暗闇より


















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カジノの街
Box.28 Blue flame―青い炎―
『ミズゾコタウン 惨憺たる』
『崩落相次ぐ』
『「ポケモンを早く」転送システムの復旧目処立たず』
『レンジャーによる救助活動継続』
『閉ざされたシラユキ 地震による雪崩相次ぐ』

 新聞を賑わすのは、連日暗いニュースばかりだ。ソラはもはやため息をつく気にさえなれなかった。いい加減隅から隅まで目を通して小さな記事も読み込むことに飽きてきたが、新聞を投げ捨てて席を立つ訳にもいかない。スカイハイは至れり尽くせり。カフェテリアでモーニングティーにサンドイッチをいただくことも出来るし、ポケモン達もいかにも質の良さそうなポケモンフーズを囓っている。先ほども、誰かのバシャーモが山のようなポケモンフーズを平らげていた。
 それとは反対に、目の前の少年は机に突っ伏し続けている。昨夜何をやったのかは分からないが、何を飲んだのかはなんとなく察せられる。似たような死体がカフェテリアには点在していたし、症状を伝えれば「あぁ」とすぐに薬を渡された。今日はもう止めようと提案したのだが、リクは首を振った。

「疲れてないか、リア、シャン太」
「フィ」
「リ」

 二匹とも首を振る。「癒やしの波動」「癒やしの鈴」を二匹がかりでかけてくれている。まだ待つしかないな、と諦め気味にソラは三部目の新聞を手に取った。一面に激しい火災の写真が載っている。『港街に炎と黒煙』


『××日、ナギサタウンが火の海になった。リーグ大地震により、連結する洞穴への海水の流入が続いていた矢先の出来事である。ナギサタウンではポケモン協会の指示により、ポケモンの保護活動が続けられていた。襲撃に街の3分の1が被害を受け、6人が死亡。男女56名が重軽傷を負った。ジムリーダーのホトリさんが街のトレーナーと協力し撃退したが、街への被害は痛々しく残っている。ルーローシティ・ジムリーダーのビュティさんが支援活動を継続している。海辺の街が何故襲撃を受けたのか。ジムリーダーのホトリさんは苦々しく語った。

「やたら炎ポケモンばっかり使ってたから、水ポケモンに恨みでもあるんじゃないの。炎のエキスパートといえばトモシビのジムリーダーだけど……行方不明のトモシビ後継者はまだ見つからないし、なんとも」

 トモシビのジムリーダーは数年前、火災により亡くなっている。またナギサタウン来襲時、サザンドラがリザ―ドンと交戦する姿が目撃されている。ラチナチャンピオンのヒナタさんはサザンドラを所持しており、同一個体ではないかと同社はポケモン協会に問い合わせたが、言葉を濁された。別の時期、ルーローシティでも――』


 強い視線を感じ、新聞から顔を持ち上げた。天井照明の影に長い尻尾が逃げ込む。(アイツ、見覚えがあるな)新人トレーナーをカモにする連中は多いが、その中でもいっとうタチの悪いポケモンだ。恨みでもあるのかと言わんばかりに金額をガンガン積んでくるし、ポケモンが相手であればと油断したトレーナーを次々潰していく。ソラはと言うと、膨らんだ風呂敷に、自信ありげな表情、慣れた手つきのイカサマに、キルリアがブンブンと首を横に振ったこともあって最初から無視した。おかげさまで最初は纏わりつかれたが、相手にしないとあればさっさと離れていった。
 ソラは嫌そうに眉根を寄せた。どうせ今度も、いかにも弱そうなリクに目星をつけたのだろう。こんな状況でカジノに来る新人トレーナーなんて早々いない。
 うめき声と共に、のっそりとリクが頭を持ち上げた。

「カジノ、行く」
「まだ休んでた方が……って止めても、聞かないだろうな」

 「行く」とぼそぼそ言った。自分の声すら頭に響くようなら、止めときゃ良いのに。言葉を飲み込んで、代わりの忠告をする。

「分かった。だがその前に――」





 何度目かのスロットの揺れに、客がキレ気味に叫んだ。

「バシャーモォ! てめーいい加減にしやがれ!」
「シャモーッ!」

 またかよ、とリクはげっそりした。誰のバシャーモか知らないが、やたらと泣いてスロットを蹴っている。できる限り距離を取った席でスロットを回していたが、それでも怒声が聞こえてくる。リーシャンは気にしているようだったが、駄目とリクが言い含めた。厄介ごとには首を突っ込まないようにと再三ソラに警告されたばかりだ。
 スカイハイには、ポケモンとペアを組んで行うバトルカジノ≠ェ存在する。カジノへの参加登録は済んでいるので、リーシャンも参加しようと思えば出来る。テーブル席で行うのが基本らしく、ソラはそっちに行ってしまった。本当はやりたくないそうだが、必要チップはリーシャンがせっせと貯めていたチップを足しても、スロットだけでは届きそうもない。そちらへ行く前にソラがリクに言った。
 
「お前はテーブルにはつくな」
「なんでだよ」
「嘘が上手くないだろ。カモられる」

 ぐぅの音もでない。昨夜の出来事を思い返せば、大人しくスロットを回している方がマシだった。

「うきゃっ」

 ひらりとエイパムがスロットに現れた。見覚えのある袈裟懸けの風呂敷に、リクはガタッと立ち上がった。

「お前っ! 昨日の!」

 バシン! と振り向きもせずにエイパムがリクのスロットを叩く。正確にはそのボタンを。「あっ!」テセウスのマークが3つ揃い、じゃらじゃらとチップを吐き出した。「何か文句でも?」と言いたげなエイパムに、チップを無視して吠える。

「シャン太に何の用だよ! お前とはもうゲームしないからな! イカサマしてるって知ってんだぞ!」

 ソラが散々してくれた忠告のひとつだ。(「ここに住み着いているエイパムには関わるな」)昨夜の出来事は黙っていたしソラもあえて訊かなかった。なんとなく察してはいたのかもしれない。(「すりかえ≠チて技だよ、ぱっと見は分からないけど。……絡んできても無視しろ」)すり替えは、自分と相手の持ち物を入れ替える技だ。変則的なバトルスタイルのトレーナーが使うのは知っていたが、まさかカジノの場で使うとは思ってもいなかった。
 煩わしそうにエイパムが尻尾をもう一度叩きつけた。「きー! うきゃきゃ!」凄まじい剣幕で吠え返すが、あいにくと伝わらない。リーシャンが慌てて間に入った。「リ! リリリ!」「なんだよシャン太!」肩で息をしているエイパムの手をリーシャンが掴んで見せた。「まさか知りあ――」ボッとエイパムの顔面が火を噴くように真っ赤に染まった。払いのけまではしないが、ぐいとリーシャンを両手と尻尾で押しのける。リクの目が点になった。目をパチパチさせて、えっと、と毒気を抜かれた顔で頬をかく。

「お前さぁ、もしかして……」

 エイパムが一瞬硬直し、ギッと睨みつけてくる。まだ顔には朱が差したままだ。一気に形勢逆転した気分だが、昨夜のことを許したわけではない。(なら、なんでリーシャンを賭けろなんて言ってきたんだよ。わけ分かんねぇ)

「シャン太。本当に、お前の友達なのか?」
「リ!」

 リーシャンがコクコクと頷く。だったら、とリクは自身のスロットの前に座り直した。エイパムを睨みつける。

「お前がどんだけちょっかいかけてきたって、オレはシャン太を賭けないし、お前と勝負もしない。……けど、話すくらいなら、見逃してやるよ」

 リーシャンは友達だと言った。エイパムがどう思っているかは分からないが、庇うくらいだ。無理矢理に引き剥がせば悲しむだろう。(どうせこの街には二度と来ないし、最後に喋るくらいなら……)ウミとは、別れの言葉すら交わせなかったのだから。
 エイパムは返事をしなかったが、ゆらゆらと尻尾を揺らした。鼻を鳴らしてスロットに向き直ろうとした時、何度目かの破壊音に肩が跳ねた。何回やれば気が済むんだ! 呆れ気味に目を向ける。スロットの反対側からから大きな炎が立ち上った。赤ではなく、透き通るような、青。美しいが、青は最高温度――最も危険な炎の色だ。「リ!?」「きっ!?」「シャン太! 危ないから動くな!」
 警告するまでもなく、エイパムがリーシャンを抱きしめた。お前どさくさに紛れて、と言いかけたが、表情は真剣そのものだった。「っちゃんと守れよ!」「きぃっ!」筐体向こうへと急ぐ。

 わーわーと人やポケモンが逃げていく。騒ぎの中心には、背が高く、鳥のような両腕に赤くてすらりとした体躯のポケモン――炎を迸らせるバシャーモがいた。緩んだ包帯のようにまとわりつく炎が、両手首から天を目指して盛っている。海のように透き通った灼熱の炎は、手首へ集束していった。密度を増す。炎の向こう側の空間が、陽炎のように揺らめいている。
 刹那、バシャーモの影がグバッと二次元から三次元へと現れ出た。それが影から飛び出したポケモンの攻撃だと知れる前に、バシャーモが影ごと床を踏み砕いた。
 瞬きのうちに、放射状にひびが入る。青い炎が手首から全身へと鎧のように広がっていく。炎が、リクの双眸に焼きつく。ここには、リーシャン達以外にも人が沢山いる。(炎が)ポケモンセンターを飲み込む赤が思い返される。燃え広がる炎が街を包み込み、人を、ポケモンを焼き払った。(炎、が)

「止めろ!」

 ふっと、バシャーモが「今気がついた」と言わんばかりに、振り返り、リクを見た。青の瞳が、一度瞼を下ろし、開く。理性の光が戻った目にリクが映り、見開かれた。

「……シャモ? シャ、シャモー!」

 バシャーモは目に止まらぬ速さで、目の前まですっ飛んできた。動揺しきった顔でリクの周りをぐるぐると回る。「シャモシャモシャモシャモシャモ!!!!」凄い勢いで何かしら捲し立てるが、やっぱり分からないし、そもそも怖い。「な、なんだよ……」縮こまりながら問いかける。バシャーモが必死にぴょんぴょんと跳ね、自身を指さし、勢いよく炎を噴きだした。至近距離の炎がチリチリと肌を焼いた。

「ひ……っ」
「シャモッ!」

 バシャーモは、リクよりもずっと背が高くて、大きい。上から被さるように詰め寄ってきて、興奮で全身から炎を迸らせる。「シャモッ!」目の前に甦るのは、燃え盛る赤と、炎と、人びとの悲鳴と、哄笑と――

「やめっ――離れろ!」

 ドン! とバシャーモを突き飛ばした。力一杯突き飛ばしたがバシャーモはびくともしなかった。さぁっと顔から血の気がひく。しかし不思議なことに、興奮に迸っていた炎はその刹那に収まった。え、とリクは戸惑った。さっきまで騒いでいたバシャーモがしんとしていた。
 ぽた、と、滴が足下に落ちる。涙? そんなまさか、とリクは相手を見上げた。青くて大きな瞳から、ぽろぽろと涙が零れていた。その意味は分からなかった。知らない相手だ。かけるべき言葉を持っていない。

 それでもどこか、酷く、懐かしいような気がした。

「シャ……シャモー!」
「あっ! おい!」

 呼び止める間もなく、バシャーモは踵を返して走り去ってしまった。すぐに見えなくなってしまい、あまりの速さに唖然とする。

「坊や、大丈夫?」

 呆然としていると、ゴチミルを連れた老婦人が声をかけてきた。「え、……え? えっと、なにがどうなったのか……」ぽかんとしたまま、上の空で返事をした。「怪我がないなら良かったわ。坊やが巻き込まれるんじゃないかって、見ていて気が気じゃなかったのよ」「巻き込まれる?」小首を傾げた。「坊やが話しかけた時、別のポケモンがいたでしょう?」思い返すと、影から飛び出してきたポケモンがいた。あのバシャーモは恐らく交戦中だったのだ。

「じゃあトレーナーが……」

 いるはずなのだが。それらしき人物はいなかったように思うし、バシャーモにトレーナーがいるなら、さっさとスロット破壊を止めて欲しい。老婦人は困ったように頬に手を当てた。

「バシャーモちゃんは最近来たから分からないけど、ミミッキュのトレーナーさんは分かるわ。もう行ってしまったけれどね」

 「あの子も困った子よねぇ」老婦人は微笑んだ。困った子、といいながらも、あまり困ってないどころか楽しそうに見える。あの子って、と続けようとしたが、先に老婦人がキラキラした瞳で話題を変えた。「それより貴方は、もしかしてジムに挑戦する新人トレーナーさん?」
 違う。そう言いかけたが、結局はツキネへの挑戦権を獲得する為にここにいるから間違いとも言い切れない。正直に事情を話せば厄介な事になるのは目に見えていた。「うん、まぁ、そんなようなもんです」と濁した。

「でも今は時期が悪いから大変でしょう? チップは届きそう?」
「いやそれは、ソラが……友達なんですけど、二人でなんとか。ポケモンも手伝ってくれてるし」

 いるであろう方向に顔を向ける。テーブル席で順調に勝っているようで、やんややんやとギャラリーに囲まれていた。こちらからは姿も見えない。

「あの坊やはとっても強いのね」
「まぁ、そうですね」
「あなたも強いのかしら? どうしてスロットばかりやっているの? あの坊やみたいに、テーブルにはつかないの?」

 目を逸らした。本当はつきたい。(「テーブルはドカンと稼げるけど、落ちるときも一瞬だ。俺だってリアがいなければ危ない。エイパムみたいなのがうじゃうじゃいる。絶対にテーブルにはつくなよ。どんなに人が良さそうに、弱そうに見える奴が相手でもだ」)老婦人はニコニコしている。
 
「たまに此処に来るのだけど、誰かとゲームするのがとても楽しいの」

 ソラの言った、人の良さそうな笑顔だ。本当にいい人にしか見えない。とても誰かを騙すようには思えないし、むしろ疑う方が悪い気すらする。
 
「でもね、特にあなたみたいな若い子と遊ぶのが楽しいの」
(「絶対についていくなよ!」)
「それでね、もしも貴方さえ良ければだけど――」

 脳内でソラがうるさいくらいに警告を繰り返す。それを遮って、割り込んできた声があった。
 
(「だったらどうしたと言うのですか? お前には関係ないのです」)

 獣が冷ややかな目で見ている。
 
(「お前程度が知る必要はないし、何かする必要もない」)

 だったら行きたい場所は、やるべき事は、自分で決めて、歩いて行くしかない。(オレだって戦える。守ってなんてもらわなくていい。あのツキネとかいう奴にも……ソラにだって)震える息を吐く。
 老婦人が言った。
 
「私とテーブルで勝負しない? きっと、とっても楽しいわ」

 少女のように邪気のない笑顔だった。花園へと誘う友人のように。
 獣の声がする。

(「もう会うこともないでしょうが」)

 絶対に、会いに行ってやる。

「オレで良ければ」

( 2021/01/24(日) 12:10 )