暗闇より


















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カジノの街
Box.34 Come down―落下―
 警戒も露わにリクは身構えた。此処が何処かは分からない。距離を保ったまま、視線を部屋中に巡らせる。高級なホテルルームを思わせる部屋だった。ふかふかのベッド、書き物机と椅子、高くはないが低くもない天井にはお洒落な照明がついている。ただ、真っ先に確認したのだが窓や扉といった外部と繋がるものがなかった。そのせいで、綺麗な部屋ではあるものの圧迫感があり、息が詰まる。
 この部屋にはリクと、朱の外套の人物しかない。ポケモンはいない。モンスターボールを隠し持っているのかもしれない、と無意識に腰元を探って、気がついた。ポケモン達もソラもいない。リクは相手を睨みつけた。

「シャン太を……ソラ達を、何処へやった」
「シャン太? シャン太もいるのか?」
「質問に答えろ!」

 声高に詰問する。相手は外套を目深に被っており顔はあまり分からないが、背丈は自分より少し高いくらいに見える。シルエットは細い。声は少年特有の声変わり前のものだ。もしかしたら、同い年くらいなのかもしれないと不意に思った。
 相手は戸惑っている様子だった。毛を逆立てる獣のようなリクを見て、口元に手を当てた。黙考。やがて口を開いた。改まった喋り方だった。

「私は……それについては知らない。お前の方から、この部屋に来た。お前こそ、どうやってこの部屋に入った。ここは見ての通り窓も出入口もない。恐らくは捕虜の部屋だ」

 今度はリクが戸惑う番だった。「捕虜の部屋?」オウム返しに問うと、相手は頷いた。この部屋全体に漂う奇妙な圧迫感は、その為であろう。問題は、どうしてそんな場所に、である。問いに対して、だんだんとリク自身も記憶がはっきりしてきた。突き飛ばした感覚がある。額を抑え、一つ一つ言葉に出して思い返し始めた。

「ツキネに、会おうとして……」
「あぁ」
「部屋に、入ったら、死んだって言ってて、え? 何か、死んだ……?」

 死んだ、と一言、ツキネは呟き、一筋の涙が暗い部屋の中で滑り落ちるのを目にした。腐った磯の香り、真っ白なサニーゴの体から、魂が抜けるように光が消えていき、ツキネはその言葉を呟いたのだ。「死んだ」と、リクは繰り返し呟く。その後は視界が捻転し、ボルトの声、スリーパーに引きずられ、それを突き飛ばした感触が残っている。であれば、テレポートから振り落とされたのだと理解するのは難しくなかった。
 問題は、その前である。サニーゴが死んだ。誰の? (「コーラル」)呼びかける声は、探し求める男のものだ。(「何故お前が、コーラルを持っているのです?」)ツキネの問いかけ。何故、何故、何故――? あの時は事態について行けず、混乱して理解しきれなかったこと。答えられなかった質問が、浮かび上がってきて再び眼前に現れる。何故?
 何故あのサニーゴは、自分が持っていた? (飛び出した小箱がむくむくと大きくなって、弾け飛んだ)
 サニーゴはどこからやってきた? (小箱の中にあったのはモンスターボールだった)
 小箱を渡したのは誰だ? (白髪の親切な青年から預かったパーカーに入っていた)

 白髪の親切な青年?

(「白髪の男がそいつに預けたんだろ」)
 白く細い蜘蛛の足が霧向かいで微笑む青年の姿を絡め取る。(「フン、その通りらしいのですね」)どの通りだって?
 リクの手が、小さく震え始めていた。色を失っていく顔を抑え、呼吸が浅くなっていく。捕虜の少年はリクを唖然とした様子で見ていた。辿っていく記憶の道が、だんだんと暗い小道へ入っていく。(「何か、青年からもらったりしましたか?」)あの時、嘘をついた事を思い出した。信頼していなかった訳ではない。ほんの少し、嫌な気持ちになっただけだ。何かを隠そうとするアイドルキングに、小さな抵抗をしたかった。
 蒼白の顔を両手で抱え込み、誘われるように深みを増す記憶の奥へと足を踏み入れる。初めてベッドにサニーゴが解放された時、まだ彼女は生きていた。あのような状態でいても、確かに、生きていたのだ。声にならない言葉がリクの口端から漏れ出た。(パーカーを受け取ってから、どれだけの時間が過ぎた?)最低でも丸一日は経過していた。
 ポケモントレーナーなら誰だって、瀕死のポケモンにとっての一日がどれだけ途方もなく、長い時間か知っている。ダメージを受けてから治療に至るまでの時間が短ければ短いほど、生存確率が上がることなど常識だ。

(「死んだ」)

 嘘などつかなければ。
 アイドルキングに問われたとき、正直に渡していれば、間に合ったのだろうか?

「しん、だ」

 真っ青な顔でぽつりと呟き、リクは動かなくなってしまった。捕虜の少年はじっと待った。動かない――唐突に、リクが自身の手を壁に打ち付けた。捕虜の少年が瞠目する。

「……どうした」

 返事はなかった。リクはその場に崩れ落ち、口元を抑えた。嘔吐く。浅く呼吸を繰り返し、腕を再度振り上げ、今度は手を床に叩きつけた。

「やめ……リク!」

 リクが包帯を引きちぎった。がりがりと身体を掻き毟り、嘔吐く。痙攣するように震え、まだ塞がりきってない傷口で床を殴った。血が出た。殴る。ひたすらに、震えながら、殴りつけた。

「――止めろ!」

 とうとう捕虜の少年が飛びついた。離せとリクが喚いた。血が出てるから止めろと叫び返す。掴んだ手の惨状に顔を歪めた。

「それ以上ぶつけたら使い物にならなくなる。駄目だ、止めろ!」
「それで良いんだ!」
「よくない!」
「オレなんて、腕なんて、使えなくなった方が良いんだ!」
「いい訳ないだろ! 何を考えてるんだ!」

 捕虜の少年がリクを抱きしめて抑え込んだ。血まみれの左手首を強く握り止める。浅い呼吸音が近い。ゆっくりと、少年は言った。

「何があった。君を、絶対に責めたりしないから。お願いだ、話してくれないか」

 リクは蒼白の顔で、ぶるぶると震えていた。強ばった口を、動かした。少年の声は、聞き覚えがある気がした。リクは目をきつく瞑った。目を閉じれば朱の外套は見えない。見ようとしなければ、見えない。「……しんだんだ」と、ここにいない相手に詫びるように、リクが言った。

「オレの、せいで、しんだんだ」

 ぽつりぽつりと、嘘をついたことを話した。白髪の青年に助けられたこと。パーカーを貰って、小箱が入っていて、そこには瀕死のサニーゴが入っていた。ツキネが、死んだ、と告げた事。少年は静かに耳を傾けていた。嘘をついたんだ、と最後に繰り返して、リクはぼろぼろと涙を零した。深く被った外套の下で、少年が唇を噛む。抱きしめたままのリクは、やがて大声で泣き始めた。その声をすぐ傍で耳にしながら、少年もまた、きつく目を閉じた。やがて、細く長く息を吐き、目を開く。

「君じゃない」
「……やめろよ」
「本当に君じゃない。白髪の男は、アカ様だ。サニーゴを捕らえたのも、チャンピオンを追い落としたのもアカ様で――」

 リクを離した。少年が囁く。

「サニーゴを、チャンピオンを、この街を、地方を、君を追い詰めて、殺したのは私達だ」

 リクが目を開いた。
 真っ先に飛び込んできたのは、朱の外套だった。叫喚する悲鳴。燃え盛る街。ポケモンと人間の悲鳴と哄笑がまざまざと甦る。炎が、記憶を焼き尽くす。
 血濡れの左手が少年を突き飛ばした。たいした抵抗もなく、彼は離れた。リクの双眸に、深い怯えと、得体の知れないものへの恐怖が滲んでいた。掠れた声で問いかける。彼は懐かしい声をしていて、朱の外套を着ていた。

「お前は、誰だ」

 少年は目深に被った外套の奥から、昏い瞳で答えた。

「……ホムラ。お前がチャンピオンの仲間だというのなら、私は、お前の敵だ」

 ――それからのことは、夢中で、はっきりとは覚えていない。
 気がつけば、リクは相手に殴りかかっていた。嫌悪していた心は僅かに軽くなったが、膨れ上がる憎悪と悲しみが身を裂いた。悲しかったのだと知った。ヒナタに、どんな顔をして告げたらいいのか分からなかった。箱の中のサニーゴの苦しみを思うたびに、ホムラへと向かう怒りが燃え上がった。最初の拳をホムラは避けなかった。けれど即座に鋭い一撃が、リクのみぞおちに抉り込むように叩き返された。息が止まった。あまりの痛みにその場に崩れ落ちる。その場にのたうち、頭が真っ白になったまま苦痛に身もだえした。それでもなお、動こうと、相手を殴ってやろうと起き上がろうとして、その場に吐瀉した。
 ホムラが馬乗りになって、リクの腕を押さえた。振り払ってやる! リクは力を込めようとしたが、割れるような頭痛と、息を吸って吐くごとに脈動する痛みに涙が滲んだ。部屋全体が大きく揺れる。破壊音がして、エンニュートとバシャーモが大量のヤトウモリを伴って飛び込んできた。シャモシャモシャモと興奮気味にバシャーモが炎を噴き出す。壊れた壁から放射状にひびが広がり、部屋の崩壊が始まる。隔離された時間の中にいた部屋が、空間の揺らぎのただ中のスカイハイに飲み込まれていく。

「キィエエエエアア」

 エンニュートが投げたポケナビがホムラの傍まで転がってきた。彼は、迷い、いまだ暴れるリクを抑え込んでいた。暴れながらリクは、同じ言葉を狂ったように叫んでいた。エンニュートが目を細め、がぱりと口を開く。もくもくと濃密なガスが口から蕩け出す。「止めてくれ」とホムラが請う。おろおろしていたバシャーモも慌てて首を横に振った。エンニュートは肩を竦め、手下のヤトウモリへ顎をくいとあげた。黒い群れの中から歩み出た一匹が、リクの足にしがみついた。弱い電流が流れると、いぐっ、と奇怪な声があがり、動かなくなった。
 これでいいだろう。エンニュートが視線を差し向けると、ホムラはポケナビを手に取った。掛けた電話は、待っていたかのようにすぐに繋がった。

『帰るよ、ホムラ』
「はい」

 切れた。バシャーモがスカイハイの外側の壁を破壊する。乱打する雨脚に混ざり、火を纏った無数のヤヤコマが、ヒノヤコマが、落下してはUターンで空へと戻っていくのが見えた。一際大きく揺れた。バシャーモはホムラを片腕に乗せ、反対側に気絶したリクを抱えた。からかうようにエンニュートが、自分が持とうか、とジャスチャーすると、キッと睨みつける。ケラケラとエンニュートが嗤い、口端から毒ガスを滴らせた。
 殺してやる、と気絶した少年は叫んでいた。狂ったように繰り返していた。殺してやる、殺してやる、お前を、許さない。ホムラの目に、赤々とした空が、バシャーモの炎が、自身の朱の外套が映った。戻ったらあの方に訊かなくてはならない、と彼は思った。リクがどうしてこの地にいたのか。知らなくてはならない。ここにいるべき人間ではない。
 バシャーモが跳んだ。スカイハイの壁を垂直に走り、跳ぶ。後からついてくるヤトウモリの群れは黒い川のようについてきた。不意に、リクは本当に自分を殺してくれるだろうか、とホムラは思った。敵のままならば、後悔などせずに殺してくれるだろうか。そうして同じように、こちらへ落下してくれるだろうか。それは酷く甘美な誘惑だったが、ホムラはふるふると頭を振った。
 ――彼はやはり、帰るべきだ。表の世界へ。





『不夜城 墜ちる
 ××日午後遅く、ゴートシティを複数の炎ポケモンが急襲した。一連の襲撃事件の犯人である朱色の外套集団による犯行とみられている。スカイハイは半壊状態であり、行方不明者を含めた死傷者数は推定200人以上とされる。カジノは現在閉鎖されている。スカイハイの管理人兼ゴートジムジムリーダーのツキネ氏は面会謝絶だ。関係者によると「エスパー能力の過剰出力による一時的な昏睡状態に陥っています。命に別状はありません」との事。
 十数人がスカイハイが念力によって捻れるのを目撃しており、半壊の要因の一つにツキネ氏の念力が関係していることは疑いようがない。襲撃への対抗行動としては過剰かつ、また犯人確保までは至らなかった事もあり、現四天王のゴルト氏の復帰を望む世論が高まっている。ツキネ氏が不在の間、ゴートシティおよびスカイハイの管理はゴルト氏が担うと緊急発表された。その後の対応についてゴルト氏は「支配者はツキネだ。変えるつもりはない」と述べた。』

( 2021/03/07(日) 09:45 )