暗闇より


















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地下の街
Box.53 きみと別つみち
 ギルガルドは古来より、王の素質を見抜くポケモンだと言われている。
 認めたトレーナーに力を貸し、己の霊力をもってして周囲のポケモンや人間を意のままに操る。同時にトレーナーの生気を少しずつ削り取る一面を持っている為、使い手のほとんどは短命である。国家の隆盛、人の業。命を削られてもなお、人は誰かを操る力を求める。
 トモシビとカザアナも、そのような関係であった。カザアナには置き石が沈められている。代々、墓守が置き石の秘密を守る。

「何故置き石がカザアナに存在するか分かるか?」

 キプカが笑い、ギルガルドの盾を撫でた。そこに刻まれた歴史を確認するように。

「絶対に<eセウスが復活しないようにだ。許されないようにだ」

 テセウスは自らの誓いと約束により地下へ潜った。トモシビには約束の炎が存在するだけだったが、後の人々が上から封印を重ねた。彼らは、テセウスの力を恐れた。時代が下るごとに伝承は歪み、分岐し、テセウスが罪を償おうとしているのか、それとも復活を企んでいるのか、分からなくなっていく。
 カザアナは地下の街。元々は罪人を押し込める場所だ。トモシビ出身の墓守が彼らをとりまとめ、罪人共が死ねばその地に埋葬する。置き石の場所にカザアナを選んだのは、血を捧げるためだった。穢れた者の封印には、穢れた血を。テセウスの魂を慰めるために≠ニ墓守は話し、ギルガルドを使って街を治める。今でこそ輸送路が補強され、安全に行き来が出来るようになったが、当時は危険な地下道であった。輸送を担うのは罪人達である。
 やがて時代は更に下る。
 カザアナという場所が罪人の街でなくなっていき、普通の街と表向きは扱われるようになっていくことで、墓守の血も薄れ、トモシビではなくカザアナの民がその役目を担うようになっていく。操る必要がなくなり、ギルガルドも不要になった。その存在が代々のジムリーダーに伝えられるだけとなる。

「――それが、どうしてコイツを使うことになったんだよ」
「ネオラントと石をどかす奴を操るのに必要だろう……」
「オレがこいつを渡したら、あんたがオレを操るんじゃないか?」
「……思ったより……賢いな……」
「だったらやっぱり渡すわけにはいかないじゃないか!」

 今の話は、ギルガルドを渡す交換条件にキプカが話した内容だ。ギルガルドは既にキプカの手に渡ってしまっている。リクは手を伸ばしたが、ランプラーとシャンデラが壁のように阻んだ。ぼぼぼ、と炎が笑みの形に広がる。

「……そう焦るな。そら」

 ギルガルドの柄がリクへ差し向けられる。すぐには受け取らず、警戒も露わにリクは問いかけた。

「渡すのか?」
「……サニーゴが地底湖に入った瞬間、俺が……侵入者を連れて地下湖に飛び込む予定だった……距離が近い方がいいからな……だがお前が……ギルガルドを持って単身飛び込むなら……話が早い……お前がギルガルドを使って……ネオラントを退けろ……」

 受け取りかけた手を、エイパムの尻尾が遮った。剣呑な表情で尻尾の先をキプカに突きつける。キプカが半眼になった。

「……墓守たる俺がギルガルドに命じたのだ……糞餓鬼が操られることはない……生気は吸われるがな……」
「ゲイシャ」
「き」

 エイパムの尻尾を片手でどけ、ギルガルドの柄を両手で持った。柄から伝わってくる奇妙な感覚が、手のひらを通じて内部へと進入を試みる。力を込めてギルガルドを振った。リクの身長よりもギルガルドは大きかったが、重さを感じない。ギルガルド自身では動けないが、使い手がいることである程度自由が利くらしい。
 
「お前よくこんなもん持って歩いてたな」

 エイパムがずっと盾を引きずって歩いていた事を思いだし、改めてポケモンの力の強さを感じる。尻尾一本で自重を支え、木から木へ移動する事が出来る彼にとっては苦ではないのだろう。その気になればトドグラーだって、エイパムだって、リーシャンでさえもリクの首をへし折れる。
 テセウスが本当に復活を望む悪いポケモンだったのか、それとも自責から自身の意思で潜ったのか。どちらにせよその力が本物なら恐れた気持ちも分からなくはない。薄くまとわりつくギルガルドの霊気に、ひやりとしたものが背筋に降りる。喉を鳴らすとキプカが揶揄した。「……恐れるか?」不敵に、見えるように笑い返した。「別に。オレが逆に、あんたを操れるんじゃないか?」
 キプカがぱっくりと、三日月のように口を開く。

「強がるな……くく……」

 図星だった。虚勢さえ張らせてくれない相手に羞恥と怒りがわいてくる。細く開いた口から、嘲笑混じりの警告が飛ぶ。

「お前にトモシビの血が流れていれば従ったかもしれんが……違うのなら万に一つも従うまい……変な気は起こさないことだな……」

 リクが舌打ちする。どっちみち、やるしかあるまい。「こいつ泳げるのか?」キプカが馬鹿にした目で見てきた。「剣が泳げるわけ……ないだろう……」泳げるわけ、ない。くらっと立ちくらみを起こしそうになる。じゃああんたは、何をどうして潜水するつもりだったんだ?

「あのなぁ! こんなでっかい剣持ってまともに泳げるわけないだろ!」

 リクが喚くと、ギルガルドが両手を広げて背後へ回り込んだ。おんぶのようにしがみつく。ギルガルドが刀身をバタつかせると、下手くそなバタフライのようだ。重さをあまり感じないとはいえ、掴まれているリクの体が冗談っぽく揺れる。ケラケラとシャンデラが笑った。「あー……いいからいいから」ギルガルドが下手くそバタフライを止めた。脳内でキプカの姿と合成し、ぷっと噴き出す。

「……言っておくが、ゴーストポケモンに水中・地上は関係ない……俺が泳がずとも……問題はない……」
「オレにそのゴーストポケモンをつけたりとかは……いや、いい」

 どれもこれもキプカの子飼いのような気がしてならない。逆に置き石の封印に、喜々として置き去りにされそうだ。諦めてギルガルドを背負った状態で体を軽く動かしてみる。「なんとか……やれそうな……気が……?」どしん、とトドグラーが前から体当たりしてきた。「うぶっ!?」「ウォ!」キプカがポンと手を打つ。

「……そいつが泳げば良いだろう」
「ウォ!」

 キラキラした目でトドグラーが同意した。ギルガルドとトドグラーに挟まれつつ、リクは困った顔になる。
 
「でもタマ……お前、危ないんだぞ……万が一お前が封印とかなったら……」
「ウォウ」

 トドグラーがぐりぐりとリクに頭を押しつけた。

「……道連れがいた方が、寂しくないんじゃないか……? くく……」
「いい訳ないだろ! お前はゲイシャと留守ば……うぐっ!」
「ウォ!」

 ずもっとひときわ強くトドグラーがのしかかり、リクをギルガルドごと押し倒した。リクと地面に挟まれる形でギルガルドが地面に押しつけられる。エイパムがトドグラーの尻尾を引っ張った。
 
「き」
「ウォ?」
「きき、きー」

 ぱたぱたと尻尾を振り、あきれ顔でリクの腕を引く。「ゲイシャ?」ギルガルドを背中にくっつけたままリクは立ち上がった。連れられるまま地底湖に近づく。キプカが目配せすると、シャンデラが再び地底湖に複数の鬼火を灯した。輪になって広がっていく鬼火が水面下を照らし出す。

 びっしりと、青い蝶が群がっている様が見えた。

 リクが息を呑み、わずかに身を退いた。ネオラントがいることはキプカに聞いたが、予想よりもずっと数が多い。エイパムが尻尾を振るい、スピードスターが水中へと流星のように降り注いだ。水面下でなおも輝く星の群れがネオラント達を切り裂くと、赤い血が青の地下湖に広がっていく。「おまっなんで――」「きー!」逸らすな、と尻尾がリクの顔を押し戻す。
 それはわずかな時間だった。ネオラント達が集っていき、傷ついたネオラントは、赤い血とともにいなくなった。
 それが何を意味しているのかリクは理解した。ミナモシティでは、水ポケモンに接する機会が多い。動かなくなった水ポケモンが波打ち際に打ち上げられている事だってあるし、沖の方まで泳げばそういった現場を目にすることもある。ふっと水面が揺らいだ。エイパムがリクを引く。「きぃっ!」「あ、わ――っ!」ぐるんと半回転したリクの背でギルガルドが、えっ? と目を瞬く。鱗粉混じりの強い風が水面を切り裂いた。ネオラントの銀色の風がギルガルドに叩きつけられ、金属音が反響する。収まると、リクとギルガルドの影に隠れていたエイパムが顔を出した。

「お前……何したの……?」
「き」
「……今ので分からんとは……頭が悪いな……」
「突然すぎて分かるわけないだろ!」

 くるくると空回りする頭を動かし、確認の言葉を吐き出す。
 
「つまり……オレ一人で入ると……危ないからタマと一緒に行けって……こと……?」

 エイパムが力強く頷いた。その証明の為にわざわざネオラントまで攻撃してみせたらしい。静寂を取り戻した地底湖を横目に、リクはギルガルドを降ろした。キプカが面白そうに目を細める。リクは服を脱ぎ、上着にズボンや靴下、靴もまとめて縛った。
 
「預ける」

 エイパムに一式渡す。エイパムが見つめる前で、白いハンカチを右手首に縛った。

「賭けようぜ、ゲイシャ」
「……?」
「オレが戻ったら、それ返せよ。オレが戻らなかったら――タマとシャン太を頼む」
「きき」

 シャン太がポケモンセンターで保護されている事は、キプカから知らされている。リクもエイパムも大いに胸をなで下ろし、最初から生存を疑っていなかったのかトドグラーは両手を叩いた。
 まとめられたリクの服と靴を両手で抱きかかえ、足りないんじゃないか、とエイパムが尻尾でハンカチを指す。

「これはオレの約束だから、預けるわけにはいかない」
「きー……」
「それに、タマもいるしな」

 トドグラーの頭に手を乗せると、すり、とトドグラーが自ら頭を手のひらに押しつけた。

「時間が来たら、置き石まで連れて行ってくれ」
「ウォ!」

 任せろと威勢の良い返事。キプカへ尋ねる。「コーラルはいつ?」「もう来る」境界付近の道からわあわぁと騒がしい気配を感じる。リクとトドグラーは気を引き締めたが、飛び込んできたのはまったく別のものだった。





「うひひっ!」

 ヨマワルが先頭で音頭をとってやってきて、連なり飛び込むゴーストポケモンの群れ。黒々とした塊から人の手足や服が飛び出している物体がキプカの眼前へ放り出された。ランプラーが人っぽい影を照らした。「コダチ?」「うぅ……」片方は見覚えのある馴染みの少女で、乗り物酔いしたかのように顔色が悪い。「なんでここに……」コダチはレインコートの人物を掴んでいる。「そっちはソラ?」ギルガルドを背中に引きずりつつ、二人に駆け寄った。レインコートもコダチと同じく気分が悪いのか、俯いたまま動かない。

「……不要になったと連絡するのを忘れていたか。まぁいい」
「あんたがここに?」
「目が回るよぉ……きぼちわるい……」

 リクは背をさすった。「ソラ、リアに癒やしの波動をかけてもらえないか。……ソラ?」返事のないレインコートへ声をかけると、ゆっくりと顔が持ち上がった。ソラではない、と気がつく。相手は呆けた顔でこちらを見て、言った。

「……怪我は」
「は、」
「してないか」

 予想外の言葉に、リクは目を瞬いた。「……自分の右腕をまず見ろよ」相手の右腕は、暗がりでも異様な状態だと薄ら分かる。自分の状態が分かっていないはずはない。だが茫洋とした昏い瞳は、ひたすらにこちらの安否を問いかけていた。

「大丈夫なのか?」
「だからお前はその前に――」

 言葉を切る。こちらが答えなければ進みそうにない問答に言葉を変えた。「オレは別になんともない。それより、その腕は火傷か?」問いには答えず、相手は息を吐いて表情を緩めた。

「なんともないなら、良かった」

 言葉がりんと、鈴の音のように記憶に重なる。
(「何があった。君を、絶対に責めたりしないから。お願いだ、話してくれないか」)
 隙間風が思考を遮った。「……おい」キプカが近づいてくる。「……侵入者。目当ては置き石か……?」長い前髪の間隙から見下ろしてくる。侵入者、という言葉に沈黙が落ちた。

「……やはり沈めるか」

 本気の垣間見えるキプカの言葉に、コダチが勢いよく跳ね起きる。「駄目!」駆け込むような素早さで割り込んできた。「怖い単語が聞こえたから駄目!」ぶんぶんと腕を振るコダチをリクが制した。
 
「オレが行くって言っただろ」
「リクちゃん!?」

 コダチが目を丸くしてリクを見つめた。生きてて良かったと続きそうな口を抑え、「後で」と告げる。

「なんでコダチも一緒に連れてきたんだよ」
「知らん……勝手についてきたんだろう……」
「だってだってみんなでわーって連れてこうとするから咄嗟にもごもが」
「とにかく! こいつらは関係ないんだからポケモンセンターとかに帰せよ。約束だろ」
「……もう*ウ理だな」
「無理なわけ――!」

 その時、全身の肌が粟立った。暗闇の奥からやってくる気配。遅々とした速度で身を引きずる音が、威圧感を伴って近づいてくる。兆域の境界へ全員が目を向ける。濃密な闇が染み出し、キプカが呟いた。「……魂の重みで、動きが鈍いな」

「糞餓鬼。準備しろ」
「分かってる。タマ、行くぞ」
「ウォン!」

 地底湖へ足を向けると、腕を掴まれた。異様な感触の手のひらに瞠目する。どうして、そこまで。火傷している手のひらの力は強く、有無を言わさぬ瞳がこちらを射貫いた。

「君は、何をするつもりだ」

 リク自身にもその答えはない。ただ、やると決めたからには意思を変えるつもりはない。
 
「お前に関係ない」

 早くしろ、とキプカが言った。押し問答している時間はない。威圧感の満ち満ちる空間の暗中で、境界を越えようとするものが蠢いている。拳に力を込め、突き放すように言った。

「お前、オレの敵だって言ったよな」

 相手の目が揺らいだ。
 
「だったら離せよ」

 腕を振り切り背を向ける。トドグラーと一緒に駆けだした。

「タマ、行くぞ!」
「ウォ!」

 サニーゴだったものがずぶずぶと地底湖に身を沈めていく。水面下の青が不穏に色を変え、ネオラント達が集っていく。青き蝶の群れはサニーゴに沈み込むと、決して同じものにはならず、銀色のさざめきを炸裂させた。サニーゴの奇っ怪な悲鳴が響き、不定形の体が青と濃赤に侵食されていく。
 地底湖のネオラントがそちらに集中するほどに、隠されていた水底が姿を現した。背負ったギルガルドに叫ぶ。「場所まで誘導してくれ!」細い霊気が立ち上り、リクとトドグラーの体を濃く覆う。ぬるいような冷たいような不思議な感覚だ。トドグラーが先に地底湖に飛び込む。「ウォ!」リクも続き入り、その背に掴まった。
 ミナモシティで物心つく前から海に馴染んできた。
 泳ぎは得意だが、実際何処まで呼吸が止められるかは試したことがない。水中で耳抜きをした。水圧の変化による鼓膜の痛みを防ぐためだ。まとわりつく霊気が進むべき先へと導く。
 潜水を開始した。

( 2021/08/08(日) 12:05 )