暗闇より


















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カジノの街
Box.29 Old lady―老婦人―
 大丈夫なの、どうなの、どうしたの、教えて。
 リーシャンがもがいた。用心しながらエイパムは耳を澄ませ、筐体向こうへと視線を向けた。火は収まっていた。そう時間を置かず、バシャーモが突然に泣いて走り去っていった。あの坊や、なかなかやるじゃないか。口笛を吹く。リクは大丈夫なの? リーシャンが繰り返し問いかけた。すぐには答えられなかった。
 そんなにあの坊やが大事か。ぎゅっと、腕に力を込めた。当たり前でしょう、とリーシャンが言った。「リクを守って」って約束したんだから。エイパムが片眉を上げた。へぇ、約束……でもね、それはね、君が守ったからって、何がどうなるものでもないんだよ。彼を守って、傍にいて、君に何が残るんだ。……何も残らないよ。残るのは後悔だけだ。なんて馬鹿な時間を費やして、そこで待っていたのだろうって。ねぇ、人は変わるものだよ。きっといつか、裏切られる日が来る。君が後悔する日が来るよ。
 言葉が深く沈み込む。ウミが迎えに来ないのは、変わってしまったからなのだろうか。もうリーシャンの事が嫌になってしまったのだろうか。どちらの方が傷つかないのか分からない。生きてても裏切られた方がマシだったのか、死んでても最期まで信じてくれていた方がマシだったのか。

 でも、と口にした。
 それでも待ちたい。誰も待ってないのは、凄く寂しい。

 心が納得するまで、答えを出したくなかった。どう生きたって後悔はするだろう。振り返れば良かったかもしれない。迎えに行けば良かったかもしれない。出会わなければ良かったかもしれない。引き留めなければ良かったかもしれない。
 それでも、リクはリーシャンに応えてくれて、いつも波間から戻ってきた。だから傍にいる。明日もまた、戻ってきてくれると信じて傍にいる。
 リーシャンの言葉に、エイパムがくしゃりと顔を歪めた。そう、と一言言って、リーシャンを離した。行きなよレディ。リーシャンが問いかける。
 ……貴方は、誰を待っていたの。
 エイパムは答えなかった。





 カジノのゲームに詳しくないというリクに、「だったら、簡単なものから」と老婦人はダウト≠選択した。テーブル席につく。D≠フアンノーンを連れたディーラーに声をかけた。「……いつ寝てるの?」「いつでしょうね」ディーラーを務めるのは、相変わらずツキネの部下だ。

「ダウトは初めてですか」

 無表情に問いかける部下に、リクは頷いた。「まず開始のチップを置いてください」「開始って? 何枚賭けるの?」「何枚でも。最低金額の掛け金です」ひとまずスロットと同じように青いチップを3枚積んだ。部下はトランプを良く切り、カードを均等に配った。

「どのポケモンを使いますか」
「私はごっちゃん。リクちゃん、貴方は?」
「ポケモン?」
「あのリーシャンはあなたのポケモン?」

 振り返ると、リーシャンがふよふよと飛んでくるところだった。「もういいのか?」「……リ」やや躊躇いながらもリーシャンが首肯し、リクと老婦人を見比べる。「こっちのばあちゃんがカジノしないかって」大丈夫か、と見上げてきた。ひらひらと手をふる。「そんなにたくさんはチップを賭けないし、お遊びみたいなもんだよ。――ポケモンもゲームに参加するんですか?」老婦人はにっこりした。「もちろん。スカイハイのバトルカジノは、ポケモン必須よ」
 ソラがキルリアを連れていったことを思い返し、ついているはずのテーブルを見やった。相変わらず人の壁に阻まれて見えない。おー! と歓声と、拍手がパラパラ起こる。複数人とテーブルを囲んでいるようで、参加者の一人が見えた。強く背中の曲がった男が、奇妙なピカチュウのぬいぐるみを抱えて座っている。大丈夫なんだろうか――? 老婦人に確認の問いを投げた。「ポケモンがカタに獲られたりとかしない……よね?」彼女は笑い皺を深め、ころころと笑った。「今はツキネちゃんが禁止してるから、そんな事したら捕まってしまうわ」だったら、昨夜の事はどうなるのだろう。筐体向こうの尻尾に目を当てた。「でも、昨日ゲイシャ、あ、いや、エイパムが」老婦人が「あぁ」と得心した。

「ゲイシャはツキネちゃんが来る前に質に入ったのよ」
「シャン太を質に入れようと――え?」
「シャン太? もしかしてあの子、持っているポケモンを質に入れろって?」
「あの、ゲイシャ? が質に入ったって、今言いました? アイツは野生とかじゃないんですか?」
「違うわよ? ちゃんとトレーナーがいるわ」

 そうよねぇ、と部下を振り返る。頷いた。「え? でも質に入ったって……あれ?」混乱するリクに、部下が淡々と説明した。

「ツキネ様がジムリーダーに就任されたとき、質に入ったポケモンは全て買い上げられました。全てのポケモンにどうしたいか≠確認した上で、ほとんどは野性に帰りましたが、ゲイシャ様はボールマーカーを消すことを拒否されました。なので現在、名目上はツキネ様所有のポケモンとなっています」
「消すことを拒否したって……」
「さぁ。そればかりは、ゲイシャ様ではないので分かりかねます。ボールはゲイシャ様がお持ちですので、いずれ気に入った相手に預けられることでしょう。――パートナーとするポケモンは、シャン太様でよろしいですか」
「リ!」

 リーシャンがぐっと小さな両手を握りしめ、耳をピンと持ち上げた。エイパムの事が気にかかったが、ひとまずそれは後で考える事にした。それよりチップを稼いで、早くツキネに会いに行かなくては。「リーシャンでお願いします」
 配られた手札をテーブルで整える。「相手に見えないようにしてください」部下が注意した。老婦人が小さな両手で、持ちにくそうにカードを広げて眺めている。「二人でやると、手札が多くて大変ねぇ」

「リクちゃん、先攻と後攻、どっちがいい?」
「先行が良いです」
「じゃあ、1のカードを裏向きに場に出してね」

 カードを置いた。裏面はモンスターボールが描かれている。

「ダウトってゲームは、とってもルールが簡単なのよ。順番に場にカードを出していくだけ。今、リクちゃんが1のカードを出してくれたでしょう。そうしたら、私は2のカードを出すのよ。その次は、リクちゃんが3、私が4……13まで行ったら次の人は最初に戻って、1のカードを出すわ」

 老婦人がカードを1枚、裏向きに出した。トントンと指で叩き、悪戯っぽく微笑む。

「ね。今、本当に2のカードを出したと思う?」
「……違うと思う」
「うふふ。正解」

 ペラリとカードをひっくり返すと、7だった。

「裏向きだから、なんのカードを出したのか分からない。もしも相手が嘘をついていると思ったら、本当はダウト≠チて言うの。今のはリクちゃんがダウト成功って事にしておくわね。だから私は、レイズ(掛け金の上乗せ)をしなくちゃいけない」

 老婦人は最初、リクと同じ3枚のチップを場に置いていた。そこに3枚青チップを追加で積んだ。
 チップは色ごとで1枚の価値が違い、スカイハイには4種類のチップが扱われる。青1枚=100円換算。黄1枚=1.000円、赤1枚=10.000円、黒1枚=100.000円。もっとディープな場所はより細かい金額が決まっているのだが、スカイハイは新人トレーナーが立ち寄ることが多い。金額の関係をわかりやすくするために、4種類のみを採用していると部下が解説した。「もっとも、カジノ初心者なら赤以上のチップを賭けない方が身のためです」信号と同じだ。青は安全、黄色は注意、赤は危険。
 ダウトとは嘘≠ニいう意味だ。
 ダウト≠ニ言った側が正しければ、嘘をついたものが場のカードを全て手札にする。
 ダウト≠ニ言った側が間違っていれば、言ったものが場のカードを全て手札にする。
 スカイハイの変則ルールでは、手札にする代わりに、レイズ(上乗せ)≠する。また、レイズ金額は最後に宣言された金額と同値以上でなければならない。簡単に言うと、青3枚をレイズしたのならば、そこからのゲームでのレイズは青3枚以上が基本ということだ。

「相手にバレないように上手に嘘のカードを混ぜながら、場に出していくのよ。先に手札がなくなった方の勝ち。勝った人は場の掛け金を全て貰う事が出来るわ」
「最後まで嘘をつかなかったら、ダウトされても大丈夫なんじゃないですか?」
「あら。じゃあ賭けましょうか。リクちゃんが最後まで嘘をつかなかったら、このチップをリクちゃんにあげる」

 老婦人はチップを1枚見せた。リクの目が吸い寄せられるように動く――黒だ。賭けと言う以上は、負けたときの代償があるはず。喉を鳴らした。

「その代わり、リクちゃんが嘘をついたらそうね……私とまた遊んでくれると嬉しいわ」
「そんなことで良いの?」

 出された条件は、拍子抜けするほどささやかな願いだった。老婦人はおっとりと笑った。

「若い子と遊ぶのが生きがいなのよ。どうかしら」

 それくらいならお安いご用だ、とリクも二つ返事で了解した。いつになってもいいというなら、いずれまた来るかも知れない。なんなら、このカジノでなくたって遊べる。

「さぁ、私が嘘ついちゃったから、リクちゃんが2のカードを出す番よ。次は、まだ教えていないルールを教えてあげましょう」

 リクは2のカードを1枚出した。次に、老婦人が3のカードを2枚出す。不思議そうな顔で見上げると、「同じカードは同時に出すことが出来るのよ」と言われた。それならばと4のカードを3枚出す。老婦人がニコッとして、言った。

「ダウト」

 空間が揺れ、複数の光球がリーシャンを取り囲むように出現した。ハッとしたリクが反射的に叫ぶ。「ま――まもる=I」「リー!」直後、光球が一斉に射出され、展開された見えない壁にかき消えた。
 止まっていた息を吐く。冷や汗が止まらない。ホッとしたリーシャンと目が合うと、互いに考えている事は同じだったようだ。「なんで」掠れ声で呟いた。しかし相手は、不思議そうに小首を傾げただけだった。「ごめんなさいね。実際にやって見せた方が分かりやすいと思ったんだけど、びっくりさせちゃったかしら」だから、なんで。説明を求めて次は部下を見た。彼女もまた、何事もなかったかのように説明した。

「ダウト≠ニ宣言したトレーナーまたはポケモンは、技を放つ事が出来ます。相手にダメージを与えることが出来なかった場合、カードの真偽に関わらずダウトを宣言したトレーナーがレイズします」

 老婦人が青のチップを5枚積んだ。混乱する頭を、なんとか整理し、説明を飲み込む。

「……つまりダウト≠宣言するときは攻撃をして、ダウト≠宣言されたら防ぐ」
「はい。だいたいその通りです」

 老婦人が両手を組み合わせてにっこりした。「やりながら覚えたら良いわよ。初めてなら混乱して当たり前だもの」事もなげに。まるで動揺した自分がおかしいみたいだ。いや、実際おかしいのだろう。彼らにとって、ここでは当たり前の事なのだから。

「シャン太、ごめん。オレ、知らなくて……防いでくれてありがとう。怪我ないか?」
「リ!」

 リクがしょげながら謝ると、リーシャンは首を横に振った。昨夜の内にチップを稼がなくてはならない事情は伝えてあるが、バトルをさせるつもりは毛頭なかった。バトルカジノと銘打っている時点で、可能性を気にかけるべきだったと悔やむ。「すいません、ポケモンを途中で交代させる事って出来ませんか」「出来ますが、一回までですよ。そもそもリク様、どのポケモンに交代するおつもりですか」「タマザ――は、ええと、今いないんだった……」考え込む。「ポケモンがいないとバトルカジノは出来ませんか」「はい。ご自分がバトルされるつもりなら話は別ですが」「いや、それはちょっと」ポケモンの技を避けたり食らったりするのは、バトルアイドル大会で懲りた。包帯はまだとれそうにない。「すいません、オレ、やっぱり止めてもいいかな」席を立った。

「あら、どうして?」

 老婦人がきょとんとする。リクはリーシャンの頭に手を乗せた。
 
「シャン太にあんまりバトルさせたくないんです」
「リ?」
「そうなの? ……事情は分からないけど、ならバトルカジノは駄目ね」

 残念そうに眉を下げ、手札をテーブルに伏せた。誘ってくれたのは老婦人の方で、良いと一度は言っただけに申し訳なさを感じる。「リ? リリ?」リーシャンが落ち着かなさそうにリクを見つめた。頭上で交わされる言葉に戸惑っていた。

「それならリーシャンはどこかに預けた方が安心だと思うわ。私もリクちゃんがポケモンを持ってると思ったから、バトルカジノに誘ったんだもの」
「リ?」
「預ける場所なんてあるんですか?」
「ポケモン専用のトレーニング部屋がありますし、ポケモンセンターにも頼めば預けることが出来ます」
「だったらシャン太、悪いけどしばらくそっちで待っ――」
「リー!!!!」

 リーシャンが身を乗り出し、ぶんぶんと首を横に振った。彼女にしてみれば、また待つことになるのはまっぴらだった。「そうは言ったって、危ないんだぞ」「リリリ!」頷かない。どうしたんだ、と途方に暮れる。老婦人がおっとりと助言した。「リクちゃん、リーシャンもこう言ってる事だし、やってもいいんじゃないかしら」「でも、」言いよどむと、老婦人が微笑んだ。

「ツキネちゃんに会いに行くんでしょう。スカイハイのカジノは、ポケモン抜きでチップが稼げるほど甘くはないわ」
「リ!」

 リーシャンがコクコクと同意した。
 
「……お前が、怪我でもしたら」
「リ」

 ふよふよ近づいてきて、リクの包帯に触れた。決意に満ちた眼差しを向けられると、流石のリクも「分かったよ」としぶしぶ折れた。1年の付き合いだ。これと決めたリーシャンがてこでも動かないのは、波間から呼び戻された時に知っている。

「じゃあ、お願いします」

 ゲーム再開だ。老婦人が5のカードを2枚出す。「次はリクちゃん、6よ」促されるままにカードを出そうとして、顔色を変えた。6がない。ドキドキしながら7のカードを出した。
  
「ダウト」

 老婦人の宣言と同時に、リーシャンとリクは身構えた。ゴチミルの両眼が光った。攻撃がまた来――ない。首を傾げる。「……あれ?」「リ?」
 
「次は私の番ね」
「あの、攻撃は?」
「したわよ?」

 あっけらかんと老婦人が言った。目をパチクリさせる。
 
「ダウト宣言時の攻撃は、補助技やサポート技も使って良いの。もっともダメージを与えることができない限り、カードの真偽の確認はできないけれど」
「じゃあ、今ゴチミルは補助技を使ったの?」
「ふふふ、何を使ったかは内緒」

 いたずらっ子のように口に一本指を当てた。なんだ、とリクは力を抜いた。まもる≠ヘ連続で出すと失敗確率が高い。それを知っていたのかは分からないが、老婦人は嬉しそうに黄色のチップを1枚積んだ。

「本当はリクちゃん、6のカードがなかったんでしょう?」

 ギクッとした。「だって私、4枚とも持ってるもの」ケロリと言う。最初に出会った時に思ったよりも、老婦人はさっぱりしてるというか、豪胆というか、堂々としていた。年長者の余裕なのか、リクよりもよほどしっかりとゲームを行っている。

「うん。オレ結局、嘘ついたんだ……」

 これで約束の黒チップはなしだ。落ち込むリクに「ついてないわよ?」と老婦人が小首を傾げた。「だってダメージを与えられなかったんだもの。だったらリクちゃんのカードの真偽は、私には確かめられないわ」

「でも、今4枚持ってるって」
「それは私が言ったことであって、リクちゃんが見たわけじゃないでしょう?」
「それは、まぁ」
「ふふ。これは嘘つきゲーム≠ネのよ。私はバトルは強くないけど、嘘はきっと、リクちゃんより上手よ」

 老婦人は7のカードを2枚出す。8のカードを2枚出した。老婦人が9を2枚出す。リクが10を2枚出した。(2人だけだから、複数枚のカードが多いな)すぐに決着がつきそうだ。出来るだけ早く勝負が決まれば、その分だけリーシャンが攻撃されずに済む。

「リクちゃんはダウト≠チて言ってくれないの?」
「えっ」

 顔を上げた。老婦人は子供のようにすねた顔をしていた。「嘘つきゲームなのよ。ダウトって言ってくれないと退屈だわ」「う゛」忘れていたわけではないが、リーシャンにバトルをさせる事に、抵抗があった。攻撃指示を出してしまえば、リーシャンがリクのポケモンだと認めたような気持ちになる。
 戦えるようにはなった。バトルだってしたい。でも、リーシャンにそれを知られることに、後ろめたさがあった。(あの事件を忘れた訳じゃない、けど)言い訳のように、リーシャンの小さな瞳に問いかける。「……攻撃したくないなら、しなくていいから」リーシャンはふるふると首を横に振る。
 リクが気持ちを定めると、老婦人が目をキラキラさせた。(ダウト宣言される事に喜ぶなんて、変なの)11のカードが2枚出る。わくわくとリクを見つめる。リーシャンがもしも、攻撃をしなかったらどうしようか。それならそれで良かった。リーシャンのボールはウミが持っているままだ。リクの指示に従う道理など、本当は欠片もない。だから指示を聞かなかったからと言って、自分が傷つく理由もない。重い口を開いた。
 
「……ダウト!」
「リ!」

 あっけないほど普通に、リーシャンはゴチミルへと突進した。攻撃意思をリーシャンに委ねたこともあり、技の選択は指示していない。身構えたゴチミルの手前で急停止すると、長い耳をパン! とゴチミルの鼻先にぶつけた。衝撃にゴチミルの肩が少し震え、ぷるぷると首を振る。

「おどろかす≠使ったのか」
「リ」
「……ありがと」

 パチパチと老婦人が拍手を送った。「可愛い攻撃だったわねぇ。ふふふ」テーブルの中でも、ここだけのんびりとした空気が流れていた。和やかに勝負が進んでいく。なにより、リーシャンが応えてくれた事に心底ホッとしていた。「ダメージが入ったから、カードをめくるわね」カードは、11ではなく7。にっこりして黄のチップを3枚積んだ

「ダウト≠ノ成功すると、嘘をついた人がチップを追加する。そろそろ慣れてきた?」
「うん。だけどやっぱり、シャン太に指示をするのは――」
「リリ!」
「リーシャンはやる気みたいよ?」

 (だったら、もっと頼っても良いのかもしれない)老婦人もたまに驚くような事をするが、基本的には激しく攻撃をしかけてきたりはしない。リーシャンに協力してもらえた方が良いのも確かだ。いい加減、腹をくくろう。深呼吸をして手札を持ち直した。
 
「シャン太、倒すのは難しいと思う。ゴチミルはそこそこレベルが高い」
「リ?」
「だからなんとか、二人で考えて、工夫して、倒さずに勝とう。これはバトルだけどバトルじゃない。カード勝負に勝ちさえすれば、最小限の戦闘で済ませることが出来る」

 リーシャンがびっくりしたような目で、リクを見やった。苦笑する。一緒にいた間はずっとバトルを避けてきたし、二度と戦うつもりもなかった。今までのリクだったら、リーシャンがなんと言おうとも棄権していただろう。「オレはまた、バトルするよ。もう逃げない」リーシャンがにっこりした。「リ!」
 
「若いって良いわねぇ」

 老婦人がほっこりとした表情で両手を頬に当てる。ディーラーを黙々と務める部下が、目を眇めた。

「そのゴチミルは、何匹目≠ナすか?」

 きょとんとする。「貴女がそんな質問するなんて、珍しいわね」花の咲いたような笑顔を浮かべた。

「私の隣はいつも、一匹だけ。だってその方が素敵だもの」

 笑い皺の刻まれた目元が緩み、細めた瞳にぎこちなくも信頼し合う子供とリーシャンを映した。
 リクの番だ。11のカードを1枚出す。できる限り堂々と、唇を引き結んでカードを重ねた。老婦人が12のカードを3枚出す。リクの手には12のカードが1枚あった。悩んでいると視線を感じた。スロットを振り向くと、長い尻尾がサッと隠れる。リーシャンを賭けないか見張っているのだろうか。(どんな事になったって、オレは賭けないから安心しろよ)「13」カードを1枚出した。老婦人が1のカードを2枚出す。リクは手札を見た。2がない。顔に出ないように、できる限りの平静を伴って宣言する。「2」1のカードを出した。

「ダウト」

 来るぞ、と身構える。二度も補助技を使うとは思えない。ゴチミルの両眼がキラリと光った。すぐにまもる≠ェ使えるように構えていたが、一向に攻撃は来なかった。訝しむと「なにを使ったと思う?」愉しそうに問いかけてくる。計算の内なのか、手加減をしてくれているのか。(どっちかっていうと、遊んでるのかな)リクとリーシャンが構えては脱力する様を見て、クスクス笑っている。むっとして思考を巡らせた。ゴチミルが使える技の中で、動作が大きくないもの。悪巧み、瞑想、自己暗示、可能性として高いのは――? 一生懸命考えている間に老婦人がレイズを宣言する。チップを1枚積んだ。

 黒だった。

 思考が途切れた。
 目が貼りつく。時間が止まったかのように、手が動かせなかった。見間違いかなと思ったが、何度見ても、黒。
 黒のチップが1枚、黄のチップが4枚、青のチップが11枚。総計105.100円。手札を持つ手が震えている事に気がついた。たいした金額じゃない、と自分に言い聞かせる。だんだんと落ち着いてきた。そうだ。老婦人は勝負とは関係なく、小さな賭けをして、そこでも黒のチップを賭けた。きっと彼女にとっても、たいした金額ではない。
 これはテーブルに載ったチップを、最後に勝者が貰うことが出来るゲーム。(オレはまだレイズをしていない)賭けているのは老婦人であって、リクがダウトに失敗しなければ何も失う必要はない。

「ツキネちゃんへの挑戦権は、黒のチップが200枚程度だったかしら」

 老婦人が景品交換所の方を見やった。「そうですね」部下が応じる。

「じゃあこの程度じゃ足りないわねぇ」

 そんなことはない、と言おうと顔を上げた。目の前で、パチン、と黒のチップが更に1枚積まれた。そして更に1枚。積んでいく、順番に、積んでいく。綺麗に10枚の黒のチップを塔のように積み終わると、にこやかに笑った。

「頑張ってね、リクちゃん。勝ったらきっと届くわ」

 これは、好意なのだろうか? それにしたってどこか常識外れな気がした。そんな事はない。浅い呼吸を繰り返す中で否定する。(応援してくれてるんだ。変な事を考えるな)
 得体の知れない好意に対する恐怖が、ヘドロのように流れ込んで滞留する。見ないふりをして笑顔を返す。(しっかりしろ。これはただの、遊びだ)繰り返した。包帯を巻いた手の甲に爪を立てる。(これくらいでビビるんじゃない。ソラはずっと、こんな勝負をしているんだ)拳を握りしめ、深く息を吸って、吐いた。
 「ふふ、私の番ね」老婦人が3のカードを3枚出した。リクの手札には、3のカードが2枚≠った。(嘘つき。ダウトだ。嘘をついている)宣言をしようとして、喉が、ひくついたように動かなかった。
 ――失敗すれば、同じ金額を賭けるのは、自分だ。

「さぁ、次はリクちゃんよ」

 陶然と、老婦人が微笑んだ。

( 2021/01/12(火) 08:13 )