暗闇より


















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カジノの街
Box.35 Denial―否定―
 今回、被害を受けたのはゴートだけではない。同時期にシラユキタウンも急襲を受けている。思い返せばナギサタウンが襲われた時、同時にミズゾコタウンも襲われた。それはそれとしても、だ。よくもまぁ、雪崩で閉ざされた街にアクセスできたものだなとボルトは感心していた。自分はテレポートの使えるポケモンがいるが、敵にもいただろうか。炎タイプかつ、テレポートが使えるポケモンといえば該当するのはブーバーかウインディか。まだ報告の上がってないポケモンだな、と頭のリストに追加した。
 シラユキタウンは優秀なジョーイを輩出する街であり、ジムリーダーはその血筋に珍しい男性である。ピンク頭をした酒好きの温泉狂いだが、医療の腕は折り紙つきだ。その為、サニーゴの件で電話をかけたのだが、圏外だった。シラユキタウンの補助をしている四天王にかければ『なんですか?! 今ちょっと忙しくて……!』と慌てた声が返ってきた。ジムリーダーは急用で街を預けて不在だ、と。襲撃の少し前だったらしい。街が雪崩で閉ざされようが、ピンク頭なら本人の実力で突破可能である。だが、温泉好きで滅多に街を出たりはしない男だ――何かある。
 敵の数は、と問う。二人と返ってきた。馬鹿でかい声の男と、小柄な人物。確認済みのポケモンはリザードンにギャロップ。「でかい方は何とでもなる。ちっこい方は外さず捕らえろよ」『なんですかそれ! 両方捕縛しますから!』ムッとした声が返ってきて、からからと笑った。通話を終えた。
 医療の要のシラユキに一人、扱いの難しい街――サイカとゴートに一人ずつ、そして最年少のカザアナタウンに一人。現在トップが不在のチャンピオンリーグは四天王が隙間を縫って管理している。ゴートとシラユキはこれで動けなくなった。サイカとカザアナを補助する二人に負担がかかることだろう。サイカの補助をしている四天王の事を思いだし、事が終われば貸し1つと言うだろうな、とげんなりする。サイカのジムリーダーだった頃から、欠片も変わらず性悪野郎だ。ゴルトは内心で毒づいた。
 半壊のスカイハイが窓から見える。代わりのホテルの最上階を貸し切った。広く豪奢な部屋だったが、使うベッドは一つだけ。大きなベッドに長い髪が広がっている。ふかふかの枕に深く頭が沈み込んでいた。ムシャーナだけが傍で抱き枕のように寄り添っており、メタグロスにマリルリは救助活動に参加している。陣頭指揮を執るメタグロスはツキネが眠っている間、持ち前の高い知能を生かしてゴートの管理を行ってきた実績がある。任せて問題ない。
 ムシャーナの体は通常の3倍に膨れ上がっていた。端の方から抑えきれない黒い煙がかすかに漏れている。あの事件があったのは一昨日のこと。リクはスカイハイの外のポケモンセンターに、何者かによって連れて行かれていた。痺れでの全身麻痺と中途半端なテレポートによる心身の消耗が激しく、安静が続いている。ソラから昨日報告があった。治療中だった手の傷は再出血していたそうだ。
 「元の地方に、いい加減帰してやったらどうですか」ソラは言った。「サイカのジムリーダーが、オニキスの身柄を欲しがっていると聞きました。あの人ならノロシの事もどうせ上手くやる。ここにノロシを呼ぶことが目的だったなら、リクの役目はもう終わったんじゃないですか。ミズゾコの港は辛うじて生きている筈です。テレポートで送ってやってください」リマルカがソラに依頼した内容は、ボルトも承知している。
 サイコメトリで敵の素性と目的もある程度割れた。ノロシは来なかったが、四天王いるシラユキを襲撃している以上ただでは済まない。リクの利用価値がノロシを引っ張り出す事にあったのなら、シラユキでノロシが捕まれば役目は終わったと言ってもいい。だが、ツキネが漏らしたリクとホムラの関係は、とても興味深い。
 「悪いが、あいつにはまだやってもらう事がある。本人が関わりたいって言ってんだぜ。がっつり関わってもらおうじゃねぇの」ニヤニヤと告げると、ソラは苦々しい顔で「分かりました」と言った。納得してないと顔に書いてあった。だが彼に、リクを帰す力はない。
 ――やられっぱなしは性に合わない。ホムラが自らの意志で離反する事があれば、嫌がらせとして痛快だ。
 さて、とボルトはムシャーナの口元を撫でた。客に問いかける。

「お前も見るか?」

 この部屋にはツキネにボルト、ムシャーナの他に3匹のポケモンがいた。もう動かないサニーゴと、タマザラシと、サザンドラだ。事件後、真っ先に目を覚ましたのはタマザラシだった。這い出した彼女は、サザンドラに目を丸くした。きょろきょろと、リクは? と目で問いかけてきたので「ここにゃあいない。生きてるから心配すんな」と告げた。すると少し考え、サザンドラの懐へと潜り直した。
 ボルトの問いかけに、今また這い出してきたタマザラシは首を振った。ムシャーナから漏れる黒い煙を警戒し後ずさる。この煙は暴走したツキネの感情と記憶、そしてサイコメトリの結果が詰め込まれた悪夢の塊だ。ツキネがボルトに話したことも入っているだろうし、あえて伏せた事も入っているだろう。「そうか嫌か」と笑う。

「観客は俺だけだ」

 頭をもたげる。
 ばくんと、悪夢へ身を投じた。





 スカイハイは機能を停止した。カジノは中止されたが、リクの手元にはまだツキネへの挑戦権が握られている。本来であればツキネとバトルする時に引き換えるからだ。部屋に飛び込んで会話したのは一瞬で、面会とは言えない――この権利は、まだ効力を残している。
 キルリアもリーシャンも、癒やしの技をかけてはくれなかった。しばらく大人しくしていろ、とソラがキツく言い含めた。それでもなおリーシャンは回復したての身を押してかけようとしたが、今度はエイパムが止めた。
 リクはベッド上で天井を見つめていた。バトルアイドル大会の最後と酷似している。体は疲れているが、心が昂ぶっている。だがそれは、身の内でのたうつ怒りの蛇だった。向かう先を求めて、腹を引き裂き飛び出していきそうだ。声を限りに叫んだ言葉を、蛇は肺腑へと響かせる。殺してやる、と木霊する。心身の痛みに反響する。
 視線をベッドの脇へと向けた。灯りは落とされていたが、カーテン越しの光はくっきりと輪郭を作っていた。壁のタウンマップが読める程度には、日が高い。ルーローとゴートの間に街がもう一つ――トモシビタウン≠ニあった。その下に小さなテーブルがある。新聞が置いてあり、一面を飾るのは焼け落ちるスカイハイだと知っている。壁際ではコダチが体育座りで眠っていた。幸せそうによだれを垂らしている。ソラのクロバットは窓辺にぶら下がり、リーシャンはベッドの枕元で眠り、エイパムは足下で壁に背を預けて目を閉じている。リーシャンはリクを心配して離れなかったし、エイパムはリーシャンを心配して離れなかった。
 コダチがいる理由をソラに尋ねた。「成り行きだよ」と誤魔化された。コダチはリクの監視を命じられ、クロバットは更にコダチの監視だった。ソラはどこかに出かけている。行き先は言わなかった。(あいつも、いつもはぐらかすよな)危ないことはするなと繰り返す彼自身が、危ない橋を渡っている。
 あの時、アイドルキングにパーカーを渡さなかった事について、リクは自問を繰り返していた。そもそもアイドルキングは、なぜ白髪の男が朱の外套集団の人間であることを黙っていたのだろうか。もし仮に自分がそれを知れば、パーカーを正直に渡していたのではないだろうか? ――いや。(信じなかったかもしれない)いまだに、白髪の青年を疑いきれない。彼もまた、誰かに騙された人間なのではないだろうかと考えている。しかし彼が敵であるなら、見事に騙された自分はかなりの馬鹿だ。
 ツキネの言葉を反芻する。(「お前程度が知る必要はないし、何かする必要もない」)利用されるから。目の前の事に惑わされて、正しい判断が出来ないから。考えるだけ無駄だから。だからもう、何も知るな、考えるな――ミナモシティの人びとが忘れろと繰り返したのと同じように。
 リクは目を閉じた。薄い暗闇の中で、瞼上に腕を乗せた。短い間に、色々なことがあった。ありすぎたくらいだ。

(「気をつけて、家に帰りなさい=v)

 ジムリーダーとして、本音を隠したホトリ。

(「お礼ついでに、返却するものがあればと思いましてネ」)

 白髪の青年について、黙っていたアイドルキング。

(「ヒナタさんは、その先にはいないよ」)

 ヒナタの生死について、嘘をついたソラ。
 ――ダウトと、叫びたくなる。吐き気がするほどに嘘つきだらけだ。親でさえ嘘をつく。(「ウミ君は、怪我をして来れないだけだ」)信じるだけ馬鹿を見る。(「今更気がつくなんて、やっぱりお馬鹿さんですわねェ?」)暗闇の奥へ、思考の海へ沈んでいく。無数の瞳が暗がりからこちらを見ていた。苛立ち、不満、期待。身勝手なヤジが飛んだ。傷つけたことも、傷ついたことも、誰も彼も忘れて笑う。

(「でもねぇ、貴方も同じ」)

「……生きていると、後悔ばかりが、募る」

 か細い声が、明暗の強い部屋にぼんやりと溶けていく。数え切れない嘘と分岐点。選んだ道が正しかったのかさえ、分からない。その時その時、必死に目の前の選択をしてきたはずだ。正しいと思う事を選んできたはずだ。

(「考えること=v)

 それは生き残るために必要なことだと、ビュティ・ニコニスは言った。本当にそうなのだろうか。それもまた嘘か? 考えることを止めること。考え続けること。どちらの方が正解に近くて、何も失わなくて済むのか分からない。のたうつ怒りは冷めやらない。(なんでそんなこと、考えないといけないんだ)時間だけがベッド上に重くのしかかる。街を燃やし尽くして、ヒナタを追い落として、サニーゴを殺して――どうしてそんなことが出来る。許せない、と掻き毟りたくなるような怒りが脳内を染め上げて、呼吸が浅くなる。ぎゅっと目を強く引き結んだ。
 考え続けることが生き残る為に必要だというのならば、あの瞬間から、ずっと怒りが、悲しみが止まなくて、長雨のような思考が続いている。みんなが嘘をついていて、手札でさえ裏向きのカードだらけだ。考えることを止めて、気持ちを止めて、あの海辺の街を旅立てたらずっと楽だった。ヒナタの事もリーシャンの事も忘れて、家に帰れば良かった。

(「倒すさ! 俺はラチナのチャンピオンだ。この地方のトレーナーの頂点で、みんなを守るのが役目だ」)

 嘘つき、と、今はいない男に呟いた。





 少し眠って、目覚めるとソラが戻ってきていた。リーシャンとエイパムは何事か会話していた。ソラがカーテンを開くと、日はかなり傾いていた。身を起こすと、無理をするなと心配される。笑ってもう大丈夫だと告げた。「ボルトさんに会いたいんだけど、どこにいるか知ってるか?」「ボルトさんにか? どうして?」「スカイハイがあんなんだから、サザンドラやタマザラシに会いたいんだ」「心配しなくても、無事だよ」安心させるようにソラが微笑む。

「嘘つき」

 リクは、ぴたりとソラを見据えて言った。かすかに目が見開かれる。

「もう大丈夫だって言っただろ。本当の事を教えてくれ」

 サニーゴはヒナタのポケモンだ。あんなことが起こった以上、タマザラシはともかく、サザンドラが心身共に無事であるとは思えない。ソラは探るような目で、リクをじっと見返した。

「二匹とも無事なのは本当だ。嘘じゃない。ただタマザラシは落ち込んでるし、オニキスもショック状態が続いていると、ボルトさんが言っていた」
「……二匹はどうなる?」
「分からない。それ以上は話せなかった」
「だったらやっぱり、オレは会いに行くよ」

 何か出来る確証なんてない。ただ会って、顔が見たかった。ソラは逡巡したが、了承した。リーシャンは定位置のリクの頭にふわりと乗った。続きエイパムが背中に飛び乗ったが、重い、と文句を言うと渋々飛び降りる。リーシャンは念力で浮いているから重さは零だが、エイパムはそうはいかない。

「今日行くのか?」
「うん。じきに夜になる。急がないと」

 服を着替えた。荷物の入ったリュックを背負った。手には真新しい包帯が巻かれている。開いた傷は、まだしばらく塞がりそうにない。準備を整えるとコダチが寝ぼけ眼を擦って起きた。「ふぇ? どっか行くの?」リクはソラを見た。

「コダチちゃん。リクももう大丈夫らしいから行こうと思うんだけど、君はどうする?」
「えっリクちゃん大丈夫なの? かなり魘されてたけど。痛くない? 包帯痛くない?」
「……そもそもコダチは、どうして此処に?」
「えっその、そのぉ〜」

 チラチラとコダチは青ざめた顔でソラを窺った。ソラがため息をつく。「偶然≠アの街に居合わせたんだってさ」「そそそそそそう!! そのとーり!」ぶんぶんと勢いよく頭を振ってコダチが同意する。嘘だな、とリクは思った。コダチはあのステージでサザンドラについて尋ねた。あまつさえ貸してくれとのたまった。理由は謎だが、サザンドラに用があって、この街まで追いかけてきたのだ。

「じゃあコダチは次、何処の街に行くんだ?」
「ええっ!? えっとえっと、えへへへへ……ど、何処行こっかな〜。リ、リクちゃん達は何処行くの!? ひ、暇だし! ついて行っちゃおうかなな〜んて……ひぅぅ! 冗談ですごめんなさあああああい!」

 ソラがニコリと笑いかけるとひゅっと青くなった。何処へ。リクは目を伏せた。知るべき事はたくさんある。やるべき事もたくさんある。
(「……ホムラ。お前がチャンピオンの仲間だというのなら、私は、お前の敵だ」)
 ――あの少年を探さなければ。

「ボルトさんに相談して決めようと思ってるから、まだ何処へ行くかは分かんないかな」
「ええ〜……そ、そおなんだあ〜……」

 がっくりとコダチが肩を落とした。リクが言葉を続ける。「良かったら一緒に来る?」コダチとソラが同時にリクを凝視した。

「いっいいの!?」
「リク、彼女だって忙しいんだから――!」
「暇なんだろ。さっき言ってたじゃん」
「ハイハイハイ! 暇です暇です暇です! ちょ〜暇でぇす!」

 ぴょんぴょんと飛び跳ねて主張する。ソラが反論した。「彼女はポケモンレンジャーだ。ラチナがこんな状況なんだから暇なわけないだろ!」「暇です! リーダーにめっちゃ怒られて、ジタク・キンシンならぬガイシュツ・キンシン・チューです! テキトーにムシャ・シュギョウの旅なりして心身を鍛えてこいとド・ハツテンなので暇です!」コダチが捲し立てた。ソラが焦っていることが珍しく、リクは笑いそうになった。彼としてはコダチについてこられると困るらしい。(でも、オレはコダチの目的を知りたい)恐らく、ソラは先に聞き出している。意地悪な気持ちがむくむくとわいてきたが、できる限り神妙な顔つきを作った。

「ラチナがこんな状態なんだから、女の子独りで放り出すのは可哀想だろ」
「リクちゃん優しい!」

 コダチが両手を合せて目を潤ませる。ソラは酷い頭痛に見舞われているような顔になったが、ため息と共に折れた。「……分かったよ」

「フィ」

 キルリアが不安そうにリクの袖を引いた。赤い角はくすんだ色を発していて、ぎくりとする。(そうだこいつ……キルリアには、人の心を察知する能力があるんだ。いつも一緒にいたからすっかり忘れてた)今までのことを思い返せば、ソラはキルリアを常に外に出し、そばに置き、頻繁にアイコンタクトをとっていた。はっきりとした思考までは読み取れないだろうが、感情の流れがある程度読めるのならば、これほど楽なことはない。赤い角が揺らめく。感情を沈めるよう意識して笑いかける。驚いた顔でキルリアは袖を離した。「もう本当に、大丈夫だよ」「フィ?」本当に? と小首を傾げるキルリアから顔を逸らし歩き出した。
 コダチを連れ、3人でボルトを探した。スカイハイは半壊状態で、メタグロスが統括し、マリルリがあちこちでフォローに駆けずり回っている。メタグロスの傍にいる黒服に見覚えがあった。ツキネの部下でディーラーを務めていた女性だ。傾き始める太陽の下で、彼女の影がメタグロスの影に重なって伸びている。「こんにちは」と声をかけると「こんにちは」と返ってきた。彼女の周りには2、3匹のアンノーンが浮遊し、他はマリルリと一緒に力を振るっていた。

「ボルトさんに会いたいんですが、どこにいるか知りませんか」
「知っていますよ」
「教えてください」
「なぜ」

 リクはポケットからカードを引っ張り出した。

「オレはまだ挑戦権を持っています」
「それはツキネ様への挑戦権ですよ」
「でも今は、面会謝絶で眠ってるんですよね」
「……新聞をお読みになったのですね」

 首肯する。難しい漢字もあったが、ちらりと読み取れた情報もあった。

「今はあいつがツキネの代理だ」
「それはゴルト@lですね」
「あいつ、本当はゴルトなんだろ」

 部下が目を細める。これまでの事を思い返し、推理すればすぐに分かった。ツキネに対する気安い態度に、軽薄な口調。ソラは黙っている。知ってたんだろう、と思う。コダチは「えっ!? ボルトさんってゴルトさんであれ!?」と混乱している。

「代理の今はあいつがジムリーダーなんだから、この挑戦権はゴルトへの面会権だ」

 ホウエン地方での事件の後、ジムリーダーだったミクリがチャンピオンの座についた。ならば元ジムリーダーが四天王の座につくことがあってもおかしくない。
 ダウト、とは言われなかった。
 
「……お連れしましょう」

 メタグロスに後を任せ、彼女は踵を返した。

■筆者メッセージ
2021年4月11日 誤字脱字修正
( 2021/03/14(日) 10:03 )