのだろうが……この場所からどかしたら良いのだろうか? 石は一抱えほどの大きさで、蔓草のようなものが巻きついている。試しに両手で掴み、持ち上げようとしてみた。

「……! ……!!」

 重い。ぴくりともしない。びっくりするほど動かない。
 おい、話が違うじゃないか。リクは背中のギルガルドを叩いた。すると体に纏いつく霊気が濃くなり、体が軽くなった。これなら――ぐっと力を込める。
 動かない。
 おいこら。ぺちぺちとギルガルドを叩く。トドグラーも巨体を押しつけるが動かない。封印というくらいだから特別な力が働いているのかもしれないが、それなら先に言っておいて欲しいと心底思った。
 ――いや、もしかしたらキプカ自身も知らなかったんじゃ? 本来は彼が潜水する予定だったのに、知らないなんて事があるのだろうか? リクを殺すことへのメリットもない。
 呼吸が苦しくなってきた。何はともあれ酸素が足りない。刻一刻と胸を締めつける痛みに、トドグラーを軽く叩く。上へ。浮上を開始すると、急に、背中のギルガルドが重くなった。「――?」叩く。トドグラーもじたばたと上へ向かおうとしている。強めにギルガルドを叩いた。肺の中の酸素は残りわずか。「――! ――!!」叩く。不意に、トドグラーの動きが鈍くなる。重りをつけたように浮上とは逆の方へ沈む。震えが伝わってくる。口を抑えたが、ごぼっと大きな気泡が上へ逃れ、遠のく意識の端から人ならざるものが侵入する。

「……ゥオ?」

 リクがギルガルドを叩くのを止めた。戸惑うトドグラーから自ら手を離し、置き石へとリクは手をかけた。濃霧を思わせる霊気が全身を覆っており、置き石へと滴るように伝わる。先ほどの苦労はなんだったのか、というあっけなさで、置き石が動いた。
 バッと、蔓草が海中を引き裂くように広がった。それは置き石から発生していた――蔓草の形状は、やどりぎによく似ている。リクが置き石を手放したが、蔓草が腕に巻きつく。発生した数え切れないヤドリギに埋もれていきながら、置き石が没していく。と、蔓草の先から、海中にもかかわらず炎が昇った。ぎょっとしたリクが背中のギルガルドを片手に振るうが、蔓草が数を増し、緑の触手のように腕を絡め取る。

「ウォン!」

 突風のように泳ぎ迫ったトドグラーがリクにダイブした。トドグラーの体にも蔓草が襲いかかり、生命を吸い上げる力が働く。体をひねり、抜け出そうともがくトドグラーにリクが手を伸ばした。目と目が合う。リクの目は、尋常ならざる色を映している。
 
「ウォオオ!」
「――!」

 ブチブチィ! と激しく蔓草を千切り、トドグラーが身をたわませた。口腔に冷凍ビームが集束する。リクの目が輝いた。そうだ、やれ! 「ウォン!」「――!」リクはギルガルドを慌てて引き寄せた。冷凍ビームは蔓草を凍りつかせながら、ギルガルドを真っ直ぐに狙っていた。
 これは――誤解が、生じている。

 た わ け !

「ウォン!?」

 口パクで罵るリク――もとい、ギルガルド≠ヨ、トドグラーがむむぅ、と口を曲げた。リクが気絶し、ギルガルドが操っている事に気がついたのだろうが、それは大いなる誤解だとギルガルドinリクは主張した。
 ギルガルドも置き石に触れてみて初めて気がついたのだが、封印解除はリクとトドグラーでは無理だ。理由は、血にあるのだろうと推測する。封印を固くしているのはカザアナの血。故に封印を開くのはカザアナに縁のあるものに限る、と。
 だが頭の先から剣先までカザアナ関係者であるギルガルドがリクを乗っ取れば、グレーゾーン的に干渉可能になる可能性が高い。かくして、その試しは成功した。
 キプカの命令の優先順位は、封印解除>リクを乗っ取らない。緊急事態だったのでリクを酸素不足で気絶させて乗っ取らせてもらった。霊気で保護するアフターフォロー付き。
 問題はトドグラーやリクに相談する時間は一切無かった上に現状も伝える手段がないことだが。
 そして封印解除のせいかリクの魂が、どっかいったことだが。一度魂がすっぽ抜けた経験があるだけに、飛びやすくなったらしい。

ご か い だ !
「ウォオオオン!!」

 トドグラーがべちべちとギルガルドを攻撃した。話し合いは不可。ひとまず蔓草を退けなくては。霊気を広げ、ネオラントを呼んだ。ワッと青い蝶が集う。
 奇っ怪な声をあげ、サニーゴもやってきた。
 声なき悲鳴をギルガルドが叫んだ。ネオラントとサニーゴが交戦を継続しながら、そのひとかたまりでやってきた。「ウォン?」トドグラーが目を丸くし、ネオラントが銀色の風を水中でまき散らし、サニーゴがボコボコと蠢く。混戦に混乱の中、やけくそ気味にギルガルドはリクをもってして自身を振るった。ザン、と腕に巻きつく蔓草を一太刀で切り裂く。

「……あ?」

 ごぽ、と気泡が上がり、リクの目の色が更に変わった。





 ほんのわずかに時間は遡る。
 二度目ともなれば状況判断も早くなるというもので、先ほどまで海中にいて呼吸もままならなかったのに急に楽になったこと、キプカの警告――入れ替わりで封印されるかもしれない、という話から、早々にリクは自分の状況を察した。つまり、魂が離れているのだ。戻ってこれるのかどうかはさておき、あの時と状況が同じだと言うのなら、今度はサニーゴではなく探し人に会えるはずだ。

「……暑い」

 濃霧が視界を塞いでいた。感覚的な世界であるはずだが、熱気の空間に汗が滴る。熱気を強く感じる方へ向かった。
 ノロシとヒナタが戦った場所は、下に行くほど熱気が強くなった。ならばヒナタがいるのも、熱気のその先だと予感したのだ。足下は地面の感触。ふと、腕に奇妙な感覚を覚える。ヤドリギがまとわりついていた。リクから発芽したのではなく、発生源がどこか分からない場所から伸びてきている。驚いたが、嫌な感じはしない。濃霧を切り進むと、やがて視界が晴れた。鋭い岩が連なった場所だ。円上に取り囲む岩の中に、赤い髪とモッズコートの後ろ姿があった。

「ヒナタ!」
「……お?」

 振り返ったヒナタが目をぱちくりさせた。あの大空洞で別れてから、もう何ヶ月も経ったような気分だ。実際に会うと熱いものが込み上げてきて、涙が出そうになった。泣かないと決めたのだ。目尻に力を込めて涙を耐え、リクはヒナタに詰め寄った。

「なんでノロシに負けてんだよ!」
「は?」
「勝つって、言っただろ! なのにいなくなって、オニキスもコーラルも……! なんで、なんで戻ってこなかったんだよ!」

 ヒナタが顔を近づけ、じっとリクを見つめた。眉間に皺を寄せて、難しい顔で考え込んでいる。ちゃら、とヒナタの首元から黒焦げのペンダントが落ちた。チェーンも煤けた色に染まっている。

「……お前、名前は?」
「えっ……リク」
「リク……リク……ノロシ……?」

 臨死体験をしていることで、記憶があやふやになっているのだろうか。記憶だけならまだしも、自分自身さえも分からなくなっていたとしたら。ヒナタがポンと手を打つ。

「お……あー! 思い出した! そうかお前! 箱詰め出荷のリクか! なんでここにいるんだ?」

 こけた。

「あーのーなー! その覚え方はどうなんだよ!?」
「悪い悪い! あの後無事に家に帰れたか? 最後までついてってやれなくて悪かったなぁ」

 ハハハとヒナタが笑った。「でも本当になんでここに? お前はオニキスと一緒に脱出させたはずだろ?」笑顔の中心で、問いかける瞳が細くなった。

「……ヒナタをここから出しに来たんだ」
「どっから入った?」
「そもそもヒナタは、此処がどこだか分かってるのか?」
「約束の場所だろ?」

 刹那、応えるように炎が立ち上った。反射的にリクが体を退けると、ヒナタの姿が炎の向こう側へと。触れた炎は実際の熱さを伴っており、吹きつける熱気は本物だ。ナギサタウンで見た夢と同じく、リクは叫んだ。「ヒナタ!」ヒナタは肩越しに振り返り、円上に連なった岩の中心へ話しかけていた。

「俺は行くよ、またな。……心配すんな。色々考えて、一番良い方法を探してみる」
「誰と――」
「おう、悪いな」

 ヒナタが炎の中から歩み出た。「お前が来た方向ってどっち? というか、どっから出るんだ結局? ――ああ、そっちか」リクが答えるより前に、ヒナタが手をとって歩き出した。

「今、誰と?」
「テセウスだよ。お前、ここがどこか分かってて来たんじゃなかったのか?」
「いや……封印の下ってことしか……」

 リクはあの場所から出るのに苦労したのに、ヒナタは道が分かっているかのように歩く。なんで、と問う視線に「お前が落として来ただろ」とヒナタが示した。道の先には、ぽつぽつとヤドリギが、獲物もいないのに発芽している。

「なんでヤドリギがこんなところに?」
「ジェドかな、たぶん」

 ヒナタが腰のモンスターボールをとってみせた。中にはノクタスが収まっており、目を閉じて眠っている。ヒナタが濃霧の海に落下した際、一緒にいた最後のポケモン。ヒナタと一緒に、この場所に魂の半分が閉じ込められた。道しるべのヤドリギが踏みしめるたびに発芽し、順々に道を示し、振り返れば――「リク」ヒナタの声に、リクは前へ顔を向けた。

「歩き出したなら、振り返るな。戻れなくなるぞ」
「……?」
「なんとなく俺も自分が死にかけてるってのは分かってるんだよ。ツキネのこれがなかったら危なかったかもな」

 ヒナタが首元のペンダントを引っ張った。事件が起こるしばらく前にツキネに渡されたものだ、と話す。

「あいつ、予知夢が使えるんだ。見たい夢が見れる訳じゃないし、突然、途切れ途切れに見えるだけらしいけど。で、危険な予感がするからこれ持ってけって。身代わり≠チて技が入ってるんだけど、本当に使うことになるとは思わなかったよ」

 ペンダントを胸元に仕舞い、リクの手を固く握って前へ前へと進む。手のひらはじっとりと湿っていた。
 何か、おかしい。沈黙を恐れるかのように、ヒナタは饒舌だった。

「たぶん体は助かってどっかにあるんじゃねーかな。推測だけど、ジェドはモンスターボールに入ってたから無事なんだと思う。でもアイツも半死半生みたいなもんだから、こっちにアクセス出来た。マグマの下にはテセウスが眠ってるってのは有名な話だけど、オレはツキネのお守りのお陰で魂だけ転げ落ちたというか……まぁそんなとこ」
「あのヤドリギはノクタスの?」

 ヒナタが首肯する。
 ポケモン図鑑によると、ノクタスは夜、旅人の後を延々と着いてくる。それは旅人が力尽きるのを待っているためだそうだ。「出会ったとき、俺が力尽きるまで着いてくってな事主張してたけど、本気で着いてきてくれたな」半分怖いことを朗らかに告げる。

「お前の方は何があった?」
「……ヒナタに、聞いて欲しい事がある」

 リクは立ち止まった。

「それは外に出てからじゃ駄目か?」
「今話さないといけないことなんだ」
「分かった」

 ヒナタは前を向いたままだった。先ほどの振り返るな≠ニいう言葉が関係しているのだろう。濃霧は薄い霧となり、ヒナタを見つけた場所を離れるほどに水中の冷たさが身に迫ってくる。気泡音が遠くから聞こえてくる。
 主を捜し求める鳴き声が、かすかに聞こえてくる。

「コーラルが死んだ」

 アカに小箱を受け取ったことから、ゴートシティが落ちたこと、サザンドラが動かなくなってしまったこと、サニーゴが変貌したことまで、隠さずに全て伝える。静かにヒナタは聞いていた。話し終え、リクは沈黙して言葉を待った。
 ヒナタが言った。

「人間みんな、いつかは死ぬぜ?」

 その言葉は、初めて会ったときに言っていたことだ。表情の見えないまま、その赤毛の後頭部を、大きな背中を、リクは見上げた。ヒナタはリクの手を握ったまま再び歩き出した。気泡が、水音が、曖昧に浮上する。

「ポケモンも同じでさぁ、事故かもしれないし、人為かもしれないし、場合によっちゃ自然死もある。あちこち旅してると、久しぶりに会った奴のポケモンがいなくなってて。ボックスに預けてるとか、譲ったとかじゃなくて、あぁ、死んだんだなって、なんとなく分かるんだよ」

 黙って言葉を聞いていた。
 
「だからいずれはそうなるだろうなとは、思った」

 ずっとのんきな男の声音は、独り言のようだ。
 ヒナタは責めなかった代わりに、赦しの言葉も与えなかった。ただ、自分はこう思う、という言葉を連ねた。
 それが彼なりの答えだった。

「だから俺もあいつらも、後悔のないように生きてやりたい。でも、」戻るべき先から、呼び声が、遠く、近く。リクの腕を伝っていたやどりぎが、繋いだ手からヒナタの腕へと這い上っていた。

「駄目だな。まだまだ後悔しそうだ」

 ヒナタが笑った気配がした。

( 2021/09/18(土) 23:39 )